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ゾンビの坩堝【1】
ゾンビの坩堝(3)
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距離を詰めないよう、自分はスローテンポにならざるを得なかった。半纏越しの背中からは、筋肉のアンバランスや背骨の変形が透けてくる。こうした姿勢や動作、そして青みがかった肌がゾンビ病、ゾンビと呼ばれる理由……自分は、壁の横手すりに目をそらした。それに沿って鈍色の、コの字取っ手付きの片引き戸が並ぶ一方、窓は近隣住民への配慮からすべて埋められていて、地下墓地にでも入り込んだ錯覚にとらわれる。北という方角のせいか、デイルームから離れるほど立つ鳥肌……疲労と眠気に加え、微熱が頭をぼやけさせていく。護送車の車内で聞かされたところでは、この施設は閉鎖された老人ホームを改修したものだそうで、二階建ての一階には指導員も詰めている事務室、機械室や厨房などがあり、ここ二階はデイルームを間に北館と南館とに分かれ、合わせておよそ百名を収容可能だそうだ。30パーセントほどに調光された照明、空調設備やスプリンクラーに見下ろされながら共同の洗面所、脱衣所とシャワー室の説明をざっとされ、天井隅からレンズを光らせる監視カメラを目の端に北東の角を曲がったところで自治会長、そして自分も足を止めた。
放置された、がらくた――と見間違ったそれは、くたびれた浮浪者さながらに座り込み、壁にぐったりともたれた裸足の老人……床に投げ出された左腕で、ウォッチが2049と表示している。枯れ野じみた白髪頭が弱々しく上がって、荒れ放題の白ひげ、どろんとした面長顔を見た自分は、ロバだ、ロバ先生だ、と頭に浮かんだ。一昔、二昔前まで草をのそのそ食むごとく教壇に立っていた、そんな印象……自治会長は顔を背け、反対側の壁の手すりにかすりそうなほど避けたので、自分もウォッチが鳴らないよう、この病に悪影響が及ばないように同じ動きをした。それから自治会長は共同トイレの説明をし、その手前――乾燥機付き洗濯機が脇に置かれた、小部屋のドアを気だるげな目で示した。
「ここは、汚物処理室。のぞいてみなさい」
言われた通りレバーハンドルを握り、開けると、真っ暗な中からねっちゃりした臭いがあふれ出す。とっさに閉めて振り返ったときには、自治会長は無言で歩き出していた。老人ホームの業務なんて知るはずもないが、ここで汚れたおむつの処理などをしていたのだろうか……マール、マール、マール……のろのろと北通路を歩き、149号室前を過ぎて西通路にぶつかったところで自治会長は奥まった北西の行き止まりそば、角部屋の148号室を指差した。
「あの二人部屋の手前が、君のスペース……施設支給の日用品は、床頭台に置いてあるはずだ」
潰れた鼻を148号室から背け、ため息を飲み込むように自治会長は続けた。
「奥には2540番……女の子がいる。同室者とは仲良くするように」
放置された、がらくた――と見間違ったそれは、くたびれた浮浪者さながらに座り込み、壁にぐったりともたれた裸足の老人……床に投げ出された左腕で、ウォッチが2049と表示している。枯れ野じみた白髪頭が弱々しく上がって、荒れ放題の白ひげ、どろんとした面長顔を見た自分は、ロバだ、ロバ先生だ、と頭に浮かんだ。一昔、二昔前まで草をのそのそ食むごとく教壇に立っていた、そんな印象……自治会長は顔を背け、反対側の壁の手すりにかすりそうなほど避けたので、自分もウォッチが鳴らないよう、この病に悪影響が及ばないように同じ動きをした。それから自治会長は共同トイレの説明をし、その手前――乾燥機付き洗濯機が脇に置かれた、小部屋のドアを気だるげな目で示した。
「ここは、汚物処理室。のぞいてみなさい」
言われた通りレバーハンドルを握り、開けると、真っ暗な中からねっちゃりした臭いがあふれ出す。とっさに閉めて振り返ったときには、自治会長は無言で歩き出していた。老人ホームの業務なんて知るはずもないが、ここで汚れたおむつの処理などをしていたのだろうか……マール、マール、マール……のろのろと北通路を歩き、149号室前を過ぎて西通路にぶつかったところで自治会長は奥まった北西の行き止まりそば、角部屋の148号室を指差した。
「あの二人部屋の手前が、君のスペース……施設支給の日用品は、床頭台に置いてあるはずだ」
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