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Book 1 – 第1巻
Op.1-8 – Coming
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「それじゃ、後で行くけん」
「んや、私がベース持って行くよ。家に鍵盤無いし」
「OK。来る前に連絡入れとって」
「りょかーい」
明里は光に告げると12階に到着したエレベータから降りる。エレベーターから出る瞬間、既に携帯を操作してポケットの中からイヤホンを取り出している光の姿を視界の端に捉える。
光のことを理解していない人間ならば友人に対して冷たいという印象を持つだろう。しかし、12階から13階へ移動し、エレベーターを降りて1207号室までの僅かな移動時間に自分が気になる楽曲のセクションを耳で聴いて自分の糧にしようと取り組んでいるのだ。
過剰なまでのストイックさと探究心。この2つが光の音楽に対する情熱を支えていると言っても過言ではない。
光のそんな特性を前々から知っている明里は何とも思っていない。寧ろその姿勢を尊敬しており、自分も見習わなければと思っている。
「(遠いな……)」
光は4歳になってからピアノを習い始め、5歳の頃にジャズ/フュージョンに興味を持ち始め、7歳の頃に山内穂乃果を知ってテクニカルミュージックに傾倒し、プログレ、メタル、ジェントといったジャンルにも手を出し始めた。最近では寧ろギタリストの楽曲を聴いている始末である。
そして8歳の時には作曲をし始め、今では自分の作曲スタイルを朧げながら確立しつつある。(先生からはもう少し音楽の幅を広げるべきだという注意は受けているようだが)
一方で明里がベースを触り始めたのは中学1年生の夏から。光が視聴していた動画を一緒に観ているうちに段々と楽器に興味を持ち始め、叔父が持っていたベースを譲ってもらい、本格的に習い始めた。
途中、高校受験といった障害はあったものの、小さい頃から光のピアノをすぐ側で眺めていたり、一緒になって音楽を聴いたりしていた影響もあってか上達が早く、今ではレッスンで課される曲の他にも自分で曲を漁ってコピーして練習している。
それでもコピーするまでには時間がかかり、また、頭で理解することを優先する明里は先日のハリー・ウォルトンのベースで行き詰まったように明里の中での常識の範囲が狭い。
この事を自覚している明里は常にマイペースに新しいものを追い求める光の姿勢を尊敬しつつ若干の焦りも感じている。
「ただ~ま~」
気の抜けた声を出しながら明里は1307号室の鍵を開けて中へと入っていく。
「お帰り」
明里の声を聞きつけた母・祐美が玄関まで出迎える。
「委員会か何かあったん?」
ローファーを脱ぐ娘の姿を見ながら祐美が尋ねる。
「んーん、今度の文化祭クラス合唱の曲決め」
「あれ? この間のテストの後に話し合いあったんやないと?」
「あん時は伴奏者決まっただけ。皆んなテスト終わってぶっ壊れとったけん、曲決まらんかったんよ」
「そうなんや」
祐美は明里の学生鞄を手に持って「手、洗ってき」と告げて明里の部屋へと運ぶ。
「結局、伴奏は光ちゃんじゃないんやっけ?」
「先週も言ったやん、光がやるはずないって。西野が伴奏やるんよ」
手に石鹸をつけて洗いながら明里が答える。
「光ちゃん、学校でもやれば良いとに」
タオルで手を拭きながら祐美のぼやきを聞き、明里が返す。
「あ、でも私、光と文化祭のバンドオーディション出るよ?」
「誰とー?」
「光と2人で。デュオで」
軽快に会話を交わしていた祐美の声が一瞬途絶える。明里が自室へ向かって来ているのを察して部屋の扉からひょっこりと顔を出しながら明里に尋ねる。
「大丈夫なん? 光ちゃんに無理やりやらせようとしとるんと違う?」
明里は「心外だ」といった具合に眉をひそめて答える。
「違うよ。ちゃんと光がOKしてくれたよ」
明里は祐美の前を通り過ぎて自室に入り、「わぁ!」と感嘆の声を上げる。それもそのはず、明里が待ちわびていたコントラバスが本棚の隣に立てかけられていたのだ。
「昼頃にお祖父ちゃんが持って来てくれたよ。電話でお礼し」
目を輝かせながら弦を弾いている明里に祐美が言う。明里は「ほーい」と返事をした後にリビングにある固定電話へと向かった。
「あ、後でその子持って光の家行くけん」
明里が思い出したかのように立ち止まって祐美の方を振り返って話しかける。
「あらそうなん? 練習でもすると?」
「多分? まだ曲すら決めとらんけど!」
そのまま明里は慌ただしくリビングの方へと向かって行った。
「(浮かれとんね~)」
明里の背を見送った後に祐美はコントラバスの方を見ながらフッと笑う。リビングの方では「あ! お祖父ちゃん?」と明るい声で電話を始めた明里の声が聞こえてくる。
光と明里は幼稚園で初めて出会ってから高校まで同じ道を歩んできた。光が一生懸命にピアノに取り組む姿や普段は物静かな光が好きな音楽の話になると饒舌になる様子を見て明里も徐々に音楽に惹かれていった。
そして中学生の頃、それまでは同じピアノだと光と一緒に演奏できないと言って始める楽器を考えている時にバンドを陰で支えながら音楽に奥行きを与えるベースに興味を持ち始め、趣味でベースを演奏していた叔父の存在も相まって練習を始めるに至った。
––––いつか光と一緒に演奏するんよ
口癖のようにそう言っていた娘を微笑ましく見守っていた祐美は、2人で一緒に演奏することを聞いて自分のことのように嬉しく思っている。
去年の文化祭バンドオーディションに落選した時の明里の落ち込みようは見ていられないほどに酷く、「光に嫌われたかもしれない」と塞ぎ込んでいたほどである。(実際には光は何事も無かったかのようにケロッとしており、明里の不安は杞憂に終わった)
「お母さーん!」
ふと物思いに耽っているとリビングの方から自分の名前を呼ぶ明里の声が耳に入る。
「はいはい、今行くー!」
そう言いながら祐美は部屋を出て明里の元へと向かう。
「お祖母ちゃんが替わってって」
明里が受話器を祐美に手渡しながら告げる。受話器を受け取ると明里は「光のとこ行ってくるけん」と言い、祐美は手で「OK」とサインを送る。
「もしもし……」
顔が緩んでいる娘の横顔を見ながら祐美は70を越えた母の応対を始めた。
「んや、私がベース持って行くよ。家に鍵盤無いし」
「OK。来る前に連絡入れとって」
「りょかーい」
明里は光に告げると12階に到着したエレベータから降りる。エレベーターから出る瞬間、既に携帯を操作してポケットの中からイヤホンを取り出している光の姿を視界の端に捉える。
光のことを理解していない人間ならば友人に対して冷たいという印象を持つだろう。しかし、12階から13階へ移動し、エレベーターを降りて1207号室までの僅かな移動時間に自分が気になる楽曲のセクションを耳で聴いて自分の糧にしようと取り組んでいるのだ。
過剰なまでのストイックさと探究心。この2つが光の音楽に対する情熱を支えていると言っても過言ではない。
光のそんな特性を前々から知っている明里は何とも思っていない。寧ろその姿勢を尊敬しており、自分も見習わなければと思っている。
「(遠いな……)」
光は4歳になってからピアノを習い始め、5歳の頃にジャズ/フュージョンに興味を持ち始め、7歳の頃に山内穂乃果を知ってテクニカルミュージックに傾倒し、プログレ、メタル、ジェントといったジャンルにも手を出し始めた。最近では寧ろギタリストの楽曲を聴いている始末である。
そして8歳の時には作曲をし始め、今では自分の作曲スタイルを朧げながら確立しつつある。(先生からはもう少し音楽の幅を広げるべきだという注意は受けているようだが)
一方で明里がベースを触り始めたのは中学1年生の夏から。光が視聴していた動画を一緒に観ているうちに段々と楽器に興味を持ち始め、叔父が持っていたベースを譲ってもらい、本格的に習い始めた。
途中、高校受験といった障害はあったものの、小さい頃から光のピアノをすぐ側で眺めていたり、一緒になって音楽を聴いたりしていた影響もあってか上達が早く、今ではレッスンで課される曲の他にも自分で曲を漁ってコピーして練習している。
それでもコピーするまでには時間がかかり、また、頭で理解することを優先する明里は先日のハリー・ウォルトンのベースで行き詰まったように明里の中での常識の範囲が狭い。
この事を自覚している明里は常にマイペースに新しいものを追い求める光の姿勢を尊敬しつつ若干の焦りも感じている。
「ただ~ま~」
気の抜けた声を出しながら明里は1307号室の鍵を開けて中へと入っていく。
「お帰り」
明里の声を聞きつけた母・祐美が玄関まで出迎える。
「委員会か何かあったん?」
ローファーを脱ぐ娘の姿を見ながら祐美が尋ねる。
「んーん、今度の文化祭クラス合唱の曲決め」
「あれ? この間のテストの後に話し合いあったんやないと?」
「あん時は伴奏者決まっただけ。皆んなテスト終わってぶっ壊れとったけん、曲決まらんかったんよ」
「そうなんや」
祐美は明里の学生鞄を手に持って「手、洗ってき」と告げて明里の部屋へと運ぶ。
「結局、伴奏は光ちゃんじゃないんやっけ?」
「先週も言ったやん、光がやるはずないって。西野が伴奏やるんよ」
手に石鹸をつけて洗いながら明里が答える。
「光ちゃん、学校でもやれば良いとに」
タオルで手を拭きながら祐美のぼやきを聞き、明里が返す。
「あ、でも私、光と文化祭のバンドオーディション出るよ?」
「誰とー?」
「光と2人で。デュオで」
軽快に会話を交わしていた祐美の声が一瞬途絶える。明里が自室へ向かって来ているのを察して部屋の扉からひょっこりと顔を出しながら明里に尋ねる。
「大丈夫なん? 光ちゃんに無理やりやらせようとしとるんと違う?」
明里は「心外だ」といった具合に眉をひそめて答える。
「違うよ。ちゃんと光がOKしてくれたよ」
明里は祐美の前を通り過ぎて自室に入り、「わぁ!」と感嘆の声を上げる。それもそのはず、明里が待ちわびていたコントラバスが本棚の隣に立てかけられていたのだ。
「昼頃にお祖父ちゃんが持って来てくれたよ。電話でお礼し」
目を輝かせながら弦を弾いている明里に祐美が言う。明里は「ほーい」と返事をした後にリビングにある固定電話へと向かった。
「あ、後でその子持って光の家行くけん」
明里が思い出したかのように立ち止まって祐美の方を振り返って話しかける。
「あらそうなん? 練習でもすると?」
「多分? まだ曲すら決めとらんけど!」
そのまま明里は慌ただしくリビングの方へと向かって行った。
「(浮かれとんね~)」
明里の背を見送った後に祐美はコントラバスの方を見ながらフッと笑う。リビングの方では「あ! お祖父ちゃん?」と明るい声で電話を始めた明里の声が聞こえてくる。
光と明里は幼稚園で初めて出会ってから高校まで同じ道を歩んできた。光が一生懸命にピアノに取り組む姿や普段は物静かな光が好きな音楽の話になると饒舌になる様子を見て明里も徐々に音楽に惹かれていった。
そして中学生の頃、それまでは同じピアノだと光と一緒に演奏できないと言って始める楽器を考えている時にバンドを陰で支えながら音楽に奥行きを与えるベースに興味を持ち始め、趣味でベースを演奏していた叔父の存在も相まって練習を始めるに至った。
––––いつか光と一緒に演奏するんよ
口癖のようにそう言っていた娘を微笑ましく見守っていた祐美は、2人で一緒に演奏することを聞いて自分のことのように嬉しく思っている。
去年の文化祭バンドオーディションに落選した時の明里の落ち込みようは見ていられないほどに酷く、「光に嫌われたかもしれない」と塞ぎ込んでいたほどである。(実際には光は何事も無かったかのようにケロッとしており、明里の不安は杞憂に終わった)
「お母さーん!」
ふと物思いに耽っているとリビングの方から自分の名前を呼ぶ明里の声が耳に入る。
「はいはい、今行くー!」
そう言いながら祐美は部屋を出て明里の元へと向かう。
「お祖母ちゃんが替わってって」
明里が受話器を祐美に手渡しながら告げる。受話器を受け取ると明里は「光のとこ行ってくるけん」と言い、祐美は手で「OK」とサインを送る。
「もしもし……」
顔が緩んでいる娘の横顔を見ながら祐美は70を越えた母の応対を始めた。
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