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 「ゴドウィン殿……帰ってきませんね」

 「もしかして……殿下のご不興を買ったのでしょうか……」

 アナスタシアに呼び出されたゴドウィンは、だいぶ時間が経つのにもかかわらず、執務室に戻ってこない。
 アーヴィングは遅い昼食を取りに食堂へ行ってしまって、執務室には落ちつかないコーディとバイロンが二人で留守番をしていた。

 「それにしてもなんなんですかこの本は。“ヒモと呼ばれて”って……君、アーヴィング殿を一体どうしたいの」

 バイロンはコーディの選書した本を手に、眉間に深いシワを寄せた。

 「馬鹿にしたらいけませんよ!この本には女性を虜にするすべてが書かれているんですから!」

 これはコーディなりの思いやりだった。アーヴィングはどう考えてもアナスタシアに恋をしている。
 しかしアナスタシアを見る限り、彼女はそんなアーヴィングを翻弄しているようにしか見えない。
 真面目なアーヴィングでは太刀打ちできない小悪魔的魅力を持つアナスタシア。
 だからコーディはあえてこの極端な本を選んだのだ。あとは単に自分がその本に書いてあるテクニックを駆使して、格上の嫁の婿養子になった経験から。

 「あのね、あの純情なアーヴィング殿がそんなずる賢い手管で迫るなんてできるはずないでしょうよ。それよりこれです!【結局男の価値は☓☓☓ピーーだ!】」

 「その伏せ字がもう駄目でしょう!!」

 「何を言いますか、この伏せ字にこそすべてが詰まってるんですよ!!まずアーヴィング殿は適度な筋トレからですね」

 「身体で籠絡ってのもなかなかに下衆いですよバイロン!!」

 「なにをいいますか。アーヴィング殿はなんてったって造形が抜群にいいんです。そこにぶどうの房みたいな筋肉がついてご覧なさい。アナスタシア殿下といえど鼻血を噴き出して陥落すること間違いなし!彼の持続時間の長短は知りませんが、そこは若さでカバーできますから心配なし!」

 
 「……あ、あの……」


 「ひゃぁぁあ!!」

 いつの間にか入り口に立っていたアーヴィング。コーディとバイロンは揃って悲鳴を上げた。

 「この本……お二人が置いてくださったんですね。まだそちらの二冊は読んでいないのですが、これはとても素晴らしかったです」

 アーヴィングは自身の机の上に置いていた【やればできるぜ!販路開拓~売るのはモノじゃない自分~】を手に取り微笑んだ。

 「いえあのそれは……」

 口を開いたのはコーディ。だがバイロンと二人顔を見合わせて困っている。
 
 「これは、お二人が選んでくださったものではないのですか?」

 すると観念したようにバイロンが息を吐いた。

 「……それは、若い人向けに最近出版されたものなのですが、なかなか的を得たことが書いてあると……その、ゴドウィン殿が……」

 「ゴドウィン殿が?」

 アーヴィングは瞠目し、黙り込んだ。

 「その……ゴドウィン殿は見た目ときつい口調で誤解されやすいのですが、そんなに悪い人ではありません」

 決して庇っている訳ではないのですが、とコーディは付け加えた。

 「……はい。それはなんとなくわかってました。初日のあの態度と今のゴドウィン殿は別人です。おそらく私のよくない噂などを耳にして、殿下をお守りしようと考えられたのだと思います。ですが今は私がどんな質問をしても明確な答えをくださる。さすが長い間この地を守ってこられた方です。私は彼と出会えたことを幸運に思います」

 コーディもバイロンも、ゴドウィンとは長い付き合いだが、彼という人間を理解するのには時間がかかった。
 それは、見た目や言動にとらわれて、素直な心で彼と向き合わなかったからだ。
 だからこれはアーヴィングだからこそ言える言葉。

 「あの……バイロン殿……」

 するとなにやらアーヴィングがモジモジと恥ずかしそうにバイロンに話しかけた。

 「なんですか?」

 「その……先ほど話されていた“筋トレ”についてなのですが……その本を読めばわかりますか?」

 これにバイロンはにんまりとした笑みを顔にのせた。

 「ええ!それはもう、この本には色んな神秘が書かれておりますから!どうです、今夜飲みながら話しませんか?私どもも、色々お役に立てると思いますよ。ねえ、コーディ?」

 「まずは私のヒモ論からです!これは譲れません!」

 こうしてアーヴィングは思いがけず初体験への切符を手にすることになった。
 【気心の知れた者同士で酒を酌み交わしながら語り合う】初体験だ。





 
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