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さよなら、私の初恋の人

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週明け、とうとうハロルドとエドモンズ公爵令嬢レティシアとの顔合わせの日となった。

その日もリリシャはいつも通りに登城し、いつも通りに皆と挨拶を交わし、いつも通りにハロルドの自室へと向かった。

朝、侍従に起こされたハロルドが朝食を終えてもうそろそろ自室に戻ってくる頃合いだ。

リリシャが今朝自邸の庭から摘んできた芍薬を花瓶に活けていると案の定ハロルドが部屋に戻ってきた。

『よかった……侍従さん、ちゃんとあの服を用意してくれたのね』

あの服とはもちろん、今日の顔合わせのためにリリシャが選んだシャンブレーシャツにグレンチェックのベストとテーパードパンツである。
事前に侍従に頼んでおいたのだ。
週明けには必ずこの服を着せて欲しいと。

リリシャはホッとしながらハロルドに朝の挨拶をする。

「おはようございます、ハロルド様。今日はとてもよいお天気ですわね」

「おはようリリ。キレイな花だね」

ハロルドがリリシャが手にしている花を見てそう告げた。

『ふふふ…かかりましたわね、ハロルド様』

リリシャは花を目にしたハロルドがそう言ってくれるのを見越してこの花を持参したのだ。

「ありがとうございます。でも……私ったらついうっかりして……」

「うっかり?珍しいなリリシャがうっかりなんて、どうしたの?」

「それが……この芍薬と共に活けようと思っていたアルケミラモリスを摘んでくるのを忘れてしまいましたの」

「へ~、そっか残念だったね」

なんの気なしにといった態でそう言ったハロルドにリリシャは笑顔で告げる。

「……残念だったね、で終わらせるおつもりですか?」

「え?」

「私はこの芍薬には絶対アルケミラモリスを合わせようと楽しみにしていましたのに、それが出来なくなってしまったのですよ?」

「それが?」

リリシャは花瓶をハロルドに押し付けた。

「今、王宮の南側の庭園もちょうどアルケミラモリスが見頃を迎えておりますわ」

「だから?」

「もう!察しがお悪い!ハロルド様、魔法のお勉強だけでなく女の言葉から真意を汲み取る術も学ばねばいけませんわよ!」

「な、なんだよ藪から棒に……リリ、何が言いたい?」

「午前中の語学の授業の後で結構ですから庭園でアルケミラモリスを摘んできて頂けませんこと?」

「ん?俺が?……まぁいいけど…じゃあせっかくだから散歩がてらリリも一緒に行かないか?」

「私はご遠慮いたしますわ」

「どうして?」

「その時刻は侍女さんたちの読書感想会に参加しますの」

「例の異色の恋愛小説GGLか」

「GGLはファンタジー小説だと申し上げているでしょっ」

「まぁいいよ。そういう事なら俺が取ってきてあげるよ。そのアルケミストってやつを」

「アルケミラモリスですわ」

リリシャはにっこりと笑ってそう告げた。

上手くいった。
上手くハロルドを南の庭園へと誘導できた。

リリシャは徐にハロルドに近づいた。

「……またボタンをかけ違えていますわよ。いつまでもこのような事ではハロルド様が困るんですからね」

そういってかけ違えられているボタンを直す。
ハロルドはいつものようにさせるがままでリリシャに返す。

「別に困らない。こうやってリリがかけ直してくれるから」

その言葉を聞き、リリシャの胸がぎゅっと苦しくなる。

「……私だっていつまでも、いくらでも、ボタンくらいかけ直して差し上げたいですよ」

「リリ?」

リリシャはボタンをかけ直し、ぽんとお腹を優しくたたいてハロルドに告げる。

「はい出来ました。それじゃあハロルド様、アルケミラモリスをお願いしますわね」

「あ、ああ……」

「ふふふ」

リリシャは精いっぱい微笑んだ。

ハロルドは訝しげな顔をしつつ、今日予定されている授業へと向かって行った。

その背中をリリシャは黙って見送る。

思わず彼を引き止めてしまいそうになる自分を律して。


ハロルドが語学の授業を受けている時、リリシャはせっかく王宮に来ているのだからという王妃の計らいで淑女教育を受けている。

以前はハロルドと共に様々な授業を受けていたが、ハロルドのレベルについていけなくなったリリシャのために特別なカリキュラムが組まれたのである。

ハイレベルな一般教養に加え、刺繍、レース編み、ピアノレッスンetc……毎日何かしらの授業を受けさせて貰っていた。

今日は友好国の歴史の授業であった。
それが終わり、その後の予定もないリリシャは一人ハロルドの部屋で読書をしていた。

もちろん、読書感想会に参加するなんて嘘だ。
感想会は主に侍女たちのおやつタイムに開かれる。
リリシャはその時間によく侍女の支度部屋にお邪魔してGGL談議に花を咲かせるのだ。


「ふぅ……」

リリシャは読みかけの本を閉じてため息をく。
さっきからちっとも文字が頭に入って来ない。

ハロルドはもう南の庭園へと行ったのだろうか。

語学の授業はとっくに終わっている時刻である。

ハロルドはハチャメチャな性格だが約束を違えるようなことはしない。
アルケミラモリスを摘んでくると約束したのだから必ず庭園に向かうはずだ。

もう、レティシア嬢と対面したのだろうか。

兄王子や父王のように一目惚れをしたのだろうか。


『でもまさか、ご令嬢の顔だけ見てすぐに戻って来たりはしないわよね?』

それも無きにしも非ずで、リリシャは急にそわっとした。

どうする?すぐに戻って来たら叱りつけて庭園に連れ戻す?
それともまた別の日に日程を組み直す?
騙し討ちのような形となったことをハロルドは怒るはずだ。
それを宥めなくてはならないのだから、今日のところはレティシア嬢にはお引き取り願おうか……?

その場合はどうするべきか、リリシャは部屋をウロウロしながら考えた。


しかしそんな心配は徒労に終わる。
ハロルドはすぐに戻ってくるようなことはなく、それどろこか午餐の時間になっても戻っては来なかった。

侍従に確認したところ、レティシア嬢と王家の図書室へと入ったきりだそうだ。

そんなに長くほぼ初対面の令嬢と共に時間を過ごすなんて……。

『……なんだ……ハロルド様はレティシア嬢をお気に召したのね……』

とんだ肩透かしである。

リリシャはがっかりしている自分に自嘲した。

ハロルドの幸せを願っていながら、心のどこかではハロルドが知らない令嬢をいきなりは受け入れられないのではないかと思っていたのだ。

いつまでも変わらない想いに囚われているのは自分だけだった。

ハロルドはきっと今日、新たな一歩を踏み出したのだ。
自分の人生の伴侶となる人と出会えた、そんな転機を迎えたのだろう。

「私も変わらないと……」


ハロルドへの想いは今日を限りに捨ててしまおう。

いつまでも叶わない初恋にしがみついているわけにはいかないから。


「さよなら、私の初恋……」

リリシャはそっと目を閉じる。

瞼に浮かぶは屈託なく笑うハロルドの顔。

リリシャはもう一度つぶやいた。

「さよなら、私の初恋の人」



結局、夕方リリシャが帰宅する時刻となってもハロルドは戻っては来なかった。

そんなにレティシア嬢が気に入ったのかと、ハロルドの分かりやすい性格にもはや笑ってしまう。

いつまでもこうしていても仕方がないので、リリシャは帰ることにした。
いつものように停車場まで行き、王宮が手配してくれている馬車に乗り込もうとした時、同じように馬車に乗ろうとしている令嬢に気がついた。

「エドモンズ公爵令嬢……」

今日、ハロルドが顔合わせをした彼の筆頭婚約者候補であるエドモンズ公爵令嬢レティシアの姿を目にして、リリシャは思わず口に出してしまった。

「あら、あなたは……たしか、ブラウン男爵令嬢リリシャ様でしたわね?」

リリシャの声に気づいたレティシアがわざわざリリシャの元へと近寄ってきた。
リリシャは慌てて謝罪をする。

「申し訳ありません、エドモンズ公爵令嬢。不躾にご尊名をお呼びしただけでなくきちんと紹介も受けておりませんのに勝手にお声かけをするような形になってしまい……」

それに対しレティシアはさほど気分を害した様子もなく笑みを浮かべた。

「紹介……というのは違うかもしれませんが、お互いの友人であるハロルド殿下に免じて許されるのではないかしら?ふふ」

「あ、ありがとうございます」

格下の男爵家の娘の無礼を彼女は大丈夫だと言って笑ってくれた。
レティシア嬢の穏やかな人柄にリリシャはホッとした。

そんなリリシャにレティシア嬢は言う。

「殿下はもうお戻りになられましたか?私は殿下のご好意で王家所蔵の貴重な文献を沢山拝見出来ましたけれど、殿下は図書室から転移魔法でどこかに行ってしまわれて……」

「どこかに行ったっ!?……あ、ご、ごめんなさい」

レティシア嬢の口から聞かされた事に驚いたリリシャが思わず大きな声を出してしまう。
今日はマナー違反のオンパレードである。
だけど慌ててリリシャがまた謝罪すると、レティシア嬢は小さく首を横に振り、笑みを浮かべた。

「いいのよ。驚いて当然だわ。最初庭園で私と出会でくわした時も殿下はとても驚かれていたわ。そしてその後すぐに真顔になられ、私にこう仰ったの」


リリシャに行けと言われた庭園にエドモンズ公爵家の娘がいた事で全て察したらしいハロルドがレティシア嬢に、

「エドモンズ公爵令嬢、すまないが顔合わせはこの一度限りにして貰いたい」

と言ったそうだ。

自分には心に決めた人がいると。
その人以外の人間と人生を共にするつもりはないと、レティシア嬢に言ったそうだ。

「でも私も、じつはこの縁談を断ろうと思っておりましたの」

「ええっ!?」

思いがけないレティシア嬢の言葉にリリシャはまた大きな声を出してしまう。
だけどもうそれに構う余裕はなかった。

レティシア嬢は今なんと?
縁談を断ろうと思っていたとは?

頭が混乱して四苦八苦するリリシャを見て、レティシア嬢は手短で簡潔にだが事情を説明してくれた。

なんでもレティシア嬢には夢があるのだそうだ。

その夢とは小説家になることであり、兄たちや母を味方につけて、今必死に父親を説得しているのだとか。

元来娘に甘い父親だからいずれは認めてくれそうなのだが、公爵家としても慣例の顔合わせだけは無視できないと父親は言ったそうだ。

なので一度だけ、とりあえず一度だけでも王子と顔合わせをして、後は体調不良とでもなんでも理由を作って候補者辞退を願い出るからと、父親である公爵に懇願されたらしい。

そうして臨んだ顔合わせで開口一番に聞かされたハロルドの言葉は、レティシア嬢にとっては渡りに船であったという。

「殿下はこれから行く所があると仰って、埋め合わせとして王家の図書室の鍵を貸して下さいましたの。おかげで小説のネタになるような貴重な資料を閲覧し放題でしたわ……でも、禁書や王族以外閲覧禁止図書の部屋には入れて頂けませんでした……」

「は、はぁ……それは……残念でしたわね……」

驚き過ぎて、もはやリリシャはそんな間の抜けた返事しかできなくなっていた。

「ハロルド殿下にくれぐれもよろしく」と言い残し、レティシア嬢は馬車に乗り込み公爵家へと帰って行った。


「どういうこと……?レティシア嬢と一緒に居たのでなければ、それじゃあ…ハロルド様は一体どこに……?」

茫然自失となるリリシャが馬車の前に立ち尽くす。

馭者が心配そうにリリシャを見るも、それに曖昧に笑って返す以外の余裕はリリシャにはなかった。


そしてその時、今リリシャの頭の中をいっぱいにしている人物の声が聞こえた。


「リリ」


「っ………!」



「リリシャ」


「…………」



リリシャは呆然としながらゆっくりと振り返る。


するとそこには、

両手で持ちきれないほどのアルケミラモリスを抱えたハロルドが立っていた。





───────────────────────



ちなみにリリシャが読もうとしていた本はもちろんGGL。
タイトルは【あしたのジジー】だそうです。


ふぅ、次回最終話です。

ギリ、ショートショートの話数に収まった?
(゚ロ゚;))((;゚ロ゚)ドキドキ
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