上 下
9 / 21

一緒にいても、遠い日々

しおりを挟む
体の異変を感じ、もしやと思い産科を受診した。

結果はやはりジュリアは妊娠していた。

産科専門の医療魔術師に妊娠を告げられ、ジュリアはしばし呆然となった。
どこか現実味がなく、本当に自分の身に起きた事なのだろうかと俄には信じられない。

いつも避妊はクリスが気を付けてくれていた。
女性側が服用する魔法薬の避妊剤がジュリアの体質に合わず体調を崩してからはクリスの方が魔術にて対処してくれていたのだ。

恋人関係になって一年半。
それがなぜ今になって………。

───疲れが酷くて避妊を忘れていた?

先月、遅くに帰ってきたクリスに酷く求められて体を重ねた。
真夜中でジュリアも驚いたのだが、温かいクリスの手に触れられると幸せが溢れてきてそのまま受け入れたのだ。
その時に出来たとしか考えられない。

どうして先がどうなるかもわからないこんな時に妊娠なんて……
一気に不安が押し寄せ、堪らずぎゅっと目を閉じた。

その時、会計待ちのために産科の受付に座っていたジュリアの耳に赤ん坊が泣く声が届いた。

甘えたような、母を求めて泣く赤ん坊の声にジュリアはハッとさせられ、自身の下腹部に手を置いた。

ここに、いるのだ。
小さな命が。愛する人の子が。
想定外で芽吹いた命だとしても、この子は確かにここにいる。
たとえ誰からも祝福されない子になったとしても、母親である自分だけはこの子の誕生を喜んであげなくてどうする……!

「情けないママでごめんね……あなたのことは、ママが必ず守るからね。ママの元に、来てくれてありがとう……!」

ジュリアはまだとても小さな我が子に、そう話しかけた。

とにかくクリスとちゃんと向き合おう。
怖がっていても何も始まらない。
自分たちの子が生まれる事をきちんと伝えて、これからの事を話し合おう。
ジュリアはそう心に決めた。

が、その日はとうとう、クリスは帰って来なかった。
念書鳩メッセンジャーで緊急事態にて帰れないと、簡潔な連絡がクリスからは届いたが……。

だが次の日の朝、省舎の前で次席秘書官の馬車から秘書官とそのご令嬢と一緒に降りてきたクリスの姿を見た。
馬車を降りるご令嬢に手を貸してエスコートしているその姿を見て、ジュリアの中で何かが切れてしまった。

───あぁ……やっぱりもうダメか。

陽の当たる、誰もが羨む道を歩き始めたクリス。

彼の人生にはもう自分は必要ない。

だけど子どもの事はいやだ。
必要ないなんて、出来た事を後悔されるなんて、そんなのは耐えられない。

それなら子どもの存在は知らせずに、クリスの前から消えようとジュリアは決断した。

そこからのジュリアの行動は早かった。

まずは一身上の都合を理由として辞表を提出した。
人事異動のために新しい課長に変わっていたのがラッキーだった。
さして事情を知らない課長は、退省する事を周囲には黙っていて欲しいとジュリアが頼むと簡単に了承してくれた。

引き継ぎもスムーズに済みそうなので、辞表を受理されて一月後には退省できる運びとなった。

その間ジュリアはクリスのアパートにある私物を少しずつ片付けていく。
夜遅くに帰宅し、朝はぼーっとしたまま登省して行くクリスは部屋の変化に気付かない。

───仕事とご令嬢との事で頭がいっぱいで、それどころじゃないんでしょうね。

なんだかもう乾いた笑いしか出てこなかった。

次にジュリアは移り住む街を探した。
王都から離れていて魔法省の地方局もない小さな街が好ましい。
そして安心して子育てが出来る、治安が良くて街か子育て世帯への支援が受けられる所を選んだ。

妊娠中のため疲れやすくはあったが、有り難い事に悪阻がほとんど無いので無理をしない範囲でゆっくりと転居の用意を進めてゆく。

───すでに寮を引き払っていて本当に良かったわ。新しい家さえ決まればすぐに引越し出来るもの。

相変わらずクリスのいない休日に、ジュリアは一人で移り住む予定の街に行きアパートを探した。
その時偶然見かけた小さな空き店舗。
カウンターが七席だけの小さな店だが、ジュリアはそれを見た途端に自分がそのカウンターの向こうに立ち、客にドリアを出している姿が浮かんだ。

どうせ何か新しい職を見つけなくてはならないと思っていたし、貯金ならある。

貸店舗なので保証人が必要だが、それは実の父親に頼めばいいだろう。
それくらいは引き受けてくれるだろう。

そうやって準備を重ねてゆく中、残り少なくなってゆくクリスとの暮らし。
ジュリアは相変わらず疲れきって帰ってくるクリスに背を向けて眠るようになっていた。
お腹の子を守るように身を丸くして、子と共に秘密も宿してジュリアは眠る。
クリスはそんなジュリアを後ろから抱きしめて、自らの懐に抱え込むようにして眠った。
一緒にいるのにどこか遠い。
一緒にいるのにどうしようもなく寂しい。
ジュリアの涙が枕に滲んだ。


そうやって過ごす日々も瞬く間に経ち、ジュリアはとうとう退省する日を迎えた。

課長に言われ、皆に挨拶をする。
そこで初めてジュリアが退省することを知った同僚たちのざわめく声が聞こえたが、ジュリアは心を込めて世話になった事への感謝の言葉を述べた。

二課の皆もきっとクリスとご令嬢の噂が耳に入っているのだろうが、余計な事を言う者は誰もいなかった。
いつもジュリアに食ってかかる一期上の先輩すら、何も言わずにだんまりしている姿を見ると、本当に恵まれた職場にいたのだと心の中で小さく笑った。

贈られた花束を持って省舎内を歩いて行く。
正面玄関を出て、ジュリアは振り返って立派な本省の建物を見上げた。

入省してもうすぐ七年。
魔法省での思い出全てがクリスとの思い出でもある。

ジュリアはそれら全てを本省ここに置いてゆくことに決めたのだ。

省舎の上層階では今もクリスが忙しく仕事をしているのだろう。
もしかしたらあのご令嬢もまた来ているのかもしれない。

ジュリアはただ黙って踵を返し、魔法省を後にした。

そしてそのまま、転移魔法にて王都を去った。





しおりを挟む
感想 321

あなたにおすすめの小説

永遠の誓いを立てましょう、あなたへの想いを思い出すことは決してないと……

矢野りと
恋愛
ある日突然、私はすべてを失った。 『もう君はいりません、アリスミ・カロック』 恋人は表情を変えることなく、別れの言葉を告げてきた。彼の隣にいた私の親友は、申し訳なさそうな顔を作ることすらせず笑っていた。 恋人も親友も一度に失った私に待っていたのは、さらなる残酷な仕打ちだった。 『八等級魔術師アリスミ・カロック。異動を命じる』 『えっ……』 任期途中での異動辞令は前例がない。最上位の魔術師である元恋人が裏で動いた結果なのは容易に察せられた。 私にそれを拒絶する力は勿論なく、一生懸命に築いてきた居場所さえも呆気なく奪われた。 それから二年が経った頃、立ち直った私の前に再び彼が現れる。 ――二度と交わらないはずだった運命の歯車が、また動き出した……。 ※このお話の設定は架空のものです。 ※お話があわない時はブラウザバックでお願いします(_ _)

ねえ、テレジア。君も愛人を囲って構わない。

夏目
恋愛
愛している王子が愛人を連れてきた。私も愛人をつくっていいと言われた。私は、あなたが好きなのに。 (小説家になろう様にも投稿しています)

拝啓 お顔もお名前も存じ上げない婚約者様

オケラ
恋愛
15歳のユアは上流貴族のお嬢様。自然とたわむれるのが大好きな女の子で、毎日山で植物を愛でている。しかし、こうして自由に過ごせるのもあと半年だけ。16歳になると正式に結婚することが決まっている。彼女には生まれた時から婚約者がいるが、まだ一度も会ったことがない。名前も知らないのは幼き日の彼女のわがままが原因で……。半年後に結婚を控える中、彼女は山の中でとある殿方と出会い……。

(完結)貴方から解放してくださいー私はもう疲れました(全4話)

青空一夏
恋愛
私はローワン伯爵家の一人娘クララ。私には大好きな男性がいるの。それはイーサン・ドミニク。侯爵家の子息である彼と私は相思相愛だと信じていた。 だって、私のお誕生日には私の瞳色のジャボ(今のネクタイのようなもの)をして参加してくれて、別れ際にキスまでしてくれたから。 けれど、翌日「僕の手紙を君の親友ダーシィに渡してくれないか?」と、唐突に言われた。意味がわからない。愛されていると信じていたからだ。 「なぜですか?」 「うん、実のところ私が本当に愛しているのはダーシィなんだ」 イーサン様は私の心をかき乱す。なぜ、私はこれほどにふりまわすの? これは大好きな男性に心をかき乱された女性が悩んで・・・・・・結果、幸せになったお話しです。(元さやではない) 因果応報的ざまぁ。主人公がなにかを仕掛けるわけではありません。中世ヨーロッパ風世界で、現代的表現や機器がでてくるかもしれない異世界のお話しです。ご都合主義です。タグ修正、追加の可能性あり。

彼が愛した王女はもういない

黒猫子猫(猫子猫)
恋愛
シュリは子供の頃からずっと、年上のカイゼルに片想いをしてきた。彼はいつも優しく、まるで宝物のように大切にしてくれた。ただ、シュリの想いには応えてくれず、「もう少し大きくなったらな」と、はぐらかした。月日は流れ、シュリは大人になった。ようやく彼と結ばれる身体になれたと喜んだのも束の間、騎士になっていた彼は護衛を務めていた王女に恋をしていた。シュリは胸を痛めたが、彼の幸せを優先しようと、何も言わずに去る事に決めた。 どちらも叶わない恋をした――はずだった。 ※関連作がありますが、これのみで読めます。 ※全11話です。

新しい人生を貴方と

緑谷めい
恋愛
 私は公爵家令嬢ジェンマ・アマート。17歳。  突然、マリウス王太子殿下との婚約が白紙になった。あちらから婚約解消の申し入れをされたのだ。理由は王太子殿下にリリアという想い人ができたこと。  2ヵ月後、父は私に縁談を持って来た。お相手は有能なイケメン財務大臣コルトー侯爵。ただし、私より13歳年上で婚姻歴があり8歳の息子もいるという。 * 主人公は寛容です。王太子殿下に仕返しを考えたりはしません。

彼の過ちと彼女の選択

浅海 景
恋愛
伯爵令嬢として育てられていたアンナだが、両親の死によって伯爵家を継いだ伯父家族に虐げられる日々を送っていた。義兄となったクロードはかつて優しい従兄だったが、アンナに対して冷淡な態度を取るようになる。 そんな中16歳の誕生日を迎えたアンナには縁談の話が持ち上がると、クロードは突然アンナとの婚約を宣言する。何を考えているか分からないクロードの言動に不安を募らせるアンナは、クロードのある一言をきっかけにパニックに陥りベランダから転落。 一方、トラックに衝突したはずの杏奈が目を覚ますと見知らぬ男性が傍にいた。同じ名前の少女と中身が入れ替わってしまったと悟る。正直に話せば追い出されるか病院行きだと考えた杏奈は記憶喪失の振りをするが……。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

処理中です...