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三章 ――白色の王子と透明な少女――
⑨<少女7> 『猫なで声』
しおりを挟む⑫【ソフィア】
ミラのお母さんが言っていた高見の広場への近道は、本当に近道だった。
ちょっと細い道で危ないところもあったけれど、一本道だし迷うこともなく行ける。
高見の広場に辿り着いた私と女の人はミラを探して広場を歩き回っていた。
「い、いないですね。ミラ」
とは言っても私は姿形全然分からないんだけど。もしミラがナルヴィだったとするならば……メフィスなら分かるんだろうけど、バッグから取り出すわけにはいかないし。
「本当ね。どこにいるのかしら……」
ミラのお母さんも困った顔をしながら辺りを見渡している。
高見の広場は四つの古木を支柱にした大きな広場だ。
見わたせば歩きながら食べられる軽食を売っているお店が並び、それを目当てにした観光客が歩き回っている。
並木道と綺麗に切り揃えられた植木が立ち並び、まるで王都にある貴族の庭を連想させる。見たことないけどね。
「……懐かしいわね。あそこの高い木を見て」
ミラのお母さんが指差す方向を見ると、大きな古木に沢山の窓がくり抜かれていて、いくつかの窓から恋人達が外を眺めている。
家族連れの観光客が幸せそうな顔をしながら、広場から古木の中に入っていく。
「ノカの町で一番高い宿場よ。上から二番目、真ん中の部屋に泊まった恋人は、幸せになるって迷信があるの」
「……知っています。有名な話ですよね」
お母さんから前に聞かされたことがある。
「若い頃に泊まったことがあるけれど……その人とは上手く行かなかったわ」
「別れちゃったんですか?」
「離れて、くっついての繰り返しだった。その人と一緒にいれば……私は幸せになれたのかもしれないわね」
「それは……」
今は、幸せじゃないんですか? その言葉を飲み込む。
この人はどんなつもりでこの話題を出したんだろう。
本当は違うのだけど、自分の子供の友達に話すような話題じゃない。
その後、話題もなく並木道沿いに歩みを進める私達。
ふと、ミラのお母さんが歩みを止めた。
視線の先には建物に挟まれた裏道のような細い道が続いている。
「この先にお勧めの甘味屋さんがあるわ。折角だから食べに行かない?」
正直、甘い物を食べる気分じゃない。けれど、断れる雰囲気でもなかった。
私は連れられるまま歩みを進める。
いつの間にか、観光客はいなくなっていた。
何もないところだと見逃されているのだろう。
人気がない道を抜け、風が吹き抜ける一区画に辿り着いた。
森の風景が目の前に広がる。
高見の広場の端に辿り着いたのだろう。
本来は、観光客が落ちないように高い柵がついているのだけど、この辺りはそれがない。
縁の向かいには建物の側面が広がっているだけだ。
「甘味屋さん、どのあたりなんですか?」
前を歩く女性の、長いブロンドの髪に向け話しかける。
女性は何も答えない。ただ、歩みを進めている。
私は、足を止めた。
流れる雰囲気の変化を読み取り、腰に付けていた細剣《レイピア》を抜く。
「……どうかしたの?」
女性がゆっくりと振り返った。先ほどまで浮かべていた笑顔は消え、感情の抜けた顔を私に見せつける。
「……どこに、行くつもりですか?」
利き手に持つ剣の柄に力を込める。額に流れる汗を拭いたいけれど、下手な動きをすることができない。
「どこ? おかしなことを言うわね……」
女性の手には、いつの間にか金属の輪が握られていた。複雑で幾何学な模様が描かれていて、それが淡く光っている。
輪の中に指先を入れくるくると回しはじめる。
連続する鳥の鳴声を思わせる甲高い音が辺りを支配する。
「あなた、ミラの友達じゃないわね。……それどころか、あの子の姿も知らないんでしょう?」
「……なんで、そう思うんですか?」
「……さっき歩いた光景のどこかに、ミラがいたから。もしあなたがミラのことを知っているのならば、気がついたはずよ」
女性の片腕が上がり指先が私に向けられる。光る金属の輪が回転を速める。
言い訳は無意味。そう悟った私は覚悟を決め、剣を構える。
「あの子は友達を作らないわ。……だから、あなたが何者なのか、気になるところではあるのだけど……それはもういいわ」
長いブロンドが風に靡き、それに合わせるように腕の周りの輪も回転を強めていく。
「……あの子は私が護る。行きなさい、あの子のいない世界へと」
「メフィス!」
『分かってる!』
肩掛けバッグから飛び出したメフィスが私の頭に飛び乗る。
突然動くぬいぐるみを目にした相手が目を見張る。けれど、それは一瞬の事だった。
すぐに納得したのか、頷き、笑顔を見せてきた。
「……魔族ね。そう、じゃああなたが噂の『黒いローブの男』なの。それじゃあ……」
黒いローブの男? どこかで聞いたような……。
……駄目だ。今は余計なことを考えるのをやめよう。この状況をどうするかだけ考えなきゃ。
「それじゃあ、宝玉《オーブ》も持っているのね。これは、嬉しいわ……とても――」
瞬きの瞬間、目の前に対峙する相手が消えた。
そう錯覚する程、素早い動きだった。
けれど――捕らえきれないほどじゃない!
女性のが投げた光る輪と、細剣《レイピア》の刀身が重なり合う。
その瞬間、光る輪が広がり、私の身体を覆うように回転を始める。
「な、なに? コレ……」
身体が、急激に軽くなる。私の身体が浮かび上がり、地面から足が離れていく。
「――とても、それは嬉しいことよ」
ミラの母親を名乗る女性、長いブロンドの髪を持つ女性が狂気を帯びた視線を私に向けてきた。
⑬【ソフィア】
「出ろ! 『わた――」
『待って!』
“私”を出そうとした瞬間、メフィスが大きな声で制止する。
「……何? 早くして。この人、多分相当、腕が立つ」
目の前に立つ女性は、笑顔こそ見せているけれど、ビリビリと殺気を私に浴びせかけている。
『少し、僕に話をさせて』
「……私は、アナタに話しなんてないわよ」
ミラの母親が表情一つ変えずに私を見つめている。
『聞くんだ。僕はこのバッグの隙間から君たちの会話を聞きながら、町の光景を見ていた。……彼女は見つけられなかったけれど、それは別のものに気を取られていたからだ』
「別のもの……?」
『そう、それは――』
「あらぁ、それって、もしかして私達のことぉ?」
甘い声が何もないところから現れた。そう錯覚する程、それは突然だった。
「……『灰色の樹幹』」
私の背後に目線を向けたミラの母親が唇を噛みしめる。
「全員動いちゃ駄目よぉ。……そこの綺麗なご婦人様も、可愛らしいお姫様も、その愛らしい魔族ちゃんもね」
どこかで聞いたような猫撫で声が私の背後に響く。
気配は全く感じなかった。
私の首筋には、冷たく鋭い金属があてられている。少しでも動いたら突き刺される。そんな気迫を鋭く感じる。
顔に黒いマスクを付けた男達が私の横を通り過ぎていく。
「……一目見ただけで、アナタの正体は分かったわよぉ。なんでこの町にいるのかは分からないけれど、それはいいわ。……その魔族ちゃんを見て、全てを察したわよぉ」
「……正体? 誰のこと? なんの話?」
枯れる喉から無理矢理声を出す。
「……そう、知らないのねぇ。いいわ。彼のところに連れて行く。直接、聞きなさい」
「あっ……」
『そ、ソフィア!』
頭からメフィスの感覚がなくなる。
「さ、次は、アナタの方ね。探したわよぉ……腕は立つみたいだけれど、この人数相手だとどうかしらぁ?」
猫撫で声の持ち主は、どうやらミラの母親に話しかけている。
男達が女の人を取り囲んでいき、その表情がみるみる歪んでいく。
「どうやら、私の負けのようね。……諦めるわ」
ミラの母親が金属の輪を地面に捨て、両手を挙げる。
次の瞬間、私は見た。
彼女が広場の端から身を投げるのを。
長い髪が宙を舞い、女性の身体が一瞬にして視界から消え失せる。
「!! お、追いなさい!」
私の背後にいる何者かもそれは想定外だったらしい。
猫撫で声を捨て、男達に指示を出す。そして――
私が見ることができた光景はそこまでだった。何か黒い布に私の顔は覆われてしまった。
喧噪だけが布越しに響く。
甘い香りが私を包み、私の意識は急速に遠のいていった。
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