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神谷 あずさ 3
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その頃、あずさの病室では、片野医師と日比野医師が訪れ、退院の話をしていた。
「…もう帰ってもいいんですか?」
ベッドの上のあずさは、不安そうな表情で片野医師を見つめた。
「…帰れることが嬉しくないのですか?」
片野医師の問い掛けに、あずさは下を向いて答えなかった。
「…神谷さん。」
日比野医師が、あずさにそっと近づき背中を優しく撫でた。
「…怖いの…。」
ぼそりと呟いたあずさの言葉を、日比野医師は聞き逃さなかった。
「…怖い?」
あずさは頷きながら涙を拭った。
「…これから自分がどうなっていくのか。お母さんとかにどんだけ迷惑を掛けるのか…。病院にいたほうが色々と安心できる。」
力なく途切れ途切れに話すあずさの言葉を聞いて、日比野医師は掛ける言葉が思い付かず、片野医師に助けを乞うように顔を見つめた。
それを見た片野医師は、ゆっくりあずさに近づき、屈んであずさと同じ目線の高さで話し掛けた。
「お気持ちは理解出来ます。ALSは、あなたの身体を蝕み、やがて歩くことも出来なくなってしまう。嘘をついても仕方がないことなので、正直に話します。昨夜ここにお邪魔して話したときは、お母さんがいたから本当の気持ちをさらけ出せなかったのですかな?」
片野医師の言葉に、あずさはゆっくり頷いた。
「…もう自殺なんてしない。お母さんに心配掛けたくないから。…でも、この病気が怖いものは怖い。お母さんに言っても困らせてしまうだけだから…。」
あずさはそう言うとゆっくり顔を上げて、潤んだ瞳で片野医師に問い掛けた。
「…私、いつ死ぬんですか?」
「…神谷さん…。」
直球な質問に、日比野医師は感情が込み上げて顔を背けた。しかし、片野医師は見つめるあずさの瞳から、焦点をずらすことなく見つめ続けた。
「…余命ですか。…平均は発症から二、三年。しかし、呼吸器の使用や投薬で十年以上先の可能性もあります。また、医学の進歩によって…。」
「…長くても十年か…。」
あずさは、片野医師の説明の途中で目を背けて呟いた。
片野医師は、十年という時間を長い年月のように話してしまったことに後悔した。あずさは、未だ十代で、十年後だって二十代半ばである。自分の年齢で見た十年とは、単純にその価値が違うなとすぐに理解した。
「…すみません。淡々と話す内容ではなかったですよね。」
「いいんです。私、片野先生のそういうとこ好きです。変に気を遣われても、後で真実がわかった時がショックですから。…でも、本当にこれからどうしていけばいいのか…、そればかりを考えちゃって…。」
日比野医師は、あずさの話を聞きながら、昨夜の母親の前での言動は演技だったのかと驚愕した。それと同時に、自分よりも周りのことを考えているあずさに感嘆した。
プルルルルルッ。
日比野医師が首から下げている仕事用の携帯が鳴り響いた。日比野医師は、あずさに一礼をして病室を出ていった。
二人きりになった病室。片野医師は、折り畳んでベッドに立て掛けてあったパイプ椅子を開き、腰を下ろした。
「…先生。仕事は大丈夫なんですか?」
「えぇ。今日午前中は非番ですから。神谷さん、あなたは強い子です。自分よりも周りの人の事を一番に考えている。頭が下がります。」
「…私、助けてくれた先生たちに酷いこと言っちゃって…。何で死なせてくれなかったんだって…。」
あずさは再び下を向いた。
「…自ら命を終わらせようという決意は、半端なものではないはずです。相当な覚悟があったはず。特にあなたのように周りの方々のことを考えられる方は…。」
「…自殺することも迷惑を掛けると思ったけど、この先…生き続けた方の迷惑の方が大きいんじゃないかって…。」
「神谷さん…。そんなことはあり得ませんよ。あなたを救った日比野先生も、あなたの気持ちは理解しています。今もあなたを心配して病室に様子を見に来てくれたじゃないですか。お母さんだけじゃなく、我々医者もあなたを全力でサポートしていきます。一緒に病気と闘いましょう!」
「…ありがとう…ございます。」
プルルルルルッ。
片野医師の仕事用の携帯が鳴り響いた。その音にあずさは顔を上げた。
「…非番ですのに…おかしいですね。」
「…先生。行ってください。…私、退院の準備しますから。」
あずさはニコリと笑った。その表情を見た片野医師は頷いて病室を出ていった。
廊下に出るなり、片野医師は着信を取った。
「はい、片野です。」
「あ、すみません、嬉野です。日比野先生から片野先生に連絡するように言われまして。今から救急で搬送されてくる患者さんですが、有縣勝蔵さんです。」
「…有縣さん…。分かりました、連絡ありがとうございます。今からそちらに向かいます。」
片野医師は通話を切ると、携帯を胸ポケットに戻して、早歩きで救急科へと向かった。
「…もう帰ってもいいんですか?」
ベッドの上のあずさは、不安そうな表情で片野医師を見つめた。
「…帰れることが嬉しくないのですか?」
片野医師の問い掛けに、あずさは下を向いて答えなかった。
「…神谷さん。」
日比野医師が、あずさにそっと近づき背中を優しく撫でた。
「…怖いの…。」
ぼそりと呟いたあずさの言葉を、日比野医師は聞き逃さなかった。
「…怖い?」
あずさは頷きながら涙を拭った。
「…これから自分がどうなっていくのか。お母さんとかにどんだけ迷惑を掛けるのか…。病院にいたほうが色々と安心できる。」
力なく途切れ途切れに話すあずさの言葉を聞いて、日比野医師は掛ける言葉が思い付かず、片野医師に助けを乞うように顔を見つめた。
それを見た片野医師は、ゆっくりあずさに近づき、屈んであずさと同じ目線の高さで話し掛けた。
「お気持ちは理解出来ます。ALSは、あなたの身体を蝕み、やがて歩くことも出来なくなってしまう。嘘をついても仕方がないことなので、正直に話します。昨夜ここにお邪魔して話したときは、お母さんがいたから本当の気持ちをさらけ出せなかったのですかな?」
片野医師の言葉に、あずさはゆっくり頷いた。
「…もう自殺なんてしない。お母さんに心配掛けたくないから。…でも、この病気が怖いものは怖い。お母さんに言っても困らせてしまうだけだから…。」
あずさはそう言うとゆっくり顔を上げて、潤んだ瞳で片野医師に問い掛けた。
「…私、いつ死ぬんですか?」
「…神谷さん…。」
直球な質問に、日比野医師は感情が込み上げて顔を背けた。しかし、片野医師は見つめるあずさの瞳から、焦点をずらすことなく見つめ続けた。
「…余命ですか。…平均は発症から二、三年。しかし、呼吸器の使用や投薬で十年以上先の可能性もあります。また、医学の進歩によって…。」
「…長くても十年か…。」
あずさは、片野医師の説明の途中で目を背けて呟いた。
片野医師は、十年という時間を長い年月のように話してしまったことに後悔した。あずさは、未だ十代で、十年後だって二十代半ばである。自分の年齢で見た十年とは、単純にその価値が違うなとすぐに理解した。
「…すみません。淡々と話す内容ではなかったですよね。」
「いいんです。私、片野先生のそういうとこ好きです。変に気を遣われても、後で真実がわかった時がショックですから。…でも、本当にこれからどうしていけばいいのか…、そればかりを考えちゃって…。」
日比野医師は、あずさの話を聞きながら、昨夜の母親の前での言動は演技だったのかと驚愕した。それと同時に、自分よりも周りのことを考えているあずさに感嘆した。
プルルルルルッ。
日比野医師が首から下げている仕事用の携帯が鳴り響いた。日比野医師は、あずさに一礼をして病室を出ていった。
二人きりになった病室。片野医師は、折り畳んでベッドに立て掛けてあったパイプ椅子を開き、腰を下ろした。
「…先生。仕事は大丈夫なんですか?」
「えぇ。今日午前中は非番ですから。神谷さん、あなたは強い子です。自分よりも周りの人の事を一番に考えている。頭が下がります。」
「…私、助けてくれた先生たちに酷いこと言っちゃって…。何で死なせてくれなかったんだって…。」
あずさは再び下を向いた。
「…自ら命を終わらせようという決意は、半端なものではないはずです。相当な覚悟があったはず。特にあなたのように周りの方々のことを考えられる方は…。」
「…自殺することも迷惑を掛けると思ったけど、この先…生き続けた方の迷惑の方が大きいんじゃないかって…。」
「神谷さん…。そんなことはあり得ませんよ。あなたを救った日比野先生も、あなたの気持ちは理解しています。今もあなたを心配して病室に様子を見に来てくれたじゃないですか。お母さんだけじゃなく、我々医者もあなたを全力でサポートしていきます。一緒に病気と闘いましょう!」
「…ありがとう…ございます。」
プルルルルルッ。
片野医師の仕事用の携帯が鳴り響いた。その音にあずさは顔を上げた。
「…非番ですのに…おかしいですね。」
「…先生。行ってください。…私、退院の準備しますから。」
あずさはニコリと笑った。その表情を見た片野医師は頷いて病室を出ていった。
廊下に出るなり、片野医師は着信を取った。
「はい、片野です。」
「あ、すみません、嬉野です。日比野先生から片野先生に連絡するように言われまして。今から救急で搬送されてくる患者さんですが、有縣勝蔵さんです。」
「…有縣さん…。分かりました、連絡ありがとうございます。今からそちらに向かいます。」
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