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一章    ――王家の使命――

 帝国軍1 『憂鬱のクラウディア』

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―― 守護るまもる ――


【帝国軍①】
 エスタール領主邸の地下では激しい拷問が繰り返されていた。
 領主であるホルマは両腕を荒縄で縛られ壁に括り付けられている。上半身は裸にさせられ、膨れ上がった腹が露わになっていた。
 体中に鞭の跡が入り、顔半分は腫れ上がっている。

「いい加減、話したらどうだ? 辛いだろう」
 しゃがれた声が響き渡る。兵に殴られ続けているホルマを椅子に腰掛け見つめていたモルドット卿の言葉だった。

「意固地になっておりますね。口を割るには容易ではないでしょう」
 その隣では薄紫色の全身甲冑《パレードアーマー》を付けた女が立っている。軍団長以上が付ける事が許されたミスリル製の甲冑であり、アーメットに隠されその表情は見て取ることができない。

 本来であれば創意を凝らした自由な飾りを行える全身甲冑《パレードアーマー》だったが、クラウディアのそれは余計な飾り付けを廃し、一般重装兵とほぼ変わらぬ形状をしている。

 彼女の持つ規律を重んじる性格がそのまま反映されたような甲冑だった。

「ここに来て三日ですか。良くもまあ、眠りもせず、鞭で打たれ続けて持つものですなぁ」
 クラウディアの影に隠れ、金髪を肩の辺りで切り揃えた男が言葉に皮肉を混じらせる。
 クラウディアの側近であり、千人隊長のエヌオーだ。

「いいかい、ホルマ。何度でも言うが……私は、こんな小国に興味ないんだ。目的を果たせば、それでいいんだ。それを踏まえてもう一度聞くよ。……宝玉《オーブ》は何処にある?」
 枯れた流木を思わせる男から発する言葉を受け、ホルマは唾を吐いた。
 血が混じった粘液が音を立てて床に付着する。

「宝玉《オーブ》さえ手に入れば、帝国軍《わたしら》は直ぐに引くというのに。意地を張りおって……」
 モルドット卿が手を上げた瞬間、拷問兵が鞭を振り上げ、空気を切り裂く。
 甲高い音が響き渡った。

「既に兵の緊張も途切れております。王国《ルスラン》軍が来る前に、手を打たねばなりません」
 そうクラウディアが進言するのも無理はない。エスタール地方の暑い気候に一般兵はことごとく参っており、見わたすと甲を身につけている者はほんの僅かといった現状だった。

「とは言っても、姫もまだ見つかっていないわけですから、この男に聞くしかないでしょうねぇ」
 分かっている事を。とクラウディアはアーメットの奥で眉を潜める。
 エヌオーの皮肉めいた物言いは、何度聞いても慣れることがない。

「これだけ探しても無いということは、ファティマ公女が持ち歩いている、というのが有力だろう。町中探したのか?」
 モルドット卿ののんびりした言葉使いにも、クラウディアは良い印象を持っていなかったが、内心を表立たせることはない。

「この周辺意外にも集落一つ一つをあたっております。現状は何処にもおりません」

「使えないねぇ。そのために呼んでるんだ、ちゃんとネズミ一匹見逃さないよう探しなさい」

「……はっ」
 ――そもそも。
 その言葉をクラウディアは飲み込んだ。
 そもそも、クラウディア軍が帝国から与えられた任務は、皇族であるモルドット卿の護衛だった。

 皇族がエスタール公国の姫を側室として迎え入れたいらしいが、公国は敵国であるルスランと関わりが深いため、いつ王国軍に襲われるかもしれない。
 モルドット卿を護りつつ、円滑に側室として迎え入れられるよう尽力してくれ。

 そうクラウディアは聞かされていた。

 だが、蓋を開けてみればどうだ。
 公女から縁談を断られるや否や、モルドット卿は打って出ると言い放った。
 戸惑うクラウディアを叩きつけ、今や無抵抗の市民を追い出し領主を拷問にかけている。
 まるで駄々っ子じゃないか。とクラウディアは軽蔑していた。

 その上、領主を拷問にかけ、宝玉《オーブ》を寄越せと詰め寄っている。
 旧エスタール王朝の家宝と聞いているが、盗賊と何が違うのかと吐き捨てたい衝動に駆られていた。

 モルドット卿は皇帝の遠い親戚としてほんの僅かの領地を与えられ、長らく細々と暮らしていたと聞く。
 側室を取ることに誰もが驚いていたと聞いている。
 それも当然のことで、齢九十は越えている身だ。年端もいかない子を側室になど、好色もいいところだとクラウディアは憤慨したものだ。

 だが、よくよく考えるとおかしな事ばかりだった。
 何故、今になりそんなことを考えたのか。
 何故、エスタールの姫なのか。
 何故、侵攻を強行したのか。
 何故、宝玉《オーブ》を求めているのか。
 何を考えているのか分からない怖さがあった。
  
「もう、夜も更けます。本日はこれまでとして、明日また――」
 クラウディアは自分の思惑を振るい捨て、モルドット卿へ進言する。
 だが、最後まで言い切る前に慌ただしく兵が室内に入ってきた。

「姫を発見しました。ラーフィア山脈近くの教会聖堂です。エスタールの民が守っています」
 クラウディアへと告げられた報告を受け頭を回転させる。

「敵は何名だ? 被害は?」

「敵の殆どが伏兵として潜んでおり、正確な数までは……こちらは百人隊がほぼ、壊滅です」
 おかしい。クラウディアは直感的にそう感じた。
 姫が教会聖堂に居たことがではない。姫を見つけられたことが妙な話だった。

 何故、コイツらはラーフィア山脈へ向かった?
 クラウディアは心の中で思う。
 偵察をラーフィア山脈に向けた記憶はない。百人隊ごとにばらけさせ、エスタールの集落を虱潰しに探している最中だ。
 広いエスタール平原を越え、ラーフィア山脈まで索敵を広げる意味はない。

 エヌオーも複雑な表情を浮かべていた。
 向上心の強いエヌオーだ。自分の功績であるならば、両手を振って宣言するだろう。
 クラウディアや千人隊長らが指示をしていないとなると。

 『コイツか……』クラウディアはにたりと微笑むモルドット卿を睨み付ける。
 モルドット卿は何か意図があり、百人隊を別で動かし、ラーフィア山脈付近を探索させた。クラウディアはそう結論づけた。

 問題はその意図だが――

「なにをしてるんだ。さっさと向かうよ」
 モルドット卿がよろけながら立ち上がり、部屋から出ようとする。

「いえ、もう夜も更けております。我々で確保しますので卿はお休みを――」

「向かう、と言ってるんだよ」
 血走った目を向けるモルドット卿。その瞳孔は見ようによっては狂気をはらんでいて、戦争の経験を詰んだクラウディアであっても圧を感じるものだった。

 突然、部屋の隅で笑いが起こった。
 それは低く、暗く、全てをあざ笑っていた。

「……何がおかしいんだい?」
 モルドット卿が笑い声の主に問いかける。

 その主、腹を振るわせていた男――領主ホルマが顔を上げる。

「もう少し、粘りたかったんだが。十分だろうと思ってな」
 それまで一言も発していなかった男が低く、落ち着いていながらも通る声を響かせる。

「や、やせ我慢はいけませんねぇ。自分の立場を分かってるんですか?」
 反してエヌオーは、明らかに声の重さに圧倒されていた。

「立場だぁ? かっかっか。十分すぎる程、分かっているわ。分かっとらんのはお主らの方だ。なんせ――」
 拷問兵が振り上げる拳にも動じず、男は続ける。

「お主ら、全員死ぬのだからな」
 兵の拳がホルマの腹を直撃した。ごぼり、と音を立て、男の口から液体がこぼれ落ちる。

「……どうも、錯乱したようだねぇ。姫も見つけたことだし、もう此奴は不要で良いよ」
 気を取り直したのか、モルドット卿は不敵な笑みを戻し、片手を上げる。

 拷問兵が鞭を振り上げた。

「――丁度良い。腹から出んくて、困っておったわ」
 ぞくり、とクラウディアの背を悪寒が駆け抜ける。
 咄嗟にクラウディアは走った。モルドット卿の下へと。

 男が口をがぱりと開く。その舌の上で宝石が輝いていた。

「ま、『魔石』ッ――!?」
 エヌオーの叫びは暴風にかき消された。
 
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