13 / 44
とある夫婦⑩ 呪いをかけられた妻
しおりを挟む
「ライリー、脱いだ靴下をそのまま床に捨てるのはやめてって言ったでしょう?」
「うーん……うん?あ、うん」
妻の小言なんて聞き飽きてる夫の生返事が耳に届いた。
机に齧り付いて書面に目線を落としている夫はホリーの方を見ようともしない。
別に嫌われているとかそういうのではない。
夫は仕事に没頭するとのめり込み過ぎて周りを一切顧みない人なのだ。
ホリーは嘆息して靴下を拾い上げながら夫の書斎をぐるりと見回した。
書き損じてクシャクシャに丸めて投げ捨てた紙屑や、脱ぎ散らかした服、
広げたまま放置されていた本や書類などが
床を埋め尽くしていた。
昨日、夫が納品に行っている間にと大掃除をしたばかりだというのに。
たった一晩でこの荒らされようだ。
昨夜運んだ夜食は手付かずのまま置き去りにされている。
この男が一人暮らしだったなら、きっと家中全てがごみ箱と化し、異臭を放ったりなんかして近所から苦情が寄せられるのだろう。
『やっぱりこの人を一瞬でも独りには出来ないわ……』
ホリーはこめかみに手を当てて本日二度目のため息を吐く。
その時に軽く貧血を起こした。
咄嗟に椅子の背を掴み、事なきを得る。
書面に齧り付きの夫ライリーには気付かれていない。
今朝は起きた時から鉛を流し込まれたような体の重さだった。
どうやら呪いは着々とホリーの体を蝕んでいるらしい。
ホリーは拾い上げた靴下や食される事の無かった夜食のトレイを持って、夫の書斎を後にした。
『夫の面倒を生涯ちゃんと見てくれる人を探さないと』
そう思いながらキッチンへ向かうホリーの脳裏には、あの日実家の父から聞かされた話が浮かんだ。
♢♢♢♢
「呪いっ……?」
話しがあるから一度帰って来て欲しいと実家から連絡があったのは今から数日前の事だった。
丁度半年前に結婚した夫のライリーが古書店に行くというので、その日に合わせて王都の公設市場にほど近い実家に帰った。
そこで昨年亡くなった祖父の遺品を整理していた時に見つけたという古い手紙を見せられたのだ。
故人とはいえ個人の私信を勝手に呼んでいいものか、と何故か韻を踏む様な言い方が頭に浮かびながらその手紙を読んだ。
そしてそこに書かれていた単語に反応する。
「呪いっ……?」
その手紙は、北の森に住む魔女からの怨みつらみがビッシリ書かれていた。
亡くなった祖父がその北の魔女の怨みを買ったようなのだ。
書かれている内容から祖父が40代後半、ホリーの父が10代前半の頃に送られてきた手紙だと推測出来る。
一体祖父がその魔女に何をして、呪いを貰う様な事になったのかは、手紙からは分からない。
既に生まれている息子は無理でも、これから生まれてくるであろうお前の孫に呪いを掛けてやる。
そして生まれた孫が女なら、その呪いで徐々に命を奪ってやろう……
と書いてあった事から相当な怨み様である。
“女”に拘るところから鑑みて痴情の縺れとか……
祖父は相当女性にだらし無い人だったそうだ。
生まれた孫の命……つまりホリーの命を奪うという事か。
祖父の子どもは父しかおらず、孫はホリーしかいないのだから。
徐々に命を奪うとあったが……徐々にとはいつ頃から?
しかし我が身に呪いを掛けられていると聞いても現実味がなく、今いちピンと来ない。
実家で一人暮らす父の顔はこれ以上ない程青褪めていたが。
「この手紙の内容が真実なのか、もし真実なら呪いを解く方法はないのか、お前に話す前に魔法省に勤める友人に調べて貰ったんだ……」
父がそこまで言ってから更に顔色を悪くした様子を見て、ホリーはコレを解呪する方法が無いと云う事を悟った。
「術者がとうに死んでいる限り、どうしようもないと言われ…た…よっ、何故親父はこんな大切な事を話してくれなかったんだっ……!」
父がとうとう泣き崩れた。
祖父は……忘れてたんだろうなぁ。
もしくは魔女の呪いなんて信じていなかったのか。
ホリーは自分の事よりも気弱な父がこれで体調を崩さないかと、そちらの方が心配になる。
魔女からの手紙にはこう書いてあった。
呪いに蝕まれ始めると、まずは五感が狂い出す。
味覚が狂い、臭覚もおかしくなる。
そしてそれにより視覚、聴覚にも異常を来す…と記されてあった。
それから体内に鉛を流し込まれたかのように身動きが出来なくなり、やがて……
しかしその続きは何も書かれていなかった。
「やがて、なんなのよ!」
ホリーは思わずツッコんだ。
呪いの末にどうなるのかを書かないなんて、なんという絶妙な嫌がらせか。
祖父よ、貴方はホントに何をしでかしたのか……
どうしよう……ライリーに相談した方がいいだろうか。
ライリーの専門は古代文字の翻訳だが、その分多くの文献を目にしている筈だ。
今、大きな仕事を抱えている夫の邪魔になるのは申し訳ないが、今夜にでも話してみよう、ホリーはそう思った。
が、その日の内にホリーの体に変化が見られた。
あの手紙にあった通りの体調になったのだ。
味覚も嗅覚もなんだかおかしい。何を食べても不味いのだ。
そして胸に鉛を流し込んだような胸苦しさもある。
父が手紙を見つけたのは運命の悪戯か虫の知らせか。
魔女の呪いを知ったとほぼ同時にその呪いが発動されたようであった。
呪いは発動したら最後、数週間の間にはその命が奪われるという。
解呪も出来ないのであれば本当にもうどうしようもないではないか。
ホリーはぎゅっと目を閉じた。
なんという事だ。
ライリーと結婚して、まだ半年しか経っていないというのに。
長く祖父の看病をして行き遅れの年になったホリーを、ライリーは見合いだったとはいえ是非にと妻に望んでくれた。
ライリーよりも三つも年上であったのに。
仕事中毒者で生活面は壊滅的にだらし無いライリー。
でも彼はいつも優しく、そしてホリーを大切にしてくれた。
ライリーの妻となって初めて、ホリーは女に生まれた喜びを知った。
そして愛される喜びも。
「どうしてホリーが居ない今までの人生を生きて来れたんだろう。僕はもう、きっとキミなしでは生きていけない」
そう言ってくれたライリーを遺していかねばならない事が、ホリーは身を切られるより辛かった。
何よりも彼の事が心配だった。
自分の代わりに彼の事を支えてくれる人を探さないと。
ライリーの身の周りの世話や、彼が仕事に集中出来るようなサポート、そして精神面でも支えになってくれる人が必要だ。
ホリーの残された時間があとどれくらいなのかはわからない。
身体は今でも酷く重く、悪心もある。
しかしホリーには休んでいる暇はなかった。
次の日、さっそく家政婦斡旋ギルドへと足を運ぶ。
ホリーの出した条件はこうだ。
まずは住み込みで働いてくれる人。
そして綺麗好きで料理上手な人。
だらし無い主人にも我慢強く対応出来る人。
優しくて穏やかでライリーを大切にしてくれる人。
そして出来るだけ若く、健康で長く勤めてくれそうな人。
その人が美人ならもう、申し分ない。
『そんな人間は家政婦にならずに誰かの妻として幸せに暮らしてるわ!』
と自分でも思うのだが、そんな人にライリーの面倒を見て貰いたいのだ。
そういう人なら、ライリーもすぐにその人を好きになって、ホリーの事なんて忘れてくれるだろうから。
出来ればその人もライリーの事が好きになって、
いずれ二人が結婚してくれたらどれだけいいか……。
妻になったのなら、辞められる心配もなくずっとライリーの側に居てくれるから……
ホリーはそう思った。
そう思ったと同時に胸がつきりと痛む。
でもその胸の痛みは呪いの所為にしておこう。
ホリーは今考えた理想の家政婦の条件をギルドに提出した。
時間がなく、直ぐにでも新しい人を見つけたいので完璧に条件に当てはまらなくても近しい人を紹介して欲しいという言葉を添えて……
そしたらなんと、それはもう運命だったのだろう。
ホリーの提示したその条件に近い人物に引き合わされた。
その女性の年齢は27歳。
夫に離縁されたばかりで、家政婦は未経験だというが、主婦をしていたのなら問題ない。
年もライリーよりも五つ年上だが、美人で若く見える人なので問題ないだろう。
酒と女とギャンブルと、スリーコンボ旦那との結婚生活を長く耐えられたような人なら、少々変わり者のライリーとも根気よく付き合ってくれそうだ。
優しそうな性格で物ごしも柔らかい。
そして勿論、住み込みで働けるという。
まさに完璧な人物が、ホリーの目の前にいた。
『この人がもしかしたらライリーの次の奥さん……』
いや、たかだか半年だけ妻だったホリーよりも、むしろこの女性の方がライリーの本当の妻なのではないかという気がしてきた。
ライリーがこの人と……
あの小さくも温かで心地のよい家で仲良く暮らして行くのか。
きっとライリーが脱ぎ散らかした服を拾い、キレイに洗濯をしてアイロンはパリっとかけてあげるのだろう。
そして好き嫌いなくなんでも食べるライリーの為にキッチンで美味しい食事を作って、二人でテーブルを囲むのだ。
時にはライリーの仕事がひと段落している日に、暖炉の前でホットワインを飲んで共に過ごす。
そしてライリーの大きく温かい手に触れられ、女としてこの上ない幸福を味わう……
ライリーがこの女性と暮らしてゆく風景がありありと思い浮かべられた。
ホリーはぎゅっと胸をおさえる。
いやだ。
本当はその場所は自分の場所だ。
誰にも渡したくない、誰にも…夫を、ライリーを渡したくない。
辛くて堪らない。
何故自分が呪いの為に死ななくてはならないのか、ライリーを一人遺して逝かねばならないのか。
ホリーは耐えがたい息苦しさを感じ、その瞬間血の気が引いていくのが分かった。
これも呪いの所為なのか……このまま自分はここで死ぬのだろうか。
最期にライリーにもう一度会いたい。
どうせ死ぬなら、彼の腕の中が良かった……
そこまで思って、ホリーの目の前が暗転した。
◇◇◇◇◇◇
次にホリーが目を覚まして、最初に目に飛び込んで来たのは見慣れぬ天井だった。
そして見知らぬ寝台の上。
「ここは……?」
自分がどうなったのか理解できず、ホリーは不安になった。
相変わらず酷い倦怠感を感じる事から、まだ死んでいないのは分かる。
直ぐそばで聞き慣れた声が聞こえた。
「あ、目が覚めた?」
「……ライリー……」
夫のライリーがホリーが寝ている寝台の横の椅子に座ってこちらを見ていた。
「家政婦ギルドで倒れたんだよ、覚えてない?」
「あ……そういえばそうだったわね……じゃあここは?」
「病院だよ。ギルドの人が運んでくれて僕の所に連絡をくれたんだ」
「そう……」
ホリーはライリーの顔をぼんやりと見つめた。
そしてやっぱり好きだなぁと脈絡もなく思う。
ライリーはホリーの手を握りながら言った。
「どうして家政婦ギルドなんかに?家事の負担を減らす為に?ごめんね…僕がだらし無い上に何もしないからだよね……」
ホリーよりも大きな体でしゅんとする夫の姿が可愛くて、ホリーは小さく微笑みながら答えた。
「貴方はお仕事を抱えていて大変でしょう?そんな事は気にしなくていいのよ……」
「でも、そうだね。ホリーの負担を減らす為にはこの際だから一人お手伝いさんを雇う?これからは出産と育児で大変になるだろうし」
「……………………………え?」
夫から出た言葉に、ホリーは固まる。
今、この人はなんて言ったの?
「出産……?育児……?」
まるで要領を得ない顔をするホリーを見て、ライリーは驚いた様子で言う。
「え?ホリー、気付いてなかったのっ?キミは妊娠してるんだって、ギルドで倒れたのは悪阻による貧血のためだって、さっき医療魔術師が言ってたよ」
「えっ!?ええっ!?」
そ、それは本当だろうか。
そういえば月のものが遅れているような気がする。
でも……それが本当なら……お腹の子は生まれ出る事なくホリーと共に天に召されてしまう。
その事が自分が死ぬことよりも何よりも悲しい。
ホリーの目から涙が溢れ出た。
突然泣き出したホリーに、ライリーは慌てて詰め寄る。
「ど、どうしたのホリーっ?どこか痛いのっ?それとも辛いの?」
「ライリー……心が辛いの……わたしは…呪いの所為でもうすぐ死ぬからっ…赤ちゃんを産んであげられないからっ……」
ホリーは堪えきれず嗚咽を漏らすほど大きな声で泣いてしまった。
ここ数日、気丈に振る舞っていたが、心は限界に達したようだ。
ライリーはベッドに座り、ホリーを抱き寄せて膝に乗せた。
そしてホリーが落ち着くように背中を摩ってくれる。
その手の温かさに更に泣けてくる。
そしてどうしようもなく愛おしかった。
ライリーが落ち着いた口調でホリーに言った。
「ごめんねホリー……キミは呪いの事に気付いてなさそうだったから、敢えて知らせなくていいと話さなかった俺が悪かったね」
「……どういう事……?」
「呪いは解呪してあるよ、見合いでキミと初めて会ったその日にね」
「えっ!?い、いつの間にっ!?」
「出会ったその日に僕はもう、キミをお嫁さんにしたくなっちゃったんだよね。まぁフラレるんだろうなぁと思ってたけど、でもキミの中に種のように眠ってる呪いを見つけて、会えるのはこれで最後かもしれないからと解呪しておいたんだ」
「で、でもでも魔法省の人が解呪は難しいって……」
「ん?そんな事はなかったよ?呪いを施した術者よりも強い魔力でなら払えるさ。キミにこっそり魔力を流して呪いを消したんだ」
「そ、そうだったの……?じゃあわたしと赤ちゃんは……?」
「何事も起きないよ。二人とも僕の側でシワくちゃになるまで長生きしてね」
「ライリーぃぃっ……!」
なんと…呪いはとっくに解かれていたとは……
びっくりして安心して嬉しくて、そして気が抜けて、なんだかまた泣けてきた。
そんなホリーをライリーは優しく抱きしめてくれる。
「ホリーありがとう。赤ちゃん、最高に嬉しいよ。僕、これからも頑張って稼いでキミと子どもを絶対に幸せにするからね」
「ありがとう。でも体を壊さないかが心配だから、今のままで充分よ……それよりも脱いだ靴下を脱衣籠に運んでくれる方が嬉しいわ」
「……ハイ、善処します」
「ふふ」
ホリーはこの後の事を色々と考えた。
まずは家政婦ギルドに迷惑をかけた事への謝罪とお礼を。
そして面接した女性に、住み込みではなく通いでの手伝いを頼めるか確認してみよう。
それから実家の父に、呪いは夫ライリーによって解呪されていた事と、もう一人家族が増えてお祖父ちゃんになる事を伝えたい。
でも……それよりも今はまず、
これからも変わらず愛する夫と暮らしてゆける喜びをしっかりと噛み締めたい。
お祖父さんに呪いをかけた北の森の魔女よ……
貴女には悪いが、わたしは生きる。
そして夫の望む通りにシワくちゃになるまで長生きするのだ。
ホリーはそう思った。
おわり
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
それにしてもホリーの祖父さま、
一体何をしてそんなに北の森の魔女を怒らせたのか……。
大迷惑な祖父さまでしたね……。
「うーん……うん?あ、うん」
妻の小言なんて聞き飽きてる夫の生返事が耳に届いた。
机に齧り付いて書面に目線を落としている夫はホリーの方を見ようともしない。
別に嫌われているとかそういうのではない。
夫は仕事に没頭するとのめり込み過ぎて周りを一切顧みない人なのだ。
ホリーは嘆息して靴下を拾い上げながら夫の書斎をぐるりと見回した。
書き損じてクシャクシャに丸めて投げ捨てた紙屑や、脱ぎ散らかした服、
広げたまま放置されていた本や書類などが
床を埋め尽くしていた。
昨日、夫が納品に行っている間にと大掃除をしたばかりだというのに。
たった一晩でこの荒らされようだ。
昨夜運んだ夜食は手付かずのまま置き去りにされている。
この男が一人暮らしだったなら、きっと家中全てがごみ箱と化し、異臭を放ったりなんかして近所から苦情が寄せられるのだろう。
『やっぱりこの人を一瞬でも独りには出来ないわ……』
ホリーはこめかみに手を当てて本日二度目のため息を吐く。
その時に軽く貧血を起こした。
咄嗟に椅子の背を掴み、事なきを得る。
書面に齧り付きの夫ライリーには気付かれていない。
今朝は起きた時から鉛を流し込まれたような体の重さだった。
どうやら呪いは着々とホリーの体を蝕んでいるらしい。
ホリーは拾い上げた靴下や食される事の無かった夜食のトレイを持って、夫の書斎を後にした。
『夫の面倒を生涯ちゃんと見てくれる人を探さないと』
そう思いながらキッチンへ向かうホリーの脳裏には、あの日実家の父から聞かされた話が浮かんだ。
♢♢♢♢
「呪いっ……?」
話しがあるから一度帰って来て欲しいと実家から連絡があったのは今から数日前の事だった。
丁度半年前に結婚した夫のライリーが古書店に行くというので、その日に合わせて王都の公設市場にほど近い実家に帰った。
そこで昨年亡くなった祖父の遺品を整理していた時に見つけたという古い手紙を見せられたのだ。
故人とはいえ個人の私信を勝手に呼んでいいものか、と何故か韻を踏む様な言い方が頭に浮かびながらその手紙を読んだ。
そしてそこに書かれていた単語に反応する。
「呪いっ……?」
その手紙は、北の森に住む魔女からの怨みつらみがビッシリ書かれていた。
亡くなった祖父がその北の魔女の怨みを買ったようなのだ。
書かれている内容から祖父が40代後半、ホリーの父が10代前半の頃に送られてきた手紙だと推測出来る。
一体祖父がその魔女に何をして、呪いを貰う様な事になったのかは、手紙からは分からない。
既に生まれている息子は無理でも、これから生まれてくるであろうお前の孫に呪いを掛けてやる。
そして生まれた孫が女なら、その呪いで徐々に命を奪ってやろう……
と書いてあった事から相当な怨み様である。
“女”に拘るところから鑑みて痴情の縺れとか……
祖父は相当女性にだらし無い人だったそうだ。
生まれた孫の命……つまりホリーの命を奪うという事か。
祖父の子どもは父しかおらず、孫はホリーしかいないのだから。
徐々に命を奪うとあったが……徐々にとはいつ頃から?
しかし我が身に呪いを掛けられていると聞いても現実味がなく、今いちピンと来ない。
実家で一人暮らす父の顔はこれ以上ない程青褪めていたが。
「この手紙の内容が真実なのか、もし真実なら呪いを解く方法はないのか、お前に話す前に魔法省に勤める友人に調べて貰ったんだ……」
父がそこまで言ってから更に顔色を悪くした様子を見て、ホリーはコレを解呪する方法が無いと云う事を悟った。
「術者がとうに死んでいる限り、どうしようもないと言われ…た…よっ、何故親父はこんな大切な事を話してくれなかったんだっ……!」
父がとうとう泣き崩れた。
祖父は……忘れてたんだろうなぁ。
もしくは魔女の呪いなんて信じていなかったのか。
ホリーは自分の事よりも気弱な父がこれで体調を崩さないかと、そちらの方が心配になる。
魔女からの手紙にはこう書いてあった。
呪いに蝕まれ始めると、まずは五感が狂い出す。
味覚が狂い、臭覚もおかしくなる。
そしてそれにより視覚、聴覚にも異常を来す…と記されてあった。
それから体内に鉛を流し込まれたかのように身動きが出来なくなり、やがて……
しかしその続きは何も書かれていなかった。
「やがて、なんなのよ!」
ホリーは思わずツッコんだ。
呪いの末にどうなるのかを書かないなんて、なんという絶妙な嫌がらせか。
祖父よ、貴方はホントに何をしでかしたのか……
どうしよう……ライリーに相談した方がいいだろうか。
ライリーの専門は古代文字の翻訳だが、その分多くの文献を目にしている筈だ。
今、大きな仕事を抱えている夫の邪魔になるのは申し訳ないが、今夜にでも話してみよう、ホリーはそう思った。
が、その日の内にホリーの体に変化が見られた。
あの手紙にあった通りの体調になったのだ。
味覚も嗅覚もなんだかおかしい。何を食べても不味いのだ。
そして胸に鉛を流し込んだような胸苦しさもある。
父が手紙を見つけたのは運命の悪戯か虫の知らせか。
魔女の呪いを知ったとほぼ同時にその呪いが発動されたようであった。
呪いは発動したら最後、数週間の間にはその命が奪われるという。
解呪も出来ないのであれば本当にもうどうしようもないではないか。
ホリーはぎゅっと目を閉じた。
なんという事だ。
ライリーと結婚して、まだ半年しか経っていないというのに。
長く祖父の看病をして行き遅れの年になったホリーを、ライリーは見合いだったとはいえ是非にと妻に望んでくれた。
ライリーよりも三つも年上であったのに。
仕事中毒者で生活面は壊滅的にだらし無いライリー。
でも彼はいつも優しく、そしてホリーを大切にしてくれた。
ライリーの妻となって初めて、ホリーは女に生まれた喜びを知った。
そして愛される喜びも。
「どうしてホリーが居ない今までの人生を生きて来れたんだろう。僕はもう、きっとキミなしでは生きていけない」
そう言ってくれたライリーを遺していかねばならない事が、ホリーは身を切られるより辛かった。
何よりも彼の事が心配だった。
自分の代わりに彼の事を支えてくれる人を探さないと。
ライリーの身の周りの世話や、彼が仕事に集中出来るようなサポート、そして精神面でも支えになってくれる人が必要だ。
ホリーの残された時間があとどれくらいなのかはわからない。
身体は今でも酷く重く、悪心もある。
しかしホリーには休んでいる暇はなかった。
次の日、さっそく家政婦斡旋ギルドへと足を運ぶ。
ホリーの出した条件はこうだ。
まずは住み込みで働いてくれる人。
そして綺麗好きで料理上手な人。
だらし無い主人にも我慢強く対応出来る人。
優しくて穏やかでライリーを大切にしてくれる人。
そして出来るだけ若く、健康で長く勤めてくれそうな人。
その人が美人ならもう、申し分ない。
『そんな人間は家政婦にならずに誰かの妻として幸せに暮らしてるわ!』
と自分でも思うのだが、そんな人にライリーの面倒を見て貰いたいのだ。
そういう人なら、ライリーもすぐにその人を好きになって、ホリーの事なんて忘れてくれるだろうから。
出来ればその人もライリーの事が好きになって、
いずれ二人が結婚してくれたらどれだけいいか……。
妻になったのなら、辞められる心配もなくずっとライリーの側に居てくれるから……
ホリーはそう思った。
そう思ったと同時に胸がつきりと痛む。
でもその胸の痛みは呪いの所為にしておこう。
ホリーは今考えた理想の家政婦の条件をギルドに提出した。
時間がなく、直ぐにでも新しい人を見つけたいので完璧に条件に当てはまらなくても近しい人を紹介して欲しいという言葉を添えて……
そしたらなんと、それはもう運命だったのだろう。
ホリーの提示したその条件に近い人物に引き合わされた。
その女性の年齢は27歳。
夫に離縁されたばかりで、家政婦は未経験だというが、主婦をしていたのなら問題ない。
年もライリーよりも五つ年上だが、美人で若く見える人なので問題ないだろう。
酒と女とギャンブルと、スリーコンボ旦那との結婚生活を長く耐えられたような人なら、少々変わり者のライリーとも根気よく付き合ってくれそうだ。
優しそうな性格で物ごしも柔らかい。
そして勿論、住み込みで働けるという。
まさに完璧な人物が、ホリーの目の前にいた。
『この人がもしかしたらライリーの次の奥さん……』
いや、たかだか半年だけ妻だったホリーよりも、むしろこの女性の方がライリーの本当の妻なのではないかという気がしてきた。
ライリーがこの人と……
あの小さくも温かで心地のよい家で仲良く暮らして行くのか。
きっとライリーが脱ぎ散らかした服を拾い、キレイに洗濯をしてアイロンはパリっとかけてあげるのだろう。
そして好き嫌いなくなんでも食べるライリーの為にキッチンで美味しい食事を作って、二人でテーブルを囲むのだ。
時にはライリーの仕事がひと段落している日に、暖炉の前でホットワインを飲んで共に過ごす。
そしてライリーの大きく温かい手に触れられ、女としてこの上ない幸福を味わう……
ライリーがこの女性と暮らしてゆく風景がありありと思い浮かべられた。
ホリーはぎゅっと胸をおさえる。
いやだ。
本当はその場所は自分の場所だ。
誰にも渡したくない、誰にも…夫を、ライリーを渡したくない。
辛くて堪らない。
何故自分が呪いの為に死ななくてはならないのか、ライリーを一人遺して逝かねばならないのか。
ホリーは耐えがたい息苦しさを感じ、その瞬間血の気が引いていくのが分かった。
これも呪いの所為なのか……このまま自分はここで死ぬのだろうか。
最期にライリーにもう一度会いたい。
どうせ死ぬなら、彼の腕の中が良かった……
そこまで思って、ホリーの目の前が暗転した。
◇◇◇◇◇◇
次にホリーが目を覚まして、最初に目に飛び込んで来たのは見慣れぬ天井だった。
そして見知らぬ寝台の上。
「ここは……?」
自分がどうなったのか理解できず、ホリーは不安になった。
相変わらず酷い倦怠感を感じる事から、まだ死んでいないのは分かる。
直ぐそばで聞き慣れた声が聞こえた。
「あ、目が覚めた?」
「……ライリー……」
夫のライリーがホリーが寝ている寝台の横の椅子に座ってこちらを見ていた。
「家政婦ギルドで倒れたんだよ、覚えてない?」
「あ……そういえばそうだったわね……じゃあここは?」
「病院だよ。ギルドの人が運んでくれて僕の所に連絡をくれたんだ」
「そう……」
ホリーはライリーの顔をぼんやりと見つめた。
そしてやっぱり好きだなぁと脈絡もなく思う。
ライリーはホリーの手を握りながら言った。
「どうして家政婦ギルドなんかに?家事の負担を減らす為に?ごめんね…僕がだらし無い上に何もしないからだよね……」
ホリーよりも大きな体でしゅんとする夫の姿が可愛くて、ホリーは小さく微笑みながら答えた。
「貴方はお仕事を抱えていて大変でしょう?そんな事は気にしなくていいのよ……」
「でも、そうだね。ホリーの負担を減らす為にはこの際だから一人お手伝いさんを雇う?これからは出産と育児で大変になるだろうし」
「……………………………え?」
夫から出た言葉に、ホリーは固まる。
今、この人はなんて言ったの?
「出産……?育児……?」
まるで要領を得ない顔をするホリーを見て、ライリーは驚いた様子で言う。
「え?ホリー、気付いてなかったのっ?キミは妊娠してるんだって、ギルドで倒れたのは悪阻による貧血のためだって、さっき医療魔術師が言ってたよ」
「えっ!?ええっ!?」
そ、それは本当だろうか。
そういえば月のものが遅れているような気がする。
でも……それが本当なら……お腹の子は生まれ出る事なくホリーと共に天に召されてしまう。
その事が自分が死ぬことよりも何よりも悲しい。
ホリーの目から涙が溢れ出た。
突然泣き出したホリーに、ライリーは慌てて詰め寄る。
「ど、どうしたのホリーっ?どこか痛いのっ?それとも辛いの?」
「ライリー……心が辛いの……わたしは…呪いの所為でもうすぐ死ぬからっ…赤ちゃんを産んであげられないからっ……」
ホリーは堪えきれず嗚咽を漏らすほど大きな声で泣いてしまった。
ここ数日、気丈に振る舞っていたが、心は限界に達したようだ。
ライリーはベッドに座り、ホリーを抱き寄せて膝に乗せた。
そしてホリーが落ち着くように背中を摩ってくれる。
その手の温かさに更に泣けてくる。
そしてどうしようもなく愛おしかった。
ライリーが落ち着いた口調でホリーに言った。
「ごめんねホリー……キミは呪いの事に気付いてなさそうだったから、敢えて知らせなくていいと話さなかった俺が悪かったね」
「……どういう事……?」
「呪いは解呪してあるよ、見合いでキミと初めて会ったその日にね」
「えっ!?い、いつの間にっ!?」
「出会ったその日に僕はもう、キミをお嫁さんにしたくなっちゃったんだよね。まぁフラレるんだろうなぁと思ってたけど、でもキミの中に種のように眠ってる呪いを見つけて、会えるのはこれで最後かもしれないからと解呪しておいたんだ」
「で、でもでも魔法省の人が解呪は難しいって……」
「ん?そんな事はなかったよ?呪いを施した術者よりも強い魔力でなら払えるさ。キミにこっそり魔力を流して呪いを消したんだ」
「そ、そうだったの……?じゃあわたしと赤ちゃんは……?」
「何事も起きないよ。二人とも僕の側でシワくちゃになるまで長生きしてね」
「ライリーぃぃっ……!」
なんと…呪いはとっくに解かれていたとは……
びっくりして安心して嬉しくて、そして気が抜けて、なんだかまた泣けてきた。
そんなホリーをライリーは優しく抱きしめてくれる。
「ホリーありがとう。赤ちゃん、最高に嬉しいよ。僕、これからも頑張って稼いでキミと子どもを絶対に幸せにするからね」
「ありがとう。でも体を壊さないかが心配だから、今のままで充分よ……それよりも脱いだ靴下を脱衣籠に運んでくれる方が嬉しいわ」
「……ハイ、善処します」
「ふふ」
ホリーはこの後の事を色々と考えた。
まずは家政婦ギルドに迷惑をかけた事への謝罪とお礼を。
そして面接した女性に、住み込みではなく通いでの手伝いを頼めるか確認してみよう。
それから実家の父に、呪いは夫ライリーによって解呪されていた事と、もう一人家族が増えてお祖父ちゃんになる事を伝えたい。
でも……それよりも今はまず、
これからも変わらず愛する夫と暮らしてゆける喜びをしっかりと噛み締めたい。
お祖父さんに呪いをかけた北の森の魔女よ……
貴女には悪いが、わたしは生きる。
そして夫の望む通りにシワくちゃになるまで長生きするのだ。
ホリーはそう思った。
おわり
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
それにしてもホリーの祖父さま、
一体何をしてそんなに北の森の魔女を怒らせたのか……。
大迷惑な祖父さまでしたね……。
147
お気に入りに追加
3,568
あなたにおすすめの小説
私の完璧な婚約者
夏八木アオ
恋愛
完璧な婚約者の隣が息苦しくて、婚約取り消しできないかなぁと思ったことが相手に伝わってしまうすれ違いラブコメです。
※ちょっとだけ虫が出てくるので気をつけてください(Gではないです)
骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
地獄の業火に焚べるのは……
緑谷めい
恋愛
伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。
やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。
※ 全5話完結予定
最悪なお見合いと、執念の再会
当麻月菜
恋愛
伯爵令嬢のリシャーナ・エデュスは学生時代に、隣国の第七王子ガルドシア・フェ・エデュアーレから告白された。
しかし彼は留学期間限定の火遊び相手を求めていただけ。つまり、真剣に悩んだあの頃の自分は黒歴史。抹消したい過去だった。
それから一年後。リシャーナはお見合いをすることになった。
相手はエルディック・アラド。侯爵家の嫡男であり、かつてリシャーナに告白をしたクズ王子のお目付け役で、黒歴史を知るただ一人の人。
最低最悪なお見合い。でも、もう片方は執念の再会ーーの始まり始まり。
記憶がないなら私は……
しがと
恋愛
ずっと好きでようやく付き合えた彼が記憶を無くしてしまった。しかも私のことだけ。そして彼は以前好きだった女性に私の目の前で抱きついてしまう。もう諦めなければいけない、と彼のことを忘れる決意をしたが……。 *全4話
蔑ろにされた王妃と見限られた国王
奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています
国王陛下には愛する女性がいた。
彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。
私は、そんな陛下と結婚した。
国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。
でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。
そしてもう一つ。
私も陛下も知らないことがあった。
彼女のことを。彼女の正体を。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる