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第二部

喪失

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 朝起きても隣に愛がいない。すやすや眠っているはずの愛がいない。私にしがみついて眠る愛がいない。愛がいるのが当たり前だったのに愛がいない。

 愛が座るイスなんて何の意味も持たない。愛が菓子パンをかじる姿が見えるのは幻覚なのだろうか。『……ママ……ママ……』と呼ぶ声が聞こえるのは、幻聴なのだろうか。あの日から私は精神安定剤が欠かせない。
  
 愛がいないのに愛の物があるのが辛かった。
 部屋を見渡すと、すべてが愛に繋がってしまう。愛がお気に入りのキャラクターのコップ。私の歯ブラシに寄り添う背の小さな歯ブラシ。愛と毎晩添い寝していたぬいぐるみ。靴箱に並んで眠る小さな靴達。愛が三歳の頃に油性マジックで壁に描いた猫かウサギの落書き。すぐに飽きてしまったお風呂のオモチャ。シールだらけのタンスの下から一段目と二段目は愛専用で、自分で服を畳んでしまうのが愛の日課だった。

 此処には愛の存在が染み付いている。気がつけば食器棚やタンスは倒れ部屋はめちゃくちゃに荒れ果ていた。

 どうやら隣人が警察を呼んだらしく、硝子の破片で手足が血みどろになっていた私は取り押さえられていた。泣き叫ぶ私は病院につれていかれ注射を打たれた。それからだ。精神安定剤が必需品になったのは……。
   

 愛が乗っていない自転車は軽すぎる。簡単に加速してしまうし、軽い坂道も立ち漕ぎをする必要がない。こんなにも楽なのに辛い。

 ねえ、ママに何か話しかけてよ。いつもみたくママの脇腹こちょこちょしてママを怒らせてよ。ほらママの背中にもたれて寝てもいいんだよ。背中が空で軽すぎる。まるで身体の一部を失くしてしまったかのよう。愛の存在が大き過ぎて私自身の存在の意味がわからない。

 愛と同じくらいの小さな子供を見ると涙が出てくる。哀しいとかじゃなくて自動的に涙が出る。そして泣き出したらいつまでも涙は止まらなくなる。
  
 そして此処に来ると、ほんの少しだけほっとする。だけど痛々しくて切なくて複雑な気持ちにもなる。

「愛……ママだよ。今日もいい天気だね」

 私は絶えることなく愛に話しかけながらその小さな身体を拭く。

「髪伸びたね」

 私の呼びかけに愛は応えてはくれない。愛は眠っている。ずっとずっと眠っている。鼻に管を通して眠っている。

「ほんとに愛は相変わらず寝起き悪いよね。いい加減、もう待ちくたびれちゃったよ」

 愛の胸に落ちた涙を拭いてパジャマを着せ替える。
  
 あれからどれくらいの月日が経ったのだろう。わからない。わかりたくもない。日が昇り沈んでは月が浮かぶ。何度も何度も繰り返しているだけ。今日が何年何月何日何曜日であろうと私には関係ない。それを把握するだけ無駄。愛がいなければ休む必要がない。休んだって意味がない。愛との思い出と時間を過ごすのは残酷すぎる。愛がいない私はいったい何をすりゃあいいんだ。生理の日は口だけ使えばいいピンサロで働いている。毎朝愛の顔を見てからその後はラストまで働く。

 借金返しながら入院費稼いで愛が目覚めるのを待っている。ただただ待っている。目覚める保証はない。

 でも祈ることはしない。あんだけ言ったのに私から愛を奪いやがった。やっぱりカミサマなんて居なかった。全て燃やしてしまいたかった。でも放火なんてして捕まっちまったら誰が愛の入院費を稼ぐ? だから命を燃やして働き続ける。稼ぎ続ける。
  
 白い体液を全部吸い出してやるのさ。精魂まで吸い尽くしてやるんだ。くわえすぎて顎が外れそうだ。アソコが擦れ過ぎて着火しそうだ。そしてヘトヘトになった私は終電に揺られて帰る。駅前のスーパーで野菜ジュースを買って帰宅。一応、身体には気を使ってんだ。病気でもして寝込んじまったら金も稼げなくなる。

 だから毎日極限まで身体を酷使して帰ったらミンザイ飲んで即効グッドナイト。こうすれば何も考えずに済むんだよ。
  
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