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なんとも言い難い怒りが込み上げた。

よりにもよって《子爵様のお屋敷》だと?


俺と付き合う前、
フェリには求婚者がいた。

子爵家の《ご次男様》だ。

フェリの働いている商会は子爵家と繋がりが深い。
子爵家のご次男様はそこでフェリと知り合い、妻にと望んだのだ。

たいした事件も起こらない平和な町。
それはすぐに《話題》になった。

フェリは《身分違い》を理由に断ったが、それが憶測を呼んだ。

――本当は、フェリとご次男様は愛し合っていた。
だが《身分が違うから》フェリは身をひいたんじゃないか――

身分違いの叶わぬ恋の話。

誰からも好かれる話だ。
町の人間たちは何年経とうと、その《話》を口にした。

単なる《噂》だ。
俺はフェリからその話を聞いたこともない。


だが、だから俺はフェリを働かせなかった。
フェリが働けば、きっと誰もがフェリを哀れに思う。

《セディクではなく、ご次男様と結婚していれば苦労しなくて済んだのに》と。

俺はそれが耐えられなかった。

ご次男様が結婚せず、ずっと独身を通していたのも嫌な気分だった。
《今でもフェリを愛している》と言われているような気がしたのだ。


―――その《ご次男様》がいる子爵家に今、フェリがいる?


考えただけで気が狂いそうだった。

ふざけるなよ、フェリのやつ。

やり直そうと、
《今度こそ》お前と娘を幸せにしようと、
俺がこれほど必死になっているのに、人の気も知らないで―――


どうにか子爵様のお屋敷に入れないかと探ったが、全く隙がなかった。
押し入ることも、忍び込むこともできない。

もし出来たところで《貴族》のお屋敷だ。
見つかれば、ただでは済まない。最悪、命がない。

俺は仕事も休んで考えた。
働いている場合じゃない。


早くしないと《未来》が変わってしまう。
《娘》が――リリが《生まれなくなって》しまう。


だが何も出来ないまま、時間だけがどんどん過ぎていった。
《前回》の結婚式の日が間近に迫っている。


もう時間がない。


俺が思いついた方法は、ひとつしかなかった。
フェリの父親に《全て》を話し、協力してもらうのだ。

《時が戻った》など常人に言えば正気か疑われるだろうが、フェリの父親は国王陛下に発明を認められた天才《一代男爵》だ。

信じて協力してくれるかもしれない。
《前回》、俺がフェリを傷つけた話をしなければ……

俺はフェリの実家に向かった。


◆◇◆◇◆


「では《時が戻る》前。
君とフェリは結婚していた、と言うのかい?」

応接室で、俺の話を聞いたフェリの父親はううむ、と唸った。

さすがは《一代男爵》だ。
ふざけるなと怒ったり、頭は大丈夫かと笑ったりせずに話を聞いてくれた。

俺は椅子から身を乗り出し、机に手をついてまくしたてた。

「そうなんです!
突拍子もない話で信じられないでしょうが本当なんです!

本当なら明日が結婚式で、そして俺たちの間には娘が生まれるんです!
なのに……このままでは娘が生まれなくなってしまう!

《未来》が変わってしまう!
お願いします、フェリを説得してもらえませんか」

フェリの父親はゆっくりと腕を組んだ。

「……にわかに信じられん話だが。ともかく、だ。
君とフェリは恋人同士ではなかったのか?
なのにフェリは、君と結婚することを拒否したと言うんだね?」

「そうなんです。……誤解をさせてしまったようで。
ですが、俺はフェリを本当に愛しているんです!だからお願いします」

「そう言われてもねえ……。
いくら私があの子の父親でも、どうすることもできないだろう。

結婚するかどうかは二人で決めることだろう?

君とフェリ、二人で時間をかけて話し合ったらいいじゃないか。
何故私に?」

「それでは遅いんです!
娘は結婚後、すぐに授かったんです。
もう時間がない!結婚するだけじゃ駄目なんだ!
娘が生まれなくては駄目なんです!」

「娘って……つまり私の孫のことかい?」

そうだ!
孫の話をすれば、きっと。

俺は勢いづいた。

「ええ!貴方の孫娘です!ミリィといいます。呼び名はリリ。
小さい頃から絵を描くことが好きで―――」

「――ミリィ?……フェリと君の娘は《ミリィ》という名前だと?」

「はい!」

「ははは、悪い冗談はよしてくれ。
君とフェリの娘が《ミリィ》のはずがないじゃないか」

「え?」

「君はよほど前の彼女のアメリアに未練があるんだね。
なら、アメリアと寄りを戻したら良いんじゃないのか?」

言われた意味がわからなかった。

《また》アメリアだ。
《前回》のお茶会のフェリの友人といい、何故その名を出す?!

俺は拳を握った。

「何故そこにアメリアが出てくるんですか?違う!
俺が愛しているのはフェリだ!俺はフェリだけを――」

「――なら何故、生まれた娘にアメリアの愛称を?
はは、おかしなことを言うね」

「は?」

「まさか知らないのかい?
《ミリィ》は君の前の彼女《アメリア》の愛称じゃないか」

「―――――」

息を呑んだ。

なんだって?
なんて言った?


―――《アメリア》の愛称が《ミリィ》?―――


足が震えた。
急いで首を振る。

「俺は……知らなくて……」

フェリの父親は笑った。

「《ミリィ》が《アメリア》の愛称なんて大抵の人が知っている常識だ。
君が知らなかったとしても、フェリは知っている。

フェリに《娘をミリィと名付ける》と言えばフェリは止めたはずだ。

――もしフェリが息子に《ランディ》という名をつけると言ったら?
君は絶対に反対するだろう?それと同じだよ」

「―――――」

「死んでも嫌だろう?
子爵家の《ご次男》ランドール様の愛称《ランディ》を息子の名にするなんて。

息子に《ランディ》と名づければ、息子を呼ぶたびに《ご次男ランドール様》を思い出す。
息子の顔を見るたび、フェリに求婚した《恋敵》の顔を思い出すんだ。

―――死ぬまでね。

そんなの君は堪えられないだろう?
そうさ、誰でも嫌だ。

わかるだろう?
だからフェリと君の娘が《ミリィ》だなんて《ありえない》んだよ」

「―――――」

《ありえない》

その言葉が胸に突き刺さった。
なら、《前回》は何故《ミリィ》に決まった……?


俺の思考を遮って、フェリの父親はなおも言った。


「それに万が一、娘にそんな名を付けてみろ。
フェリはこの町のいい《笑い者になる》」

「―――え?」

何を言っている?
フェリが……笑い者?

そんな馬鹿な。

俺は笑おうとして――だが顔が歪んだだけだった。

「……いや……フェリが人に……笑われて、なんて……。そんなことは……」


フェリの父親はやれやれというように両手を広げた。


「そりゃあ皆、大人だ。
面と向かって笑ったりはしないだろうさ。

《可哀想にな。お前の旦那は前の彼女を未だに忘れられないんだよ》なんてね。

《そういう話》は本人がいないところでするものだ。
まあ、よほどの《鈍感》でなければ本人は陰で皆が何と言っているか――気づくだろうけどね」

「―――――」

動けなかった。

フェリの父親はそんな俺を睨むように見ると低い声で言った。


「君の突拍子もない話が嘘か本当かはどうでもいい。
どうでもいいが。
《前の彼女の愛称》をフェリの産んだ《娘の名》にした、なんて聞いた以上。
私は君を、フェリには絶対にすすめないね」

「―――――」


「帰りたまえ。フェリの意思を尊重するが……私としてはもう二度と君に会うことがないように祈っているよ」


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