とある男のプロローグ

サイ

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第二章

一九話

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歌声が聞こえる。
嗄れて調子の外れた歌声だ。

「わたしの人形はよい人形。お目目はぱっちりいろじろで。」

子どもの啜り泣く声が聞こえる。
肉を叩く音と、くぐもった悲鳴も。

「小さい口もと愛らしい。わたしの人形はよい人形。」

甘ったるいお菓子の匂いが鼻を突く。
愛くるしいぬいぐるみの群れがを囲って嘲笑っている。

「わたしの人形はよい人形。歌をうたえばねんねして。」

血に濡れた股を生温かい白濁液が伝う。
ああ汚い。

「ひとりでおいても泣きません。わたしの人形はよい人形。」

法悦の吐息混じりに「蕾ちゃん」と名前を呼ばれる。
僕は蕾ちゃんじゃないのにね。

「わたしの人形はよい人形。」

ちがう。
ちがうよ、僕は人形じゃないよ。
その歌きらい。
もうやめて、怖いよ、気持ち悪いよ、痛いよ。
お願い、やめて、やめてください。
お願いします。
やめ

「私の可愛い蕾ちゃん。」

耳を撫でる粘ついた吐息に、幼い心に罅が入るのを自覚した。
…………あぁ、そうだ。
そう、これは記憶だ。
オジサマに引き取られてから“蕾ちゃん”になるまでの、洗脳と調教の日々の記憶。
毎日が恐ろしくて悍ましくて。
大人でも耐えられないほど狂った日常を強制された俺は、いつからだったか、夢を見るようになったんだ。
愛らしい薄桃色の部屋で繰り返される蛮行の映像が揺らいで滲んで、ジワリと溶けて。
そして新たに形を成したのは、真っ赤な夕陽に染まった粗末な一室の光景だった。
家具一つ無い部屋はホコリまみれで、微かな雨の匂いと腐った生ゴミのような据えた匂いが充満してお世辞にも衛生的とは言い難い。
そんな場所で、俺は泣いた。
この夢を見るたび何度も何度も。
現実世界で泣けば折檻をされるから、この誰もいない夢の中だけでもと、泣いて泣いて泣いて、泣き続けた。
しかし毎日毎日飽きもせず泣きわめいていればいつしか涙も枯れて冷静にもなるというもので、ある日の俺はひとしきり泣いた後ふと周囲を見渡してみたんだ。
そうしたら、驚いたことに人がいた。
その人は汚くて硬い床に身を横たえて、こちらに背を向けて眠っていた。
自分一人だとばかり思っていた俺は心底驚いて、思わず「ぇ、だれ?」と呟いていた。
泣きすぎて掠れ切った声ではあったが、この静寂の中であれば十分彼の耳にも届いたようで、気だるげに身じろいだ背中がゆっくりと寝返りを打ってこちらを向いた。
伸び放題でほつれた真っ赤な髪と淀んだ深緑色の瞳が特徴的な、自分より少し年上くらいの薄汚れた少年だった。
しばし見つめ合っていると、彼は何を思ったか両腕を広げて「ん。」とハスキーな声を漏らした。
脈絡のない行動ではあったが、俺は何の疑問を抱くこともなく四つん這いで少年の下までにじり寄り、垢の浮いた両腕の中へと身を寄せた。
鼻を突く獣のようなひどい匂い。
体を抱き寄せる腕は不器用で、少し痛い。
それなのにどうしてか骨ばったその温もりが心地よくて、俺は久しぶりにぐっすり眠ることができたんだ。
それから、夢の内容が変わった。
夕暮れの部屋で目を覚まし、少年の訪れを待ち、そしてともに眠る。
時にはくすんだ窓辺に二人並んで、ただ黙って日が暮れ星が瞬く様を眺め続けた事もあった。
どれほどの時間を共に過ごしたか知れないが、いつしか俺は少年を“カガリくん”と呼ぶようになっていた。
日本語を解さないらしい彼も俺の発するその単語が自身の呼び名であることだけは理解してくれたようで、呼びかけると無愛想な表情をクシャッとさせて振り返ってくれるのだ。
彼のその笑顔が。
惜しみなく分け与えてくれる温もりが。
静かに寄り添う存在そのものが。
“五十嵐 涼”と言う消えかけの存在を照らしてくれる、たった一つの篝火かがりびだったんだ。
だが、穏やかで幸せな時はいつか終わる。
そう。
そうだ、あれは、あの日は、酷い日だった。
初めてオジサマの友人たちにをして、体中を弄くり回されて。
疲れ果てて意識を失って、いつもの夕暮れの部屋で目覚めた。
カガリくんはまだいない。
一人ぼっちで待つ時間が、恐ろしかった。
自分の体が汚くて、吐き気がして、死にたくなった。
目を覚ましたら死のうと思った。
だから、せめて思い出だけでも残しておきたくて、俺は落ちていた錆びた釘で部屋の扉に文字を彫ったんだ。

「りょうとかがりくんのへや」

幼い腕ではたったそれだけの文字を彫ることすら重労働で、一心不乱になって掘り続けた。
だから、気が付かなかったんだ。
背後に忍び寄る人間の存在に。

『あぁ?何だこのガキ。あの悪たれの住処って聞いてたんだが…』

酒焼けた大人の男の声。
あぁ、この時はコイツがなんて言ったかは理解してなかったんだっけ。

『つ~か、おい、おいおいおいおい!何だこのガキの頭ぁ!おい、見ろよ!』

階下へ向けて叫ぶ男の声に反応して、他にも数名の男たちがゾロゾロと姿を現して物珍しそうに俺の顔を見つめたんだ。
そうか。
この時は知る由もなかったけど、コイツラにとっては黒髪や黒目が珍しかったんだろうな。
だからこの先の展開も、今なら納得がいく。

『黒髪に黒目たぁ珍しい。ツラもなかなか良いじゃねぇか。』
『オークションにでも出せば軽く1千は下らねぇなこりゃあ!』
『ひははは!そりゃ3人で割っても釣りが出らぁ!あんなチンケなこそ泥なんざ放っといて急いでスクレ行きの馬車を手配しなくちゃあな!』

理由もわからず大人の男に怯えて固まる俺をいとも容易く抱えあげ、男たちは足早に階段を下りて建物を脱した。
その時。

『ぁぁあああ゛あ゛!!!』

掠れた雄叫びが響くと共に俺を担ぐ男の腕が緩み、石畳の地面へと投げ出されて強かに背中を打ち付けた俺はたまらず肺の空気を吐き出し身悶えた。
今なお響く獣じみた雄叫びに男たちの怒号と聞き慣れた肉を打つ音が加わると、咆哮はやがて唸り声へと変わり、唸り声は次第に呻き声となり、最後には男たちの怒声と肉を打つ音だけが残った。
痛みに硬直した体を強引に起こし、聴くに絶えない物音の方向へ霞む視線を向けると。
カガリくんが。
男たちに殴られながら。
それでも、それでも、行かせまいと、必死に抵抗を……
あ。

『このガキ、いい加減くたばれや!!』

大きな拳が、カガリくんの頭を。
あたま。
あ、あたまから血が。
血が、たくさん出て、カガリくんがた、たお、たおれて。
あぁ、変な音が聞こえる。
キンキンして耳障りだ。
カガリくんが大変なのに、うるさい。
……あれ、ちがう。
これ、僕の悲鳴だ。

『おい、あのガキ黙らせろ!耳がどうにかなっちまう!!』

ギロリとこちらを睨む男の眼差しに、体がすくむ。
上手に蕾ちゃんでいられない俺をなぶるオジサマと、同じ目をしていたから。
だからこそ分かる。
これ以上酷いことをされないための方法を、僕はよく、知っている。

『あ?おい、お前ら、あれ見ろよ。』

こちらを睨んでいた男が、ニタリと笑って声を上げる。
その呼びかけに振り向いた男たちも、俺の姿を見てほんの一瞬驚きを露わにして、そしてすぐに下卑た笑みを浮かべた。
ジロジロと無遠慮な視線におずおずと微笑みを返しつつ、ネグリジェのボタンを一つ、また一つと外して素肌を晒して見せる。

『へっへへへ、ガキのくせにこりゃあとんだ好き者じゃねえか。』
『殊勝だねぇ!』
『お~お~、可哀想に、傷がついてやがる。前の飼い主によっぽど酷い目に遭わされたんだなぁ。』

ドサリ。
少年を床に放り投げて、男達がこちらへとにじり寄ってくる。
舌舐めずりする男達を流し見つつ、今しがた出てきたばかりの廃屋へと足を踏み入れ男達を手招いた。
誰から楽しむかと話し合いながら後に続く男達の意識の中には、もはや少年の事など残ってはいない。
最後に振り返ると、瞼も開かない程顔を腫らした少年が、地面に倒れ伏したままヨロヨロとこちらへ手を伸ばしていた。
もうそれだけで、十分だった。
ありがとう、大丈夫だよ。
こんな事、僕は慣れっこだから。
大好きな君を守れるなら、へっちゃらなんだ。
だからまた明日になったら、一緒に眠ろうね。
腫れ上がった両目からポロポロと涙を流し血に濡れた唇を震わせ何かを言おうとする彼に、できるだけ優しく見えるように微笑んでみせた。

「またね。」

逃げて。
遠くへ。
これから起こる事が見えないように、聞こえないように。
遠くへ、ずっとずっと遠くへ逃げていて。
そう切に願いながら、軋む扉を閉じた。
僕の服を剥ぎ取った男たちは露わになったきず物の少年の裸体に驚きはしたものの、股を開いて挑発すればすぐにその気になった。
屈強な腕に組み敷かれ、滑った舌が無遠慮に素肌を這い回り、性臭を放つ剛直が調教の果に柔らかくなった秘所をこじ開ける。
乾いた肌の裂ける痛みに苦鳴を漏らした、その時。

ゴシャっ!

と、凄まじい破壊音とともに閉ざしたばかりの戸が砕け、床に飛び散った。
あまりに突然の出来事にギョッと目を向けて、全身から血の気が失せていくのを自覚した。
彼がいた。
逆光になって表情は見えない。
しかし黒く陰った顔の中で唯一、深緑の瞳だけが爛々と異質な輝きを放って淫らで浅ましい情景を凝視しているのが分かった。

『あ。』

みられた。
脳内にその一言が浮かんだ瞬間、眼前で起こらんとしていた凶行の映像が揺らいで滲んで、ジワリと溶けて。
そして再び形を成したのは、愛らしい薄桃色の地下室オモチャ箱
誰もいない部屋に一人佇んで、可愛らしい花模様のあしらわれた天井を何となしに見上げる。
ああ、そうだ。
全部思い出した。
最初はただ、現実が苦しかっただけなんだ。
日々思い知らされる人間の残忍さや醜悪さに、心底ウンザリしてた。
けれど何より嫌だったのは、作り替えられつつある自分を自覚してしまうことだった。
身体中を余すことなく舐め回される事に慣れを感じた時。
外で暮らす同年代の子達は決して知らないであろう汚らわしい行為に快楽を見いだした時。
容赦なく振るわれようとする暴力を宥めるため、無意識に少女じみた猫なで声で媚びた時。
そして……そして、自分の名前を、思い出せなかった時。
“五十嵐 涼”と言う人格が、ゆるゆると真綿で首を絞めるように殺されつつあることを自覚してしまって、酷く苦しくなった。
あの夢を見るようになったのは、そんな消されつつある自己を守るための幼く拙い現実逃避だったのかもしれない。
まぁ、調べる術もないし、どうでもいいのだけれど。
大事なのは、カガリくんに出会ったこと。
言葉も通じない、俺の事なんて何一つ知らないカガリくんの前でなら、俺は純粋無垢な “五十嵐 涼”子供でいられたんだ。
だからこそ。
カガリくんに“蕾ちゃん”としての姿を見られた瞬間、純真無垢な少年としての“五十嵐 涼”は死んだんだ。
夢から覚めた時、俺はカガリくんと過ごした2年間の記憶を失っていた。
否、失ったのではない。
彼との穏やかで優しい思い出を、自ら心の奥底に閉じ込めてしまったんだ。 
カガリくんに己の醜い有り様を見られたことが、今まで感じたどんな苦痛や悲嘆や恐怖よりも遥かに耐えがたい絶望だったから。

「……ごめん。」

頬を伝う涙をソッと拭われる感触に、胸が抉られるように痛む。
自分の弱さが嫌になる。
20年もの間、彼は片時も忘れずにいてくれたと言うのに。
俺はさながら悲劇の主人公のような顔をしてのうのうと生きてきたのだ。
会わせる顔がない。
けれど。
それでも。
いい加減、目を覚まさないと。
目を覚まして、長い間待たせてしまった友人に謝らないと。
謝って、もし許してもらえたなら……
その時は、自己紹介から始めさせてもらいたいな。

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