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30 フェリクス②
しおりを挟む領地に戻ってからも少女の姿が頭から消える事は無かった。
辺境伯としての日々に忙殺されればされるほど彼女の事が色濃く思い出され、らしくもなく貴族名鑑まで調べてしまった自分が情けない。
彼女の名はシルフィーラ。やはりアルヴィア公爵家の末娘だった。王族の血を色濃く継いだ公女。自分とは八歳も年の差がある。
きっとあの輝きに……あの汚れなき神々しさに心を打たれただけだ。この辺境の地で血と汗に塗れながら生きる自分には触れる事も許されない存在だ。
忘れよう。
そう思ったのにいつまでも彼女は私の中から消えてくれなかった。
*
王都から戻って少し経つ頃、ポールからある相談を持ち掛けられた。
母上が私財を湯水のように使っていると言うのだ。
「エリオは何をしてるんだ?」
「私からもきつく言っているのですがやはり奥様に逆らう事は……」
奥向きの財産管理は執事に任せているが、母上個人の財産に関しては口を挟むのにも限度があるのだろう。
ポールの困り顔を見るに彼も相当煽りを食ったようだ。
「何に使ったのかわかっているのか?」
「それが……」
そう言ってポールが差し出したのは商人との取引の控えの束だった。
それを受け取り上から目を通して行くと
「ドレスに宝石に美術品……?美術品は母上の趣味だからまだわかるがドレス?」
病に伏し、一人では歩くこともままならない身体になってしまった母がドレスを新調してどうすると言うのだ。
しかし納品書にはドレスだけではない。靴や髪飾りといった小物に至るまでびっしりと記載されていた。
これではまるで年頃の娘の社交用に一揃えする親のようじゃないか……まさか!
「ポール、これはローゼリアの物か!?」
ポールはびっくりしたように目を見開き、すぐさま“そうです”と返事をした。
フェリクスは何も言わず急ぎ足で部屋を出た。
父の死がきっかけで母が心を病んだのは知っている。だが父を返してやる事など出来はしない。だからせめて孤独の中に一人追いやらないようにと使用人達に言い聞かせた。
それなのになぜ母はローゼリアを側に置いたのだろう。母はローゼリアに罪は無いと頭ではわかっていても、バジュー男爵家の血を受け継ぐ者として蔑んでいるフシがあった。
だがたとえどんな理由があろうとローゼリアもローゼリアだ。正気でない人間にこれだけの散財を平気でさせる神経がわからない。
そして別邸に足を踏み入れた瞬間フェリクスは目を疑った。
母の自慢の陶磁器が飾られていたエントランスは見る影もない。ちぐはぐな美術品が所狭しと並べられ、まるで物置のようだった。
部屋の奥からは楽しげな声が聞こえてくる。ひっきりなしに物を勧める男の声と、母とローゼリアの笑い声だ。
フェリクスはノックもせず部屋に踏み込んだ。険しい顔で現れたフェリクスにレミリアもローゼリアも肩をすくめ顔を顰める。
商人はポカンとした顔で手には今勧めていたのだろう宝石を持っていた。
「これはどういう事だ。」
「そんな怖い顔をしてどうしたのフェリクス?ちょっとお買い物をしていただけよ。」
すっかり痩せこけたレミリアが小さな子供を窘めるように言うとフェリクスの眉間の皺は深くなった。
「ちょっと?これがちょっとだと言うのですか?ローゼリア!一体どういう事なのか説明しろ!」
しかしローゼリアは怯えたようにレミリアの背に隠れる。
レミリアは“大丈夫よ”と我が子をあやすようにローゼリアに言うと、再びフェリクスに向かって口を開いた。
「これは献身的に付き添ってくれるローゼリアへの感謝の気持ちなの。わかってフェリクス。」
「わかる訳ないでしょう!だいたい病気だなんだと部屋にこもるローゼリアになぜこの宝石が必要なんです!?宝石だけじゃない!ドレスも靴も全部だ!」
ローゼリアは事あるごとに病気を盾にして引きこもる。意に染まぬ縁談を進められぬよう抵抗しているのだろう。そんなに嫌ならと大目に見ていたのが間違いだった。
「こんな事に使うのならなぜ領民のために使わないのです!?ローゼリア!お前もなぜ母上を止めないんだ!」
「わ……私は……」
「やめなさいフェリクス!ローゼリアは何も悪くないわ!もう出て行きなさい!二度と来ないで!」
「母上!」
しかしレミリアはそれ以上取り合ってはくれなかった。
力無い足取りで部屋を後にするフェリクスに聞こえてきたのは、母からの見送りの言葉ではなく、嬉々として宝石の説明をする商人の声だった。
それ以降フェリクスが別邸を訪れる事は無かった。
二人が顔を合わせぬまま一年が経ったある日。レミリアはローゼリアに看取られながら静かにその命を終えたのだった。
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