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35 立派な浅ましいオメガというやつ。
しおりを挟むあれから二、三日で調理室が増設された。
早い。これはたぶん、魔術師に依頼して作った感じがありそうで。
お高いな……。
まあ、急ぎたくもなるかとサリアノアはできたてほやほやの調理室をぐるりと見まわした。
料理を作るのが前の世界からの習慣で、作らないとおかしくなってしまいそうだ。
と櫟はサリアノアに伝えさせた。
半分冗談で、半分本気だと思う。
実際に勉強以外にできることもあった方が精神衛生上はいいだろう。
それに料理の手際がいいのを見てエテルノも納得したようだった。
妙に感心しきりのエテルノにサリアノアが補足で説明をしたのも大きかったのだろう。
「あちらの世界では人を雇って作ってもらうという階級は少ないんですよ。一人暮らしをしていたら自分で自炊をする人が多いです。外に食べに行くこともあるでしょうが。そこまで裕福ではないとあんま外食ばかりもしていられないですから」
「至高のアルファであっても?」
「彼はそういう生活を好んでいたということではないでしょうか?」
その説明をそのままほかの人にしたのかどうかはわからないけれど、食材が欲しいときはエテルノに伝えれば食材を置いている所に行けることになった。
見張りの人は何人かが交代で見張りに来ていて、話しかけてくることはなかった。
どの人がセレットリクが言っていた人なのか、確認しようと思うものの。
「わかんない」
「ん? なに?」
サリアノアが呟いた言葉を櫟が聞き返してきたので、何でもないよと伝える。
櫟が目の前でお皿に料理を持っているのを見ている最中である。
まったくもって誰が誰なのかわからないのだ。
一切興味のない事柄だったので、かわるがわるやってくる見張りの人が誰かとか把握できない。
あちらも自己紹介などしないようにとエテルノに言われているから、お辞儀をして入口の方にいるだけなので何とも言えず。
ただ、見張りにつくからにはそれなりの身分の人たちだなあくらいしかわからないのだ。
そこに王様が混じっていてもサリアノアは気付けないだろうということに愕然とした。
そのため、急遽セレットリクに頼んで夜会や茶会など、とりあえず人が集まるようなところがあれば出向きたいと頼んだ。
情報を得るだけなら紙を見ればいいかもしれないけれど、人となりとかもちゃんと知っておいて損はないだろうし、何より顔がわからない。
出向くと言っても、サリアノアはいつも通り誰とも踊るつもりも、会話を成立させるつもりもないのでセレットリクが行く必要があるやつについて行きたいという頼み方をした。
さすがに一人で行くのは怖すぎる。
「今日は早めに帰るんですよね?」
「そうなんです。ちょっと夜に用事が入っていて。その代り明日は早めに来ますよ」
なんて会話して、夜の集まりにやって来た。
いつものボタンの多い服で、今日は暗めの色の服だった。
生地に滑り感があって、動くとちょっと色合いが変わるようなものだ。
黒に赤って感じで、めくれたところに少し明るめの赤が見えるようにしたらしい。
ラーノに説明された。
ぼんやりしながら、セレットリクが俺を連れ歩く。
話しを聞き流しながら必死に覚えたリストと、顔を合致させていく。
「サリアノア卿、今日は珍しい装いですね」
その中で俺に話しかけてくる人間をちらりと見る。
リストで一番上に来ていたアルファだ。
つまり優先順位が高い人間。
「いつもはもう少し明るい色味のものですが、今日の装いは落ち着いたものでお似合いです」
俺は目を少し伏せて、首を少しだけ動かした。
初対面と思っていたけれど、あちらは俺のことをよく知っているようだった。それがちょっと気持ち悪い。
それに、褒めてんのかよくわからない。
「彼を少しお借りしてもよろしいですか? 伯爵?」
いつも通り断ろうとするセレットリクの袖を少し引っ張る。
ちらりとこちらを見て、眉根にしわを寄せたセレットリクの目を見るとため息をつかれた。
「愚息はあまり話がうまくないが、それでもいいだろうか?」
「何、話がうまくなくとも彼には彼の良さがありますよ。その香りだけでも、至高の価値がありますよ」
因みに今のは俺でもわかる。
褒めていない。
俺は自分の匂いがわからないが、フェロモンは出てる。
つまりオメガなだけで、話の分からない馬鹿でも利用価値はあるだろう的なこと言ってるんだと思う。
あれ、これってある意味褒めてる?
んなわけないか。
こいつの機嫌をとりあえず取っておいた方がいいのだろう。
セレットリクだって元から出る予定の夜会だったから、俺のわがままに付き合い続けるわけにもいかない。
腰に回された腕が、この失礼なアルファに変わった途端ぞわぞわした。
やっぱり気持ち悪いな。
人を人とも思わない奴の手のひらってやつは。
同じく人とは思えないからだろうか。
これをどうやって篭絡せよと言うのか、うちのお父様は少々難しい問を出される。
今日はセレットリクは俺に口付けをして匂いを付けていない。
曰く。
「至高のアルファ殿の匂いが染みついているが、何かされたか?」
と聞かれた。
セレットリクがするようなことは何もしていないので、首を振って。
準備にそれほど時間をかけたくなかったので、夜会用の服を着て櫟の所に行って、後は上を羽織って髪を整えた。
だから匂いがついていても不思議ではない。
そういえば料理を一緒にした時に、汚れたらいけないからって櫟の服を借りたのだった。
それでついたのかも。
「そうか」
と一言、呆れた目をされた。
何が言いたいんだ。鼻が効かないんだから仕方がないじゃん。
少し壁際で、男が持ってきたグラスを受け取る。
ぺらぺら話す男はどうやら、櫟について聞き出したいらしい。
時折り自慢話も入れられて、俺は相槌のようなものを打つ。
「至高のアルファ殿がそばに置いているのは、やはりその能力以外もあるのですか?」
下世話だな。
思わず鼻で笑ってしまう。
「異世界からやって来られたアルファ殿も、あなたの魅力に参ってしまわれたのでしょうか。ほかのものは近づけないのに、教えていただいても? 誰も彼もが彼のそばにいたいと思っているのをあなたはご存じでいらっしゃるかな」
下から手のひらが強めに体をなぞる。
「王ですらまだ正式にお会いできていない。あなたは一体何をされているのか。身の程をわきまえたほうがいいでしょう」
グイッと体を近づけられる。
笑って、なるほど、あなたはあなたの役目を全うされているようですねと後頭部を掴まれる。
「今日纏っているのは、あの方の匂いだ。高貴なお方だとはお聞きしているが、しょせん獣同然のように腰を振るわれたのでしょう。何をしてからこちらにやって来たのですか?」
耳元で息の音がする。匂いをかいで笑われる。
俺の匂いは俺にはわからない。
あーあー、いやだわあっ。その言葉が脳内に再生される。
その声は耳にキンとする音でよみがえった。
笑われるほど、オメガらしい匂いなのだろうか。
いやらしくも浅ましい、雄を誘う匂いがするんだろうか。
「ああ、でも。あなたの香りはやはりこちらにきますね」
見た目も匂いも立派な浅ましいオメガというやつだと蔑むのなら、気にすることもないか。
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