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とある夫婦⑧ 家庭内遠距離恋愛
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僕の名前はトリスタン=ローブレイ(19)
僕は婿養子だ。
一年前に王宮筆頭魔術師ダルバス=ローブレイ様の一人娘フィリス(17)と婚姻を結び、次期ローブレイ伯爵としてこの家門に迎え入れられた。
この一族の血を受け継ぎ生まれてくる者は高魔力保持者が多く、ローブレイ家は国王の信任厚い王宮筆頭魔術師や魔術師団長を務める者を多く輩出してきた名家なのだ。
しかし当代の当主、ダルバス様の一人娘のフィリスはローブレイ家の者にしては珍しく、魔力量の少ない体質で生まれて来た。
無駄な家督争いを防ぐ為に、男女を問わず当主の嫡子を後継に定めるというローブレイ家の家憲の為に、次期当主はフィリスと生まれる前から定められていたのにも関わらずだ。
しかしこればかりはどうしようもない。
本人がそう望んで生まれてきた訳ではないのだから。
(当のフィリスは全く気にしてないが)
そしてローブレイ家の家憲では、その嫡子が魔力微弱者の場合のみ、伴侶となった者が代わりにローブレイ家の次期当主を務める事が許されている。
そこでその伴侶として白羽の矢が立ったのが、男爵家の三男でありながら国内でも稀に見る程の…と言われている高魔力保持者の僕だという訳だ。
僕は建国以来、史上最年少で魔術師試験に合格し、史上最年少で一級魔術師試験に合格し、現在は史上最年少で上級魔術師に合格するべく試験勉強に取り組んでいる。
僕を見込んで次期当主としてフィリスの婿に迎え入れてくれたダルバス様の為にも、今回も必ず一発合格してみせるぞ。
そしてフィリスの夫として、次期ローブレイ伯爵として誰に後ろ指を差される事なく遜色ない自分になるのだ。
と、自身を鼓舞して邁進している訳なのだが……
それを……他ならぬ妻のフィリスがなかなか受験勉強に集中させてくれないのだ。
ある日の事だ。
「トリスタン様、いいお天気ですよ!一緒にお庭でランチにしましょう!」
「ごめんフィー、今日中に頭に入れておきたい論文があるんだ」
「大丈夫ですわ!論文はお庭でも読めますもの!」
「でも集中出来ないよ」
「そんなの気合いですわ!それにお任せくださいませ、わたしが頭が冴えわたるハーブティーを淹れてさしあげます!」
「論文は気合いで読む物じゃないからね?」
「物事は万事、気合いでなんとかなるものです!なんならダンスをしながらでも読めますわよ」
「いや意味がわからない」
「とにかく!ご一緒にランチしましょ♪」
「えー……」
この後結局僕はフィリスに無理やり庭に連れて行かれた。
そして広い庭園の真ん中のシートを敷いたその上で、ランチを食べながら論文を読んだり試験勉強をしたりしたのだ。
また別の日には。
「トリスタン様!三年に一度しか咲かない花が咲きましたわ!その花は1日しか保ちません、今を見逃すと次は三年後になってしまいますわ!」
「いいよ。三年後なら試験も終わってゆっくりしてるだろうし、その時に見るよ」
「何を仰っているのです!今回咲いた花と三年後の花は全くの別ものですわよ!今年の花は今年に見なくては!」
「え、えー……でも今、術式を覚えてるんだけど」
「術式を口に出しながら歩くと記憶が脳に定着しますわ!(個人の意見です)さぁ!参りましょう!」
「ちょっ……フィーっ、無理やり引っ張らないでっ」
と、結局その時も花を見ながら術式をブツクサ言うという変な状況になった。
それだけではない。
フィーはよく、机に向かって勉強している僕の膝の上に座って、ロマンス小説を読んだり編み物をしたりする。
「……フィー、字が書き辛いんだけど」
「気合いですわ」
「またそれ?」
「だって……トリスタン様のお側に居たいんですもの……」
「せめてさ、隣に椅子を持って来てそこに座ってくれない?」
「もう、トリスタン様は我儘ですわねぇ」
「それ、キミが言う?」
「ふふ」
それでその後椅子を持って来たのかというと、
座る事はやめて僕の後ろから首に手を回して抱きしめてきた。
「フィー、これは?」
「応援しているのです」
「……そう」
応援してくれているなら仕方ない…とそのまま勉強を続けていたら、フィリスは僕の頬やこめかみやツムジにキスをしてくるのだ。
「フィー……ホントに集中出来ない……」
「そろそろお茶の時間ですわ、もう休憩してもいいと思うの。テラスでお茶にしましょ」
こんな感じで、フィリスはいつも僕の側に居たがる。
どうしてフィリスはこんなに僕の事が好きなんだろ?
初顔合わせの時にでも、彼女が喜ぶような言葉掛けとかした訳でもないんだけどなぁ……
まぁ凄く嬉しいけど……
だけど上級魔術師試験が3週間後に迫ったという日に、とうとう義父上がフィリスを叱責された。
「フィリー!いい加減にしろっ、どうしてお前はいつも婿殿の邪魔ばかりするんだ!」
「あらお父様、わたしは邪魔をしているわけではありませんわ。わたしなりにトリスタン様の応援をしているのです」
「その応援が邪魔だという事がわからんのかっ、お前はトリスタンが試験に落ちてもいいと思っているのか?」
「そんなわけはないでしょう?トリスタン様は絶対に合格なさいます」
「とにかく!試験が終わるまでの三週間、お前はトリスタンに接近禁止だ」
「えぇっ?そ、そんな、酷いですわ!三週間も近付いたらダメだなんてっ……お父様はわたしに死ねと仰っているのですかっ!?」
「バカを言うな。人間こんな事で死ぬかっ」
「わたしにとってはトリスタン様のお側に居られないという事は死を意味するんです!」
「屁理屈を言うなっ!いいか?本当にトリスタンの事を大切に想うなら今後三週間は一切近付くな、邪魔をするな、足を引っ張るな、わかったなっ?」
「お父様のハゲ親父っ!!」(※ハゲではない)
とまぁ……フィリスは必死に抵抗したが、当主の言う事は絶対である。
故に僕達は同じ屋敷に居りながら別居をする事になった。
義父上が空間魔法と認識阻害魔法と結界魔法を駆使して、試験まで僕が暮らす部屋を徹底的にフィリスから隠した。
フィリス自身にも声や姿を認識されないよう魔術を施す等の徹底ぶりだ。
そこまでしなくても……という言葉が前歯の歯列の所まで出かけたが、
まぁそれほどまでに上級試験が超難関だという事なのだ。
義父であり、現王宮筆頭魔術師であるダルバス様の判断に従わず試験に落ちたなんて事になったら、僕はもう合わせる顔がない。
なのでフィリスには申し訳ないけど、僕も我慢するからこの三週間だけは互いに離れて暮らそう。
僕はそう決めた。
でも実際、フィリスのちょっかいが入らないと勉強に集中出来る。
閉鎖され、魔術の施された特別な空間なので少々危険な魔術の練習もやり放題だ。
実際フィリスが近くに居たら危ない。
そんな練習もフィリスが居ないタイミングとかを見計らう事なくいつでも練習出来るのはとても良かった。
僕は結婚して以来初めて、時間を忘れる程集中して試験勉強に取り組んだ。
朝食を食べてすぐにその日の勉強に取り掛かり、次に気が付いたらもう夜だった…という事もある。
部屋のテーブルには冷たくなった手付かずの昼食が置いてある。
メイドか下男が持って来た事すら気付かなかった。
途切れる事なく集中出来る事に満足感を感じていた。
だけど、それでもやはり、ふいにフィリスの事を考えてしまう。
彼女は今どうしてるんだろう。
何をしているだろう。
僕に会えなくなって泣いていなければいいけど……
寂しがり屋で冷え性の彼女は、寝る時には体温の高い僕にしがみ付いて寝る。
温かくて安心出来て心地よく眠れるといつも言っているのだ。
ちゃんと眠れているといいが……
フィーの様子が気になって仕方ない。
そんな時、ナイスなタイミングで執事長が一通の手紙を持って来た。
「フィリスお嬢様からでございます」
「フィーから?」
「はい。お嬢様がせめて文通くらいはさせろと屋根の上に登り、危ないから降りなさいとオロオロされる旦那様に直談判をなされ、見事勝ち取られました」
「えっ、えーーー……」
何をやってるんだフィー……危ないじゃないか……
でもそんな騒ぎは一切気付かなかった、流石は義父上の魔術だ。
そんな事を感心しながら、僕はいそいそとフィリスからの手紙を開封した。
手紙には、
僕の体調を気遣う事ばかり書いてあった。
勉強に夢中になり過ぎてきちんと三食食べていないんじゃないか、
ずっと部屋に篭りきりで外の空気を吸っていないんじゃないか、
一日一回でいいから1時間ほどは外に出て、足を動かさないとダメだとか、
お茶と甘いものは心と頭には必要な栄養だから、
お茶の時間にはちゃんと休憩を入れるようにだとか……
全部僕が運動不足や根を詰め過ぎていないかを心配する内容だった。
「フィー……」
今思えば、いつも彼女の我儘に付き合わされていると思っていた事は全て、僕の為にしていた事だったのだ。
庭でのランチも、花を見る為に外に引っ張り出されたのも、お茶の時間に付き合わされるのも、
全て僕に適度な休憩を取らせる為だったんだ。
まぁ……膝の上に座ったり後ろからハグしてキスしてくるのは単純にそうしたかっただけだろうが……
ああ……フィリス、キミはいつだって僕の事を思って行動してくれていたんだな。
彼女に会いたくて堪らなかった。
抱きしめて、僕もフィリスの事が大好きだと伝えたかった。
でも今はダメだ。
こうなったら絶っっ対に上級魔術師試験に合格してやる!
しかも!主席で!!
そしてそれを成せたのはフィリスのおかげだと、心から感謝の気持ちを伝えたい。
だから今は我慢だ。
僕は返事の手紙に、頑張っている事と
フィリスに会えなくて寂しい事と
僕は大丈夫だからキミの様子を知らせて欲しいと書いた。
執事長の話では僕のからの手紙を読んだフィリスが、
「どうして同じ屋敷にいるのに遠く離れた恋人同士みたいになってますの~っ!」
と、ハンカチを歯噛みしてのたうち回っていたらしい。
会う事は叶わず、やり取りは手紙のみ。
本当だ。
まるで遠距離恋愛をしているみたいだ。
さながら家庭内遠距離恋愛。
待っててくれ。
必ず上級魔術師になって、キミを迎えに行くから。
そうやってその後も毎日、フィリスとの手紙のやり取りは続いた。
そして試験当日。
国内中から試験を受ける魔術師達が王宮に集まった。
とは言っても難関過ぎてこの試験に挑もうとする者は少ない。
今回の試験ではたったの5名だ。
この内の何人が合格出来るか……
合格者ゼロという年も多いらしい。
試験者が少ないのは仕方ない。
上級魔術師試験はそれはもう本当に難しく、最初からほとんどの魔術師の目標到達点が一級魔術師止まりなのだから。
その上の上級魔術師、そして更にその上の特級魔術師になろうという人間は早々居ない。
僕はもちろん、ゆくゆくは特級まで目指すつもりだが。
試験会場は王宮魔術師団の会議場と演習場。
いやでもしかし……緊張してきたな。
思うように実力を発揮出来ればいいのだが……
「気合いですわっ!!」
フィリスの声が脳裏に浮かんだ。
華奢な身体で意外と脳筋系のフィリス。
魔力は少ないが、身体能力は目を見張るものがある。
そんな彼女の座右の銘が“気合いは生きる力の動力源”だ。
僕は拳を握りしめてそれを口にするフィリスの姿を思い浮かべて吹き出した。
知らず肩の力が抜ける。
ありがとうフィリス。
キミが僕の生きる力だ。
そうして僕は試験に挑んだ。
その結果は…………
ローブレイ伯爵家の庭には二羽のニワトリがいる。
フィリスが卵から孵化させて育てた大切なニワトリだ。
名前は“ニッチモ”と“サッチモ”
そのニッチモサッチモに、フィリスは食事を与えていた。
フィリスが何やらニワトリ達に話している。
「いい?明日の朝はとびきり美味しい卵を産んでね?トリスタン様の大好きなオムレツを作ってさしあげたいの。だから頼んだわよ?」
どうやら僕の為に、明日の朝食分の卵を発注しているようだ。
僕は愛しの妻の名を呼んだ。
「フィー」
ニッチモサッチモを見ていたフィリスが、ゆっくりと顔を上げて僕の方を見る。
瞬間、風が吹き、僕の真新しいローブをはためかせる。
この国の上級魔術師のみが着る事を許されるローブを。
呆然として僕を見つめていたフィリスの顔がだんだんと笑顔になる。
蕾がゆっくりと綻んで花弁を開かせるように。
僕は両手を広げてもう一度妻の名前を呼んだ。
「フィー、迎えに来たよ」
「……っトリスタン様っ!!」
フィリスが目にいっぱいの涙を溜めながら僕の胸に飛び込んで来た。
僕は強く、でも優しくフィリスを抱きしめる。
「トリスタン様……合格おめでとうございます」
「ありがとう。フィーのおかげだよ。キミが居なかったら合格出来なかった」
「違いますわ、全てトリスタン様の気合いが優ったのです」
「ははっ、気合い、そうだな。僕とフィーの気合いのおかげだ」
「トリスタン様……」
こうして上級魔術師試験主席合格という結果を出し、
僕と妻の家庭内遠距離恋愛は幕を閉じた。
僕はフィリスにキスをする。
庭の芝生に落とした影が一つになった。
その重なった影を、ニワトリ達はのん気につついていた。
おしまい
僕は婿養子だ。
一年前に王宮筆頭魔術師ダルバス=ローブレイ様の一人娘フィリス(17)と婚姻を結び、次期ローブレイ伯爵としてこの家門に迎え入れられた。
この一族の血を受け継ぎ生まれてくる者は高魔力保持者が多く、ローブレイ家は国王の信任厚い王宮筆頭魔術師や魔術師団長を務める者を多く輩出してきた名家なのだ。
しかし当代の当主、ダルバス様の一人娘のフィリスはローブレイ家の者にしては珍しく、魔力量の少ない体質で生まれて来た。
無駄な家督争いを防ぐ為に、男女を問わず当主の嫡子を後継に定めるというローブレイ家の家憲の為に、次期当主はフィリスと生まれる前から定められていたのにも関わらずだ。
しかしこればかりはどうしようもない。
本人がそう望んで生まれてきた訳ではないのだから。
(当のフィリスは全く気にしてないが)
そしてローブレイ家の家憲では、その嫡子が魔力微弱者の場合のみ、伴侶となった者が代わりにローブレイ家の次期当主を務める事が許されている。
そこでその伴侶として白羽の矢が立ったのが、男爵家の三男でありながら国内でも稀に見る程の…と言われている高魔力保持者の僕だという訳だ。
僕は建国以来、史上最年少で魔術師試験に合格し、史上最年少で一級魔術師試験に合格し、現在は史上最年少で上級魔術師に合格するべく試験勉強に取り組んでいる。
僕を見込んで次期当主としてフィリスの婿に迎え入れてくれたダルバス様の為にも、今回も必ず一発合格してみせるぞ。
そしてフィリスの夫として、次期ローブレイ伯爵として誰に後ろ指を差される事なく遜色ない自分になるのだ。
と、自身を鼓舞して邁進している訳なのだが……
それを……他ならぬ妻のフィリスがなかなか受験勉強に集中させてくれないのだ。
ある日の事だ。
「トリスタン様、いいお天気ですよ!一緒にお庭でランチにしましょう!」
「ごめんフィー、今日中に頭に入れておきたい論文があるんだ」
「大丈夫ですわ!論文はお庭でも読めますもの!」
「でも集中出来ないよ」
「そんなの気合いですわ!それにお任せくださいませ、わたしが頭が冴えわたるハーブティーを淹れてさしあげます!」
「論文は気合いで読む物じゃないからね?」
「物事は万事、気合いでなんとかなるものです!なんならダンスをしながらでも読めますわよ」
「いや意味がわからない」
「とにかく!ご一緒にランチしましょ♪」
「えー……」
この後結局僕はフィリスに無理やり庭に連れて行かれた。
そして広い庭園の真ん中のシートを敷いたその上で、ランチを食べながら論文を読んだり試験勉強をしたりしたのだ。
また別の日には。
「トリスタン様!三年に一度しか咲かない花が咲きましたわ!その花は1日しか保ちません、今を見逃すと次は三年後になってしまいますわ!」
「いいよ。三年後なら試験も終わってゆっくりしてるだろうし、その時に見るよ」
「何を仰っているのです!今回咲いた花と三年後の花は全くの別ものですわよ!今年の花は今年に見なくては!」
「え、えー……でも今、術式を覚えてるんだけど」
「術式を口に出しながら歩くと記憶が脳に定着しますわ!(個人の意見です)さぁ!参りましょう!」
「ちょっ……フィーっ、無理やり引っ張らないでっ」
と、結局その時も花を見ながら術式をブツクサ言うという変な状況になった。
それだけではない。
フィーはよく、机に向かって勉強している僕の膝の上に座って、ロマンス小説を読んだり編み物をしたりする。
「……フィー、字が書き辛いんだけど」
「気合いですわ」
「またそれ?」
「だって……トリスタン様のお側に居たいんですもの……」
「せめてさ、隣に椅子を持って来てそこに座ってくれない?」
「もう、トリスタン様は我儘ですわねぇ」
「それ、キミが言う?」
「ふふ」
それでその後椅子を持って来たのかというと、
座る事はやめて僕の後ろから首に手を回して抱きしめてきた。
「フィー、これは?」
「応援しているのです」
「……そう」
応援してくれているなら仕方ない…とそのまま勉強を続けていたら、フィリスは僕の頬やこめかみやツムジにキスをしてくるのだ。
「フィー……ホントに集中出来ない……」
「そろそろお茶の時間ですわ、もう休憩してもいいと思うの。テラスでお茶にしましょ」
こんな感じで、フィリスはいつも僕の側に居たがる。
どうしてフィリスはこんなに僕の事が好きなんだろ?
初顔合わせの時にでも、彼女が喜ぶような言葉掛けとかした訳でもないんだけどなぁ……
まぁ凄く嬉しいけど……
だけど上級魔術師試験が3週間後に迫ったという日に、とうとう義父上がフィリスを叱責された。
「フィリー!いい加減にしろっ、どうしてお前はいつも婿殿の邪魔ばかりするんだ!」
「あらお父様、わたしは邪魔をしているわけではありませんわ。わたしなりにトリスタン様の応援をしているのです」
「その応援が邪魔だという事がわからんのかっ、お前はトリスタンが試験に落ちてもいいと思っているのか?」
「そんなわけはないでしょう?トリスタン様は絶対に合格なさいます」
「とにかく!試験が終わるまでの三週間、お前はトリスタンに接近禁止だ」
「えぇっ?そ、そんな、酷いですわ!三週間も近付いたらダメだなんてっ……お父様はわたしに死ねと仰っているのですかっ!?」
「バカを言うな。人間こんな事で死ぬかっ」
「わたしにとってはトリスタン様のお側に居られないという事は死を意味するんです!」
「屁理屈を言うなっ!いいか?本当にトリスタンの事を大切に想うなら今後三週間は一切近付くな、邪魔をするな、足を引っ張るな、わかったなっ?」
「お父様のハゲ親父っ!!」(※ハゲではない)
とまぁ……フィリスは必死に抵抗したが、当主の言う事は絶対である。
故に僕達は同じ屋敷に居りながら別居をする事になった。
義父上が空間魔法と認識阻害魔法と結界魔法を駆使して、試験まで僕が暮らす部屋を徹底的にフィリスから隠した。
フィリス自身にも声や姿を認識されないよう魔術を施す等の徹底ぶりだ。
そこまでしなくても……という言葉が前歯の歯列の所まで出かけたが、
まぁそれほどまでに上級試験が超難関だという事なのだ。
義父であり、現王宮筆頭魔術師であるダルバス様の判断に従わず試験に落ちたなんて事になったら、僕はもう合わせる顔がない。
なのでフィリスには申し訳ないけど、僕も我慢するからこの三週間だけは互いに離れて暮らそう。
僕はそう決めた。
でも実際、フィリスのちょっかいが入らないと勉強に集中出来る。
閉鎖され、魔術の施された特別な空間なので少々危険な魔術の練習もやり放題だ。
実際フィリスが近くに居たら危ない。
そんな練習もフィリスが居ないタイミングとかを見計らう事なくいつでも練習出来るのはとても良かった。
僕は結婚して以来初めて、時間を忘れる程集中して試験勉強に取り組んだ。
朝食を食べてすぐにその日の勉強に取り掛かり、次に気が付いたらもう夜だった…という事もある。
部屋のテーブルには冷たくなった手付かずの昼食が置いてある。
メイドか下男が持って来た事すら気付かなかった。
途切れる事なく集中出来る事に満足感を感じていた。
だけど、それでもやはり、ふいにフィリスの事を考えてしまう。
彼女は今どうしてるんだろう。
何をしているだろう。
僕に会えなくなって泣いていなければいいけど……
寂しがり屋で冷え性の彼女は、寝る時には体温の高い僕にしがみ付いて寝る。
温かくて安心出来て心地よく眠れるといつも言っているのだ。
ちゃんと眠れているといいが……
フィーの様子が気になって仕方ない。
そんな時、ナイスなタイミングで執事長が一通の手紙を持って来た。
「フィリスお嬢様からでございます」
「フィーから?」
「はい。お嬢様がせめて文通くらいはさせろと屋根の上に登り、危ないから降りなさいとオロオロされる旦那様に直談判をなされ、見事勝ち取られました」
「えっ、えーーー……」
何をやってるんだフィー……危ないじゃないか……
でもそんな騒ぎは一切気付かなかった、流石は義父上の魔術だ。
そんな事を感心しながら、僕はいそいそとフィリスからの手紙を開封した。
手紙には、
僕の体調を気遣う事ばかり書いてあった。
勉強に夢中になり過ぎてきちんと三食食べていないんじゃないか、
ずっと部屋に篭りきりで外の空気を吸っていないんじゃないか、
一日一回でいいから1時間ほどは外に出て、足を動かさないとダメだとか、
お茶と甘いものは心と頭には必要な栄養だから、
お茶の時間にはちゃんと休憩を入れるようにだとか……
全部僕が運動不足や根を詰め過ぎていないかを心配する内容だった。
「フィー……」
今思えば、いつも彼女の我儘に付き合わされていると思っていた事は全て、僕の為にしていた事だったのだ。
庭でのランチも、花を見る為に外に引っ張り出されたのも、お茶の時間に付き合わされるのも、
全て僕に適度な休憩を取らせる為だったんだ。
まぁ……膝の上に座ったり後ろからハグしてキスしてくるのは単純にそうしたかっただけだろうが……
ああ……フィリス、キミはいつだって僕の事を思って行動してくれていたんだな。
彼女に会いたくて堪らなかった。
抱きしめて、僕もフィリスの事が大好きだと伝えたかった。
でも今はダメだ。
こうなったら絶っっ対に上級魔術師試験に合格してやる!
しかも!主席で!!
そしてそれを成せたのはフィリスのおかげだと、心から感謝の気持ちを伝えたい。
だから今は我慢だ。
僕は返事の手紙に、頑張っている事と
フィリスに会えなくて寂しい事と
僕は大丈夫だからキミの様子を知らせて欲しいと書いた。
執事長の話では僕のからの手紙を読んだフィリスが、
「どうして同じ屋敷にいるのに遠く離れた恋人同士みたいになってますの~っ!」
と、ハンカチを歯噛みしてのたうち回っていたらしい。
会う事は叶わず、やり取りは手紙のみ。
本当だ。
まるで遠距離恋愛をしているみたいだ。
さながら家庭内遠距離恋愛。
待っててくれ。
必ず上級魔術師になって、キミを迎えに行くから。
そうやってその後も毎日、フィリスとの手紙のやり取りは続いた。
そして試験当日。
国内中から試験を受ける魔術師達が王宮に集まった。
とは言っても難関過ぎてこの試験に挑もうとする者は少ない。
今回の試験ではたったの5名だ。
この内の何人が合格出来るか……
合格者ゼロという年も多いらしい。
試験者が少ないのは仕方ない。
上級魔術師試験はそれはもう本当に難しく、最初からほとんどの魔術師の目標到達点が一級魔術師止まりなのだから。
その上の上級魔術師、そして更にその上の特級魔術師になろうという人間は早々居ない。
僕はもちろん、ゆくゆくは特級まで目指すつもりだが。
試験会場は王宮魔術師団の会議場と演習場。
いやでもしかし……緊張してきたな。
思うように実力を発揮出来ればいいのだが……
「気合いですわっ!!」
フィリスの声が脳裏に浮かんだ。
華奢な身体で意外と脳筋系のフィリス。
魔力は少ないが、身体能力は目を見張るものがある。
そんな彼女の座右の銘が“気合いは生きる力の動力源”だ。
僕は拳を握りしめてそれを口にするフィリスの姿を思い浮かべて吹き出した。
知らず肩の力が抜ける。
ありがとうフィリス。
キミが僕の生きる力だ。
そうして僕は試験に挑んだ。
その結果は…………
ローブレイ伯爵家の庭には二羽のニワトリがいる。
フィリスが卵から孵化させて育てた大切なニワトリだ。
名前は“ニッチモ”と“サッチモ”
そのニッチモサッチモに、フィリスは食事を与えていた。
フィリスが何やらニワトリ達に話している。
「いい?明日の朝はとびきり美味しい卵を産んでね?トリスタン様の大好きなオムレツを作ってさしあげたいの。だから頼んだわよ?」
どうやら僕の為に、明日の朝食分の卵を発注しているようだ。
僕は愛しの妻の名を呼んだ。
「フィー」
ニッチモサッチモを見ていたフィリスが、ゆっくりと顔を上げて僕の方を見る。
瞬間、風が吹き、僕の真新しいローブをはためかせる。
この国の上級魔術師のみが着る事を許されるローブを。
呆然として僕を見つめていたフィリスの顔がだんだんと笑顔になる。
蕾がゆっくりと綻んで花弁を開かせるように。
僕は両手を広げてもう一度妻の名前を呼んだ。
「フィー、迎えに来たよ」
「……っトリスタン様っ!!」
フィリスが目にいっぱいの涙を溜めながら僕の胸に飛び込んで来た。
僕は強く、でも優しくフィリスを抱きしめる。
「トリスタン様……合格おめでとうございます」
「ありがとう。フィーのおかげだよ。キミが居なかったら合格出来なかった」
「違いますわ、全てトリスタン様の気合いが優ったのです」
「ははっ、気合い、そうだな。僕とフィーの気合いのおかげだ」
「トリスタン様……」
こうして上級魔術師試験主席合格という結果を出し、
僕と妻の家庭内遠距離恋愛は幕を閉じた。
僕はフィリスにキスをする。
庭の芝生に落とした影が一つになった。
その重なった影を、ニワトリ達はのん気につついていた。
おしまい
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