確かに俺は文官だが

パチェル

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第3章

長すぎた一日20

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 スピカは本日の午前中に外部出張所で診察のシフトがあった為、家を少し早くに出た。
 もちろん、本当は筋肉痛でよたよたしているヒカリをもう少し見ていたかったのだが、スピカの中で考えぬかれた作戦のためには仕方がなかったのだ。



 早朝出勤は、特別超過勤務に割り振られる。
 その超過した時間は出勤時間をずらしたり、退勤時間をずらしたり、さらには中抜けにも割り振れるという代物だ。

 つまり、今日の第一目標。ヒカリとランチのために超過時間を中抜けに割り振るつもりだった。
 因みに、早朝出勤だったために退勤時間も早い。完璧な計画だったはず。



 早朝出勤からの帰り道、足がついつい軽くなる。
 朝来た患者も容体が安定して今日中には普通の病院へ移れるだろう。



 今日の運勢はヒカリの次にいいかもしれない。
 なんたって、今日のヒカリはついに移民になれるのだから。
 さらに、家に帰ればピカピカのお風呂で好きなだけ長湯してもいいし、好きなご飯も一緒に作るし、サプライズもある。



 ヒカリの好きな人をたくさん家に呼んだ。お祝いパーティーだ。
 人が多いほうが楽しいだろうから、一度しか会ったことがないけれど、ヒカリが楽しそうにしていたキハナとクゥマも呼んだ。

 ディルには断られたが、フィルがディルの分もお祝いを持ってきてくれるらしいのでまぁいいだろう。

 図書部員も何人か呼んだ。
 警吏課の連中も呼んだし、医務課も、魔道具関連課も。

 天気がいいから夜の庭で、ガーデンパーティーだ。
 今日は満月だから月明りで十分明るいだろうが、働く人形もその準備をこっそりとやってくれている。



 やっぱりヒカリが一番運勢がいい。で、俺はその次に運勢がいい。

 なんたって、シェフのスペシャルランチをゲットできるのを確信しているからだ。そのための中抜け。


 ヒカリがあの瞳をキラキラさせて、俺に笑いかけてくれるのだ。
 本当に星が飛んでくるような錯覚に陥るあのキラキラを。



 ……ん? ということは俺のほうが運勢がいいということになりかねないな。


 それだとヒカリの一番を奪ってしまうから、その栄誉はセイリオスと半分こにしよう。
 それで五分五分だ僅差でヒカリのほうが運勢が良くなるぐらいだろう。




 などとセイリオスが聞いたら、それはもはや占いとか運勢とかの話じゃなくないか? と突っ込まれそうな持論を展開しながら歩いているのでもちろん、気分は最高潮で足元もルンルンだった。


 医務課へと帰る道すがら、スピカ要チェックの人物が目に入った。
 あまりここら辺には近寄らない人物だ。



「あれ、調理部の……総料理長?」
「あぁ、スピカさんじゃないですか。今日は外勤だったんですか」


 彼こそが今日のお目当てシェフのスペシャルランチのシェフだった。
 スピカは速度をシェフの真横に追いついた。


「今日は医務課に何の御用で?」
「あぁ、それがうちの連中がなんか喧嘩? かなんかに巻き込まれたみたいで様子を見に来ました。業務に差し支えるなら帰ってもらって、誰か呼び出さないとランチ乗り切れないですから」


 喧嘩という言葉にスピカの中でランランと警告音がなった。


 喧嘩、喧嘩はヒカリの嫌いな、いや、怖いものの一つだ。



 以前セイリオスとスピカが少し険悪になっただけですごく取り乱していた。
 体が小刻みに震えていて、スピカをつかむ力は大変強く、制御できていない握り方だった。
 それなのにけんかの仲裁は上手いとか言うのだから、故郷にいたころはそれほど取り乱すことはなかったのかもしれないとスピカは考えている。



 つまりこちらに来てから、極端に怖くなったのだ。



 まぁ、苦手にはなるわな。
 最初に連れ去られた破落戸どもは、聞く限り、寄せ集めの質の悪そうな連中だった。
 毎日騒がしいことこの上ない状態での暴行だ。
 混乱したまま、その状態に適応しないといけなかった。


 何かに耐える時間は心を疲弊させる。
 それが癒せたとき、きっと以前より強くなるのだろうけど。傷も残すのだ。


 疲弊した心は元に戻るかもしれないが、傷は完ぺきには治らない。
 跡がしっかり刻まれる。


 ヒカリのその一つが、喧嘩なのだと思う。



 大丈夫だろうか。喧嘩を目撃していないだろうか。
 でも調理部ということはヒカリが立ち寄る予定のない場所だ。スピカはそう言い聞かせた。



「あ、料理長ー!!」
「あちゃー、お前なかなかやられたな」

 どうやら料理長が到着する前に、治療が終わったようだった。
 そうなんですよ。俺めっちゃ運悪くないですかと目の周りが青くなっていて、笑いながら登場したのは彼の部下だろう。


 すみません! 今日の運勢は俺とヒカリとセイリオスで独占したから。
 などとスピカが考えていると目の前の人物が思わぬことを言った。



「え? もっかい言って? え? 何々?」
「え、だから、ピロティですよ。あそこで巻き込まれたんです。応接室で野菜農家の人の対応して調理部に帰る途中に騎士課が引き連れてた連中が喧嘩を始めちゃって。俺途中でぐでんぐでんになって。って、あれ、スピカさんじゃないですか」


 彼はどうやらあざができていいるほうの目が見えにくくなっているらしい。
 目薬をもらったのでそれで対応するだろう。というかピロティなら万が一ヒカリがその喧嘩を目撃することもあり得るのではないか。


 倒れていたらどうしようか。誰が付き添いで行っているのだろう。

 セイリオスはたぶんない。
 ヒカリが内緒話でセイリオスがヒカリのことを心配して付いて来ないようにするんだという決意を聞いていたから。


「そうそう、で、俺。壁際でボーっとしてたんですけど。料理長‼ 今日。ほっぺくん。見かけましたよ」
「え、マジで? ほっぺくん、今日来てるの? じゃあ、食堂にくるかもだね。あぁ、今日のシェフのスペシャルランチ値引きしちゃおうかな。あぁ、ぜひとも食べて欲しい」


 調理部の二人が目を輝かせて話している。
 そんなことよりヒカリだ。スピカはこの場を立ち去ろうと声をかけようとした。

 その前にあざのある調理部員がスピカに話を振ってきた。



「あ、もしかしてスピカさんなら知ってるんじゃないですか。今日、彼食べに来ますか? シェフのスペシャルランチを特別にご用意はできないんですけど。これ、あげてください。残さずきれいに食べ続けた者だけがもらえる、感謝御礼割引券です。これ、使うとなんとお値段七割引きですよ」


「え? すいません。なんて?」


「だから、ほっぺくん。今日来ているんですよね? さっき応接室に入っていくの見かけましたよ。書類落とした女性を手伝ってあげていましたよ。ほっぺくん、優しいし。この間とてもきれいに食べてくれたし、他の人が汚した机の上のごみも一緒に持ってきてくれたし。もう、これ。俺のだけどあげたいんです」


「ほっぺくん?」
「あぁ、すいません。詰め込んでいるときのほっぺたが可愛かったので。ヒカリヒノさんですよ。また来て欲しいなって話していたんです」




 スピカはすぐに来た道を引き返した。


 ヒカリが現場にいたなら、きっと目撃している。
 でも、女性のお手伝いをしていたということはそれほど取り乱さなかったという事だろうか。
 連絡もない。ということは医務課の出番ではないということだ。




 でも、行かなくては。今は仕事と仕事の合間で、これも業務内だ。

 そう思ったのに結局行けなかった。
 目の前から、血に汚れた姿の警吏が一人、顔色を変えて走ってきたからだ。



 そしてスピカを見て、声をかけた。



「わかった、すぐ行く。場所は焼却炉だな。君はこのまま医務課へ行ってくれ。そして、俺が向かったと伝言をしといてくれ」




 スピカはそのまま焼却炉へと向かった。
 手には感謝御礼割引券を握りながら。












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