加藤くんと佐藤くん

春史

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 僅かな期待に一生縋り付いて生きてくの?

 自分に向けられたものじゃないのに本宮の言葉が突き刺さった。
 それでいいと思っていたし、これからもそうするつもりでいた。面倒見のいい先輩と慕ってくれる後輩という今の関係が壊れるのが怖かった。もし今後彼に彼女ができたり結婚したとしても、今のままならずっと側にいられる立場だと。そう思っていたのに。


「先輩がもし、仮にですよ? 仮に、男の人に告白されたらどうします?」
 あの飲み会からずっと上の空だった加藤を映画に誘い、夕方から飲んでいたら彼は言った。
「えーと…それは…?」
「あ、あのただの例え話でっ…」
 ただの例え話ではないな、と橘は思った。加藤は突然そんなことは言わない。映画や友人の話ならばそう前置きするだろう。
「んー…考えたこともないからなぁ」
 嘘だ。加藤に気持ちを伝えようとしたことはあった。だが慕っている先輩からそんなことを言われても困るだろうと思い、ずっと隠してきたのだ。
「ですよねぇ…すみません、急に…」
「何かあったの?」
「いや、大したことじゃないんですけど…」
「…誰かに告白されたの?」
 えっ、と加藤の目が泳ぐ。素直な彼はすぐに顔に出る。
「あ、あの…実は…そうです」
「──そうなんだ。俺も知ってる人?」
「えっとそれは…すみません…」
 相手は誰かと考えると、一人しか思い付かない。佐藤くんだな、と橘はテーブルに頬杖をついた。
 初めて佐藤が来たときから違和感はあった。彼の加藤を見る目が旧友との再会、というには熱が籠っていた。歓迎会のときに店の前で二人を見たときの様子も少しおかしかった。例の小学生の頃からの初恋は加藤だったということか。
「…悠季はどうなの?」
「なんか、全然わからなくて。今まで女の人しか好きになったことないし、でもそいついい奴だし」
 確かに佐藤はいい子だと思う。見た目は抜群に良いのにそれを鼻にかけることもなく人当たりがいい。仕事を覚えるのも早いので、もう少し経てば主戦力になるだろう。
 それとこれとは別だけど、と温くなったビールを口にする。
 しかしこうして悩んでいるということは、即お断りをした訳ではないということで。
「悠季の中で可能性が絶対ないなら、その場で断ってたんじゃない?」
 取られたくないと思うのに、口が勝手に動いていた。物分かりのいい先輩が染み付いてしまっていて橘は自嘲する。
 加藤がはっとした顔になった。
「先輩は、こんなの…おかしいと思いますか?」
「思わないよ」
 これは本心だ。現に自分も加藤が好きなのだから。
「人を好きになるのに、性別なんて関係ないんじゃないかな。たまたま男だったってだけでしょ?」
「そう、ですよね…」
「そこはそんなに悩むことないと思う。あとは悠季がその人を好きかどうかだよね」
 加藤が俯く。もし自分が先に伝えていたら、こうして悩んでくれていたのだろうか。もしここで自分も好きだと伝えたら、彼はどんな返事をするのだろうか。
「…嫌い、ではないですけど、好きかって言われるといまいちよくわからない…。だいたい、俺恋愛経験がすげー少ないんです」
「あー…前言ってたねぇ」
「だから経験豊富な先輩だったら、こういうときどうするかなって…」
「経験豊富、ねぇ…」
 確かに橘はこれまで女性関係に困ったことは一度もなかった。生来の調子の良さと整った容姿のお陰で何もせずとも女性達が寄ってきたからだ。社会人になってからもそれは変わらず、来る者拒まず去る者追わずと奔放な生活をしていると本宮からは不誠実だと言われたが全く気にならなかった。それが加藤と出会い、付き合いで合コンには顔を出すがもう一切手は出していない。
「そうだな…。女の子でもいきなり付き合うとかじゃなくて、友達からってこともあるんだしあんまり気負わなくてもいいんじゃないかなぁ。付き合ってくうちに好きになることもあるんだし」
 彼女達の誰も、特別好きだと思ったことはないけれど。可愛いだとか綺麗だとか楽しいだとか、そういう違いはあったが、佐藤の言うような一途な恋なんてものはしたことがない。
「確かに、そういうものなのかも…」
 加藤がグラスを一気に開け、追加で酒を注文した。
「大丈夫なの?」
「はい、なんかめっちゃ飲みたくなってきました!」
 加藤がにこりと笑う。問題は解決してないと思ったが、橘もつられて笑った。


「せんぱい! ありがとうございました!」
 真っ赤な顔でふらつきながら加藤が言う。
「大したこと言ってないけど、悠季大丈夫なの?」
 平気でーすといつになく陽気に返事をする加藤に橘は苦笑した。
「送るよ」
「えー大丈夫ですよぉ。先輩反対じゃないですか」
「また途中で気分悪くなるでしょ?」
 普段はこうなるまで飲むことはないが、極稀にこういう風になることがあり、その後は必ず気分が悪いと動けなくなってしまうのだ。
 いつもすみません、と笑顔のまま歩き始める。日頃明るいとは言い難い彼が笑い上戸になるのがその度に面白く、橘は笑いが込み上げてきた。
「え、おれなんかおかしいですか?」
「いやぁ。悠季、普段とギャップありすぎるから」
「そぉですかー?」
 時折ふらつく彼を支えながら歩いていると、あともう少しで彼のアパートというところで加藤が気持ち悪いとその場にしゃがみ込んだ。
「ほらもー。だから止めたでしょー」
 すみません、と先程の表情とは一変して青くなった彼を背負うとあまり揺れないようにアパートへ急いだ。
「いつもほんとすみません…」
「大丈夫。ほら鍵出して」
 ポケットから取り出し橘へ渡す。
「入るよー」
 よいしょと加藤を下ろし靴とコートを脱がせる。壁に凭れる彼をベッドへ運んだ。
「悠季ー水…って、寝てる?」
 まぁ吐かなくて済んでよかったと机にコップを置くと、寝息を立てる彼を見つめた。
 初めて会ったときは不器用で愛想笑いも苦手で、営業部に回されて可哀想だなと思っていた。だが一緒に働くうちに真面目なところや何事にも一生懸命な姿に惹かれていった。彼は橘にはないものを持っていた。
「可愛いなぁ…」
 少し癖のある髪に指を通し呟く。意外と長い睫毛、薄く開いた唇。今までの彼女達に対する感情と全く違う、愛しく大切にしたい存在。
 自分に勇気があれば、違った形で一緒にいられたのだろうか。
 少しだけ、と橘は触れるだけのキスをした。
「ん…せんぱい…?」
 もぞりと身動ぐとぼんやりした目で橘を見た。
「──夢だよ、大丈夫。おやすみ」
 そう言って頭を撫でると加藤は再び眠りについた。
「俺、理性凄すぎ…」
 溜息を吐いて、ポストに鍵を入れておくことを書き置きし加藤の部屋を出た。


「先輩、こんな時間にどうしたんですか?」
 加藤のアパートを出たところで突然現れた佐藤の声にびくりとした。
「びっくりした…。佐藤くんこそこんな遅くにどうしたの?」
「俺はちょっとコンビニに。先輩はなんでここに?」
 再度問い掛ける彼の冷たい目にぞっとした。
「俺は悠季と飲んでて、潰れたから送ってきただけだよ」
「そうなんですか…。急に声掛けてすみません」
 お気をつけて、といつもの笑顔に戻り佐藤は立ち去った。
「コンビニ…ね」
 袋も何もなかったけど。少し不審に思いながら橘もその場を後にした。



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