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二人のお茶会
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「はい、よく出来ました。では今日はここまでにしましょう」
カロリーナが提出したノートを確認し終え、王妃が言った。
妃教育のために二時間きっちり経った頃合いだ。
「そういえば今日は一時間早く始まりましたね。だから終わるのも一時間早いのですか?」
カロリーナが訊ねると王妃は頷いた。
「そうなの。ライオネルが今日は早くお茶会を始めたいと煩かったから……ごめんなさいね、我儘な子で」
「とんでもないです。でも予定を早めるほどお忙しいなら無理にお茶会をされなくても……私はこれで失礼しますから、ライオネル様にご公務頑張ってくださいとお伝えくださいませ」
痩せて綺麗になるまではなるべく前に立たないようにしようと決めたのだ。
会わずに済むならそうしたい。
それに王城のパティシエのスイーツを見たら、ダイエットの決心が揺るぎそうだ。
しかし王妃はそれを却下した。
「あらダメよカロリーナ。もう準備は出来ているのよ。城の者の仕事を無駄にしてはいけないわ」
「あ!そうでした。私ったらみんなの苦労も考えず……ごめんなさい。罰として一週間、大好きなベーコンを絶ちます!」
「いやそこまでしなくていいのよ?お茶会に出れば問題ないのだから」
やんわりと茶会への出席を促す王妃に対し、これ以上ライオネルに会わずに帰るという選択肢は取れないカロリーナであった。
王妃の部屋を辞し、お茶会が開かれるサンルームに向かう。
案内のための侍女の後ろを歩きながら、カロリーナは小さく嘆息する。
ーーライオネル様の前に……立ちたくないなぁ。
いつもクリステル様を見ているライオネル様が私を見てガッカリさせてしまうのが申し訳ないわ。
まだ少しも痩せていないし……やっぱり今日はご挨拶だけして帰りましょう。
ライオネル様もその方がいいわ、きっと。
そんな事を考えているうちにサンルームへと着いてしまう。
侍女はここまでのようで、
「それではごゆるりとお楽しみください」と一礼して去って行った。
カロリーナは覚悟を決めてノックする。
そして扉を開けた瞬間………
「カロっ!!」
「ぶべっ」
ライオネルに抱きしめられ、硬い胸板に押し付けられて思わず変な声が出た。
ライオネルは何故か切羽詰まった様子でカロリーナをぎぅぎぅと抱きしめる。
「あぁ……カロだ、カロリーナだ……ようやく抱きしめる事が出来た」
「ライオネル様っ……く、苦しいですっ」
「はぁぁぁ……柔らかい、癒される……」
ライオネルはどうしたというのだ。
ハグなどのスキンシップはこれまでもあったがこんながっつり抱きしめられるのは始めてかもしれない。
「ライオネル様っ……?」
「カロ……可愛い……かわ…
ゴホンッ
カロリーナを堪能するライオネルにマーティンの大きな咳払いが釘を刺す。
「殿下」
「………」
それでもカロリーナを離さないライオネルにマーティンが言う。
「王妃様の影が見ているはずですよ」
「チ、」
口惜しそうに舌打ちをしてようやく、ライオネルはカロリーナを解放した。
ふぅ、お胸が苦しかった。と思うカロリーナの手をライオネルが取った。
「待ってたぞカロ。さぁ座ろう」
「いえ……あの、私ちょっと用事が…「カロリーナの大好きな菓子ばかりを用意してもらったんだ」
「!!」
今日はもう帰ると告げようとしたカロリーナの言葉を、ライオネルの誘惑が遮った。
思わず目をやったテーブルにはババロアやサバラン、マドレーヌやクリームがたっぷり載ったマフィンや宝石のようなゼリーが所狭しと並んでいる。
しかしカロリーナは鉄の心で抵抗する。
「くっ……で、でも私、今日は…「口直しにローストビーフもあるぞ」
「!!!」
確かにサイドテーブルには調理長自慢のお口の中で蕩ける柔らかローストビーフが用意されていた。
それでもカロリーナはマシュマロになりかけのアイアンハートで頑張った。
「いえっ私っ…「東方の国よりお取り寄せした号剛一の肉饅頭もある。カロの大好物じゃなかったか?」
「大好きです♡」
「良かった、一緒に食べよう」
「はい!」
アイアンハート、肉饅頭に負ける。
いやアイアンハートが肉饅頭ハートになった瞬間であった。
そしてさっそく美味しいスイーツや肉饅頭を堪能する。
ーーもう、私のバカ。結局醜態をライオネル様の前に晒して……でも美味しい♡でも罪悪感が……でも美味しい♡でも罪悪感が……
甘いものと塩っぱいものの無限ループと幸福と後悔の無限ループがカロリーナを苦しめる。
ーーそれにしても……
カロリーナはイチゴのババロアを口に含みながらライオネルをチラリと見た。
「……!」
微笑ましげな表情でこちらを見ているライオネルにカロリーナの心臓が跳ね上がった。
ライオネルは一心不乱に食べるカロリーナを昔から変わらぬ優しい眼差しで見守ってくれている。
クリステルと出会う前なら幼い頃から習慣でカロリーナをそんな眼差して見つめてくれるのもわかる。
だけど学園で理想の女性と出会ったライオネルがなぜまだこの残念な婚約者にこんな眼差しを向けてくれているのかがわからない。
カロリーナはお飲み物と化したローストビーフを嚥下した後ライオネルに訊ねてみた。
「あのぅ……ライオネル様……」
「うん?どうしたカロ」
「なぜそんなに私ばかりを見ているんですか……?」
「決まってる。食べてるカロが可愛いからだ」
「か、可愛い……?悍ましいじゃなくて?」
「おぞっ……?俺の可愛いカロリーナが悍ましいわけがないだろう……?」
ライオネルは昔からカロリーナの事を可愛いと言ってくれる。
それを間に受けてきたわけではないが、今ではそれは婚約者に対するリップサービスなのではないだろうかと、カロリーナは思ってしまうのだ。
「わ、私はこんな見た目ですし……」
「何を言う?カロリーナはこの世で一番可愛い。もう全身、それに中身も全てが可愛い俺の婚約者だ」
「で、でも……」
「ん?カロ、なんだ?何をそんなに気にしている?思った事はなんでも話してくれ。解決出来る問題なら二人で解決してゆこう。そうでないのなら王家の権力を使って無理やr………カロリーナ……?」
「え?」
瞬間、カロリーナの中で何かが弾けたような感覚がした。
目の前のライオネルの目がどんどん見開いてゆく。
「ライオネル様?」
「っ~~~……カロが消えたっ!?そん…バカなっ!!カロっ!カロリーナっ!!」
ライオネルが慌てて椅子から立ち上がり、騒ぎ出す。
ーーど、どういう事?私は変わらず目の前にいるのだけど……
呆然とするカロリーナの姿は全く見えていないらしいライオネルがサンルームの一画に控えていたマーティンを呼ぶ。
「マーティンっ!!カロが目の前で消えたっ!お前、何か知らないかっ!?」
「い、いえっ……俺も一瞬の事で……まったくわけがわからず……!」
どうやら二人にはカロリーナの姿が見えていないらしい。
さっきまでは普通だったのに……。
そこでカロリーナは弟ジェイミーが言っていた“おまじない”を思い出した。
ジェイミーはカロリーナの隠密行動を助けるまじないを掛けると言っていた。
確かに姿が消えたように見えなくなるのはそうなのだろうけど……。
ーーこれはジェイミーの悪戯ね。
カロリーナはそう思った。でも有り難いからこのまま帰らせて貰おう。
まだ残るスイーツや料理に未練はあるけれど、これ以上食べたらますます太り、ますますライオネルの理想の女性からかけ離れてゆく。
ーーこれ以上がっかりさせたくないもの。
カロリーナが突然消えたと城内の暗部に緊急招集をかけるようにと指示を出し、右往左往するライオネルを横目に、
カロリーナは部屋に備え付けられているライティングテーブルで[暇つぶしに練習した魔術の効果が今頃現れただけなので心配しないでください。今日はこのまま帰ります]という置き手紙を残しサンルームを出た。
魔術の練習などと嘘も方便だが、ジェイミーが城を騒がせたとお叱りを受けるのは絶対に避けたい。
透明人間になったカロリーナはそのままてくてくと城の中を歩いて行った。
そしてワトソン伯爵家の馬車の前まで辿り着く頃にはジェイミーのおまじないは消え、いつものカロリーナに戻っていた。
そうして馬車に乗り帰ってきたカロリーナをジェイミーがしたり顔で出迎えた。
「おかえり姉さん。殿下の奴、驚いていただろう」
カロリーナは侍女のエッダに持っていたレティキュールを渡しながら弟に言う。
「もう大変な騒ぎになったわよ。どうしてあのおまじないを私にかけたの?」
「だって姉さん、ホントは殿下とお茶会なんてしたくなかったんだろ?」
「え?えぇ……まぁ、せめて痩せるまではあまり接しない方が良いと思って……」
「姿が消えたから何食わぬ顔で帰って来れた、違う?」
「違わないわ。やっぱりすごいわジェイミー。帰ることを想定しておまじないを掛けてくれるなんて!」
「はは」
姉は素直に“おまじない”と信じているが、
あれはじつは極めて短時間だけ効果を示す『認識阻害魔術』を掛けたに過ぎない。
学生が練習の為に使用が許可されている10分程度のもの。
発動条件は「カロ」という言葉。
王城にカロリーナの事を「カロ」と呼ぶのはライオネルしかいない。
(国王や王太子は“カロたんと呼ぶ)
つまりライオネルと接触して彼が「カロ」と呼んだ瞬間から15分程度で術が発動するように仕込んだのだ。
これも学生が許されている使用範囲なので万が一バレても問題はない。
あのくそムカつく王子に大事な姉を堪能させてなるものか。
どうやら上手くいったらしい結果に、ジェイミーはほくそ笑んだ。
その後、さっさと浴室に入ったカロリーナの入浴中に心配したライオネルがワトソン伯爵家を訪れたが、姉はもう休みましたと告げて帰って貰ったという。
(ワトソン家では第二王子の権威など皆無か?)
◇◇◇
夜、エッダも既に就寝の挨拶をして下がった後、カロリーナは窓辺に座りぼんやりと考え事をしていた。
なんとなく今日のライオネルの様子が気になって眠れないのだ。
ーーライオネル様、今日はなんだかいつもと違う感じだったわ。
まるでカロリーナを求めていたかのような、そんな抱擁から始まり「可愛い」のオンパレード。
ーーどうしてあんなに可愛いと言ってくれたのかしら……
わ、私のこと、本当に可愛いと思ってくれているのかしら……
自分の頬が熱を帯びるのを感じる。
可愛いと、ライオネルはカロリーナを可愛いと思ってくれている。
ーーでもやっぱりおかしいわ。
だって食べてばかりの私を見て、どこが可愛いと思えるの?
そしてそこでカロリーナは気付いた。
ーーあ……
「可愛い」にもいろんな種類があるという事に。
ーーそうだわ、私だってジェイミーに対しては「可愛い」と思っていつも口にしているわ。
寝癖でピンと跳ねた頭も見て可愛いと言い、
祖父に対する悪戯が成功して悪い顔で笑う表情も可愛いと思う。
それはジェイミーが可愛い弟だから。
だからどんなジェイミーも可愛いと思うしそれを憚る口にする。
そうか。
ライオネルの「可愛い」は妹のような、昔から知る妹のようなカロリーナに対しての「可愛い」発言だったのか。
ーーそれを真に受けて恥ずかしいわ……
「クリステル様にはきっと、可愛いではなく綺麗だ、とか美しいと言っておられるのでしょうね……」
仕方ない。
こんなにみっともない自分では仕方ない。
カロリーナは膝を抱えてうずくまった。
しかしカロリーナの長所は、
大概の事は寝て起きたらけろりとしているところである。
昨夜はライオネルの理想の女性であるクリステルと自分を比べて現実の厳しさに打ち拉がれていたが、
起きて目が覚めれば前向きな自分になれるのだ。
……まぁカロリーナの場合は斜め前を向いた前向き思考だが。
「くよくよしていても仕方がないわ!今日からまた気持ちを入れ替えてライオネル様の前から消えるように努めましょう!そして絶対に痩せるんだから!」
カロリーナが提出したノートを確認し終え、王妃が言った。
妃教育のために二時間きっちり経った頃合いだ。
「そういえば今日は一時間早く始まりましたね。だから終わるのも一時間早いのですか?」
カロリーナが訊ねると王妃は頷いた。
「そうなの。ライオネルが今日は早くお茶会を始めたいと煩かったから……ごめんなさいね、我儘な子で」
「とんでもないです。でも予定を早めるほどお忙しいなら無理にお茶会をされなくても……私はこれで失礼しますから、ライオネル様にご公務頑張ってくださいとお伝えくださいませ」
痩せて綺麗になるまではなるべく前に立たないようにしようと決めたのだ。
会わずに済むならそうしたい。
それに王城のパティシエのスイーツを見たら、ダイエットの決心が揺るぎそうだ。
しかし王妃はそれを却下した。
「あらダメよカロリーナ。もう準備は出来ているのよ。城の者の仕事を無駄にしてはいけないわ」
「あ!そうでした。私ったらみんなの苦労も考えず……ごめんなさい。罰として一週間、大好きなベーコンを絶ちます!」
「いやそこまでしなくていいのよ?お茶会に出れば問題ないのだから」
やんわりと茶会への出席を促す王妃に対し、これ以上ライオネルに会わずに帰るという選択肢は取れないカロリーナであった。
王妃の部屋を辞し、お茶会が開かれるサンルームに向かう。
案内のための侍女の後ろを歩きながら、カロリーナは小さく嘆息する。
ーーライオネル様の前に……立ちたくないなぁ。
いつもクリステル様を見ているライオネル様が私を見てガッカリさせてしまうのが申し訳ないわ。
まだ少しも痩せていないし……やっぱり今日はご挨拶だけして帰りましょう。
ライオネル様もその方がいいわ、きっと。
そんな事を考えているうちにサンルームへと着いてしまう。
侍女はここまでのようで、
「それではごゆるりとお楽しみください」と一礼して去って行った。
カロリーナは覚悟を決めてノックする。
そして扉を開けた瞬間………
「カロっ!!」
「ぶべっ」
ライオネルに抱きしめられ、硬い胸板に押し付けられて思わず変な声が出た。
ライオネルは何故か切羽詰まった様子でカロリーナをぎぅぎぅと抱きしめる。
「あぁ……カロだ、カロリーナだ……ようやく抱きしめる事が出来た」
「ライオネル様っ……く、苦しいですっ」
「はぁぁぁ……柔らかい、癒される……」
ライオネルはどうしたというのだ。
ハグなどのスキンシップはこれまでもあったがこんながっつり抱きしめられるのは始めてかもしれない。
「ライオネル様っ……?」
「カロ……可愛い……かわ…
ゴホンッ
カロリーナを堪能するライオネルにマーティンの大きな咳払いが釘を刺す。
「殿下」
「………」
それでもカロリーナを離さないライオネルにマーティンが言う。
「王妃様の影が見ているはずですよ」
「チ、」
口惜しそうに舌打ちをしてようやく、ライオネルはカロリーナを解放した。
ふぅ、お胸が苦しかった。と思うカロリーナの手をライオネルが取った。
「待ってたぞカロ。さぁ座ろう」
「いえ……あの、私ちょっと用事が…「カロリーナの大好きな菓子ばかりを用意してもらったんだ」
「!!」
今日はもう帰ると告げようとしたカロリーナの言葉を、ライオネルの誘惑が遮った。
思わず目をやったテーブルにはババロアやサバラン、マドレーヌやクリームがたっぷり載ったマフィンや宝石のようなゼリーが所狭しと並んでいる。
しかしカロリーナは鉄の心で抵抗する。
「くっ……で、でも私、今日は…「口直しにローストビーフもあるぞ」
「!!!」
確かにサイドテーブルには調理長自慢のお口の中で蕩ける柔らかローストビーフが用意されていた。
それでもカロリーナはマシュマロになりかけのアイアンハートで頑張った。
「いえっ私っ…「東方の国よりお取り寄せした号剛一の肉饅頭もある。カロの大好物じゃなかったか?」
「大好きです♡」
「良かった、一緒に食べよう」
「はい!」
アイアンハート、肉饅頭に負ける。
いやアイアンハートが肉饅頭ハートになった瞬間であった。
そしてさっそく美味しいスイーツや肉饅頭を堪能する。
ーーもう、私のバカ。結局醜態をライオネル様の前に晒して……でも美味しい♡でも罪悪感が……でも美味しい♡でも罪悪感が……
甘いものと塩っぱいものの無限ループと幸福と後悔の無限ループがカロリーナを苦しめる。
ーーそれにしても……
カロリーナはイチゴのババロアを口に含みながらライオネルをチラリと見た。
「……!」
微笑ましげな表情でこちらを見ているライオネルにカロリーナの心臓が跳ね上がった。
ライオネルは一心不乱に食べるカロリーナを昔から変わらぬ優しい眼差しで見守ってくれている。
クリステルと出会う前なら幼い頃から習慣でカロリーナをそんな眼差して見つめてくれるのもわかる。
だけど学園で理想の女性と出会ったライオネルがなぜまだこの残念な婚約者にこんな眼差しを向けてくれているのかがわからない。
カロリーナはお飲み物と化したローストビーフを嚥下した後ライオネルに訊ねてみた。
「あのぅ……ライオネル様……」
「うん?どうしたカロ」
「なぜそんなに私ばかりを見ているんですか……?」
「決まってる。食べてるカロが可愛いからだ」
「か、可愛い……?悍ましいじゃなくて?」
「おぞっ……?俺の可愛いカロリーナが悍ましいわけがないだろう……?」
ライオネルは昔からカロリーナの事を可愛いと言ってくれる。
それを間に受けてきたわけではないが、今ではそれは婚約者に対するリップサービスなのではないだろうかと、カロリーナは思ってしまうのだ。
「わ、私はこんな見た目ですし……」
「何を言う?カロリーナはこの世で一番可愛い。もう全身、それに中身も全てが可愛い俺の婚約者だ」
「で、でも……」
「ん?カロ、なんだ?何をそんなに気にしている?思った事はなんでも話してくれ。解決出来る問題なら二人で解決してゆこう。そうでないのなら王家の権力を使って無理やr………カロリーナ……?」
「え?」
瞬間、カロリーナの中で何かが弾けたような感覚がした。
目の前のライオネルの目がどんどん見開いてゆく。
「ライオネル様?」
「っ~~~……カロが消えたっ!?そん…バカなっ!!カロっ!カロリーナっ!!」
ライオネルが慌てて椅子から立ち上がり、騒ぎ出す。
ーーど、どういう事?私は変わらず目の前にいるのだけど……
呆然とするカロリーナの姿は全く見えていないらしいライオネルがサンルームの一画に控えていたマーティンを呼ぶ。
「マーティンっ!!カロが目の前で消えたっ!お前、何か知らないかっ!?」
「い、いえっ……俺も一瞬の事で……まったくわけがわからず……!」
どうやら二人にはカロリーナの姿が見えていないらしい。
さっきまでは普通だったのに……。
そこでカロリーナは弟ジェイミーが言っていた“おまじない”を思い出した。
ジェイミーはカロリーナの隠密行動を助けるまじないを掛けると言っていた。
確かに姿が消えたように見えなくなるのはそうなのだろうけど……。
ーーこれはジェイミーの悪戯ね。
カロリーナはそう思った。でも有り難いからこのまま帰らせて貰おう。
まだ残るスイーツや料理に未練はあるけれど、これ以上食べたらますます太り、ますますライオネルの理想の女性からかけ離れてゆく。
ーーこれ以上がっかりさせたくないもの。
カロリーナが突然消えたと城内の暗部に緊急招集をかけるようにと指示を出し、右往左往するライオネルを横目に、
カロリーナは部屋に備え付けられているライティングテーブルで[暇つぶしに練習した魔術の効果が今頃現れただけなので心配しないでください。今日はこのまま帰ります]という置き手紙を残しサンルームを出た。
魔術の練習などと嘘も方便だが、ジェイミーが城を騒がせたとお叱りを受けるのは絶対に避けたい。
透明人間になったカロリーナはそのままてくてくと城の中を歩いて行った。
そしてワトソン伯爵家の馬車の前まで辿り着く頃にはジェイミーのおまじないは消え、いつものカロリーナに戻っていた。
そうして馬車に乗り帰ってきたカロリーナをジェイミーがしたり顔で出迎えた。
「おかえり姉さん。殿下の奴、驚いていただろう」
カロリーナは侍女のエッダに持っていたレティキュールを渡しながら弟に言う。
「もう大変な騒ぎになったわよ。どうしてあのおまじないを私にかけたの?」
「だって姉さん、ホントは殿下とお茶会なんてしたくなかったんだろ?」
「え?えぇ……まぁ、せめて痩せるまではあまり接しない方が良いと思って……」
「姿が消えたから何食わぬ顔で帰って来れた、違う?」
「違わないわ。やっぱりすごいわジェイミー。帰ることを想定しておまじないを掛けてくれるなんて!」
「はは」
姉は素直に“おまじない”と信じているが、
あれはじつは極めて短時間だけ効果を示す『認識阻害魔術』を掛けたに過ぎない。
学生が練習の為に使用が許可されている10分程度のもの。
発動条件は「カロ」という言葉。
王城にカロリーナの事を「カロ」と呼ぶのはライオネルしかいない。
(国王や王太子は“カロたんと呼ぶ)
つまりライオネルと接触して彼が「カロ」と呼んだ瞬間から15分程度で術が発動するように仕込んだのだ。
これも学生が許されている使用範囲なので万が一バレても問題はない。
あのくそムカつく王子に大事な姉を堪能させてなるものか。
どうやら上手くいったらしい結果に、ジェイミーはほくそ笑んだ。
その後、さっさと浴室に入ったカロリーナの入浴中に心配したライオネルがワトソン伯爵家を訪れたが、姉はもう休みましたと告げて帰って貰ったという。
(ワトソン家では第二王子の権威など皆無か?)
◇◇◇
夜、エッダも既に就寝の挨拶をして下がった後、カロリーナは窓辺に座りぼんやりと考え事をしていた。
なんとなく今日のライオネルの様子が気になって眠れないのだ。
ーーライオネル様、今日はなんだかいつもと違う感じだったわ。
まるでカロリーナを求めていたかのような、そんな抱擁から始まり「可愛い」のオンパレード。
ーーどうしてあんなに可愛いと言ってくれたのかしら……
わ、私のこと、本当に可愛いと思ってくれているのかしら……
自分の頬が熱を帯びるのを感じる。
可愛いと、ライオネルはカロリーナを可愛いと思ってくれている。
ーーでもやっぱりおかしいわ。
だって食べてばかりの私を見て、どこが可愛いと思えるの?
そしてそこでカロリーナは気付いた。
ーーあ……
「可愛い」にもいろんな種類があるという事に。
ーーそうだわ、私だってジェイミーに対しては「可愛い」と思っていつも口にしているわ。
寝癖でピンと跳ねた頭も見て可愛いと言い、
祖父に対する悪戯が成功して悪い顔で笑う表情も可愛いと思う。
それはジェイミーが可愛い弟だから。
だからどんなジェイミーも可愛いと思うしそれを憚る口にする。
そうか。
ライオネルの「可愛い」は妹のような、昔から知る妹のようなカロリーナに対しての「可愛い」発言だったのか。
ーーそれを真に受けて恥ずかしいわ……
「クリステル様にはきっと、可愛いではなく綺麗だ、とか美しいと言っておられるのでしょうね……」
仕方ない。
こんなにみっともない自分では仕方ない。
カロリーナは膝を抱えてうずくまった。
しかしカロリーナの長所は、
大概の事は寝て起きたらけろりとしているところである。
昨夜はライオネルの理想の女性であるクリステルと自分を比べて現実の厳しさに打ち拉がれていたが、
起きて目が覚めれば前向きな自分になれるのだ。
……まぁカロリーナの場合は斜め前を向いた前向き思考だが。
「くよくよしていても仕方がないわ!今日からまた気持ちを入れ替えてライオネル様の前から消えるように努めましょう!そして絶対に痩せるんだから!」
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