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「……ねえ家令くん。いや。アーネスト。久しいね」

ルカスが去った執務室。
王太子殿下は自分と同じく残された家令に声をかけた。

家令はドアの前から王太子殿下のいる執務机へと近づくと、恭しく礼をした。

「殿下。お元気そうで何よりでございます」

王太子殿下は手をひらひらと振って見せる。

「堅苦しい挨拶はいいよ。
二人きりだ。学友だった頃のように話してくれ。
聞こうか。僕にも言いたいことがあるんだろう?」

家令は
にっこりと笑った。

「良くおわかりで。素晴らしい。
さすがは結婚式で新郎を攫ったかと思ったら、そのまま三ヶ月も帰さない無恥な方だけのことはある。

太古の昔でしたら家臣は数ヶ月ごとに城に泊まり込みの出仕だったようですが。
未だこの国にそのような雇用形態があるとは思いませんでしたよ」

「……ぐうの音もでないけどね。
一応言っておくけど私は、ルカスに帰るように言ったんだよ。
けれど今のこの仕事が終わったら二週間の長期休暇が欲しいからと言い張って」

「何ですか、それは。愚策もいいところだ。
主人も相当ですが、そんな側近を諭すのも王太子殿下の手腕なのでは?
貴族の情報収集力を舐めておいでですか?

結婚式をぶち壊した上、《新郎》を自分のもとから帰さない王太子殿下。
裏でご自分がなんと噂されているか、お考えになられたことは?」

「何それ、怖い」

「ともかく、あの様子では主人は戻って来ませんね。
どう致しましょうか。クビになさいますか?
それとも《突然の病で倒れた》とでも書いた届けを提出致しましょうか?」

「いや……。どちらも不要だ。ルカスに、本日から二週間の休みを許可する。
二週間で足りるよね。奥さんを見つけて、戻ってきて貰うまでに。
君のことだ。本当はシャノン嬢の行き先を知っているんだろう?」

「いいえ、存じません」

「え……嘘だろ?」

「嘘など何ひとつ申しておりませんよ。本当です。
シャノン様を屋敷の皆でお見送りはしましたが、どちらへ行かれるかなど、全く聞いてはおりません」


王太子殿下は家令をじっと見た。


「……アーネスト。
じゃあ本当に、他国へ行くと言ったシャノン嬢をただ黙って出て行かせたの?」

「はい」

「王命で結ばれた、主人であるルカスの奥さんを?」

「はい」

「貴族の女性を。身ひとつで。何ひとつ持たせずに。馬車も使わせずに?」

「はい。その通りです」

「ふうん。……ねえ、アーネスト。

ルカスが妻にと望んだのは格下貴族の令嬢シャノン嬢。
ただ婚姻を申し込んでも断られることはなかっただろう。

だが格上の貴族に嫁ぐとなれば、シャノン嬢は周りから良く言われない。
必ず妬まれ嫌がらせを受けたりするのは目に見えている。

それを少しでも緩和するため、ルカスは陛下に《王命》をお願いした。
王太子である僕に終生仕えると誓ってね。

ルカスはそこまでシャノン嬢を想って婚姻を結んだんだ。

まあ、結婚式に参列していた僕が大至急王宮に帰るようにと呼び出された時、
一緒に行くと言い張ったルカスを止められなかったのも、
そのあと、後処理に時間がかかって三ヶ月も多忙にさせたのも悪かったけどさ。

この三ヶ月、ルカスは毎日シャノン嬢に花を贈っていたよね。
あの年まで女性に興味を持ったことのないルカスが。

ルカスはシャノン嬢に本気で惚れているよ。

君は間近で見ていて、良く知っていたんじゃないの?
それでも君は、シャノン嬢をただ出て行かせたの?」


それははっきりと非難する口調だった。
しかし、言われた家令は気にした様子もなく淡々と言う。


「出て行かせた、のではありません。
出て行く事を望んだのは他ならぬシャノン様です。

私にも、屋敷の者たちにも止められませんよ。
シャノン様のお気持ちは良くわかりましたからね。

結婚式を途中で抜け、そのまま帰宅しない旦那様。
《奥様》としての役目も与えられず、ただ屋敷に居るだけの自分。

それは、殿下が参列していた結婚式の途中で呼び出されたのです。
理由はわからなくとも、事態の大変さは察しておられたのでしょう。
殿下の側近である旦那様がお帰りにならないことは納得されておられました。

毎日、旦那様から花も届けられていましたからね。
むしろ忙しくとも気にかけてくださっているのだと嬉しそうでしたよ。

シャノン様はシャノン様で、屋敷での新しい生活を送ることになったのです。
慣れるのに忙しく、旦那様の不在はさほど気にされていなかったでしょう。

ですが、さすがに三ヶ月も続けば気持ちが保てませんよ。
―――数日前からご様子が変わりました。

旦那様が帰宅しないのは、本当に《仕事だけ》が理由なのか。
旦那様の《何もしなくて良い》という言葉は、本当に自分への好意から出たものだったのか。

疑問に思われたのでしょうね。当然です。

だいたい、旦那様は仕事仕事で、お二人は結婚前にも数回しか会われていない。

おまけに女性と親しくした経験のない旦那様は、シャノン様を前にすれば固まるばかり。
気の利いたカードひとつ書けず、シャノン様に自分の気持ちをろくに伝えてもいない。

―――どうですか?

そんな旦那様に花だけ贈られ続けて、シャノン様がいつまでも単純に喜んでいるとお思いですか?
《王命で仕方なく妻にした自分を宥めておく為の花》だと思ってしまっても仕方がないでしょう。

周りがどう言い繕ったところで無駄ですよ。
旦那様が全く帰らずにいることだけが、シャノン様の《事実》なのですから。

むしろ三ヶ月で出て行くと言ってくださって良かった。

長引くほど、良いことはありませんからね。
屋敷の者は全員、そう思ってお止めしなかったのです」

「……そう……」

「はい」


頷くと、家令は次にそこにある空気を払拭するかのように大きく息を吐いた。


「さて。
もうよろしいでしょうか。
これから屋敷の者と、旅に出る準備をしなければなりませんから」

「……は?」

「なんですか?不思議はないでしょう?
王命での婚姻です。名ばかりでもシャノン様は正式な主人ルカス様の《奥様》。

家令の私をはじめ、屋敷の者たち皆でお支えするのは当然だ。
そうでしょう?」

「―――――」

王太子殿下はこれ以上ないほど目を見開いた。


「……アーネスト。君も屋敷の者たちも……
シャノン嬢を屋敷から追い出したのではなかったの?」

「どんなお耳がついていらっしゃるのです?
シャノン様はご自分で出て行かれたのです。私たちは同意し、止めなかった。
そうお伝えしましたが」

「だってシャノン嬢を……身ひとつで出て行かせたって」

「シャノン様は貴族の女性ですよ?
ご自分で荷物をお持ちになるはずがないでしょう。
《供の者》たちが運ぶに決まっています。《お金》も重いですしね」

「ええー…………。待って。じゃあ《行き先を知らない》って言うのは?」

「知りませんよ?
どの辺りにいらっしゃるかなら同行している者からの報告で知っていますが」

「うわ……もしかして。《屋敷の馬車は使っていない》って言うのも?」

「使っておりませんよ。《馬車》はね」

「……お見事……」


王太子殿下はくく、と小さく笑ったと思ったら、すぐにけらけらと笑い出した。


「やってくれたね。
これでルカスは血眼になってシャノン嬢を探すだろう。
そして見つけたらもう彼女を離さない」

「そうでしょうね。全く。手のかかる主人です」

「じゃあ僕の側近になってくれれば良いのに」

「お断りしたでしょう。嫌ですよ。もっと面倒くさい」

「……アーネスト。不敬って知ってる?」


笑っていた王太子殿下だが、ふと気づいたように言った。

「あれ?だけど。
君たち屋敷の者は全員、シャノン嬢をルカスの奥さんだと認めていないんじゃなかったの?
さすがに、それは嘘だったのかな?」

澄ましている家令を見ながら、にやにやと笑う王太子殿下。

家令は何を言っているのか、と言うように答えた。


「いいえ?
認めていませんよ。

シャノン様があの情けない旦那様の奥様だなんて。
認めたくもない」

「―――――」

「旦那様にもっとしっかりしていただくまでは認められませんね」


王太子殿下は呆気に取られた。


「……ルカスとシャノン嬢は結婚して三ヶ月……だよね……?」

「ええ、そうですね」

「シャノン嬢が屋敷に入ってまだ……三ヶ月……だよね……?」

「そうですが?それが何か?」

「―――――」

「ああ、いけない。随分と時間がかかってしまいました。
では、私はこれで。
失礼いたします。王太子殿下」

礼とはこのようにするものだ、という見本のような一礼をし、家令は執務室を出て行った。


そのあと、たっぷり時間をおいて
ようやく動くようになった口で、王太子殿下は呟いた。


「…………怖っ……」


腕をさすりながら独りごちる。


「……え。シャノン嬢、何したの?
彼女、魔法でも使えるの……?

……ルカス……まずいぞ。

シャノン嬢に許してもらわないと屋敷の者、全員から見捨てられる。
あはは、大問題だね」


驚き半分、面白さ半分という顔で言ってから、
王太子殿下は執務机の上に置かれた書類に気づいて青くなった。


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