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 「俺にですか?」

 アナスタシアの提案に困惑するアーヴィングの後ろで、キャロルの目が怪しく光った。
 アーヴィングは優しい。
 キャロルがアーヴィングの懐に入ることができたのは、彼女が無害そうな女性であったことも要因だろうが、結局は警戒心が薄かったからだ。
 この好機をキャロルは決して逃さないだろう。
 自分が助かるために、言葉を尽くしてアーヴィングの同情を引こうとするに違いない。
 だからこそアナスタシアは、アーヴィングに彼女の処遇を任せることにした。
 優しさだけでは大切なものを守ることはできない。
 アナスタシアがして見せたように、彼にも冷静な心で正しい判断を下せるよう経験して欲しかった。

 「……シアは本当にそれでいいのですか?」

 「あなたを信じているわ」

 きっとアーヴィングなら、誰もが納得する答えに辿り着く。
 アナスタシアの中には確信めいたものがあった。
 ヴィンセントとキャロルが衛兵に連れ出された後、ようやく室内は落ち着きを取り戻した。

 「シア、こんなことになったからにはすぐに新居に移るわけにもいかないだろう。新しい侍女と護衛も選出しなければならないし。もうしばらく城に滞在できるよう私が手配しておくからね」

 ローレンスは上機嫌な様子で側近たちを呼び付け、あれこれと指示を飛ばし始めた。

 「仕方ないわね……アーヴィング、今度は頑丈な扉の部屋にしてもらいましょう。イヴ、ハリー、あなたたちも行く?」

 「みゃみゃみゃっそろそろおやつだしね

 「わふわふっ僕、お芋ふかしてもらう!」

 
 ***


 「……奇跡のような不味さだわ」

 アナスタシアの趣味嗜好を誰よりも知っていたドナがいなくなった。
 ローレンスの指示でやってきた侍女は気配りの行き届いたベテランではあったが、なぜだか彼女にお茶を淹れてもらう気になれず、アナスタシア自ら茶器に手を伸ばしたのが数分前。
 ちなみにイヴとハリーはふたりの足元でそれぞれのおやつを堪能中だ。
 顔を顰めるアナスタシアに、アーヴィングは微笑んだ。

 「今度は俺に淹れさせてください」

 アーヴィングはアナスタシアの手からティーカップを外すと自身の席へと置いた。
 そして側に置いてあったティートローリーから新しいティーポットとカップを取り出すと、器用な手つきで紅茶を淹れていく。

 「慣れているのね」

 「……ラザフォードの家では俺に紅茶を淹れてくれる人なんて誰もいませんでしたから」

 そこでふと、初めてアーヴィングとお茶をした日のことを思い出す。
 今日と同じくらい、いや初めて淹れたからもっと不味かったかもしれない紅茶を大事そうに飲んでいたアーヴィング。
 おそらく誰かが自分のためだけに淹れてくれたお茶を飲むのが初めてだったのだ。
 (だからあんなに大切そうに……)
 アナスタシアの胸がぎゅっと締め付けられる。

 「はい。あまり美味しくはないかもしれませんが」

 目の前に置かれたカップからは、同じ茶葉とは思えないくらいいい香りが立ち上っている。
 そっと口をつけた瞬間、思わず感嘆の声が漏れた。

 「美味しい……!」

 「良かった」

 アーヴィングは安心したように言うと席に着き、アナスタシアが淹れたお茶に再び手を伸ばした。

 「だ、駄目よアーヴィング。あなたの淹れてくれた方を一緒に飲みましょう?」

 「俺はこれが良いんです。シアの淹れてくれたお茶が世界で一番好きな味です」

 真っ直ぐに目を見て言われ、アナスタシアはそれ以上なにも言えなくなってしまった。
 おやつを食べ終わったイヴとハリーは、そんな二人のやりとりを生温い目で見ていた。
 
 「みゃうぅ健気ねぇ……」

 「わふわふわふわふ、わふわふふふふぅこれから健気って書いてアーヴィングって読むといいんじゃないかな?」

 「みゃうみゃうみゃうみゃう同じ健気でもあの兄弟とはえらい違いよね……」

 すっかり満腹になったイヴとハリーは再びそれぞれお気に入りの膝の上へ乗った。
 もちろんイヴはアーヴィング。ハリーはアナスタシアだ。

 「シア、これからの予定はどうなりますか?」

 「うん……まずは新しい護衛の選定ね。コリンとは長い付き合いだったから、彼の代わりを探すとなると慎重に選ばないと」

 王族の護衛ともなると、王家の機密事項を共有することになる。
 万が一の脱出経路や隠し通路……それらは決して口外してはならないことばかり。
 なので強ければ誰でも良いというわけにはいかない。人格も大事だ。
 そして護衛とは、主の命を第一にその意向を汲んで動くものだが、時に主に逆らってでも独断で動かなければならないことがある。
 そういったことは長い期間をかけ、信頼を築き上げなければ実行することは難しい。

 「すみません、俺のせいでこんなことに……」

 「謝るのは私の方よ。またあなたに嫌な思いをさせてしまったわ……」 

 自身に流れる血を引け目に思って欲しくない。
 そう思っているのに、よりにもよってアナスタシアの周囲の人間が、誰よりもアーヴィングを傷つける。
 
 「俺はシアといられるのなら、つらいことなんてなにもありません」

 「アーヴィング……」

 無自覚なのだろうが、アーヴィングの言葉からはアナスタシアへの愛が溢れすぎていて、いちいち胸が騒がしくなってしょうがない。

 「あとで騎士団に行きましょう。その前にイアンとも話さなきゃね」

 喧嘩が原因でローレンスの元を離れ、アーヴィングの護衛を務めてくれたイアン。
 これから先、彼の身の振り方次第ではアナスタシアだけでなく、アーヴィングにも新しい護衛を選ばなければならない。

 「イアン殿は、ローレンス殿下の元に戻られるのでしょうか」

 「仲直りできたみたいだし、おそらくね」




 
 
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