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Book 1 – 第1巻

Op.1-44 – Joy

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「光、あんたのその感覚、誰も理解できんよ?」

 明里は光が手で指揮をしながらそれに合わせて「起立」「気をつけ」「礼」の号令を様々なリズムで"変奏"しながら1人で勝手に遊んでいるのを見て少々呆れながらも楽しそうに注意する。

「え? でも明里分かっとーやん」
「分からん、分からん。一緒にせんで」

 明里の一言に不満気な表情を見せた光を見て沙耶は少し吹き出す。

「ほら、今村さんも笑ってくれよる」
「多分違うことで笑っとるんよ」

 2人の掛け合いのテンポの良さ、絶妙な間、的確な言葉選びを聞いていると何だか漫才を見ている気分になる。

「(意外だな……)」

 光はクラスの中では (勿論、"あの時"の騒動を沙耶は知っているものの) 基本的に大人しくしており、授業中によくある、生徒と教師の応酬において笑いが起こった時も派手やかに笑うことはなく、クスッと笑う程度。
 そんな反応をしていれば、思春期の男の子、それどころか女の子ですらも光に惹かれることは想像に難くない。

 現に沙耶自身も光の一挙手一投足に注目しており、数年前に光が披露した圧巻の即興演奏を目撃したことを差し引いても自然と彼女に視線を向けてしまうのだ。

 明里にしてもそうだ。

 彼女は光よりもずっと社交的で、誰とでも分け隔てなく明るく接するものの、今現在、沙耶の目の前で見せているような底無しの笑顔で、ここまで口悪く相手に (特に同性相手に) リアクションしているような姿を教室ではあまり見せていない。
 
 何より彼女は中学の頃から学級委員などを歴任する優等生タイプで、クラスを光とは違った意味で周囲を俯瞰して見ているような節がある。
 『面倒見の良いお姉さん』といった感じで一緒になって話しているというよりはどちらかと言うと空気を読んで相手を見守りながら会話に参加している、といった具合に感じる。

 分類上は違えど、クラスを第三者的に見ている印象がある光と明里の2人が職員室に向かうまでの大した距離でもない道すがら、沙耶にこれまでの2人に対するイメージとはかけ離れた、多くの驚きを届けている。

「でもほら、今村さん吹部やけん私の感覚分かるよ?」
「いや、私もベースやっとーし、何ならリズム隊やけどお前の感覚分からんて」

 沙耶は光の言葉にまたしても驚く。直後に光から「分かるよね?」と話を振られて反応が遅れたのもそれがいきなりだったからではなく、光が沙耶は吹奏楽部に所属しているということを知っていると分かったからだ。

「ほら、沙耶も困っとーやん」

 明里がキョトンとした表情を浮かべている沙耶を見て光に注意する。光は沙耶の顔を見て明里の言葉が正しいと思ったのか、不服そうな顔をする。

「あ、いや、そういうことじゃなくて……」
「ほら! 今村さん、分かるってことやん!」

 沙耶が微妙に否定しようとしたのを見て鬼の首を取ったかのような勢いで明里に向けて言い放つ。

「いや、うちも光ちゃんの言ってることはよく分からんけど」

 沙耶は思わず否定し、光も明里も少し驚いた顔をした後に光はパチっとした大きな目を小さくして口を尖らせ、一方の明里は手を軽く叩きながら笑う。

「今村さんにもてあそばれた」

 光は少し泣くようなジェスチャーを交える。沙耶は少しキツめな言い方になってしまったのではと一瞬不安になったが、光の様子から本気で嫌がっているわけではなく、むしろ楽しんでいることが分かったために安心し、畳み掛ける。

「いや、吹部にいること知っとったんやなって。あ、あと光ちゃんの言っとることは分からん」
「強調せんでいい!」

 光はすかさず沙耶に突っ込む。明里は「沙耶、光の扱い上手いやーん」と言ってお腹を押さえながら大笑いしている。3人とも一通り笑いあった後に光が沙耶に向けて答える。

「そりゃ今村さんが吹部なん知っとーよ? 前でサックス吹いとるやろ? 花形でカッコいいやん」

 確かにネットなどで吹部におけるサックスのイメージはフルートやトランペットと並んで目立ち、実際、楽器選択においてもこの3つの楽器はとても人気があった。
 更に沙耶が演奏するサックスはアルトサックス。テナーサックスやバリトンサックスほど大きくなく、また、サックスの形のイメージから少しかけ離れてしまうソプラノサックスと違い、ちょうど良い大きさで見た目的にも映えて見える。

 しかし、光がジャズのことを好きだと知っている沙耶には少し意外にも感じた。そこまで詳しいわけではないが、ジャズではトランペットやテナーサックス奏者がよく注目されているような気がしていたからだ。

「それに今村さん可愛いけん、余計に目立っとるしね」

 光の一言に沙耶は少しだけ顔を赤らめる。こうした一言を光が言うイメージがあまりないため、その破壊力は計り知れない。

「え? 光もしかして沙耶のこと口説いとるん? あんたには無理ばい? 競争相手多いっちゃけん」
「諦めません、勝つまでは」

 教養があるのか、無いのか微妙なラインの返しをした後に光はもう一度沙耶に話しかける。

「いつも楽しそうに吹いとるし、放課後に正門近くの駐輪場でよく練習しとろ? あれで見かけるけん」

 鶴見高校の正門をくぐって左奥には独立した建物があり、そこの1階には学生たちが学食として利用する食堂が設置されている。そしてその2階には音楽室と合唱室があり、その2部屋の間には音楽教師の職員室がある。

 放課後、音楽室では吹奏楽部のミーティングや練習などが行われる。また、多くの楽器が揃う吹奏楽部においてこの一室だけでパート練習をすることは不可能であるため、日替わりで各パートは外で練習する。
 
 吹奏楽部の生徒たちが鳴らす楽器の音色は他の部活動生にもよく聴こえており、校庭で活動する体育会系の部活生が、それをBGMに走り込みやそれぞれの競技による練習をしている様子は正に青春といった表現にふさわしく、夕方の陽光も付け足されるとまるで映画のワンシーンのような絵ができあがる。

 沙耶たちサックス奏者たちは音楽室を出てすぐのところにある職員、来賓のための駐車場を通り過ぎた所にあるスペースでよく音出しをしており、光と明里は下校の際によく彼女らを目にするのだ。

「見られとるって全然知らんやった……」

 自分が一方的に憧れている存在に自分の練習の様子を見られていたという事実が沙耶に恥ずかしさを助長し、少し言葉数が減ってしまう。

「そんな恥ずかしがらんでも……。でも楽器弾いとる時って楽しくて周り見えんくなって時間も分からんくなるよね」
「うん!」

 光の言葉に大きく賛同した沙耶はそれまで感じていた恥ずかしさを忘れて少し食い気味に返事をする。

 どんなに凄いプレイヤーであってもその"楽しい"という感覚は素人に毛が生えた程度の自分とも変わりはないのだと安心し、それが音楽の普遍的なものなのだと沙耶が確信した瞬間だった。

 3人は25Rから端の21Rの前まで歩くと、2年生の教室がある3階から2階に降りて職員室へと接続する渡り廊下へと差し掛かった。

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