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1000年目

11 出発 ※エリサ

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 ※※※ エリサ ※※※



「チヒロ様!そろそろ出発しましょう。馬車に乗ってください」

「今行くわ」

声をかければもういちど馬を撫で、チヒロ様はこちらへと歩き出した。

《茶色》の髪が風に揺れている。
チヒロ様が提案し、《王宮》の衣装係とお針子達が作った《カツラ》だ。

――「髪色を変えるおしゃれなんて素敵でしょう?」――

と、チヒロ様は言った。
だが実は《おしゃれの為ではなく、チヒロ様がお忍びの為に使いたいのだ》と全員が察した。

『空の子』特有の漆黒の髪を隠し、気付かれず外出するため。

《キモノ》に《侍女服》に数々の小物。
ずっと一緒に作ってきて皆、チヒロ様の性格は良くわかっていた。

チヒロ様の場合、髪色だけ変えたところで瞳の色、その容姿で忍べはしないと思うのだが……本人はそこには気付いておられない。

何故気付かないのか。理由は単純だ。
チヒロ様はほとんど――いや、全くと言っていいほど鏡をご覧にならないから。

髪を整えるのは侍女がやっているし、ご自分で《キモノ》を着られても全身を確認するのみ。
チヒロ様はご自分のお顔に全く興味がないらしい。

―――ともかく。
《カツラ》は良くできていた。

それもそのはず。なにせ《本物の人の毛》で出来ているのだ。
衣装係とお針子達の髪を使って作られている。

似たような茶色の髪を持つ者が一房ずつ、髪を提供して作られたもの。
チヒロ様は出来上がった《カツラ》を抱きしめて何度もお礼を言われていた。

今回の旅では、その《カツラ》を被っていただく。
馬車を降りる時は用心し、帽子も被っていただくつもりだ。

服はもちろん平民服。いつものストールは目立つのでカバンに入れてある。
これで遠目には《平民の、茶色の髪の少女》に見えるだろう。

同行するのは私とセバス様。

懐に目立たない《王家の盾》が持つ剣――チヒロ様が《カイケン》と言われていた剣を持っている。

親戚の家を訪ねる父と娘二人を装うのだ。
もちろん《他》にもレオン様が手を打たれてはいるが。

大人数で移動すれば目立ってしまう。
これが最善の策だと言える。


「エリサ。この馬車で行くの?」

馬車を見上げながらチヒロ様が言った。

《王宮》とここ、副隊長のお屋敷を行き来する馬車とは形が違う。
どこの馬車なのか示す紋章もついていない、質素な木で作られた箱型の馬車だ。

初めて見る形に驚かれたのだろう。
私は頷いた。

「はい。これで行きます。
これは平民が使う中距離を移動する馬車なので、目立ちませんから」

「中距離?……五日間乗るんだよね?長距離じゃないんだ」

「これで途中、馬と共に馬車を変えながら進みます。
長距離用の馬車になると《大金を積んでいる》と思われるかもしれませんから」

「あ、そうか。長旅にはお金が必要だものね。
トマスさんとニアハン先生の馬車も同じなの?」

「はい、同じ馬車を用意してあります。
二台で動くと目立つので、もう一台の馬車はお二人が《王宮》からこちらへ来られてから。
時間をおいて出発します」

今回の旅には「医師が一緒の方が良いだろう」とレオン様が言われたので医師も同行する。

レオン様が言われる前から「ぜひ連れて行って欲しい」と懇願していたトマスさんとニアハン医師だ。

それにしても。
医師たちの馬車はまだ。しかし、こちらはもう出発の予定時刻なのだが……。

「遅いなあ……」と、チヒロ様が言われた。

私も同意する。

「ええ。確かに。どうしたんでしょうね、セバス様は」

「……あー。あの。エリサ?」

「はい。何でしょう?――あ。来ましたよ。セバス様」

「すみません。お待たせしました。言い置いておくことが多くて」

セバス様はそう言って小走りでやってきた。
チヒロ様がそんなセバス様に言う。

「セバス先生、良かったんですか?私についてきてもらっても。
家令さんがしばらく留守にするなんて、お屋敷の方が大変では」

「心配にはおよびませんよ。ちゃんと家令見習いに言いつけてきましたからね」

「そうですか……」

セバス様にうながされチヒロ様が馬車に乗り、セバス様と私も続く。

私はチヒロ様の横に座ると声をかけた。

「では、いよいよ出発です。きちんと座ってくださいね、チヒロ様」

「あ、待って、エリサ。まだ――」

その瞬間どかっと音がして、開いたままだった馬車のドアから男が飛び込んできた。

「どーも、セバス様。もうちょっとそっちに詰めてもらえませんかねえ。
俺も乗りたいんで」

そう言った顔を見て目を丸くする。

「―――なっ!お前!!何故ここへ?」

セバス様もわなわなと震えながら男を指差した。

「どうしてここにいる!ついさっきお前には屋敷を任せると言っただろう!
屋敷をどうする気だ!」

「あー……それが。実はお嬢様に命令されてましてー」

「「――っチヒロ様?!」」

セバス様と声が揃った。
チヒロ様は頭をかいている。

「えへへ。ちょっとお願いしたの。一緒に来てって」

男は呆れたように言った。

「はあ?お願いって言うより脅しでしょう。有無を言わせなかったくせに」

「「――っチヒロ様?!」」

またセバス様と声が揃った。
セバス様は首を振る。

「いやっ!何でもいい。とにかくお前は帰りなさい。屋敷が心配だ」

「えー。そんなに言うならセバス様が帰って下さいよ。俺、無理なんで」

「馬鹿を言うな!私は我が主人だけでなくレオン様にも頼まれたのだ!
お前が帰れ!」

「だーかーらー。無理ですって。帰ると俺、殿下に殺されちゃうんで。
……いや。先に我が主人にかなあ?」

「は?」

「はあ。命がいくつあっても足りないなあ」

男は頭を掻きながらのんびり言った。

「「……何したんだ、お前」」

またセバス様と声が揃う。

「まあいいじゃないですか。そういうわけなんで、俺も一緒に行きますよ。
あー、屋敷は大丈夫ですって。アイシャに任せて来ましたから」

「アイシャ?」

チヒロ様が首を傾げた。

「あー。しまったあ。内緒だったんだ。ついうっかり。
お嬢様、俺が言ったことは黙っててくださいね。怒られちゃうんで」

男がにっと笑った。

―――わざとらしい……。

セバス様の唇の端が上がったのも見えた。

「え、アイシャって……私の侍女をしてくれてたあのアイシャ?え?
そのアイシャがこの屋敷に?ってことは。アイシャは《王家の盾》の?え?

アイシャはもしかして本当は騎士なの?
ええっ?……ちょっと待ってよ。

――ってことは!
《子どもにチヒロと名付ける屋敷の者》ってアイシャのこと?
くうううううー。シンってば!絶対、わざと言わなかったわね?!」

気付いたチヒロ様が怒りの声を上げた。
当然です。副隊長。何故言わなかったんだろう……。

―――それより。

《アイシャが副隊長の屋敷の者だと気付くか気付かないか》

この二人……。《気付く方》に賭けた自分達が勝つために反則しやがった。

ほくそ笑んでいたセバス様だったが、はたと気付いて怒鳴った。

「ちょっと待て!何故アイシャなんだ!男達はどうしたんだ!男達は!」

「あー。まあ、だいたい屋敷にいると思いますけど。
でもちょーっと旅に出たやつもいるかなあ?
……いや、何人残ってるかな」

「何?」

「あはは、だからアイシャに言ってきましたー。
子どもがいるから、さすがに旅は無理でしょう?
男は誰が残るかわからなくてー。
ま、大丈夫ですよ。非常時の良い訓練になるじゃないですかあ」

セバス様はもう何も言わず頭を抱えて身体を折った。

「揃いも揃ってこの屋敷の連中は……」


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