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第三章

14 企み

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 ローザを宮へ送ってやってからというもの、彼女は時折アマリールの宮へ訪れるようになった。
 しかし訪れると言っても正式な訪問ではない。
 誰にも見つからないように宮の外からアマリールが出てくるのを待っているのだ。
 そしてその姿を見つけると

 「お姉様!」

 そう言って満面の笑顔で走ってくる。

 「まあ、ローザ様!今日も内緒で抜け出して来られたのですか?」

 ローザは“えへへ”と少しバツの悪そうな顔で笑う。
 皇宮内での教育は彼女にとって苦痛なようだった。それと言うのも毎日着飾り男の目を引く事に夢中だった母親が、ローザにろくな教育を受けさせて来なかった事が原因だ。
 教育にかける金が惜しかったのだろう。
 ローザの父親である今は亡きヴァロー伯爵が、娘の将来のためにと遺してくれた金銭はすべて、母親のシェリダンが夜毎開かれる夜会の支度のために使い込んだようだった。
 ローザは会うたびに少しずつ今までの生活を話してくれたが、アマリールはそれを聞くたびに胸が痛んだ。
 
 「では今日は一緒に本を読みましょうか。」

 「本当に!?嬉しい!!」

 大きな目がキラキラと輝く。
 ローザは優しいアマリールの側にいるのが何よりも幸せだった。
 皇宮に入るなりつけられた何人もの教師と違ってアマリールは自分に何も押し付けたりしない。
 隣同士に座ってたくさんの事をまるでおとぎ話を聞かせてくれるように面白おかしく教えてくれる。
 相変わらず皇宮内での自分の境遇は変わらなかった。しかしローザにとって一番大切なのはこの時間で、アマリールと過ごすこの一時さえあればそんな事は何も気にならなかった。


 *


 「最近……あいつがよく来ているらしいな。」

 政務が終わってからやって来たルーベルの顔はあからさまに不機嫌そうだ。
 一体誰から聞いたのだろうかと不思議に思ったが、心配性な彼の事だ。おそらく私の事は逐一報告するよう周りに言いつけているのだろう。

 「いけませんでしたか?でも一緒に本を読んだりお喋りしているだけですよ。」

 しかしルーベルの眉間の皺は更に深くなる。

 「……もしかして父上に何か言われたのか。」

 「……まあ少し……でもそれとは関係ありません。」

 「じゃあ何故だ?何故あれに構う?」

 「……トリシア様の皇女様達が……あとその周りの方々もですが、あまりに酷いなさりようだったので……とても見ていられませんでした。」

 アマリールの言葉にルーベルは深い溜め息をついた。
 
 「頼むからお前は関わるな。」

 「どうしてですか?特に私は何も……ただこの宮に逃げて来られた時にお相手をしているだけです。」

 「あの子がどうこうという訳ではない。あの母親だ。あの母親の周辺は怪しすぎる。だから関わるな。」

 「シェリダン様が……?」

 ろくな後ろ盾も持たぬ寡婦であった彼女が、切れ者の彼を危惧させるほどのどんな力を持っているというのか。

 「ローランから姉上に縁談が来た。」

 「ローランから……!」

 アマリールは息を呑んだ。
 ついにクロエ様が嫁ぐ日がやってくる……。
 いつも自分を導き守ってくれたクロエ様。
 実の姉のように慕っている彼女がいなくなる事に胸は痛むが、これは過去二度の生でもそうだった事で必然な事のはず。
 それなのに何故彼はこんな苦々しい顔をしているのか。 

 「その窓口に立っているのがアーデン伯爵だ。」

 「アーデン伯爵……」

 「そうだ。あの日第三皇妃を連れてきたあの男だ。この話には何か裏がある。だから頼むアマリール。ローザには関わるな。」

 クロエはルーベルにとっても大切な姉だ。
 その表情には不安の色が見え隠れしている。

 「わかりました。ローザ様には必要以上に関わらないとお約束します。けれどつらい目に遭われた時は許してやって下さい。だって……私にはこの皇宮に殿下がいてくれる。だからこそどんな事があってもやって来れました。でもローザ様には誰もいないのです。」

 そう。彼女には誰もいない。実の母親ですら彼女を見ていない。
 人は人が作るもの。このままではローザはまた歪んでしまう。
 アマリールはソファにもたれ掛かるようにして座るルーベルの横に座り、疲れた様子の彼の
手を自分の膝の上に乗せて両手でやさしく擦った。

 「親を選ぶ事はできません……そしてローザ様とシェリダン様は別の人間です。だから……」

 だから何とか違う人生を歩んで貰いたい。
 そしてそれが自分とルーベルの幸せにも繋がる。アマリールはそう考えていた。
 だがルーベルはそれを否定しないまでも優しく諭すように言った。

 「アマリール……違う人間だからと言って良い人間であるとは限らない。反動は必ず希望を寄せた自分自身に返ってくる。」

 「でも殿下は……殿下は陛下とはまったく違うでしょう?そして殿下はとても良い人間だわ。私はそんな殿下が大好き……。」

 すると今度は困ったような溜め息を鼻でして、ルーベルはアマリールを抱き寄せた。

 「俺だってお前以外には良い人間なんかじゃない。ていうかお前にとっても良い人間じゃないだろうが。」

 「そんな事ありません。殿下はとても優しくて愛情深い人だわ。」

 「……それはお前の惚れた欲目というやつだ。」

 「……凄い自信ですね……。」

 「何だ。違うのか。」

 「いえ、違いませんけど。」

 何だか不満げな仏頂面が目の前でじーっと見てくるから、耐えられずにアマリールは吹き出した。

 「うふふ……ふふっ!殿下ったらもう!そんな顔で見ないで。」

 「そんな顔と言われても元からこんな顔だ。嫌なのか。」

 嫌な訳ない事くらいよく知っているだろうに。
 (やっぱり殿下はいつの世でも天邪鬼だわ……でもとっても可愛い天邪鬼。)

 「どんな顔も殿下なら大好き。……心配させてごめんなさい殿下。ですがやはりローザ様の事は見て見ぬ振りが出来ません。でも決して表立って味方になるような事はしないと約束します。」

 真剣な顔で訴えるアマリールにルーベルは再び顔をしかめたが、最後は諦めたように“わかった”とだけ言った。

 「……殿下、最近は眠れていますか?」

 目の下の隈は相変わらずだ。
 こうやって私の宮を夜訪れるのも久しぶりの事。きっと夜遅くまで執務室へこもり、寝る直前まで政務をこなしているのだろう。
 (……こんなに毎日殿下が頑張っているのに陛下は相変わらずシェリダン様の宮に入り浸っている……)
 過去もこれほどまでに陛下はシェリダン様にのめり込んでいたのだろうか。
 (私本当に何も知らなさすぎだわ……)
 しかし今更悔やんだところでどうしようもない。自分には今出来る最善を尽くすしかないのだ。
 でも今自分に出来る最善はたった一つだと思い、アマリールはそれを実行する事にした。

 「殿下、今日は一緒に眠りませんか?」

 「何だ、誘ってるのか?」

 口調はいつも通りぶっきらぼうだが目は驚きで見開かれている。
 アマリールはわかりやすいその様子にまた笑う。

 「違います。殿下は私と一緒にいるとよく眠れるってタミヤが教えてくれたんです。」

 「……お前、俺だって男だぞ。何かあってもいいのか?」

 アマリールを抱くルーベルの腕に力が込められる。
 しかしその腕は世界一安心できる場所なのはもうわかっている。

 「殿下は私が女になるまでちゃんと待って下さいます。だからこそ私もその日が待ち遠しいです。」

 「アマリール……」

 “待ち遠しい”
 初めて聞いたその言葉にルーベルは言葉を失ってしまった。
 自分と結ばれる日が待ち遠しいと。
 抱かれる日が待ち遠しいとアマリールはそう言ったのだ。
 ルーベルの身体の奥に小さな炎が灯る。

 「でも今はこの隈を消すのが先です。」

 ルーベルの目の下を人差し指でなぞりながらアマリールは微笑む。
 
 「……一緒にいてよく眠れるのはお前の方だろ?」

 ルーベルは目を逸らして悪態をつくが、次の瞬間アマリールを優しく抱きかかえ部屋の奥へと向かった。

 その夜、寝室からは遅くまでアマリールの可愛らしい笑い声が聞こえていた。



 **


 ルーベルとアマリールが眠りにつく頃、首都の外れに建つとある屋敷では、男達が煙草をくゆらせながら話し込んでいた。

 「うまくやったなアーデン卿。陛下はすっかりあの女に骨抜きにされているそうじゃないか。」

 アーデン卿と呼ばれた男は涼し気な目元を緩めず口元だけで笑う。

 「……まだまだ始まったばかり。油断は禁物ですよコンラッド卿。皇后並びにその子らは強固な一枚岩だ。周到に用意して砕かねば……。」

 「わかっているさ。まずはあの邪魔な皇女クロエだ。早々にローランへ嫁いで貰う。鉄の規制についてはもうローランと話は済んでいるのだろうな?」

 「ええ。既に手筈は整っております。あちらも帝国の威信にあやかりたくて必死だ。必ずや我らの期待通り動いてくれるでしょう。」

 「ふふ……公爵家などに降嫁されてはこちらの計画に支障が出る。早めにこの国から出て行ってもらおう。」

 その夜、日付が変わってもその屋敷の灯りが消える事は無かった……

 

 
 

 
 

 
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