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999年目
28 『全語』 ※チヒロ
しおりを挟む※※※ チヒロ ※※※
「ああ、帰ってきたね」
執務室でセバス先生と、そしてレオンが私たちを迎えた。
レオンは机に肘をつき言う。
「早速、何があったか説明してもらおうか」
……ですよね。
思ったより怒ってなさそうなレオンにホッとしつつ、私は《東の宮》で黒いシミに見える虫を見つけてから今までの話をした。
レオンもセバス先生も黙って聞いている。
私が話し終わると、レオンが一言「そう」とだけ言った。
私は首を傾げる。
「レオン。どうかしたの?」
「いや。何故?」
「……ううん。何でもない」
正直、怒られるだろうと思っていた。
許可も取らずジルを連れて勝手に《中央》の医局に行ったことも。
王太子妃様に『仁眼』に気付かれたことも。
怒られたかったわけじゃないけど。
ちょっと意外だ。
いつものレオンなら、少なくとも何か小言くらい言うよね?
熱でもある?
ううん、それなら私が『仁眼』で見えるはずだ。
でもレオンを見てもどこも悪くない。
「チヒロ」と呼ばれて我にかえった。
「これを見てくれるかな」
はい?
これ?
私はレオンの指差している、机の上に置いてあった数冊の本を見た。
「……これ。昨日セバス先生が私に借してくれた他国の本だよね?これが何?」
「読んだの?」
そりゃあ読むよ。「次はこの本で勉強しましょう」と言って渡されたのだ。
え?読んじゃいけなかったの?遅いよ?
「……まだ全部じゃないけど、読んだよ?それが何?」
「へえ、やっぱり何も違和感なく読めたんだ」
「違和感?」
何が言いたいんだろう?
「違和感って?……確かに知らない言葉があったけど?」
レオンは大きく息を吐くと言った。
「チヒロ。この本すべてを読める人間は、この国に殆どいない。
これらは全部さまざまな他国の文字で書かれているからね」
……え?
「え。他国の文字?そんなはずない。翻訳本でしょ?だって、普通に――」
「――読めるのは君だけだ。……不思議なことなんだよ。
全ていつもの――この国の文字に見えているから読める、なんてね」
言われていることが理解できない。
私は机の上に置かれている本の中から一冊を手に取った。
……普通だ。どこもおかしいところはない。
いつもの文字で書かれていて。普通に読める。
これが他国の文字?そう言っているの?
私は助けを求めて机の向こうのレオンを見た。
でもレオンの返事は私の思っていたものじゃなかった。
「普段使っている文字にしか見えていないんだろう?でも違う。
それは他国の文字。君以外にはそう見えている」
「……うそ」
「嘘じゃないよ」
本を見たまま唖然とした。どういうこと?
レオンは続けた。
「きっとここにある他国の言語だけじゃない。
たまたま偶然、君が読める文字だけここに集まった、なんてことは考えにくいからね。
君は多分、この世界の言語は全て読めるし書けるし、話せる。
それこそ息をするくらい簡単にね。
――それがきっと『全語』の能力なんだよ」
「『全語』?」
ああ。古代の貴人が持っていたという『仁眼』と、もうひとつの能力『全語』。
貴人の記録書を読んだロウエン先生にも、どんな能力かわからないと言われていたあの『全語』?
それが、これ?
―――私は、この世界の言語は全て読めるし書けるし、話せる?
「え、ちょっと待って。でも。
それは他国の文字が読めたのかもしれないけど、なんで書けるし話せるって?
それはわからないじゃない」
レオンは机の上に置いてあった本の下から、一枚の紙を取って掲げてみせた。
「これは君がここにある本を読んで、知らない単語を書き出した文字。
僕には他国の文字が並べてあるだけに見える。これが《書ける》という証拠」
「……話せるっていう方は?」
「それならすぐに試せる。――テオ」
「え?テオ?」
いつの間に来ていたのだろう。
セバス先生がドアを開けてテオを部屋に招き入れた。
久しぶりに会ったせいかテオはまた少し大きくなってる気がする。
いつものように駆け寄りたいけれど、今はそんな雰囲気じゃない。
そのせいか、テオもオドオドしている。
と。
セバス先生に即され、テオが口を開いた。
【……今まで喋れないフリをしていてごめんなさい】
私は思わず言った。
【テオ!話せたの?】
「ほらね」
え?
レオンを見る。
「テオは僕らとは言葉が違う少数民族の子どもだ。
三年前、国境近くで他国の大使が絡んだ揉め事があった。
そして、その大使の顔をよく知る近衛騎士が二人、派遣された。
テオはその時に派遣された近衛騎士の一人が連れ帰り、その後シンに引き取られたんだよ。
テオは必死で我々の言葉を覚えた。
だからテオは日常生活に困らないくらいに僕たちの言葉を使える。
けれどどうしても、話す言葉には訛りがあるんだ。
不意に少数民族の言葉も出る。
《王宮》で訛りのある言葉や少数民族の言葉を聞かれたら……どう思われるか不安だったのだろう。
テオは《話さない》ことにして《王宮》に来たんだ」
【ごめんなさい】
テオは半泣きになりながら私に頭を下げた。
私は横に首を振った。
違う。嫌だ。
私はテオの、こんな顔を見たくない。
だから私は―――。
【やだ。許してあげない】
テオは青くなった。
私はその顔をじっと見て言う。
【でも《チヒロちゃん》って呼んでくれたら許してあげる】
【はあ?《チヒロちゃん》なんて呼べるわけないだろ!】
テオははっとして固まった。
成功だ。そう言うと思った。
私はにやにや笑いが止まらない。
【お、おばさん性格悪い!】
テオが赤くなって叫ぶ。
そして私が笑うとつられて笑い出した。
レオンが言う。
「さあ、これではっきりしたね」
「レオン……?」
「国境近くに住む少数民族であるテオの言葉は、僕らは誰も理解できない。
でも君は今、そんなテオの――少数民族だけが使う言語でテオに返事をしたね。
気づいてなかったようだけど。
君は、きっと同じように、この世界の言語全てを何不自由なく扱える。
自然すぎて、君自身気がつかないほどにね」
―――なにそれ
なんと言ったらいいか、それってあの
「な………………なんとかコンニャク的な…………?」
レオンが怪訝そうな顔をする。
「ナントカコンニャク?」
私は両手で顔を覆った。
「チヒロ?」
レオンが心配したのか、椅子から立ち上がった音がした。
「気にしないで。大丈夫」
「でも――」
「――大丈夫。……ちょっと悔しいと思ってしまっただけだから」
「………悔しい……?」
―――くうううううぅ
この能力、前世でも欲しかった……。
何年、あの横文字に苦しめられたことか……っ!
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