とある男のプロローグ

サイ

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第二章

十四話

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「そろそろ、降りる。いい?」

俺の薄っぺらい胸に顔を埋めたまま微動だにしない男に声をかけると、ギロリと睨まれた。
体制が体制だけに全く怖くはないが。

「……………………………………分かった。」

長い長い沈黙の末、嫌そうな、そりゃあもう心から嫌そうな顔でノロノロと腕を解いた男に苦笑し、今度は彼の隣へと腰掛ける。
これから話をしようってのに抱っこされたままじゃあ寝落ちしかねないし、何よりいい年した男二人であんなベタベタしてるのもどうかと思うし。
そう自分に言い聞かせて磁石のように男の方へと吸い寄せられようとする体を必死に律する俺の隣で、彼は先程までの殊勝な態度などまるで無かったかのように両腕を背もたれに掛け、偉そうに踏ん反り返った。

「で、何から話す?」

ニヤリと口角を吊り上げてさもニヒルに笑って見せている彼だが、つい今し方までベタベタに甘えて来てたんだよな……と考えれば何やら可愛らしく思えてくる。
生暖かい笑みを浮かべつつ、一先ずは今日一番聞きたかった事を口にした。

「今、状況、聞きたい。」
「あ?状況だぁ?」

そう、状況だ。

「オーナー、社長に、俺、あげるから、雇った。俺、どうなる?売られる?俺、買った奴、返す?」
「馬鹿言うな、誰が売るか。手放すくらいならお前を喰って死んだ方がマシだ。」

サラリと冗談とも本気ともつかない事を宣い、彼は続ける。

「まぁ、順を追って話すとだな。」

一拍置いて、節くれ立った指が一本ピンと立つ。

「まず一つ。お前は今、エテレインの支部にいる。」
「えて、れいん……」

確か、昨晩俺を襲った男達が零していた単語だ。
てっきりクソデブの名前とばかり思っていたが、どうやら何かの組織の名称らしい。
ん?組織……?

「……キャラバン、後ろ、組織いる、聞いた。」
「何だ、あのガキお前に組織の事話してたのか?口の軽いこった。」

ギラリと剣呑な光の灯った瞳に、冷や汗が流れる。

「あ、えっと、オーナー、怒る、ダメ。」
「庇ってやってんのか?お前を騙くらかしてここまで連れて来たクソ野郎だろうが。」

自分でそうさせた癖に、男は弓形に歪んだ瞳に苛立を浮かべて吐き捨てた。
確かに彼の言う通り。
俺はオーナーに騙された。
それは事実だし、失望を覚えたのも本当だ。
しかし。

「オーナー、俺、騙した。けど、それだけ。酷い事、怖い事、なにも、しない。優しい。」

殴られたり焼きごてを押し付けられたり、犯されたり罵られたり、人格を否定されたりタダ働きさせられたり、そんな理不尽を強いられた事は一度だってなかった。
ここに連れて来るだけが目的なら、適当にふん縛って無理矢理に引きずって来ることだってできたのに、彼はそうしなかった。
態々あんないつでも逃げ出せるような自由な環境に俺を置き、適性の給料をキッチリ支払った上で人並みの仕事を与え、俺を一人の人間として扱い、尊重してくれた。
それに何より、彼は自ずから俺を騙した訳ではないのだ。
全ては組織……この男の言うエテレインへの恩を返すために已む無く行った事。
故に俺は彼を恨んではいないし、むしろ感謝してさえいる。
彼が酷い目に遭うのは、寝覚めが悪い。

「あと、オーナー、会わないと、たぶん俺、死んでた、し。」

どうにか男の怒りを収めようと持ち得る語彙を駆使して拙く弁護する俺をジッと睨むように見つめたまま、男は口をへの字に曲げてムスリと口を噤んだ。
静かな見つめ合いの後、先に目を逸らしたのは男の方だった。
険しかった表情を呆れに塗り替え、やれやれと首を振る。

「……甘っちょれぇな。」
「そう、かな。」
「あぁ。………だが、アイツにはその方が効くかもな。」
「???」

意地の悪い表情でポツリと呟かれた言葉の意味が分からず首を傾げる俺の頭を乱雑に撫で、男は脱線した話を強引に軌道修正した。

「まぁ、アイツの事はどうでもいいとして。お前が言った通り、キャラバンの出資者はエテレインだ。」

そんな前置きと共に二本目の指が立てられる。

「エテレインは……まぁ、広義の意味で、人材派遣会社と言えるな。」

人材派遣会社……だと?

「おい、そんな疑わしそうに見るな。」

ちょん、と指先で小突かれた頭を揺らす俺には構わず、彼は言葉を探すように視線を彷徨わせる。

「その……なんだ。お前の想像する通りちょいとアングラな仕事の割合が大きいのも確かだがな。キャラバンは後ろ暗い事なんざしちゃいなかったろう?」
「……うん。」
「求められる場所へ適切な人材を。それが例え駄菓子屋だろうが殺し屋だろうが、な。」

こ、殺し屋。
耳慣れない物騒な言葉にゴクリと生唾を飲み込む。

「最初はその辺のゴロツキを半殺しに……ごほん、して雇ってな、殺し屋として働かせたのが始まりだ。」

この人、今何か怖い事言いかけなかったか?

「どんな不景気でも、金を出してでも人を殺したい人間が消える事はねぇ。手っ取り早く稼がせてもらったモンだ。お陰で組織を充分に肥やす事ができた。表の世界にも手を伸ばせる程に。」

鋭い犬歯を覗かせて獰猛に笑む男に感じるのは、恐怖……ではなく、純粋な疑問だった。
と言うのはどこの世界でも金回りがいいようだが、彼を見た限り金や権力を欲してそんな事をしているようには見えない。
服装は決して粗末な物ではないが上等でもないごく一般的な物だし、この部屋だってそうだ。
金が目的でないなら、一体どうして。

「何で、エテレイン、作った?」

端的な問に、男は三本目の指を立てた。

「人探しのためだ。」

予想だにしなかった返答に呆気に取られていると、彼は少し寂し気に笑って手を下ろした。

「言ったろう?ずっと探してたってな。」

その言葉にハッと息を飲む。
そうだ。
彼は言っていた。
ようやく会えたと、探し続けていたと。
いや、そんなまさか、あり得ない。
思い上がりも甚だしい。
俺は、道具だ。
楽しく遊んで飽きたら捨てられる、いくらでも替えの効く使い捨ての生きた道具。
それなのに……

「考えるな。」

耳を打つ低く染み入るような声と衣擦れの音と共に両頬が大きな掌に包まれ、コツリと互いの額が重ねられた。
視界いっぱいに広がる優しい深緑色が、頭から一切の思考を奪い去っていく。

「何も考えるな、ただ感じたままに受け取ればいいんだ。」

唇に触れる柔らかな吐息に、喉が締まる。

「それが、正解なんだ。」

違う。
止めて。
そんな筈がない。
でも、もしかしたら……なんて。
馬鹿な俺は性懲りもなく期待して、熱に浮かされたように、譫言のように、真っ白な頭に最後に残った言葉を吐き出した。

「お、れの、ため……?」

嗚呼。
言ってしまった。
なんて馬鹿な事を。
そう考える間もなく、息が出来なくなった。

「んんっ!」

くぐもったその声が自分の上げた物であると気付くと同時に、唇を覆う柔らかい何かの存在に気が付く。
近すぎてぼやけた視界に、深緑色を隠した瞼が見える。
あ、睫毛、赤い。

「………っは。」

ほんの数秒の出来事だったのだろう。
息苦しいと感じる前に解放された唇を、やけに冷たい空気が舐める。
赤い睫毛を数度瞬かせて、目の前の男はクシャッと笑って言った。

「ほらな、正解。」

今、その笑顔は狡い。
何も言えなくなってしまう。
黙って真っ赤に染まった顔を俯ける俺の頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜて、男は子供のように上機嫌な声で言った。

「20年、お前を見つけるためだけに生きて来た。」

長い指が手遊びのように纏められた俺の髪先をくるくると巻き取る。

「どこに居るのか、本当に存在したかも分からないお前を草の根を分けでても探すために、エテレインを作った。お前がどこに居てもいいように、人種も人間性も問わず引き入れ従え、利用した。」
「……スクレの、時も?」
「そうだ。あの胸糞悪いオークションにも、俺の可愛いたちは潜んでいた。貴族を敵に回すのはちと面倒なんでな……あの場で攫う事が出来なかったのは今になっても口惜しい事だ。」

小さな舌打ちの音にようやく顔を上げると、男は忌々し気に顔を歪めて虚空を睨んでいた。

「それにあの時はまだ、半信半疑だった。このガキが、本当に俺の求めるお前なのかってな。」
「??それ、どう言う?」
「あー、その……なんだ。」

言い淀む男に更に首を傾げる俺に、彼はさも言いにくそうに顔を背けて言った。

「俺はずっと、お前を女だと思ってたんだよ。」
「は、え?」
「……色が同じでも、お前でなきゃ無意味だ。だから、お前の種族について詳しく聞く事だけが目的だった。もしもあの時お前だとハッキリ分かっていたなら、他の何をどれだけ犠牲にしたとしても攫っただろうぜ。」

女。
幼い頃に出会っていて、俺を、女だと思っていた。
俺に彼の記憶はない。
彼に抱く懐かしさ。
赤い髪。

「………う、ぐっ!!」
「!?」

頭が、痛い。
今にも割れそうな程に痛む頭を抱えて身を縮める俺に何か声を掛けてくれているが、酷い耳鳴りが邪魔をしてよく聞き取れない。
固く瞑った視界の闇に、チカチカと頻りに何かが瞬いている。
寂れた狭い部屋。
汚い毛布。
夕暮れ。
赤毛の子供。
ふわふわの、真っ白な。

「………っ、ネグリジェ……」
「!思い出したのか!」

両肩を掴む大きな手の感触に、喉から引き攣った悲鳴が漏れる。

「あ……悪い、痛かったか……?」

すぐさま手を放して顔を覗き込んでくる男の心底弱り切った表情を見て、頭痛と耳鳴りが次第に遠のいていく。
痛みはなかった。
ただ一瞬だけ、を思い出しただけで。
不遜な態度などとっくに鳴りを潜めただただこちらを気遣う彼の視線に、昂っていた鼓動が落ち着きを取り戻していく。
深呼吸を数度繰り返し、先ほどの彼の希望に満ちた問いかけに心苦しくも否やと答えた。

「…………記憶、ない。」
「……そう、か。」
「でも、わかった。」

残念そうに落とされた視線が、再び俺を捕える。

「俺、あなた、いつ、会ったか、わかった。」

大きく見開かれた深緑の瞳を見上げ、過去を思い描く。
思い出したくもない、汚らわしい過去を。


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