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ミニ番外編
夫の二つ名
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ハノンとフェリックスには、結婚記念日以外にも記念日がある。
それは再会した二人が、互いの想いを伝えあった日だ。
幼いルシアンが魔力欠乏症になり、それをフェリックスが救ってくれた日。
二度目の夜をすごしたあの日だ。
あの時以来、フェリックスは毎年同じ日にハノンに赤い花の花束を贈ってくれる。
赤い花の種類は多いらしく毎年違う花を贈ってくれるが、どれも共通しているのは花弁の形がハノンの胸元の赤くなっている傷跡に似ているものだった。
かつては魔障により残った醜い傷跡だとハノンは気にしていたが、フェリックスと再会して「この上なく美しい世界で一つだけの赤い花」と言われてからは、自分と夫を繋ぐ大切な絆として好ましい印象に変わった。
そしてその絆の象徴として赤い花弁を持つ花が好きになったのだった。
それはフェリックスも同様らしく、以来記念日には赤い花を贈るのが彼の中での決まり事になったようだ。
でも赤い花の種類が多いこの季節は、記念日に関わらず、花を見つける度に持ち帰って贈ってくれるのだった。
今も寝室にはフェリックスから贈られた小ぶりな一重の赤い花が飾られている。
ハノンはその花を愛おしく眺めながらノエルに乳を飲ませていた。
ノエルは乳をよく飲み、寝グズもなくすんなりとよく寝る、手のかからない良い子だ。
三人目ともあって、母親のハノンの精神にゆとりがあるのも影響しているだろう。
乳をたらふく飲んだノエルを、ハノンは今度は縦抱きにして背中をトントンしてゲップをさせた。
そしてそのまま眠ってしまったノエルをベビーベッドに寝かせた時に、タイミングよくメロディが部屋にやって来た。
「ハノン~、りずむたんがそろそろお乳をご所望だってサ~♡」
リズムが断乳する月齢になるまでワイズ伯爵家の客間に滞在しているメロディ。
メロディ自身、初めての子育てであるもののとくに気負った様子もなく、豪快な子育てをしている。
「はいリズムちゃん、いらっしゃい」
ハノンはリズムを受け取ってノエルに与えた方ではない乳を含ませた。
んくんく、とリズムが懸命に乳を飲む姿を見て思わずハノンの頬が緩む。
赤ん坊は何故こうも皆等しく愛おしいのだろう。
大好きな親友が引き取った娘である事もそう感じさせる要因だろうが、きっとそうでなくても愛情を注がずにはいられない、そんな存在だ。
リズムを見つめるハノンの側で、メロディは寝室のサイドボードに置いてある赤い花を目敏く見つけ、ニマニマ顔を向けて来た。
「ホントあんた達っていつまで経ってもラブラブよネぇ♡」
これは揶揄いモードに入るなと眉を顰めたハノンが答える。
「……なによ何が言いたいのよ」
「いいえ~?また直ぐに孕ませられそうだナって思って♡」
「……授乳中は気を付けてるもの」
「ふーん♡」
「もうっ、何よ」
「いやね、一緒に暮らしてよく分かったんだけど、あんたの旦那ってホントに嫁の事が好きよネ~。家と外とでは別人じゃない」
「そうなの?」
「義妹の旦那に聞いたんだけど、あんたの旦那、近頃はクレバスの騎士と呼ばれているらしいわよ?」
「クレバスの騎士?」
初めて耳にする二つ名にハノンは首を傾げた。
クレバスとは雪上などに出来る大きな割れ目の事だ。
それに何故、フェリックスが比喩されるのだろう。
「あんたの旦那、未だに超モテモテらしいじゃない?妻帯者でしかもその妻を溺愛している事は社交界で知らない者が居ないにも関わらず、それでも言い寄ってくる女は後を絶たないらしいわヨ?」
「ふーん……」
ーーまぁ知ってるけどね。
「だからもういい加減嫌になっちゃったんでしょうネ。あんたの旦那、知り合いではない女とは一切喋らなくなって、それどころか少しでも近付いたら一瞬で凍りつくような眼差しで睨まれるんだってサ。それはそれはもう、冷たぁぁい、氷点下の眼差しらしいわヨ♪」
「氷点下……嘘でしょう?」
普段自分や子ども達に向けるフェリックスの温かな眼差ししか知らないハノンには想像する事すら出来ない。
乳を飲み終えたリズムを縦抱きにして背中を優しくトントンしながら、ハノンはふと頭に湧いた疑問を口に出してみた。
「でもそれならよく物語とかでも比喩されるような氷の騎士とか、氷結の騎士とか、そう言った風に呼ばれるものではないの?何故クレバス?」
それを聞きメロディは一層ニヤけ顔を輝かせて言った。
「最初はネ、あんたが言ったようにちゃんと“氷の騎士”とかで呼ばれてたらしいわヨ?でも王太子殿下が、フェリックス=ワイズは冷たいだけでなく妻に対してかなり狭量な心の狭い奴だから、氷床に出来た狭い割れ目のクレバスの方がピッタリだと言われたそうヨ。以来王宮ではみんな、彼の事をクレバスの騎士と呼ぶ様になったんだってサ♡」
「……………」
ハノンはもはやどう答えてよいのか分からなかった。
クレバスの騎士。
言い得て妙なので反論の余地もない……
複雑な顔で押し黙るハノンを見てメロディは大笑いをしている。
耳元でリズムの大きなゲップの音が響いた。
「けっふ」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
次回の更新は木曜日です。
それは再会した二人が、互いの想いを伝えあった日だ。
幼いルシアンが魔力欠乏症になり、それをフェリックスが救ってくれた日。
二度目の夜をすごしたあの日だ。
あの時以来、フェリックスは毎年同じ日にハノンに赤い花の花束を贈ってくれる。
赤い花の種類は多いらしく毎年違う花を贈ってくれるが、どれも共通しているのは花弁の形がハノンの胸元の赤くなっている傷跡に似ているものだった。
かつては魔障により残った醜い傷跡だとハノンは気にしていたが、フェリックスと再会して「この上なく美しい世界で一つだけの赤い花」と言われてからは、自分と夫を繋ぐ大切な絆として好ましい印象に変わった。
そしてその絆の象徴として赤い花弁を持つ花が好きになったのだった。
それはフェリックスも同様らしく、以来記念日には赤い花を贈るのが彼の中での決まり事になったようだ。
でも赤い花の種類が多いこの季節は、記念日に関わらず、花を見つける度に持ち帰って贈ってくれるのだった。
今も寝室にはフェリックスから贈られた小ぶりな一重の赤い花が飾られている。
ハノンはその花を愛おしく眺めながらノエルに乳を飲ませていた。
ノエルは乳をよく飲み、寝グズもなくすんなりとよく寝る、手のかからない良い子だ。
三人目ともあって、母親のハノンの精神にゆとりがあるのも影響しているだろう。
乳をたらふく飲んだノエルを、ハノンは今度は縦抱きにして背中をトントンしてゲップをさせた。
そしてそのまま眠ってしまったノエルをベビーベッドに寝かせた時に、タイミングよくメロディが部屋にやって来た。
「ハノン~、りずむたんがそろそろお乳をご所望だってサ~♡」
リズムが断乳する月齢になるまでワイズ伯爵家の客間に滞在しているメロディ。
メロディ自身、初めての子育てであるもののとくに気負った様子もなく、豪快な子育てをしている。
「はいリズムちゃん、いらっしゃい」
ハノンはリズムを受け取ってノエルに与えた方ではない乳を含ませた。
んくんく、とリズムが懸命に乳を飲む姿を見て思わずハノンの頬が緩む。
赤ん坊は何故こうも皆等しく愛おしいのだろう。
大好きな親友が引き取った娘である事もそう感じさせる要因だろうが、きっとそうでなくても愛情を注がずにはいられない、そんな存在だ。
リズムを見つめるハノンの側で、メロディは寝室のサイドボードに置いてある赤い花を目敏く見つけ、ニマニマ顔を向けて来た。
「ホントあんた達っていつまで経ってもラブラブよネぇ♡」
これは揶揄いモードに入るなと眉を顰めたハノンが答える。
「……なによ何が言いたいのよ」
「いいえ~?また直ぐに孕ませられそうだナって思って♡」
「……授乳中は気を付けてるもの」
「ふーん♡」
「もうっ、何よ」
「いやね、一緒に暮らしてよく分かったんだけど、あんたの旦那ってホントに嫁の事が好きよネ~。家と外とでは別人じゃない」
「そうなの?」
「義妹の旦那に聞いたんだけど、あんたの旦那、近頃はクレバスの騎士と呼ばれているらしいわよ?」
「クレバスの騎士?」
初めて耳にする二つ名にハノンは首を傾げた。
クレバスとは雪上などに出来る大きな割れ目の事だ。
それに何故、フェリックスが比喩されるのだろう。
「あんたの旦那、未だに超モテモテらしいじゃない?妻帯者でしかもその妻を溺愛している事は社交界で知らない者が居ないにも関わらず、それでも言い寄ってくる女は後を絶たないらしいわヨ?」
「ふーん……」
ーーまぁ知ってるけどね。
「だからもういい加減嫌になっちゃったんでしょうネ。あんたの旦那、知り合いではない女とは一切喋らなくなって、それどころか少しでも近付いたら一瞬で凍りつくような眼差しで睨まれるんだってサ。それはそれはもう、冷たぁぁい、氷点下の眼差しらしいわヨ♪」
「氷点下……嘘でしょう?」
普段自分や子ども達に向けるフェリックスの温かな眼差ししか知らないハノンには想像する事すら出来ない。
乳を飲み終えたリズムを縦抱きにして背中を優しくトントンしながら、ハノンはふと頭に湧いた疑問を口に出してみた。
「でもそれならよく物語とかでも比喩されるような氷の騎士とか、氷結の騎士とか、そう言った風に呼ばれるものではないの?何故クレバス?」
それを聞きメロディは一層ニヤけ顔を輝かせて言った。
「最初はネ、あんたが言ったようにちゃんと“氷の騎士”とかで呼ばれてたらしいわヨ?でも王太子殿下が、フェリックス=ワイズは冷たいだけでなく妻に対してかなり狭量な心の狭い奴だから、氷床に出来た狭い割れ目のクレバスの方がピッタリだと言われたそうヨ。以来王宮ではみんな、彼の事をクレバスの騎士と呼ぶ様になったんだってサ♡」
「……………」
ハノンはもはやどう答えてよいのか分からなかった。
クレバスの騎士。
言い得て妙なので反論の余地もない……
複雑な顔で押し黙るハノンを見てメロディは大笑いをしている。
耳元でリズムの大きなゲップの音が響いた。
「けっふ」
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次回の更新は木曜日です。
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