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思惑
手白香の思惑
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手白香は先ごろ二十歳を迎えた。
倭国では、女の成人は個人差もあるが大体十三~十五歳。その後数年で、大抵の娘は相手を見つけ、若しくは親に娶わせられ、結婚していく。
手白香は、自身の若い時間を仲の良い弟の為に費やした。
小さい頃から体の弱かった弟は、その薄い肩に、倭国と、男の絶えかけた大王家の期待を一身に背負っており、姉として少しでも助けてあげたいと心から願っていた。
世話をすれば懐き、姉様と慕ってくる弟は可愛かったし、長じて大王になってなお、自分にだけは執着にも似た甘えをみせる姿に、優越感が無かったとは言えない。
だから、弟の為に遣った時間に後悔は無い。無いが、自分と年周りの変わらぬ采女や下働き達が次々と男に言い寄られ、妻となり子をなしていくのを見ると、女としての自身を思わぬわけでは無かった。
特に、異母妹が成人し、あれほど手白香の妻問い(古代の婚姻)を嫌がった弟の大后(大王の正夫人)になる話が進んだ昨年は、心ひそかにわだかまりを抱えてもいた。
だから、もう若いとは言えない手白香にとって、弟との別れは辛く悲しいものではあったが、漸く訪れた女としての人生の始まりでもあったのだ。
今までは大王の命で宮の外に出ることもままならなかった。
でも、喪が明けた時、もし、問題なく大王が決まっていれば……手白香は自由だ。
歌垣での出会いは流石に母后から許されないかもしれないけれど。
春の野に草摘みには行けるだろうか?秋の寂しくも華やかな紅葉を愛でに行けるだろうか?
夏の夜は?雪の朝は?
その時磐井はまだ自分の杖刀人だろうか?
権力から外れた皇女に、杖刀人がいつまでも付くとは思えないから、磐井と行くことは無いかも知れないけれど。
でも、出来うるならば。
四季の彩り豊かなこの大和で、手白香を大事にしてくれる夫と共に静かに暮らしたい。
それが初恋の相手なら、どんなに嬉しいことか。
殯宮で弟の棺を守りながらも、夢を見てしまう日もあったのだ。
それを。
やっと夢見始めた自分の人生を。
今度は見知らぬ田舎者で、皇女の身からすれば取るに足りない身分の、しかも五十八の翁に、捧げねばならないのか?
「いや……」
拒否の言葉が口からこぼれ出る。
「皇女様?」
「いや、いやよ。絶対にいや。そんな話し、受け入れられない!」
思わず叫んだ手白香をみて、磐井が目を見張った。
「分かっています。皇女様。落ち着いてください。」
磐井の落ち着いた声も腹が立つ。どうせ他人事だからそんな態度をとるのだ。
「いや、落ち着いてなんていられない。どうしてそんな老人が大王に名乗りを上げるの……!」
昨夜の合議の間の声がよみがえる。
『血が薄いのが問題と言えば問題だが……』
『それは以前と同じ方法で補えば良い。』
以前と同じ方法とは、大王候補者が、大王家の最も血の濃い皇女を妻問うことで、大王家の一員となる方法。
つまり、今回は手白香との妻問いだ。
「一体誰が、そんな者を……!?」
なおも叫んだ手白香に、突然磐井は近付くと、手で口を塞いで来た。
「な、なにを……」
「お静かに……誰か来たようです。」
耳元で押し殺した声がして、手白香は動転したまま固まった。
そこへ。
ひたひたと廊下を渡る足音が聞こえ。
「皇女様。大伴大連様がお会いしたいと申されております。」
扉の外で、采女の声がした。
倭国では、女の成人は個人差もあるが大体十三~十五歳。その後数年で、大抵の娘は相手を見つけ、若しくは親に娶わせられ、結婚していく。
手白香は、自身の若い時間を仲の良い弟の為に費やした。
小さい頃から体の弱かった弟は、その薄い肩に、倭国と、男の絶えかけた大王家の期待を一身に背負っており、姉として少しでも助けてあげたいと心から願っていた。
世話をすれば懐き、姉様と慕ってくる弟は可愛かったし、長じて大王になってなお、自分にだけは執着にも似た甘えをみせる姿に、優越感が無かったとは言えない。
だから、弟の為に遣った時間に後悔は無い。無いが、自分と年周りの変わらぬ采女や下働き達が次々と男に言い寄られ、妻となり子をなしていくのを見ると、女としての自身を思わぬわけでは無かった。
特に、異母妹が成人し、あれほど手白香の妻問い(古代の婚姻)を嫌がった弟の大后(大王の正夫人)になる話が進んだ昨年は、心ひそかにわだかまりを抱えてもいた。
だから、もう若いとは言えない手白香にとって、弟との別れは辛く悲しいものではあったが、漸く訪れた女としての人生の始まりでもあったのだ。
今までは大王の命で宮の外に出ることもままならなかった。
でも、喪が明けた時、もし、問題なく大王が決まっていれば……手白香は自由だ。
歌垣での出会いは流石に母后から許されないかもしれないけれど。
春の野に草摘みには行けるだろうか?秋の寂しくも華やかな紅葉を愛でに行けるだろうか?
夏の夜は?雪の朝は?
その時磐井はまだ自分の杖刀人だろうか?
権力から外れた皇女に、杖刀人がいつまでも付くとは思えないから、磐井と行くことは無いかも知れないけれど。
でも、出来うるならば。
四季の彩り豊かなこの大和で、手白香を大事にしてくれる夫と共に静かに暮らしたい。
それが初恋の相手なら、どんなに嬉しいことか。
殯宮で弟の棺を守りながらも、夢を見てしまう日もあったのだ。
それを。
やっと夢見始めた自分の人生を。
今度は見知らぬ田舎者で、皇女の身からすれば取るに足りない身分の、しかも五十八の翁に、捧げねばならないのか?
「いや……」
拒否の言葉が口からこぼれ出る。
「皇女様?」
「いや、いやよ。絶対にいや。そんな話し、受け入れられない!」
思わず叫んだ手白香をみて、磐井が目を見張った。
「分かっています。皇女様。落ち着いてください。」
磐井の落ち着いた声も腹が立つ。どうせ他人事だからそんな態度をとるのだ。
「いや、落ち着いてなんていられない。どうしてそんな老人が大王に名乗りを上げるの……!」
昨夜の合議の間の声がよみがえる。
『血が薄いのが問題と言えば問題だが……』
『それは以前と同じ方法で補えば良い。』
以前と同じ方法とは、大王候補者が、大王家の最も血の濃い皇女を妻問うことで、大王家の一員となる方法。
つまり、今回は手白香との妻問いだ。
「一体誰が、そんな者を……!?」
なおも叫んだ手白香に、突然磐井は近付くと、手で口を塞いで来た。
「な、なにを……」
「お静かに……誰か来たようです。」
耳元で押し殺した声がして、手白香は動転したまま固まった。
そこへ。
ひたひたと廊下を渡る足音が聞こえ。
「皇女様。大伴大連様がお会いしたいと申されております。」
扉の外で、采女の声がした。
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