婚約者の恋人

８

　何もする事のない毎日で唯一安らげるのは庭園での散歩だった。
　しかしあまり奥まで行くとローゼリアの住む別邸に辿り着いてしまう。だからシルフィーラはいつも途中で引き返すようにしていた。
　しかしそんなある日、いつものように屋敷へと引き返そうとしたその時だった。

　「あら？どなたかしら。」

　向こう側から歩いてくるのは栗毛の女性と、その女性の手を引くフェリクスだった。
　いつかは顔を合わす事もあるだろうと思っていたが、あまりに突然の出会いにシルフィーラは固まってしまった。
　そして見てはいけないと思いつつも親しげに組まれた腕に目が行ってしまう。

　「フェリクス？どなた？」

　しかしフェリクスは何も答えない。
　仕方なくシルフィーラは挨拶をする事にした。

　「初めてお目にかかります。アルヴィア公爵家のシルフィーラと申します。」

　身分もここでの立場もシルフィーラの方が上。本来なら先に名乗り礼をするのはローゼリアの方だ。しかしローゼリアはそんな事まるで気にしていないかのようだった。

　「まあ、あなたが……！ふふ。フェリクス、とっても綺麗な方ね。」

　その言葉から察するに自分の事を聞いてはいるのだろう。
　しかしそれならいくらなんでも失礼すぎやしないだろうか。形だけとはいえこの家の女主人となる自分の目の前で、その夫となる男と腕を組んだまままともな挨拶もしないなんて。
　
　「フェリクスから聞いております。私は彼の従姉妹でローゼリアと申しますの。これからどうぞよろしくお願いしますわね。」

　「……ええ。どうぞよろしくお願いしますローゼリア様。」

　まるで目下の者にするような挨拶にフェリクスは何も言わない。
　（……つまりこれがすべてだわ……）
　シルフィーラはいたたまれない気持ちになり、もう一度軽く礼をしてその場を立ち去った。
　後ろからローゼリアの笑い声がまるでいつまでも纏わりつくように聞こえてきた。