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16歳

突然

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 今日も日が沈んだ。闇は白い壁も白い天井も黒く塗り潰す。真っ黒な世界では私も真っ黒。

 もうどうしようもない。これは事実だ。現実だから。もとに戻るだけ。ナニモナイ日々ニ……。

 私は生きるのでしょうか? 皺くちゃの老婆になるまで、仕方なく生きていくのでしょうか? 暗い海に浮かび続けるのです。ただただ流されて、全身ふやけて歳老いていくのです。

 なんでしょうか? この感じ……。彼が他の女性と仲良くしていただけなのに、ばっさり背中を切り裂かれたような痛みと衝撃。ずきずきします。じゅくじゅくしています。

 だから動けないのですか? だから何もする気になれないのですか? だから食事も喉をとおらないのですか?

 メールの着信音とディスプレイの明かりが闇を切る。ケータイを覗く行為さえ身体が重たい。

『何度メールしても返信ないけど、何かあったのかな? 心配です。何時でもいいからメールか電話ください』

「……こんな私の何が心配だっていうのよ!」

 私は彼がわからなくてケータイを投げた。彼からメールがくる度に私は泣く。それを毎日繰り返すだけ。 

 アラームをセットしていなくても、勝手に目が覚めてしまう。力が入らない。だけど生きている。生きている。どうしようもなく生きている。

 動かねば……動かねば……このまま動かねば汚物になってしまう。毎日毎日、目から涙を出し、体中から汗を出し、股間から糞尿を出し、時に血を出す……汚すだけの生物。私は汚物。これが私の実態。もう厭だ。こんなの厭だ。

 メールを読み返す。

『赤く燃える太陽が昇っていくのを見ると、生命力がみなぎってくる』

 添付された朝日の画像。日の出が見たいと思った。重い躰に鞭を打ち自転車を漕いで、いつもの土手へ向かった。

 私はこの日の出に何を望んでいるのだろう。赤い光りが四方に伸びる。徐々に燃えるような赤い丸が姿を表す。この情熱のような色が地上を染める。そして私も染まっていく。

 彼も今見ているだろうか。メールのやりとり。なにより彼に逢うと、心がこの色になった。躰の中心が熱くなった。

 メールは今でも毎日きている。でも返信はしない。できない。これ以上私の感情が彼に流れると、私はもっと深手を負ってしまう。そんな気がする。この意味不明な防衛本能はなんなのだろうか。 

 誰かを想うことは、こんなにも苦しいものなのだろうか。こんなにも胸が痛いものなのだろうか。もし彼がただの友達だったら、誰と何してようが、ここまで落ち込むことはないかもしれない。

 こんなこと考えもしなかった。こんなにも誰かを想うことなんて、今まで一度もなかった。ハッとした。こんがらがっていた糸がスルリと解けた。

 そうだったのか。そうだったんた。これは恋愛感情というヤツで、私はきっとトミーくんが好きなんだ。

 今になってはっきりわかった。だから私は今、こんなにも辛いんだ。苦しいんだ。泣いてるんだ。嫌気がするほど多数の男に好かれていた私の馬鹿過ぎる鈍感。笑う気にもなれない。

 赤い……赤い……私の心の中心が燃えるように赤くて熱い。この感情を自覚したからといって私に成す術はない。友達でいい……なんてきっと思えない。だから私はメールを返せないんだ。

 彼だって、顔を隠した得体のしれない女と、どうこうなりたいわけがない。車に飛び込もうとしていた私に、彼は同情しただけなんだ。

 彼の優しさなんだ。それに私が酔っていただけ。真っ赤な顔で頭にネクタイを巻いて、鮨の土産をぶら下げた千鳥足のサラリーマンのように……。

 ああ、恥ずかしい。そんな自分が恥ずかしすぎる。私は気味悪い女だということを、完全に忘れていました。……ゴメンナサイ。
   
 何度か電柱にぶつかりそうになりながら家にたどり着くなり、介護が必要な老婆のようにベッドに身を沈めた。重く深い溜息が部屋の空気を淀ませる。

 毎朝、彼から必ずくるメールは今日はこない。でも何故かケータイが鳴るのを待つ自分がいる。

 これでいい……これでいいはずなのに、彼との繋がりが途絶えただけで、いいようのない不安と絶望に襲われる。何もかも失くなってしまったような喪失感。自分だけ異世界に取り残されたような疎外感と虚無と孤独。

 そしてその日は、彼からのメールがこないまま闇の時間を迎えた。闇の時間はいつもより長く続いた。一睡もできなかった。

 闇は一分一秒を何倍にもする。永遠のように永い時間はまるで拷問のように、無理矢理ネガティブを喉に押し込んでくる。吐いても吐いても詰め込まれる。

 やがてカーテンの色が光に透けてくると、少しだけマシになる。まあ、でも、ほとんど変わらない。昨日から最低限の水分しかとっていないのに尿意がある。面倒だ。今日は何も口にしないと決めた。

 そして、また、あっという間に闇の時間。そして今何時かわからない闇の中に一筋の光り。それは新着メールを告げるケータイの発光だった。

 嘘みたいに私の手が俊敏にケータイを捕らえる。そしてメールを開く。

『今朝お母さんが手首を切って自殺しました。僕は今、屋上の手摺りに腰掛けています。最期に賭けをしませんか? 僕は堕ちる方に賭けます』

 全身の毛が逆立つような鳥肌がたちバッと立ち上がる。

「どうしよどうしよどうしよどうしよ……」

 もう一度メールを見て、返信のボタンを押した。

 何をうてばいい……焦るばかりで真っ白に発光するディスプレイ。私はカゴの中のハムスターのように部屋中を動き回る。……そうだ、電話しよう! 即座に電話をかけるが、電源を切られている。ダメだ! もう私は考えるより先に部屋を飛び出していた。
  
 漕いだ。自転車を漕いで漕いで漕ぎまくった。信号なんて目に入らなくて何度かクラクションを鳴らされた。

 病院につくが正面口からは入れない。緊急外来の入口を思い出し、インターフォンを鳴らし、大変なんです! と凄んで強引に中に入った。

 すぐに階段を見つけ、死に物狂いで駆け登る。呼吸が続かない。でも、たとえこの心臓が壊れても私は走り続けるだろう。階段が途切れ、屋上の扉が現れた。私は屋上に飛び出した。低い空に浮かんだ橙色の満月が私の目に飛び込んできた。

 目を凝らせばクレーターまで見えそうなほどだ。不気味だ。不吉だ。怖くなった。

「トミイイイくううううん!」

 私は叫んだ。それは頭に浮かぶ最悪な光景を振り払うため。地球が自転し、月が遠退いていく音が聞こえてきそうな静寂に覆われる。
 大きな満月は妖しく浮かび、赤みを増していくようだ。

 此処には誰もいない。……いや、それともいなくなったのか……。恐る恐る手摺りに近づき、薄目で下を覗き込んだ。グシャグシャになった人の姿はない。

 でもまだ安心するにはまだ早い。この病院の屋上は広い。この緊張感に徐々に慣れていき、次々と下を確認する。屋上から見える範囲をすべて確認し終わる頃、安心と不安が混在していた。急に立っているのが辛くなって、地面に腰を落とした。

 身体を支える腕にも力が入らなくなり、寝そべって闇空を仰いだ。これはどういうことだろうか。

 屋上の手摺りとは、病院の屋上ではないのか。トミーくんの家の屋上かもしれない。でもトミーくんの家を私は知らない。

 じゃあ、どうして私にメールをしたのだろうか。わからない……わからないよ、トミーくん。

「……トミーくん……どこにいるの?」

 小石よりも小さい夜空の星は、流れ星にはならないけど、私は口に出して願った。

「トミーくんに逢いたい」
 

 

  
 
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