うろたもも

GANA.

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海村

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 気が付くと、どてっと砂浜にあぐらをかいていた。目の前では、ざざあん……ざざあん……と寄せては返す波がぎらついている。熱に浮かされているかのような太陽を頂く紺碧の彼方、ぼやけた水平線上には見覚えのある島影……鬼ヶ島が黒くかすんでいた。左右では、はぁはぁと舌を出したイヌが横たわり、翼をたたんだキジが気だるげに伏せ、サルは陽に焼かれながらまだらに漂う雲を仰いで大の字……――
 ……そうか、鬼ヶ島での死闘を引きずっているのか……――
 かく思う自分も全身汗まみれで疲労困憊……両手には肉を斬り、突き刺し、引き抜く感覚が夢うつつのごとく残っている。しかし、今は事後ではない。血風渦巻くさなか、いつの間にかさかのぼって鬼ヶ島に渡る前……彼方の島影をぼんやり眺め、じんわりと状況を受け入れる。ぴょんぴょんさかのぼって、しかも先々の出来事を知っているというのは実に妙な感じだ。これからどこかであの小舟を調達して海を渡り、鬼どもをばったばったと斬り捨てるのだ。そういえば、このけだものたちもそれぞれかみつき、突っつき、ひっかいてそれなりに役立っていたな……そばの砂をつかんで持ち上げ、指を緩めると、乾いた熱がさらさらとこぼれていく。
 おい、とイヌを呼ぶと、とんがり耳が動いてだるそうにこっちを向く。お前はよく働いてくれたからたくさん褒美をやるぞ、と言うと、飛び上がって尻尾を振り振り、わんわんと歓喜しながらその場を回った。
 桃太郎サイコー! あっぱれ桃太郎!! 桃太郎は天下一!!!
 単純な奴だが、悪い気はしない。すると横からキーッと顔面真っ赤なサルが食ってかかってきた。あまりの剣幕にのけぞり、倒れそうになる。どうやら、自分にも分け前をよこせ、と訴えているらしい。
 分かった、分かってるよ。お前にはやらないなんて言ってないじゃないか……――
 それを聞いたサルは、約束を違えたらただじゃおかないぞ、と言わんばかりににらみつけ、どたっとまた大の字になってふんと鼻を鳴らした。あきれて、これだから畜生は……と思いながらため息をつくと、今度はキジの鳴き声が鼓膜をつつく。
 そりゃ労働の対価として至極当然ですよ。あんな死ぬ思いをしたというか、するんだから割り増してもらわないと見合わないくらいです。あなたも見たでしょう、このワタシの立派な働きぶり!
 黒ずんだ緑の胸を張り、かぎ爪形のくちばしを誇らしげに挙げるキジ……こいつはまったくもっていけ好かない奴だ。そのうち絞めて丸焼きにしてやろうか……しかしながら、見た目からしてまずそうなのだが……そんなことを考えていると、忖度したらしいイヌがキジに牙をむいた。
 やい、この鳥野郎! 天下の桃太郎になんて口の利き方だ! だいたい、お前なんか鳴き声を引きつらせながら逃げ回って、ときどきやみくもに突っついていただけじゃないか! そこいくとこの勇猛果敢な俺は八面六臂の大活躍! 一番の功労者は間違いなくこの俺だ。褒美も一番たくさんもらうにふさわしい!
 するとサルが青筋のぎざぎざを走らせ、ふざけたことを言うな、とばかりにいきり立つ。戸惑うこちらを中心に出来上がった三角形の頂点がいがみ合い、吠え声と鳴き声の火花を散らす。
 お、おい、やめろ! やめないかっ!!
 声を荒げると汗が噴き出し、鉢巻きや着物とべたついて不快感が増す。かっとなって立ち上がり、刀を抜くと三匹は渋々引き下がったものの、いつまた勃発するか分からなかった。これでよくもまあ、鬼退治なんてできたものだ、というかできるものだな、とぼやき、刀をぶきっちょに鞘に戻して座り込む。
 ところで、とキジが羽ばたき、ぎょろっとこちらを見上げる。ワタシたちは、なぜ鬼退治をするんですか?
 はあ?
 奇妙な問いに首をひねり、こいつはやっぱりおかしいのだろうか、とじろじろ……宝を持ち帰るために決まっているじゃないか。イヌは、何を訳の分からないことを言っているんだ、と吠え、サルが指差してキーッキッキッキッと嘲笑すると、キジは曲がったくちばしを尖らせた。
 理由ですよ! 鬼退治をする理由! ワタシにはさっぱりです。誰か、知っていますか?
 鬼退治の理由……――
 まつ毛から汗が入り、右目を瞬かせる。腕組みをすると、陣羽織と着物の袖とがこすれ合った。そう言われてみると確かに、鬼退治をして宝を手に入れるという目的があっただけだが……――
 あれだろ、もっとさかのぼれば分かるだろ。旅立つ前くらいまでさ。
 さすが桃太郎! イヌがわんわん褒める。そうだ、そうだ! 今分からなくたって全然おかしくない!
 はぁ……嫌味なため息をつき、キジは青緑の頭を左右に振った。聞いているのは、正当な理由すなわち大義名分があるかってことですよ。鬼退治を思い立ったきっかけじゃありません。
 耳をほじっているサルが目の端に映る。うまく飲み込めずにいると、ばさばさっとキジは羽ばたいた。
 考えてみてくださいよ。宝目当てで旅立って、そのまま乗り込んでいたとしたら……鬼たちは襲ってきましたけど、野の獣はもちろん人間だって、縄張りに入られたら黙ってはいないわけですしねえ。それを片っ端から殺したのだとすれば、これは鬼畜の所業だというそしりを受けかねませんよ。
 バカ野郎! イヌが激高。ふざけた因縁つけやがって! あんな見るからに恐ろしい怪物、とんでもない悪さをしているに決まってるだろ!
 だったら、とキジが反り返る。それを証明しませんとね。
 だから――いら立ち、眉毛にたまった汗を手で拭う。それだって、旅立つ辺りまでさかのぼればはっきりするだろ!
 自信があるのですか? こちらを仰ぐ黒目がいやに大きく見える。もし、なかったらどうします? 
 そ、そんなはずは――
 ないと言い切れるのですか?
 口ごもると、桃太郎を侮辱するのか、とイヌが吠え立てる。腹立たしかったが、あらためて考えるほど疑わしくなってきた。はたして自分は旅立つとき、あるいは旅の途中で大義名分を立てた、いや、立てられるのだろうか……もし、そのための理由がなかったとしたら……まさか! あんなふうに首まで取ったからには、そうされるだけのものが鬼どもにはあるはず……そうは思うものの、ぶくぶく膨れる疑念で胸が苦しくなってくる。
 そんなこと、ここで言っていてもしょうがないだろ! 確かめる方法でもあるってのか!
 キジはもったいぶった顔でイヌとサルに目をやり、それからこっちをぎょろっと見上げて、己の利口さにほろ酔いといった調子で話し始めた。
 あるにはありますよ。ワタシたちはこれからあの島に渡るわけですが、そのためには小舟を調達しなければなりません。
 それがどうした! イヌが突っかかると、キジはうるさそうな目つきでそれを払った。
 よく考えてくださいよ。あんな小舟が都合よくその辺にあると思いますか? つまり、どこかから借りたか譲り受けたかしたのではないでしょうかね。こういった海の近くには、村の一つくらいありそうなものですよね。その村はこれだけ鬼ヶ島のそばなのですから、きっと何らかの被害を受けているでしょう。鬼の悪行、それさえ確かめられれば一安心ですよ。
 なるほど、とひざを打つ。ようし、村を探して自分の行いは正しいと確かめよう。イヌに人のにおいが近くにないか探らせると、喜んでとばかりに尻尾を振って磯臭い熱気をくんくん嗅ぎ、あっちの方にたくさんあるようだと言うので、ぐだっと寝転がっているサルを起こし、キジの後ろから砂に草履の跡を残していく……汗をかきかき、ぽた、ぽた、と垂らしていくうち、陽光の欠片を散らす波がざわついてきた。もうろうとした太陽が中天からすっかり離れた頃、はたして小さな海村が行く手に浮かび上がってくる。陸をまろやかにえぐる入り江、なだらかな山並みを背に段を成す田畑の間……板葺きをいくつもの石で押さえる石置屋根の家が十数戸、肩を組むようにして立っており、網が干され、物見やぐらが立つ浜辺には潮風にもまれた風情の小舟が数艘、丸太で固定されていた。おお、小舟があったと足を速めて一番手前に近付き、なでるとざらざらとした感触……このどれかがあの荒海を渡ったものだろうか。違う気もするが、とにかく小舟は見つかったわけだ。
 よかったですね、桃太郎!
 尻尾を振ってイヌが吠える。言った通りでしょう、と得意げなキジ……サルはというと、浜に打ち上げられた貝殻からめぼしいものを探している。気配を感じて目を向けると、日に焼けた子どもたちが物珍しそうに遠巻きにし、塩辛そうに色褪せた着物姿の老若男女が漁具の手入れや魚をさばく手を止めてこちらをいぶかっている。陣羽織に着物、袴というなりはともかく、お供がこいつらでは奇異の目で見られても仕方がない……恥ずかしさから背中が曲がり、海村の者のものであろう足跡ででこぼこの砂地に目を落とす。
 桃太郎! イヌが一声吠える。天下の桃太郎ここにあり、とあの連中に見せつけてやってください!
 ためらい気味にうなずき、どうにか背筋を伸ばして村人たちの方に向き直る。鬼の悪行を確かめに来たのだし、できれば小舟を融通してもらいたいのだ。ぎこちない微笑で踏み出し、開き干しされる魚たちの横を通って……話しかけやすそうな相手を探す自分は、丸太の椅子に腰かけ、二つの桶の上に渡した板の上で魚をさばいていた女に近付いた。包丁を握ったまま口を半開きにする、ややとうが立った顔……興味津々に子どもたちがわらわら寄ってくる。女の前に立ち、見下ろす格好で、ぅんッ、とくぐもった咳払いをし、あの……と遠慮がちに口火を切る。
 自分は、旅の者ですが――
 わあっと子どもたちが笑い、けだものたちを指差して顔を見合わせる。やはり、この三匹のお供がおかしいらしい。それはそうかもしれないというかそうだろうが、こっちまで馬鹿にされた気がしてむかっ腹が立った。子どもたちにイヌが低くうなり、サルは足元の小石をつかんで黄ばんだ歯をむく。
 小汚い小童どもなんか放っておきなさい! キジが神経質に羽ばたく。それより鬼です。鬼のことを聞いてください。
 分かっている、と気を取り直して、再び女に焦点を合わせる。
 それでその、この村に立ち寄ったのですけれど、あそこに見える島――言葉を切り、水平線上の黒い染みを指差す。旅の途中で耳にしたところによると鬼がいるそうですが、本当ですか?
 土産話を仕入れるふうに尋ねると、女はこくんとうなずいた。
 ああ、そうだよ。あの島には鬼がたくさん住んどる。それがどうかしたか?
 ええ、その鬼って、頭から角を生やした怪物だそうですが、これだけ島が近いと色々被害というか、ひどい目に遭っているのではありませんか?
 ひどい目?
 ぽかんとする女……すると、周囲から笑いが起こる。そして程よく脂の乗った、がっしりとしたがたいの中年男が腕組みし、にやにやこちらを矯めつ眇めつして言った。
 なんもひどいことなんてありゃせん。わしらと鬼とは仲間じゃ。
 仲間?
 首をかしげると、別の小太り男が、昔はかかわらんようにしとったがな、と後を続ける。
 遠目でも分かるあんな姿じゃからな、漁のときに見かけてもみんな恐ろしがって近寄らず、あることないこと言うとったんじゃ。けど、あのことがあってから変わったんじゃ。
 あのこと?
 ちょうど去年の今頃のことじゃけど、わしとこいつが――と、小太り男は隣の、目つきも体つきも細く引き締まった若者の肩をぽんと叩いた。沖で漁をしとったらにわかに空が崩れてきての、流されてしもうたことがあったんじゃ。しかも高波にひっくり返されての、必死に泳いで気が付いたら、ほれ、あの鬼ヶ島の浜に打ち上げられとったんじゃ。幸いふたりとも無事じゃったが、舟はないし、どうやって村に帰ろうかと途方に暮れとったところに鬼たちがやってきよったんじゃ。わしらは震え上がっての、こいつなんか小便ちびりそうじゃったわい。ところが鬼たちはわしらを見て事情を察したらしく、まずは火を焚いて暖を取らせ、魚まで焼いてくれたんじゃ。すきっ腹には涙が出るほどありがたかったわい。そうして人心地がついたところでわしらにちょうどいい小舟を運んできたんじゃ。あれはきっと、鬼の子どもが漕ぐもんじゃろうな。言葉は通じんし、見た目はおっかないが、鬼たちはほんに良くしてくれたわい。わしらは手を合わせて小舟に乗り、そうして帰ってきたというわけじゃ。ほれ、あれがそのときのもんじゃ。
 指差す方に目をやると、他とは少し作りの違う小舟が他と並んでいる。鬼の小舟……あれだ、あの小舟が荒海を渡ったものだと思い当たる。そして、中年男がまた口を開く。
 それからわしらは、鬼を恐れなくなった。漁のときに鬼たちを見かけたら、譲り合って魚を取っているんじゃ。わしらと鬼たちとは同じ海に生きる家族じゃな。
 そんな馬鹿な……あっけにとられ、立ち尽くしてしまった。あんな怪物たちが、人助け……とても信じられない……イヌもキジもサルも狐につままれたような顔をしている。
 そ、そうは言っても……この村ではなくても、よそで鬼の悪さを耳にしたことはありませんか? 
 根も葉もないうわさばかりじゃな、と腕組みした中年男が即答する。他の者たちも、そうだ、そうだ、とうなずいた。
 で、でも……それじゃ、ひどい目に遭ったという言い伝えとかは……――
 ありゃせんよ、と今度は小太り男が肉付きのよい腕をむっちり組み、じろりとこちらをにらむ。
 お前さん、一体何を探っとるんじゃ?
 えっ? い、いえ……ただ、その、なにしろあんな恐ろしい姿なので、悪さをしているのではないかと……――
 見た目で判断しとるのかい。面構えが悪い奴は悪党か?
 そ、そういうわけでは……――
 どうも胡散臭いな……中年男が笑みを消す。まさか、鬼退治をして名を揚げようと考えているんじゃあるまいな?
 まっ、まさか!
 両手を振って否定すると、小太り男の隣の若者が笑いながらこちらを指差す。
 こんな珍妙なお供と生白い大将とで鬼退治なんぞできるもんかよ。鬼たちに一ひねりされるのが落ちじゃ!
 ははは!――海村の衆の笑い声が、いつの間にか濁った薄曇りにばあっと飛び立つ。日焼けした顔が、老いも若きも男も女も嘲りで崩れている。子どもたちが口々に、ちんみょう、ちんみょう、とはやし立てると、イヌが牙をあらわにうなる。いやいや、実際に鬼を退治したというかこれからするんだが、そんなことを言ったところでますます笑われるだけだろう。しかし、それにしても笑い物にし過ぎではないだろうか……堪忍袋の緒が切れたイヌがわんわん吠え、股間をおっ立てたサルは小石を海村の衆に投げたが、相手は見世物を楽しむごとく面白がるばかり……辱めに震えるこぶしの脇でキジが、何も知らないくせに愚かな連中だ、という顔をしていた。
 さっさとお父とお母のところへ帰れ! 中年男が右手を振る。鬼に悪さしようもんなら、わしらが黙っちゃおらんぞ。ほれ、さっさと帰らんか!
 かえれ、かえれ、と手を叩き、はやし立てる子どもたち……女たちは苦笑してそれぞれの作業に戻り、腕組みの男衆が薄笑いをたたえて立つ。いたたまれなくなって目をそらし、唇をかんで踵を返すと草履が力なく砂にめり込んだ。
 このままでいいのですか!?――そう不満げに吠えるイヌを無視し、たくさんのあざけりを背中に受けながら足早に海村を離れて……沖からの風が海を波立たせ、浜から貝殻をさらっていくその先には、湿った影のよどむ、鬱蒼とした山がそびえていた。
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