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窓の向こうへ
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「なるほど。そうやって隘路を押し広げていくのですね」
「ぷっ……いやですわマリー先生ったら隘路ではなく販路ですわよ!隘路を押し広げるなんて、エッチなイメージしか湧きませんわっ!クックックッ……!」
女性家庭教師から経営学を学び始めて早やひと月。
女性教師はマリー・ルゥが古代官能小説の翻訳をしていると知るとすぐに興味を示し……
そして見事にハマっていた。
今ではマリー・ルゥが出した書籍三作品を読破し、他の作家の官能小説も読み漁っているらしい。
そしてマリー・ルゥのことをいつの間にか『マリー先生』と呼ぶようになっていたのである。
マリー・ルゥも教師のことを当然『先生』と呼ぶので、互いに『先生』と呼び合うおかしな状況になっている。
それに対し、エイダは「奥様がそれでよろしいのであれば」と塩っぱい対応であった。
この夜も授業が終わり、エントランスまで出て教師を見送る。
「ではマリー先生、また来週この時間に伺います。課題のレポートは翻訳の邪魔にならない程度で構いませんからね。早く新刊が出て欲しいですわ~」
「ふふ。先生、ありがとうございます。どちらも頑張りますね」
そう言って小さくガッツポーズをキメたマリー・ルゥを、教師はじっと不思議そうに見つめた。
その視線に気付いたマリー・ルゥが教師に尋ねる。
「先生?どうかされましたか?」
「いえ。オルタンシア伯爵夫人が静養のために社交を休んでいるお話は、私のような下位貴族の耳にも入ってきているのですが、見たところもう体調の方は大丈夫そうだなと思いまして」
「結婚早々、別邸に閉じ篭って社交をしない私に対して、やはり社交界では面白おかしく噂をされておりますか」
「面白おかしく……は、ええはい……。残念ながら下世話な話が大好きな人間はおりますからね」
教師の言葉を聞き、マリー・ルゥは肩を竦める。
「静養と称して妻は表には出て来ず、そして夫の側には妻でない女性が居ることを色々と言われているのでしょうね」
「正直に申し上げますとそんなところですわね。でも件の女性は仕事面での部下だという話も聞きますし。それに私は先日、面接でオルタンシア伯爵に直にお会いして、伯爵の奥様への愛を端々に感じましたもの。噂とは当てにならないものだとその時に思いましたの。マリー先生!体調がよろしいのであれば、これからはバンバン社交をなさってそんなつまらない噂など払拭してやればよいのです!」
「ふふ。そうですね……そうします」
それが許されるのであれば。
マリー・ルゥは微笑んで教師にそう答えた。
教師が帰った後。
マリー・ルゥはひとり、自室に戻った。
エイダには作業に集中するからひとりにして欲しいと告げている。
だけど何をする気にもなれず、部屋の照明を落として窓辺に腰掛ける。
そして月明かりに照らされて、ぼんやりと窓の外を眺めた。
どのくらいそうやって外を眺めていたのだろう。
いつの間にか月は空の高い位置に移動していた。
今宵は満月である。
銀色の月の光が街の至る所に降りそそぐ。
ありとあらゆる物が月明かりに照らされ、深い陰影を作り出していた。
窓の向こうには広い世界がある。
つい最近まで、マリー・ルゥもその世界の住人であったはずなのに。今ではこの小さな屋敷の、この窓から内側だけがマリー・ルゥが生きる世界だ。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
初夜に熱さえ出さなければ。
記憶させ失わなければ。
この窓の向こうの世界で、陽の光の下に居られたのだろうに。
少なくとも昼夜逆転の生活でなければ、無理やりにでも屋敷を飛び出しただろうに。
自分でも不思議なくらい、この鳥籠のような屋敷から離れられないでいる。
ここから出たい。
ただ、そう思った。
そして次にそれを言葉にする。
「ここから出たいわ……」
その瞬間。
「えっ……」
一瞬、どこかへと引き寄せられる感覚がした後に……
マリー・ルゥは先ほどまで窓から眺めていた、別邸の門扉に面した通りの真ん中に立っていた。
「えっと……?」
突然の出来事にマリー・ルゥは目を白黒させる。
辺りをきょろきょろと見回すも、真夜中であるために誰ひとりとして姿は見えない。
「私……どうして……?」
まさか一瞬でここに飛んだというのか。
外に出たいと、窓の向こうの世界に行きたいと強く願ったから。
一瞬で空間移動をしただなんて。まるで転移魔法でも用いたようだ。
でも低魔力保有者のマリー・ルゥにそのような高度な術が扱えるわけがない。
「これは夢ね。私、夢をみているんだわ」
窓辺に座り、外を眺めているうちにいつの間にか眠ってしまったに違いない。
そう考えるのが一番辻褄が合う。
「夜に眠ることが出来たなんて、私もやれば出来るじゃない」
マリー・ルゥはそう思うことにした。
折角外に出られたのだ。
これは願望が生んだ楽しい夢に違いない。
普通に考えれば、マリー・ルゥのような若い女性が真夜中の街に一人でいるなど有り得ない。
事件や事故に巻き込まれてしまう恐れがある。
だけど夢の中ならそんな心配は無用だ。
もし悪夢にすり変わって怖い思いをしたとしても、目を覚ませばいいだけのこと。
夢の中で起きたことなど現実ではないのだから……。
そう思うとなんだかワクワクしてきた。
不思議と夜の空気が肌に馴染む感覚がする。
マリー・ルゥは足元が華奢なルームシューズであるにも関わらず、ウキウキとした足取りで夜の通りを歩きはじめた。
見上げれば大きな銀色の満月。
不思議と窓から眺めるのより大きく感じる。
太陽を見なくなって久しいマリー・ルゥだが、満月の月明かりを陽の光に見立てて散歩を洒落こもうと決めた。
「夜の静寂が心地いいわ。頬にあたる風も感じるし、なんてリアルな夢なのかしら。ふふふ」
ころころと笑うマリー・ルゥの笑い声が夜の通りに落ちてころころと転がっていく。
いつまでも、どこまでも歩いてゆけそうな、そんな気がした。
これが現実であれば、このままどこかへ行ってしまえるのにとマリー・ルゥは思った。
その方がきっとアルキオも喜ぶだろう。
マリー・ルゥという先代からの柵から解放されて、真に望む相手を妻に迎えることが出来るのだから。
自分でも情けなく思うが、母を亡くして以来、いつだって自分は誰かにとって邪魔な存在だった。
唯一優しくしてくれたのはアルキオだったが、その彼も襲爵してすぐに他の女性を側に置いた。
今は間違いなくアルキオの枷となっている。
だから、彼の前から居なくなれば……。
だけど。そう考えただけなのに、マリー・ルゥの足取りが急に重くなる。
夢であるのに、夢の中でそう考えただけなのに、まるで足が鉛になったみたいに思うように動かない。
だって、本当はどこにも行きたくない。
許されるなら、アルキオの側にいたい。
いつも一緒に……なんて我儘は言わない。
お飾りの妻でもなんでもいい。
ただ時々でいいから、今のように顔を見せてくれたら……。
「なんてね。それじゃあ誰も幸せになれないから離婚のために一念勃起したんじゃない……私ったら、バカね……」
エイダが居れば「一念発起ですよ」とツッコミを入れられたのだろう。
だけどここには誰もいない。
「夢の中でも、私は一人ぼっちなのね……」
そうぽつりとつぶやいて、マリー・ルゥの視界に自身が履いているルームシューズが入った。
いつの間にか俯いてしまっていたようだ。
「外歩きをしたから、ルームシューズが汚れてしまったわ……」
お気に入りのピンクのサテンのルームシューズ。
甲の部分にサテンで形作られた小さな野薔薇がついている。
夢の中であるのに汚れるなんて、変なところで現実的なのだなと思ったその時突然、カツンという硬質な靴音が聞こえた。
マリー・ルゥはゆっくりと顔を上げ、その靴音を立てる人物に視線を向ける。
「……アルキオ様……?」
月明かりが煌々と輝く誰も居ない真夜中の通りに、夫であるアルキオが立っていた。
美しく静かな笑みを、マリー・ルゥただ一人に向けて。
「おいでマリー。迎えにきたよ。まだ外に出てはいけない」
一人ぼっちのマリー・ルゥに、アルキオが大きな手を差し出した。
◇───────────────────◇
アレ?と思われた方。
シ━━━ッd((ˊ皿ˋ ;)
「ぷっ……いやですわマリー先生ったら隘路ではなく販路ですわよ!隘路を押し広げるなんて、エッチなイメージしか湧きませんわっ!クックックッ……!」
女性家庭教師から経営学を学び始めて早やひと月。
女性教師はマリー・ルゥが古代官能小説の翻訳をしていると知るとすぐに興味を示し……
そして見事にハマっていた。
今ではマリー・ルゥが出した書籍三作品を読破し、他の作家の官能小説も読み漁っているらしい。
そしてマリー・ルゥのことをいつの間にか『マリー先生』と呼ぶようになっていたのである。
マリー・ルゥも教師のことを当然『先生』と呼ぶので、互いに『先生』と呼び合うおかしな状況になっている。
それに対し、エイダは「奥様がそれでよろしいのであれば」と塩っぱい対応であった。
この夜も授業が終わり、エントランスまで出て教師を見送る。
「ではマリー先生、また来週この時間に伺います。課題のレポートは翻訳の邪魔にならない程度で構いませんからね。早く新刊が出て欲しいですわ~」
「ふふ。先生、ありがとうございます。どちらも頑張りますね」
そう言って小さくガッツポーズをキメたマリー・ルゥを、教師はじっと不思議そうに見つめた。
その視線に気付いたマリー・ルゥが教師に尋ねる。
「先生?どうかされましたか?」
「いえ。オルタンシア伯爵夫人が静養のために社交を休んでいるお話は、私のような下位貴族の耳にも入ってきているのですが、見たところもう体調の方は大丈夫そうだなと思いまして」
「結婚早々、別邸に閉じ篭って社交をしない私に対して、やはり社交界では面白おかしく噂をされておりますか」
「面白おかしく……は、ええはい……。残念ながら下世話な話が大好きな人間はおりますからね」
教師の言葉を聞き、マリー・ルゥは肩を竦める。
「静養と称して妻は表には出て来ず、そして夫の側には妻でない女性が居ることを色々と言われているのでしょうね」
「正直に申し上げますとそんなところですわね。でも件の女性は仕事面での部下だという話も聞きますし。それに私は先日、面接でオルタンシア伯爵に直にお会いして、伯爵の奥様への愛を端々に感じましたもの。噂とは当てにならないものだとその時に思いましたの。マリー先生!体調がよろしいのであれば、これからはバンバン社交をなさってそんなつまらない噂など払拭してやればよいのです!」
「ふふ。そうですね……そうします」
それが許されるのであれば。
マリー・ルゥは微笑んで教師にそう答えた。
教師が帰った後。
マリー・ルゥはひとり、自室に戻った。
エイダには作業に集中するからひとりにして欲しいと告げている。
だけど何をする気にもなれず、部屋の照明を落として窓辺に腰掛ける。
そして月明かりに照らされて、ぼんやりと窓の外を眺めた。
どのくらいそうやって外を眺めていたのだろう。
いつの間にか月は空の高い位置に移動していた。
今宵は満月である。
銀色の月の光が街の至る所に降りそそぐ。
ありとあらゆる物が月明かりに照らされ、深い陰影を作り出していた。
窓の向こうには広い世界がある。
つい最近まで、マリー・ルゥもその世界の住人であったはずなのに。今ではこの小さな屋敷の、この窓から内側だけがマリー・ルゥが生きる世界だ。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
初夜に熱さえ出さなければ。
記憶させ失わなければ。
この窓の向こうの世界で、陽の光の下に居られたのだろうに。
少なくとも昼夜逆転の生活でなければ、無理やりにでも屋敷を飛び出しただろうに。
自分でも不思議なくらい、この鳥籠のような屋敷から離れられないでいる。
ここから出たい。
ただ、そう思った。
そして次にそれを言葉にする。
「ここから出たいわ……」
その瞬間。
「えっ……」
一瞬、どこかへと引き寄せられる感覚がした後に……
マリー・ルゥは先ほどまで窓から眺めていた、別邸の門扉に面した通りの真ん中に立っていた。
「えっと……?」
突然の出来事にマリー・ルゥは目を白黒させる。
辺りをきょろきょろと見回すも、真夜中であるために誰ひとりとして姿は見えない。
「私……どうして……?」
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外に出たいと、窓の向こうの世界に行きたいと強く願ったから。
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でも低魔力保有者のマリー・ルゥにそのような高度な術が扱えるわけがない。
「これは夢ね。私、夢をみているんだわ」
窓辺に座り、外を眺めているうちにいつの間にか眠ってしまったに違いない。
そう考えるのが一番辻褄が合う。
「夜に眠ることが出来たなんて、私もやれば出来るじゃない」
マリー・ルゥはそう思うことにした。
折角外に出られたのだ。
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普通に考えれば、マリー・ルゥのような若い女性が真夜中の街に一人でいるなど有り得ない。
事件や事故に巻き込まれてしまう恐れがある。
だけど夢の中ならそんな心配は無用だ。
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夢の中で起きたことなど現実ではないのだから……。
そう思うとなんだかワクワクしてきた。
不思議と夜の空気が肌に馴染む感覚がする。
マリー・ルゥは足元が華奢なルームシューズであるにも関わらず、ウキウキとした足取りで夜の通りを歩きはじめた。
見上げれば大きな銀色の満月。
不思議と窓から眺めるのより大きく感じる。
太陽を見なくなって久しいマリー・ルゥだが、満月の月明かりを陽の光に見立てて散歩を洒落こもうと決めた。
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ころころと笑うマリー・ルゥの笑い声が夜の通りに落ちてころころと転がっていく。
いつまでも、どこまでも歩いてゆけそうな、そんな気がした。
これが現実であれば、このままどこかへ行ってしまえるのにとマリー・ルゥは思った。
その方がきっとアルキオも喜ぶだろう。
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自分でも情けなく思うが、母を亡くして以来、いつだって自分は誰かにとって邪魔な存在だった。
唯一優しくしてくれたのはアルキオだったが、その彼も襲爵してすぐに他の女性を側に置いた。
今は間違いなくアルキオの枷となっている。
だから、彼の前から居なくなれば……。
だけど。そう考えただけなのに、マリー・ルゥの足取りが急に重くなる。
夢であるのに、夢の中でそう考えただけなのに、まるで足が鉛になったみたいに思うように動かない。
だって、本当はどこにも行きたくない。
許されるなら、アルキオの側にいたい。
いつも一緒に……なんて我儘は言わない。
お飾りの妻でもなんでもいい。
ただ時々でいいから、今のように顔を見せてくれたら……。
「なんてね。それじゃあ誰も幸せになれないから離婚のために一念勃起したんじゃない……私ったら、バカね……」
エイダが居れば「一念発起ですよ」とツッコミを入れられたのだろう。
だけどここには誰もいない。
「夢の中でも、私は一人ぼっちなのね……」
そうぽつりとつぶやいて、マリー・ルゥの視界に自身が履いているルームシューズが入った。
いつの間にか俯いてしまっていたようだ。
「外歩きをしたから、ルームシューズが汚れてしまったわ……」
お気に入りのピンクのサテンのルームシューズ。
甲の部分にサテンで形作られた小さな野薔薇がついている。
夢の中であるのに汚れるなんて、変なところで現実的なのだなと思ったその時突然、カツンという硬質な靴音が聞こえた。
マリー・ルゥはゆっくりと顔を上げ、その靴音を立てる人物に視線を向ける。
「……アルキオ様……?」
月明かりが煌々と輝く誰も居ない真夜中の通りに、夫であるアルキオが立っていた。
美しく静かな笑みを、マリー・ルゥただ一人に向けて。
「おいでマリー。迎えにきたよ。まだ外に出てはいけない」
一人ぼっちのマリー・ルゥに、アルキオが大きな手を差し出した。
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