107 / 125
第三章
14 企み
しおりを挟むローザを宮へ送ってやってからというもの、彼女は時折アマリールの宮へ訪れるようになった。
しかし訪れると言っても正式な訪問ではない。
誰にも見つからないように宮の外からアマリールが出てくるのを待っているのだ。
そしてその姿を見つけると
「お姉様!」
そう言って満面の笑顔で走ってくる。
「まあ、ローザ様!今日も内緒で抜け出して来られたのですか?」
ローザは“えへへ”と少しバツの悪そうな顔で笑う。
皇宮内での教育は彼女にとって苦痛なようだった。それと言うのも毎日着飾り男の目を引く事に夢中だった母親が、ローザにろくな教育を受けさせて来なかった事が原因だ。
教育にかける金が惜しかったのだろう。
ローザの父親である今は亡きヴァロー伯爵が、娘の将来のためにと遺してくれた金銭はすべて、母親のシェリダンが夜毎開かれる夜会の支度のために使い込んだようだった。
ローザは会うたびに少しずつ今までの生活を話してくれたが、アマリールはそれを聞くたびに胸が痛んだ。
「では今日は一緒に本を読みましょうか。」
「本当に!?嬉しい!!」
大きな目がキラキラと輝く。
ローザは優しいアマリールの側にいるのが何よりも幸せだった。
皇宮に入るなりつけられた何人もの教師と違ってアマリールは自分に何も押し付けたりしない。
隣同士に座ってたくさんの事をまるでおとぎ話を聞かせてくれるように面白おかしく教えてくれる。
相変わらず皇宮内での自分の境遇は変わらなかった。しかしローザにとって一番大切なのはこの時間で、アマリールと過ごすこの一時さえあればそんな事は何も気にならなかった。
*
「最近……あいつがよく来ているらしいな。」
政務が終わってからやって来たルーベルの顔はあからさまに不機嫌そうだ。
一体誰から聞いたのだろうかと不思議に思ったが、心配性な彼の事だ。おそらく私の事は逐一報告するよう周りに言いつけているのだろう。
「いけませんでしたか?でも一緒に本を読んだりお喋りしているだけですよ。」
しかしルーベルの眉間の皺は更に深くなる。
「……もしかして父上に何か言われたのか。」
「……まあ少し……でもそれとは関係ありません。」
「じゃあ何故だ?何故あれに構う?」
「……トリシア様の皇女様達が……あとその周りの方々もですが、あまりに酷いなさりようだったので……とても見ていられませんでした。」
アマリールの言葉にルーベルは深い溜め息をついた。
「頼むからお前は関わるな。」
「どうしてですか?特に私は何も……ただこの宮に逃げて来られた時にお相手をしているだけです。」
「あの子がどうこうという訳ではない。あの母親だ。あの母親の周辺は怪しすぎる。だから関わるな。」
「シェリダン様が……?」
ろくな後ろ盾も持たぬ寡婦であった彼女が、切れ者の彼を危惧させるほどのどんな力を持っているというのか。
「ローランから姉上に縁談が来た。」
「ローランから……!」
アマリールは息を呑んだ。
ついにクロエ様が嫁ぐ日がやってくる……。
いつも自分を導き守ってくれたクロエ様。
実の姉のように慕っている彼女がいなくなる事に胸は痛むが、これは過去二度の生でもそうだった事で必然な事のはず。
それなのに何故彼はこんな苦々しい顔をしているのか。
「その窓口に立っているのがアーデン伯爵だ。」
「アーデン伯爵……」
「そうだ。あの日第三皇妃を連れてきたあの男だ。この話には何か裏がある。だから頼むアマリール。ローザには関わるな。」
クロエはルーベルにとっても大切な姉だ。
その表情には不安の色が見え隠れしている。
「わかりました。ローザ様には必要以上に関わらないとお約束します。けれどつらい目に遭われた時は許してやって下さい。だって……私にはこの皇宮に殿下がいてくれる。だからこそどんな事があってもやって来れました。でもローザ様には誰もいないのです。」
そう。彼女には誰もいない。実の母親ですら彼女を見ていない。
人は人が作るもの。このままではローザはまた歪んでしまう。
アマリールはソファにもたれ掛かるようにして座るルーベルの横に座り、疲れた様子の彼の
手を自分の膝の上に乗せて両手でやさしく擦った。
「親を選ぶ事はできません……そしてローザ様とシェリダン様は別の人間です。だから……」
だから何とか違う人生を歩んで貰いたい。
そしてそれが自分とルーベルの幸せにも繋がる。アマリールはそう考えていた。
だがルーベルはそれを否定しないまでも優しく諭すように言った。
「アマリール……違う人間だからと言って良い人間であるとは限らない。反動は必ず希望を寄せた自分自身に返ってくる。」
「でも殿下は……殿下は陛下とはまったく違うでしょう?そして殿下はとても良い人間だわ。私はそんな殿下が大好き……。」
すると今度は困ったような溜め息を鼻でして、ルーベルはアマリールを抱き寄せた。
「俺だってお前以外には良い人間なんかじゃない。ていうかお前にとっても良い人間じゃないだろうが。」
「そんな事ありません。殿下はとても優しくて愛情深い人だわ。」
「……それはお前の惚れた欲目というやつだ。」
「……凄い自信ですね……。」
「何だ。違うのか。」
「いえ、違いませんけど。」
何だか不満げな仏頂面が目の前でじーっと見てくるから、耐えられずにアマリールは吹き出した。
「うふふ……ふふっ!殿下ったらもう!そんな顔で見ないで。」
「そんな顔と言われても元からこんな顔だ。嫌なのか。」
嫌な訳ない事くらいよく知っているだろうに。
(やっぱり殿下はいつの世でも天邪鬼だわ……でもとっても可愛い天邪鬼。)
「どんな顔も殿下なら大好き。……心配させてごめんなさい殿下。ですがやはりローザ様の事は見て見ぬ振りが出来ません。でも決して表立って味方になるような事はしないと約束します。」
真剣な顔で訴えるアマリールにルーベルは再び顔をしかめたが、最後は諦めたように“わかった”とだけ言った。
「……殿下、最近は眠れていますか?」
目の下の隈は相変わらずだ。
こうやって私の宮を夜訪れるのも久しぶりの事。きっと夜遅くまで執務室へこもり、寝る直前まで政務をこなしているのだろう。
(……こんなに毎日殿下が頑張っているのに陛下は相変わらずシェリダン様の宮に入り浸っている……)
過去もこれほどまでに陛下はシェリダン様にのめり込んでいたのだろうか。
(私本当に何も知らなさすぎだわ……)
しかし今更悔やんだところでどうしようもない。自分には今出来る最善を尽くすしかないのだ。
でも今自分に出来る最善はたった一つだと思い、アマリールはそれを実行する事にした。
「殿下、今日は一緒に眠りませんか?」
「何だ、誘ってるのか?」
口調はいつも通りぶっきらぼうだが目は驚きで見開かれている。
アマリールはわかりやすいその様子にまた笑う。
「違います。殿下は私と一緒にいるとよく眠れるってタミヤが教えてくれたんです。」
「……お前、俺だって男だぞ。何かあってもいいのか?」
アマリールを抱くルーベルの腕に力が込められる。
しかしその腕は世界一安心できる場所なのはもうわかっている。
「殿下は私が女になるまでちゃんと待って下さいます。だからこそ私もその日が待ち遠しいです。」
「アマリール……」
“待ち遠しい”
初めて聞いたその言葉にルーベルは言葉を失ってしまった。
自分と結ばれる日が待ち遠しいと。
抱かれる日が待ち遠しいとアマリールはそう言ったのだ。
ルーベルの身体の奥に小さな炎が灯る。
「でも今はこの隈を消すのが先です。」
ルーベルの目の下を人差し指でなぞりながらアマリールは微笑む。
「……一緒にいてよく眠れるのはお前の方だろ?」
ルーベルは目を逸らして悪態をつくが、次の瞬間アマリールを優しく抱きかかえ部屋の奥へと向かった。
その夜、寝室からは遅くまでアマリールの可愛らしい笑い声が聞こえていた。
**
ルーベルとアマリールが眠りにつく頃、首都の外れに建つとある屋敷では、男達が煙草をくゆらせながら話し込んでいた。
「うまくやったなアーデン卿。陛下はすっかりあの女に骨抜きにされているそうじゃないか。」
アーデン卿と呼ばれた男は涼し気な目元を緩めず口元だけで笑う。
「……まだまだ始まったばかり。油断は禁物ですよコンラッド卿。皇后並びにその子らは強固な一枚岩だ。周到に用意して砕かねば……。」
「わかっているさ。まずはあの邪魔な皇女クロエだ。早々にローランへ嫁いで貰う。鉄の規制についてはもうローランと話は済んでいるのだろうな?」
「ええ。既に手筈は整っております。あちらも帝国の威信にあやかりたくて必死だ。必ずや我らの期待通り動いてくれるでしょう。」
「ふふ……公爵家などに降嫁されてはこちらの計画に支障が出る。早めにこの国から出て行ってもらおう。」
その夜、日付が変わってもその屋敷の灯りが消える事は無かった……
0
お気に入りに追加
2,752
あなたにおすすめの小説
ヤクザと私と。~養子じゃなく嫁でした
瀬名。
恋愛
大学1年生の冬。母子家庭の私は、母に逃げられました。
家も取り押さえられ、帰る場所もない。
まず、借金返済をしてないから、私も逃げないとやばい。
…そんな時、借金取りにきた私を買ってくれたのは。
ヤクザの若頭でした。
*この話はフィクションです
現実ではあり得ませんが、物語の過程としてむちゃくちゃしてます
ツッコミたくてイラつく人はお帰りください
またこの話を鵜呑みにする読者がいたとしても私は一切の責任を負いませんのでご了承ください*
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
王女、騎士と結婚させられイかされまくる
ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。
性描写激しめですが、甘々の溺愛です。
※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
【完結】堕ちた令嬢
マー子
恋愛
・R18・無理矢理?・監禁×孕ませ
・ハピエン
※レイプや陵辱などの表現があります!苦手な方は御遠慮下さい。
〜ストーリー〜
裕福ではないが、父と母と私の三人平凡で幸せな日々を過ごしていた。
素敵な婚約者もいて、学園を卒業したらすぐに結婚するはずだった。
それなのに、どうしてこんな事になってしまったんだろう⋯?
◇人物の表現が『彼』『彼女』『ヤツ』などで、殆ど名前が出てきません。なるべく表現する人は統一してますが、途中分からなくても多分コイツだろう?と温かい目で見守って下さい。
◇後半やっと彼の目的が分かります。
◇切ないけれど、ハッピーエンドを目指しました。
◇全8話+その後で完結
悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~
一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、
快楽漬けの日々を過ごすことになる!
そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
【R18】不埒な聖女は清廉な王太子に抱かれたい
瀬月 ゆな
恋愛
「……参ったな」
二人だけの巡礼の旅がはじまった日の夜、何かの手違いか宿が一部屋しか取れておらずに困った様子を見せる王太子レオナルドの姿を、聖女フランチェスカは笑みを堪えながら眺めていた。
神殿から彼女が命じられたのは「一晩だけ、王太子と部屋を共に過ごすこと」だけだけれど、ずっと胸に秘めていた願いを成就させる絶好の機会だと思ったのだ。
疲れをいやす薬湯だと偽って違法の薬を飲ませ、少年の姿へ変わって行くレオナルドの両手首をベッドに縛りつける。
そして目覚めたレオナルドの前でガウンを脱ぎ捨て、一晩だけの寵が欲しいとお願いするのだけれど――。
☆ムーンライトノベルズ様にて月見酒の集い様主催による「ひとつ屋根の下企画」参加作品となります。
ヒーローが謎の都合の良い薬で肉体年齢だけ五歳ほど若返りますが、実年齢は二十歳のままです。
義兄様に弄ばれる私は溺愛され、その愛に堕ちる
一ノ瀬 彩音
恋愛
国王である義兄様に弄ばれる悪役令嬢の私は彼に溺れていく。
そして彼から与えられる快楽と愛情で心も身体も満たされていく……。
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる