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第4章 離れて行く
第35話 走れ!!
しおりを挟むガシャガシャと乱暴にペダルを漕ぎ、俺は全速力で自転車を走らせる。仕事中であればここまでスピードを出す奴がいたら注意をするだろうが、今は自分が警察だとかそんなことを考える余裕などなかった。
「はあっ……はあっ……はあっ!」
俺は街や道を隅々まで見渡し、陽菜子らしき人物がいないか必死で目を凝らす。あれも違う。これも違う。陽菜子の自宅を目指しつつ、あいつがこの辺で彷徨っている可能性も踏まえて散策した。
外灯が少ない細道まで来ると、突然目の前に小さな影が飛び出してきた。
「うおっ!?」
反射的に急ブレーキをかけると、錆が擦れる音とタイヤの摩擦による盛大な音が響いた。目の前の影がビクッと目の前で姿勢を低くして固まる。
それは、一匹の黒猫だった。
「陽菜子!?」
期待に胸が鳴ると同時に思わず叫んだ。
しかし、黒猫は警戒の瞳を向けたかと思うとすぐに茂みの中へと逃げる。やや骨ばった体付きに、体格も大きかった。ただの野良猫だと気づいた俺は肩を下げる。
そこである不安が過った。
(もしも陽菜子が猫になってたら……俺はあいつだってわかるか?)
この街だけでも数えきれないほどの猫が存在する。その中でも黒猫を絞ったとしても、たった一人である陽菜子を探し当てることができるか……と焦りが浮かんだ。
初めてあいつを拾った時だって、陽菜子だなんて思いもしなかった。ジョギングをしていたら、偶然聞こえた猫の鳴き声が気になり、ただの公園へと足を踏み入れただけの俺。ベンチの下からも恐々と俺を見上げてきた陽菜子を思い出し俺は胸が締め付けられる。
もしも俺が気づかずに、あの公園へ行かなかったらあいつはどうなっていたのか。
見知らぬ誰かに拾われていただろうか。まだ寒い夜を一人で迎えていただろうか。野良猫に襲われたり、車にひかれたり。ましてや保健所に捕まったり。そんな怖い未来を想像し、俺はギリッと歯を食いしばる。
人間が猫になるなんて聞いたことがない。
きっと夢でも見ていた、なんて笑い飛ばせばすぐに納得もできるもの。
新たな病気か? 魔法か超能力? ケモ耳が生える薬とか開発されてんのか。人類は他の動物になるために進化でも遂げようとしてんのか。それとも退化でもしてるのか。
あらゆる可能性が浮かぶも、答えが出るわけがなかった。
「……陽菜子」
俺はあいつの名前を唱えると、再び足に力を入れて地面を蹴った。自転車をひたすら漕ぎ、俺は思考を巡らせる。
(何が何だかわけがわかんねえけど、俺があいつを拾ったことは事実だ)
陽菜子はずっと泣いていた。その声が聞こえた。確かに「助けて」と。誰かに助けを求めている思いを俺は感じた。
だから、きっと放っておけなかったんだ。
猫になった姿でも、何となく陽菜子と重ねていた俺。
風呂を嫌がったり、素直に甘えてきたり、鈍くさかったり。変なくしゃみをしたり。どこかでやっぱり陽菜子だってわかってたのかもしれない。
―――人間でも、猫でも陽菜子は変わらない。
俺は不安に染まりそうになった心を建て直し、息を吸い込んだ。
ようやく目的の街へと辿り着き、俺は裏道を抜けて陽菜子の家の前へとやってきた。無造作に自転車を止め、辺りを見渡す。
「陽菜子ー! 陽菜子!」
名前を大声で呼び、俺は家の周りを散策した。家の中の電気はやはりつかない。鍵も失くしたと言っていたから、家に入ることはできないはず。やはり外にいる可能性が考えられるのだが、陽菜子の姿は見当たらなかった。
「どこにいんだよ……。陽菜子ー!」
家屋周囲に気配はなく、俺は鬼沢神社のほうへ足を向けた。
住宅街からの僅かな光のおかげで薄っすらと神社の周囲は確認できた。俺はスマホのライトを使い、辺りを照らす。
「陽菜……あれ?」
もう一度呼ぶ前に、地面に何かが転がっていることに気づいた。俺はそれに近づき、ライトを照らして見慣れたものを捉える。
「俺の靴?」
嫌な汗が背筋を伝った。
俺は急いでその周囲をライトで照らす。また地面に何かが転がっており、それも俺の私物であるとわかった。冬に俺が愛用している黒のニット帽だ。
陽菜子が俺の衣装ケースを漁ったのはわかっていた。耳を隠すために帽子を借りたのだろう。しかし当の本人は不在。
一瞬、本当に猫になってしまったのではないか……と疑うが、片足だけの靴と帽子以外の衣は落ちていない。
こんな中途半端なものだけが転がっているなんて絶対おかしい。
「陽菜子! 近くにいないのか!? いたら返事をしろ!! 陽菜子ー!?」
俺の声だけが境内に反響し、返事は返ってこない。
近所を探すために住宅街へ出る神社の階段を駆け下りようとすると、向かいから眩しい光を照らされた。
思わず目を細めると、誰かが階段を昇りながら俺に懐中電灯を向けている。
「おや、あんた確か陽菜子ちゃんの……」
そう声をかけられ、光が俺から離れた。
相手を確認すると、年を取った女性が目を丸くして俺を見つめている。この人は確か、陽菜子の祖母の友人だ。名前は石渡という名字だったと思う。
わりと神社の近くに住んでおり、俺も何度か話をしたことがあった。
「こんな夜にどうしたんだい?」
「陽菜子! 陽菜子を見ませんでしたか!?」
俺は石渡さんに詰め寄った。
「おや、あんたも陽菜子ちゃんを探してるのか? 私も春江さんから陽菜子ちゃんの様子をたまに見てやってくれって頼まれていてね。でもここ最近は家に帰ってきている気配がなくて心配していたんだよ。てっきり友達かあんたの家に泊まってるもんかと思ってたんだが……」
春江とは、陽菜子の祖母の名前だ。
「ずっと俺ん家に泊まってたんです。今日夕方に帰ってきたらあいついなくなってて……。こっちに帰ってきたんじゃないかと思ってたんですが」
「電話は繋がらないのかい?」
「あいつ、スマホを失くしてるんですよ」
そう会話を続けていると、石渡さんは僅かに眉間に皺を寄せた。
「まさか……やっぱりあの声は空耳じゃなかったのかね……」
「空耳?」
石渡さんは真面目な表情になり口を開いた。
「何だか女の子の声が聞こえた気がしたんだけど、私はあんまり耳が良くなくてね。家族に確認しても誰も聞こえなかったというから気のせいだと思っていたんだが……」
嫌な予感が過り、俺は慎重に確認する。
「すみません、それは何時頃のことですか」
「確か、夕方の五時前ぐらいだったかね」
「他に声を聞いたという人は?」
「私意外にはいないよ。陽菜子ちゃん……やっぱり何かあったのかね」
石渡さんは不安げに呟いた。
俺は焦りが募るも、自分を落ち着かせようと心の中で宥める。
「他に何か気になることはありましたか」
「ああ、そういえばさっき通りすぎた人から妙なことを言われてね。この神社の前で芸能人の撮影でも行われてるのかって聞かれたんだよ」
「……撮影?」
石渡さんは首を傾げて続けた。
「カメラを持った男が、黒い外車を神社の前に停めていたらしくてね。確か何人かいたそうだよ。何してるのか聞いたら、撮影をするだか何だか言ってたらしくて……」
「男?」
「何でも猫耳をつけた女の子の写真を撮る……なんてよくわからないことを答えたって」
俺は目を見張り、心臓を鷲掴みされたような衝撃が走った。
「何だって!?」
思わず大きな声が上がり、石渡さんがビクッと跳ねる。冷静を一気に失くした俺は更に問い詰めた。
「どんな男達ですか!? 特徴は!?」
「いや、私は見ていないからよく……」
「目撃者は今どこにいますか!?」
「近所の寿司屋に入っていくのを見たけど……」
「寿司屋ってどこの!? 店の名前は!?」
血相を変えた俺の勢いに石渡さんが怯んだが、構う暇はない。猫耳の女というワードで完全に核心が突いてしまった。陽菜子の安否がもう保障できない。
我を忘れて必死で確認していると、さらに階段下から違う人物が現れた。
「陽太? お前こんなところにいたのか」
聞きなれた声に視線を下げれば、蓮が驚いたように目を瞬いていた。
「大きな声を出して何しているんだ。そちらの方は一体どちら様で……」
蓮が俺と石渡さんを交互に顔を比べ、状況に困惑している。何でこいつがこんなところにいるのか疑問に思ったが、そんなことは後だ。俺はすぐに思考を切り替え、蓮の傍に駆け寄り胸倉を掴んだ。
「蓮! 一生の頼みだ。俺に協力しろ」
「は? 何を……」
「陽菜子が拉致された可能性がある」
石渡さんには聞こえないよう、俺は蓮の耳元で囁いた。突拍子もない俺の言葉に蓮は眉を潜める。
「何だと?」
「目撃者からの情報は俺が取る。お前、大和に電話してこっちに来るよう伝えろ。車を持ってくるよう言え。お前は俺が戻ってくるまで待機」
「それはいいが……警察は?」
「警察はまだ呼ぶな」
陽菜子の体質のことを考えれば、警察沙汰になると後々面倒くさいことになるだろう。俺は必死で思考を巡らせ行動を計画した。俺の指示に蓮は意見することなく、すぐに頷く。詳しい状況説明は全部後に回す。蓮が大和へ電話する姿を確認し、俺は石渡さんの腕を掴み小柄な体を背負った。
「ええ! あんた一体何を……!」
「すみませんが、目撃者が入った寿司屋まで案内してください! 悪いけど急いでるんでおんぶして行きますよ!」
「それはいいけど、あんた重くないのかい?」
「まったく持って問題なし!!」
俺は一人の女性を背負い、階段を駆け下りると寿司屋を目指して全速力で走る。大和がこっちへ来る前に早いとこ情報を集めなくてはいけない。鼓動は加速し、俺は胸の内で冷静になるよう自分に言い聞かせた。
仕事を通して養ってきた犯罪に敏感な勘は、見事に的を射る。
俺は陽菜子の姿を思い浮かべ、心の中で溜め込んだ思いを訴えた。
(目を離した隙にいなくなってんじゃねーよ……馬鹿!!)
俺は街灯に光る道を全速力で駆け抜けた。
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