とある男のプロローグ

サイ

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第一章

二話*

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男たちに従ってしばらく薄暗い廊下を進むと、彼らは大きくて重厚な扉の前で歩みを止めた。
筋肉男が重たそうに扉を開くと、眩い光と人々のざわめきが溢れてきた。
光の中でまず目についたのは真っ赤なベルベットのカーテン。
次にスポットライトに照らされた板張りの広い壇上。
そしてその向こうには、人々のひしめき合う観客席。

「舞台……?」

いや、正確に言うと、俺が連れてこられたのは舞台袖だ。
薄暗い中を筋肉男達と同じタキシード姿の外国人達が忙しそうに歩き回っている。
舞台上には俺と同じ白いワンピースを纏い、なぜか猫耳を着けられた少女が震えながら佇んでいて、その隣では司会者と思しき男が意気揚々と何かを叫んでいる。
そして観客席の方にはひっきりなしに手を上げて叫ぶ人々が犇めいていて、異様な熱気に包まれていた。
相変わらず言葉は分からないが、一見してこれはオークションだろうという事が覗える。
それも、人間を取り扱った悪趣味極まりないオークションだ。
そして認めたくないが、どうやら俺も商品の一つだという事を理解するのにそう時間はかからなかった。

「………反吐が出る。」

いや、しかしこれはある意味好都合と言える。
今の俺は商品だ。
つまり、あの中の誰かに買い取られるまでは少なくとも殺されることはないはず。
ならばここから出るまでは大人しくしておくのが吉か。
それにしても……人生で二度も人身売買されたヤツはきっと日本中探しても俺くらいしかいないんじゃなかろうか。
遠い目をして物思いに耽っていると、ついにあの少女が競り落とされて俺の番が来てしまった。
デブ男に手錠の紐を引かれ、渋々とスポットライトの下に体を晒す。
途端、水を打ったように静まり返る客席。
何故か呆然とした様子の観客席を一周見回して、俺はグッと奥歯を噛みしめた。
薄暗くともよく分かる。
客席を埋め尽くす観客たちの頭髪に、俺と同じ黒髪は存在しない。
この場にいるのは俺を除いて、老若男女問わず全員が明るい髪色を持つ西洋人だった。
デブ男たちを初めて見た時から可能性として視野に入れていたが、考えないようにしていた。
しかしスタッフの男たちだけならまだしも、会場内の全員ともなればもう認める他ない。
……ここが、日本ではないかもしれない、と言う可能性を。
どうしていつもこう、俺の人生ってやつは想定し得る限り最も最悪の事態が実現してしまうのだろうか。
思わず遠い目をしてしまったが、呆けてばかりもいられない。

「………やってやる…」

必ず逃げ出してやる。
ここが外国だろうがどこだろうが関係ない。
密航だろうがハイジャックだろうが何としても日本に戻って、あのクソ社長の顔面に辞表叩きつけて好きに生きてやる。
腹をくくれ、俺。
拳を固く握りしめて司会者を睨みつけると、呆然と俺を見つめていた司会者はハッと息を飲んで、興奮した面持ちで何かを叫び始めた。
それを皮切りに、方々で一斉に怒声が上がり始める。
先程の少女とは比べようもないほどの熱気に思わず一歩後退る。
俺みたいな平凡な男相手に興奮しすぎだろう。
それから客席が静まるまで、恐らく30分以上掛かったと思う。
デブ男なんか目じゃないほどにブクブクと肥え太った巨漢の一際大きな声に他の観客達は悔しげに口をつぐみ、司会者が気色の笑みを浮かべる。
落札ありがとうございますってか。
のしのしと壇上に上がったクソデブが何か契約書のような物にサインすると、俺の手錠に鎖が繋がれて、ソーセージみたいな手にジャラリと渡される。
クソデブは真っ赤に紅潮した汗まみれの顔を俺に近付けて、ねっとりとした口調で何かを囁いた。
当然、意味は通じない。
が。
何を言いたいのかは、肉に埋もれたその目を見てハッキリ分かった。
コイツ、俺に欲情してやがる。
今すぐタマを蹴り潰してやりたい衝動をこらえつつ必死に甘えた笑みを作る俺を抱き上げ、クソデブは鼻息荒く舞台を降りて早々に会場を後にした。
生温く汗ばんだ気色悪い乗り物に揺られながら、自嘲の笑みを漏らす。
まさかあの変態金持ちオヤジに仕込まれた芸当が役に立つ日が来ようとは。
正直言って虫唾が走るが、生き残るためには仕方がない。
今は我慢して使えるものは何でも使うべきだろう。
そう必死に自己暗示をかけている内にようやく大理石やらシャンデリアやらでキラキラしていた館内から外へ連れ出され、眩い太陽の光に目を細める。
連れ出された先は、巨大な噴水や美しい女性や天使の彫像なんかが品よく設置された広大なアプローチだった。
玄関から門まで行くだけでも一苦労だな。
思わず場違いな感想を抱いていると、パカパカ、ガラガラと軽妙な音を立てて四頭立ての巨大な箱馬車が目の前に停車した。
え、馬車?
このご時世に馬車ですか?
予想外な物の登場に呆気に取られている俺をよそに、馬車の中から強面の男が降りてきた。
その服装は黄ばんだシャツに皮のベスト、ゆったりしたパンツに皮のブーツと、何だかまるでファンタジー映画の登場人物みたいな出で立ちだ。
そして何より異様なのは、強面男の腰にある物。
全てがおかしいこの景色の中でもひときわ異彩を放つそれは、剣だった。
確か、ブロードソードとか言う西洋の剣だ。
堂々たる銃刀法違反である。
いや、この国ではこれが普通なのか?
他国から誘拐して、人身売買して、馬車でパカラって、やけにリアルなコスプレして剣を振り回すのが?
いや、どんな国だよ。
混乱する俺を置いて、驚いた様子の強面男と上機嫌なクソデブが何かを話し合っている。
落ち着け、俺。
ここがどんな国かなんて今は考えなくていい。
今考えるべきはどう逃げ出すかだ。
まず、馬車に乗るならこのクソデブと二人きりにならなければ。

「**、***」

話が付いたのか、やたら鼻息の荒いクソデブが何か言って俺を抱えたままのそのそと馬車に乗り込んだ。
その後ろから強面男も乗り込もうとしていたので、俺は慌ててクソデブにキスをした。

「!?」

フゴフゴと豚みたいな声を上げるクソデブの頬に指を這わせて、粘っこい咥内に舌を差し込む。
ガキの頃に叩き込まれた舌技を駆使してクソデブの咥内をねぶってやると、クソデブはたちまち目を蕩けさせて体の力を抜いた。
固くなってきているクソデブの股間をケツで刺激しながら横目で強面男を見ると、ボーッと俺達に見入っていた男はハッとして扉を閉めた。
計画通り。
ややあって馬車が動き始めると、俺はキスをピタリと止めてクソデブの体から降りた。
「どうして」と言わんばかりに物欲しげな顔をしているクソデブに微笑むと、然り気無く扉側の席に腰かけてパンパンなスラックスの前を寛げる。
ゴクリ。
クソデブの鳴らした喉の音がやけに耳に付く。
嫌悪に歪みそうになる顔に無理やり笑みを張り付け、シミのついた下着の先端に指先で優しく触れた。
それだけでまた豚みたいな鳴き声を上げるクソデブ。
焦らすようにゆっくりと指先で股間をなぞりながら、時折キスをしてやる。
うっとりと目を閉じて感じ入っているクソデブに笑みが溢れる。
こいつ、ちょれー。
窓の外を見ると、ちょうどオークション会場の敷地から出た所だった。
意外に馬車って早いんだな。
そして都合のいいことに、道の両側には木々が生い茂っており、身を隠して逃げるには丁度良さそうな塩梅だった。
じゃあ、そろそろこの豚さんを天国に連れていってやるとしましょうか。
俺はおもむろに下着からクソデブのナニを取り出すと、先走りでしとどに濡れたそれを思う様しごいてやった。
ブーブーうるさい口に再びキスをして、今度は本気でイかせる為に舌を這わせる。
するとあっという間にクソデブは全身を痙攣させて射精した。
勢いよく飛んだ精液が顔やら服やらに付いてしまったがこの際どうでもいい。
クソデブはウットリと目を閉じて快楽の余韻に浸っている。
この隙を逃す手はない。

「ばいばい。」

最後に頬にキスをして、扉を開けて馬車から飛び出した。
砂利道に体を打ち付け、二転三転してようやく体勢を整える頃には全身砂まみれの傷だらけ。
しかしアドレナリンがドバドバ出ているのか、痛みは全く感じない。
ふらつく体を律して森に逃げ込む直前、ようやく停止した馬車から飛び出してきた強面男が鬼のような形相で怒声を上げ、こちらへ駆け出すのを視界の端に捉えた。
捕まったら最後。
また昔のように慰みものになってしまう。
逃げ出したのだから、きっともっと酷いこともされる。
捕まってたまるか。
死んでも逃げ切ってやる。

「う、ぐっ!」

不意に右肩に強い衝撃を受けて転倒しそうになるが、どうにか立て直して走り続けた。
枝や葉が皮膚を裂こうが、裸足の足に石が刺さろうが。
形振り構わず、ただ我武者羅に。
走って走って走って、走り続けた。
そうして見つけた森の出口からは煌々と光が射していて、この光の先に救いがあるのだと出鱈目な希望を想い描く。
しかし。
血まみれの足でようやく抜けた森の先は、細い小道だった。
舗装もなにもなく、人なんて滅多に通っていないのだろう、雑草の生い茂った荒れた道。

「あぁ……」

こんな場所に、救いなんてあるはずがない。
カクリと膝から力が抜けて、俯せに倒れ込む。
右肩が燃えるように熱くて、霞む視線を向けるとなんと矢が刺さっていた。

「ひ…っ!」

衝撃的な光景に息を飲んだのもつかの間。
自身の酷い有様を自覚した途端、今まで感じなかった痛みがまるでツケを払えとでも言うかのように押し寄せてくる。

「はぁっ…、は…ぁ…っ?」

あ、れ?
息が、できない。
俺は今息を吐いているのか?それとも吸っているのか?
息ってどうするんだっけ?
いくら考えてみても激しい痛みと恐怖で朦朧とする頭に答えは浮かんでこない。

「ぜぇ…、ひ、かひゅ!」

苦しい。
気が狂いそうなほどの激痛と酸欠の中で、助けを求めるかのように宙に手を彷徨わせて喘ぐ。
死にたくない。
こんな場所で、たった一人で。
折角逃げ出せたのに。
やっと抗う覚悟ができたのに。
けれど俺は知っている。
助けてくれる人間など、どこにもいないことを。
ピンチに駆けつけてくれるヒーローの存在なんて、所詮フィクションに過ぎないことを。
俺の生きて来た現実は、残酷なまでにどこまでも現実だったのだから。
27年の人生の中で培ってきた常識と諦観が、未練がましく空を掻いていた手から力を奪っていく。
とうとう伸ばした腕が揺らぎ、ゆっくりと地に落ちる…寸前。
何者かの白い手が今まさに投げ出されんとしていた俺の手を優しく掬い取った。

「**」

あやふやな意識の中にするりと入りこむような低く、それでいて耳に心地いい澄んだ涼やかな声。

「**」

呼びかけるような声と共にゆっくりと上体を起こされ、暖かい掌が宥めるように背中を撫でる。

「ひっ、は……ん!」

ぼやけた視界の中で銀色の何かが揺らめいたかと思うと、唇に柔らかい温もりが押し当てられてそっと息を吹き込まれた。
驚きのあまり右手を握ってくれている何者かの手を爪が食い込むほど強く握りしめたが、唇はぴったりと覆われたまま二度三度と同じ行為が繰り返される。
酷く、苦しい。
しかしどこか心地良い。
与えられる餌を貪るひな鳥のように苦痛に喘ぎながら、懸命に酸素を飲み込む。
どれくらいの間そうしていただろうか。

「ん…っ、はぁっ、は、はぁあ……っ」

ようやく唇が解放された頃にはぎこちなくも自身で呼吸する術を取り戻していた。

「****?」

誰かが、何かを語りかけている。
言葉の意味は分からない。
ただ、それを紡ぐ声があまりにも心地よくて。
一体どんな人なんだろうか?
鉛のように重たい瞼を抉じ開け声の主を視界に入れた俺は、全身を苛んでいた激痛も忘れてその光景に見惚れた。
白磁のように滑らかで白い肌。
長い睫に囲われた切れ長の瞳は、まるで晴天の空を切り取ったかのような澄んだオリオンブルーで。
分厚い雲間から射し込む無数の日足に照らされた銀色の長い髪が、風に揺られてキラキラと輝いている。
その姿は、まるで。

「てんし」

あぁ、綺麗だ……
こんなに綺麗な光景を最期に見せられたら、俺の人生も悪くなかったかもなんて思えてくる。
我ながら現金なものだ。
ふ…と、吐息のような笑みを溢し。
俺は天使の腕の中、深い眠りについた。


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