上 下
30 / 49

30 フェリクス②

しおりを挟む





 領地に戻ってからも少女の姿が頭から消える事は無かった。
 辺境伯としての日々に忙殺されればされるほど彼女の事が色濃く思い出され、らしくもなく貴族名鑑まで調べてしまった自分が情けない。
 彼女の名はシルフィーラ。やはりアルヴィア公爵家の末娘だった。王族の血を色濃く継いだ公女。自分とは八歳も年の差がある。
 きっとあの輝きに……あの汚れなき神々しさに心を打たれただけだ。この辺境の地で血と汗にまみれながら生きる自分には触れる事も許されない存在だ。
 忘れよう。
 そう思ったのにいつまでも彼女は私の中から消えてくれなかった。


 *

 
 王都から戻って少し経つ頃、ポールからある相談を持ち掛けられた。
 母上が私財を湯水のように使っていると言うのだ。

 「エリオは何をしてるんだ?」

 「私からもきつく言っているのですがやはり奥様に逆らう事は……」

 奥向きの財産管理は執事に任せているが、母上個人の財産に関しては口を挟むのにも限度があるのだろう。
 ポールの困り顔を見るに彼も相当煽りを食ったようだ。

 「何に使ったのかわかっているのか?」

 「それが……」

 そう言ってポールが差し出したのは商人との取引の控えの束だった。
 それを受け取り上から目を通して行くと

 「ドレスに宝石に美術品……?美術品は母上の趣味だからまだわかるがドレス?」

 病に伏し、一人では歩くこともままならない身体になってしまった母がドレスを新調してどうすると言うのだ。
 しかし納品書にはドレスだけではない。靴や髪飾りといった小物に至るまでびっしりと記載されていた。
 これではまるで年頃の娘の社交用に一揃えする親のようじゃないか……まさか!

 「ポール、これはローゼリアの物か!?」

 ポールはびっくりしたように目を見開き、すぐさま“そうです”と返事をした。
 フェリクスは何も言わず急ぎ足で部屋を出た。
 父の死がきっかけで母が心を病んだのは知っている。だが父を返してやる事など出来はしない。だからせめて孤独の中に一人追いやらないようにと使用人達に言い聞かせた。
 それなのになぜ母はローゼリアを側に置いたのだろう。母はローゼリアに罪は無いと頭ではわかっていても、バジュー男爵家の血を受け継ぐ者として蔑んでいるフシがあった。
 だがたとえどんな理由があろうとローゼリアもローゼリアだ。正気でない人間にこれだけの散財を平気でさせる神経がわからない。
 そして別邸に足を踏み入れた瞬間フェリクスは目を疑った。
 母の自慢の陶磁器が飾られていたエントランスは見る影もない。ちぐはぐな美術品が所狭しと並べられ、まるで物置のようだった。
 部屋の奥からは楽しげな声が聞こえてくる。ひっきりなしに物を勧める男の声と、母とローゼリアの笑い声だ。
 フェリクスはノックもせず部屋に踏み込んだ。険しい顔で現れたフェリクスにレミリアもローゼリアも肩をすくめ顔を顰める。
 商人はポカンとした顔で手には今勧めていたのだろう宝石を持っていた。

 「これはどういう事だ。」

 「そんな怖い顔をしてどうしたのフェリクス?ちょっとお買い物をしていただけよ。」

 すっかり痩せこけたレミリアが小さな子供を窘めるように言うとフェリクスの眉間の皺は深くなった。

 「?これがちょっとだと言うのですか?ローゼリア!一体どういう事なのか説明しろ!」

 しかしローゼリアは怯えたようにレミリアの背に隠れる。
 レミリアは“大丈夫よ”と我が子をあやすようにローゼリアに言うと、再びフェリクスに向かって口を開いた。

 「これは献身的に付き添ってくれるローゼリアへの感謝の気持ちなの。わかってフェリクス。」

 「わかる訳ないでしょう!だいたい病気だなんだと部屋にこもるローゼリアになぜこの宝石が必要なんです!?宝石だけじゃない!ドレスも靴も全部だ!」

 ローゼリアは事あるごとに病気を盾にして引きこもる。意に染まぬ縁談を進められぬよう抵抗しているのだろう。そんなに嫌ならと大目に見ていたのが間違いだった。

 「こんな事に使うのならなぜ領民のために使わないのです!?ローゼリア!お前もなぜ母上を止めないんだ!」

 「わ……私は……」

 「やめなさいフェリクス!ローゼリアは何も悪くないわ!もう出て行きなさい!二度と来ないで!」

 「母上!」

 しかしレミリアはそれ以上取り合ってはくれなかった。
 力無い足取りで部屋を後にするフェリクスに聞こえてきたのは、母からの見送りの言葉ではなく、嬉々として宝石の説明をする商人の声だった。
 それ以降フェリクスが別邸を訪れる事は無かった。

 二人が顔を合わせぬまま一年が経ったある日。レミリアはローゼリアに看取られながら静かにその命を終えたのだった。
 
 

 


 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

出世のために結婚した夫から「好きな人ができたから別れてほしい」と言われたのですが~その好きな人って変装したわたしでは?

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
古代魔法を専門とする魔法研究者のアンヌッカは、家族と研究所を守るために軍人のライオネルと結婚をする。 ライオネルもまた昇進のために結婚をしなければならず、国王からの命令ということもあり結婚を渋々と引き受ける。 しかし、愛のない結婚をした二人は結婚式当日すら顔を合わせることなく、そのまま離れて暮らすこととなった。 ある日、アンヌッカの父が所長を務める魔法研究所に軍から古代文字で書かれた魔導書の解読依頼が届く。 それは禁帯本で持ち出し不可のため、軍施設に研究者を派遣してほしいという依頼だ。 この依頼に対応できるのは研究所のなかでもアンヌッカしかいない。 しかし軍人の妻が軍に派遣されて働くというのは体裁が悪いし何よりも会ったことのない夫が反対するかもしれない。 そう思ったアンヌッカたちは、アンヌッカを親戚の娘のカタリーナとして軍に送り込んだ――。 素性を隠したまま働く妻に、知らぬ間に惹かれていく(恋愛にはぽんこつ)夫とのラブコメディ。

「わかれよう」そうおっしゃったのはあなたの方だったのに。

友坂 悠
恋愛
侯爵夫人のマリエルは、夫のジュリウスから一年後の離縁を提案される。 あと一年白い結婚を続ければ、世間体を気にせず離婚できるから、と。 ジュリウスにとっては亡き父が進めた政略結婚、侯爵位を継いだ今、それを解消したいと思っていたのだった。 「君にだってきっと本当に好きな人が現れるさ。私は元々こうした政略婚は嫌いだったんだ。父に逆らうことができず君を娶ってしまったことは本当に後悔している。だからさ、一年後には離婚をして、第二の人生をちゃんと歩んでいくべきだと思うんだよ。お互いにね」 「わかりました……」 「私は君を解放してあげたいんだ。君が幸せになるために」 そうおっしゃるジュリウスに、逆らうこともできず受け入れるマリエルだったけれど……。 勘違い、すれ違いな夫婦の恋。 前半はヒロイン、中盤はヒーロー視点でお贈りします。 四万字ほどの中編。お楽しみいただけたらうれしいです。

平凡なる側室は陛下の愛は求めていない

かぐや
恋愛
小国の王女と帝国の主上との結婚式は恙なく終わり、王女は側室として後宮に住まうことになった。 そこで帝は言う。「俺に愛を求めるな」と。 だが側室は自他共に認める平凡で、はなからそんなものは求めていない。 側室が求めているのは、自由と安然のみであった。 そんな側室が周囲を巻き込んで自分の自由を求め、その過程でうっかり陛下にも溺愛されるお話。

結婚式の夜、夫が別の女性と駆け落ちをしました。ありがとうございます。

黒田悠月
恋愛
結婚式の夜、夫が別の女性と駆け落ちをしました。 とっても嬉しいです。ありがとうございます!

バイバイ、旦那様。【本編完結済】

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
妻シャノンが屋敷を出て行ったお話。 この作品はフィクションです。 作者独自の世界観です。ご了承ください。 7/31 お話の至らぬところを少し訂正させていただきました。 申し訳ありません。大筋に変更はありません。 8/1 追加話を公開させていただきます。 リクエストしてくださった皆様、ありがとうございます。 調子に乗って書いてしまいました。 この後もちょこちょこ追加話を公開予定です。 甘いです(個人比)。嫌いな方はお避け下さい。 ※この作品は小説家になろうさんでも公開しています。

口は禍の元・・・後悔する王様は王妃様を口説く

ひとみん
恋愛
王命で王太子アルヴィンとの結婚が決まってしまった美しいフィオナ。 逃走すら許さない周囲の鉄壁の護りに諦めた彼女は、偶然王太子の会話を聞いてしまう。 「跡継ぎができれば離縁してもかまわないだろう」「互いの不貞でも理由にすればいい」 誰がこんな奴とやってけるかっ!と怒り炸裂のフィオナ。子供が出来たら即離婚を胸に王太子に言い放った。 「必要最低限の夫婦生活で済ませたいと思います」 だが一目見てフィオナに惚れてしまったアルヴィン。 妻が初恋で絶対に別れたくない夫と、こんなクズ夫とすぐに別れたい妻とのすれ違いラブストーリー。 ご都合主義満載です!

夫と親友が、私に隠れて抱き合っていました ~2人の幸せのため、黙って身を引こうと思います~

小倉みち
恋愛
 元侯爵令嬢のティアナは、幼馴染のジェフリーの元へ嫁ぎ、穏やかな日々を過ごしていた。  激しい恋愛関係の末に結婚したというわけではなかったが、それでもお互いに思いやりを持っていた。  貴族にありがちで平凡な、だけど幸せな生活。  しかし、その幸せは約1年で終わりを告げることとなる。  ティアナとジェフリーがパーティに参加したある日のこと。  ジェフリーとはぐれてしまったティアナは、彼を探しに中庭へと向かう。  ――そこで見たものは。  ジェフリーと自分の親友が、暗闇の中で抱き合っていた姿だった。 「……もう、この気持ちを抑えきれないわ」 「ティアナに悪いから」 「だけど、あなただってそうでしょう? 私、ずっと忘れられなかった」  そんな会話を聞いてしまったティアナは、頭が真っ白になった。  ショックだった。  ずっと信じてきた夫と親友の不貞。  しかし怒りより先に湧いてきたのは、彼らに幸せになってほしいという気持ち。  私さえいなければ。  私さえ身を引けば、私の大好きな2人はきっと幸せになれるはず。  ティアナは2人のため、黙って実家に帰ることにしたのだ。  だがお腹の中には既に、小さな命がいて――。

結婚記念日をスルーされたので、離婚しても良いですか?

秋月一花
恋愛
 本日、結婚記念日を迎えた。三周年のお祝いに、料理長が腕を振るってくれた。私は夫であるマハロを待っていた。……いつまで経っても帰ってこない、彼を。  ……結婚記念日を過ぎてから帰って来た彼は、私との結婚記念日を覚えていないようだった。身体が弱いという幼馴染の見舞いに行って、そのまま食事をして戻って来たみたいだ。  彼と結婚してからずっとそう。私がデートをしてみたい、と言えば了承してくれるものの、当日幼馴染の女性が体調を崩して「後で埋め合わせするから」と彼女の元へ向かってしまう。埋め合わせなんて、この三年一度もされたことがありませんが?  もう我慢の限界というものです。 「離婚してください」 「一体何を言っているんだ、君は……そんなこと、出来るはずないだろう?」  白い結婚のため、可能ですよ? 知らないのですか?  あなたと離婚して、私は第二の人生を歩みます。 ※カクヨム様にも投稿しています。

処理中です...