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しおりを挟む「あらあら、アンジェロ殿下めちゃめちゃ押されてるじゃないの。すごいわね、あの鉄仮面」
カーラがそう言うのも無理はない。
最初こそ互角に打ち合っていた二人だったが、アンジェロの呼吸は徐々に乱れ、表情からは余裕が消えた。
「あれはオリンド卿です。間違いない」
四人の背後から聞こえた声はリエトのもの。朝からどこにも姿が見えなかったが、おそらく昨夜の後始末に奔走していたのだろう。
「リエト卿、本当にあれはオリンド卿なのですか!?あのオリンド卿?」
アラベッラは驚いた様子で聞き返した。
“あの”が指すのは間違いなくオリンドの奇天烈な髪型のことだろう。
「オリンド卿はカリスト殿下の近習として引き抜かれる以前は、騎士団に所属されていました。これまでに数々の戦争も経験しています。こう申し上げるのはなんですが……オリンド卿の剣技は、技の美しさを競うためのものではなく、命の取り合いをするためのものです。実戦経験のないアンジェロ殿下が勝つのは難しいかと……」
シルヴィオの性技を語るのと同じ口調でオリンドに関する情報を語るリエト。
「それは素晴らしいですわ!オリンド卿が勝てば、アンジェロ殿下が未練がましく縋ってくることもなさそうですし。ね、ルクレツィア様!」
「ええ……そうですね」
だがオリンドが勝ってもルクレツィアがカリストの側にいられるわけではないのだ。
愛していたわけでもないのに、まるで心に穴が空いてしまったかのような喪失感に苛まれるのはなぜなのだろう。
傍から見てもわかるほど気落ちした様子のルクレツィアに向かって、リエトはあることを告げた。
「大丈夫ですルクレツィア様。我が主は必ずあなたの会いたい方をここに連れて来ます」
「え……?」
穏やかに微笑むリエトの表情は、まるでルクレツィアがなにを憂えているのかわかっているようだった。
その時、一際大きな歓声が場内に響いた。
鉄仮面の男ことオリンドが、アンジェロの剣を後方へ弾き飛ばしたのだ。派手な音とともにアンジェロの手から離れた剣は、地面に深く突き刺さった。
アンジェロが悔しそうに顔を歪めた瞬間、今度は歓声ではなくどよめきが広がった。
「お、おい!いったいどういうことだ!?」
人々の視線の先にいたのは、入り口からこちらに向かって歩いてくるカリストだった。鉄仮面の男がカリストであると思っていた観客は、男とカリストを交互に見ながら困惑した声を上げた。
カリストの瞳は、自分もどきのオリンドでもアンジェロでもなく、ルクレツィアだけを映していた。
「カリスト殿下……」
ルクレツィアの唇が震える。ただ名前を紡いだだけなのに、眦に熱いものがせり上がる。
ルクレツィアの側で様子を見守っていた四人は、微笑みながら黙ってその場を離れた。
「遅くなってすまなかった」
穏やかな声が降り注ぐと、身体の中で固く張り詰めていたなにかが、一瞬で解き放たれたかのように軽くなる。
なにか返事をしたかったが、次から次へと溢れてくる涙で視界が霞み、喉が震えてうまく言葉が出てこない。
カリストはそんなルクレツィアの手を取り、優しく擦った。
「……ルクレツィア、私がこの勝負に勝ったら結婚してくれるか?」
「でも……もう勝負はついてしまいましたよ」
アンジェロは負けた。それにルクレツィアの心も決まっている。戦う必要はないはずだ。
「いや、アンジェロを倒したのは私の偽物だ。ならばその偽物を倒さなければ、私もそなたの夫として格好がつかないだろう」
【ええっ!?】
少し離れた所に立つ偽物認定されたオリンドの鉄仮面の下から、くぐもった叫び声が聞こえた。
このまさかの事態にルクレツィアの涙も急速に引っ込んだ。
「カ、カリスト殿下、オリンド卿は悪気があった訳ではないと思うのです!きっと殿下のためを思って……!」
「わかっている」
ルクレツィアにしか聞こえないくらい小さな声でそう言うと、カリストは身を翻し、試合の行われる位置に移動した。
「兄上……」
カリストがアンジェロの顔を真っ直ぐに見据えると、気まずさからか彼はすぐに顔を逸らした。
「私に謝る必要はない。だがルクレツィアには……どうすればいいのかお前が一番わかっているな?」
カリストの言葉に、アンジェロは顔を顰め唇を噛んだ。
「あ、あの……殿下?」
打って変わったように挙動不審になる鉄仮面オリンドの前に立つと、カリストは口の端を少しだけ吊り上げた。
「オリンド、遠慮はいらぬ。本気でこい」
「ええ!?」
「あと、いい加減それは脱げ」
カリストはオリンドの鉄仮面を指差した。
そしてオリンドが渋々と鉄仮面を外すと、ルクレツィアも見慣れた後頭部が現れた。
アンジェロほどではないが、彼も気まずそうな表情で、カリストの様子を窺っている。
「審判、号令を!」
カリストの威厳に気圧されながら、審判が試合開始を告げる。
そしてオリンドにとって、人生最悪の時間が幕を開けたのだった……
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