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三章  ――白色の王子と透明な少女――

    ⑤<少女2> 『小さな逃亡者』

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⑥【****】
 『森の町ノカ』。森を司る樹木達と人々の住まいが融合したこの町は大陸随一の景観を誇っており、ルスラン王国領でありながらも、ターンブル帝国帝都からわざわざ訪れる者達も少なくない。
 それだけ観光客で賑わっている町であるからこそ、宿屋が数多く乱立している。その中でも一際高級で、位の高い人間のみが泊まれる宿が、高見の広場にある宿だ。
 森のノカ町並の中、最も高い場所。四本の大きな木に支えられた人工の広場には数多くの商人達が露天を出店しており、植樹と植え込みで飾られた休憩場所では観光客達がおもいおもいに談笑を重ねている。
 四本の大きな木のうち一つは内部がくりぬかれた宿屋になっており、最上階は王族皇族のみが泊まれるのではないかと噂されるほどの値段設定がされていた。

 憩いの場には四本の大きな木には見劣りするものの、背の高い木々も植樹されており、その長く伸びた梢をつかって町の景観を楽しむ人々から日差しを守る役目を担っていた。
 その青く茂った木の葉の一つが激しく揺れる。

『はぁ、はぁ……ここまで、来れば』
 木の葉を隠れ蓑にして、小さな魔族が荒い息を吐いている。
 青紫色の体毛に覆われ、大きな耳と長く伸びた鼻が印象的な魔族だった。
 もし転生者が見たならば、子象のぬいぐるみのようだと称しただろう。

 人間が身に付ける首飾りを身体に巻いていて、先端には魔族の頭程度の大きさをした丸い宝石が付いている。

 荒い息を無理矢理落ち着かせ、魔族はそっと木の葉の影から広場を見下ろす。
 その瞬間、背後の木の葉が激しく音を立てた。
 黒い影の鋭く伸びた触手が魔族の頭を掠める。

『嘘だろ!?』
 魔族は慌てて真下にあった植え込みに飛び降り、広場を駆ける。
 広場のいたるところから、人間の叫び声が広がっていく。

『……ここも駄目か。……あいつら、なりふり構わずに、攻めてきてる』
 魔族はひたすら黒い影から逃げる。その小さな身体を使い、物陰に隠れながら森の町を駆け巡る。

『それでも絶対に――』
 魔族は人間の子供が放つ叫び声を聞き、自然とことばが沸いてくる。
 決意が生まれる。
 魔族は長く続く階段を駆け下りながら、ことばを繋いだ。

『絶対に、この宝玉《オーブ》は渡さない』

⑦【灰色の樹幹】
 森のノカ下層には観光客達を楽しませるため、酒場や遊郭が建ち並ぶ一角がある。
 一際目立たぬ位置にある酒場の中で、男が一人、酒のグラスを回していた。
 店の扉が開き、身体のラインがはっきりと分かる赤いドレスを身につけた女が一人入ってきた。
 男の横にある椅子へと腰掛ける。

「……シルワか」

「王子は『夜のノカ』へと向かったわぁ」

「やつらめ、何が目的だ……」

「『教会』が関わっているなら、『黒いローブの男』を捕まえに来たとか?」

「それならばもっと大人数で来るはずだ。転移盤《アスティルミ》は一度につき、最大六人まで移動できるからな。王族がただ一人で来るというのもおかしな話だ」

「そんなに気になるなら、本人に聞いてみればいいのに」

「王族も『教会』も、なるべくならば関わりたくはない」

「こちらもおおっぴらにできること、やってないものねぇ」

「やつらも一皮向けば同じことだ。王都で調子に乗りたければ、好きにすれば良い……だが、俺の領域に来るのならば話は別だ」

「一応、ここもルスラン王国領なんだし、好きにさせておけばいいのに」

「好きにさせている都市もあるが、ここは特殊だ。……シルワ、お前もいるしな」

「……そうねぇ、私もこの町から出るつもりはないわぁ。けれど、あなたからは離れてみてもいいかも思ってる」

「ふざけるな。そんなこと、絶対に許さん」

「冗談よぉ。『灰色の樹幹』からは逃れられない。そんなこと、とっくに分かりきってるから」

「それなら良い。それで、話を戻すが――」

「今は、様子をみるわぁ。転移盤《アスティルミ》の件もあるし、色々調べてみる。これでいいでしょ」

「必要であれば、私が直接話をつけよう」

「怖い怖い。あの二人みたいにならなきゃいいけれど」

「王子の出方次第だろうな。王族はどいつもこいつも碌でもない。舐められたら終わりだと思っておけ」

「……肝に銘じておくわぁ」
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