20 / 33
思惑
手白香の思惑
しおりを挟む
手白香は先ごろ二十歳を迎えた。
倭国では、女の成人は個人差もあるが大体十三~十五歳。その後数年で、大抵の娘は相手を見つけ、若しくは親に娶わせられ、結婚していく。
手白香は、自身の若い時間を仲の良い弟の為に費やした。
小さい頃から体の弱かった弟は、その薄い肩に、倭国と、男の絶えかけた大王家の期待を一身に背負っており、姉として少しでも助けてあげたいと心から願っていた。
世話をすれば懐き、姉様と慕ってくる弟は可愛かったし、長じて大王になってなお、自分にだけは執着にも似た甘えをみせる姿に、優越感が無かったとは言えない。
だから、弟の為に遣った時間に後悔は無い。無いが、自分と年周りの変わらぬ采女や下働き達が次々と男に言い寄られ、妻となり子をなしていくのを見ると、女としての自身を思わぬわけでは無かった。
特に、異母妹が成人し、あれほど手白香の妻問い(古代の婚姻)を嫌がった弟の大后(大王の正夫人)になる話が進んだ昨年は、心ひそかにわだかまりを抱えてもいた。
だから、もう若いとは言えない手白香にとって、弟との別れは辛く悲しいものではあったが、漸く訪れた女としての人生の始まりでもあったのだ。
今までは大王の命で宮の外に出ることもままならなかった。
でも、喪が明けた時、もし、問題なく大王が決まっていれば……手白香は自由だ。
歌垣での出会いは流石に母后から許されないかもしれないけれど。
春の野に草摘みには行けるだろうか?秋の寂しくも華やかな紅葉を愛でに行けるだろうか?
夏の夜は?雪の朝は?
その時磐井はまだ自分の杖刀人だろうか?
権力から外れた皇女に、杖刀人がいつまでも付くとは思えないから、磐井と行くことは無いかも知れないけれど。
でも、出来うるならば。
四季の彩り豊かなこの大和で、手白香を大事にしてくれる夫と共に静かに暮らしたい。
それが初恋の相手なら、どんなに嬉しいことか。
殯宮で弟の棺を守りながらも、夢を見てしまう日もあったのだ。
それを。
やっと夢見始めた自分の人生を。
今度は見知らぬ田舎者で、皇女の身からすれば取るに足りない身分の、しかも五十八の翁に、捧げねばならないのか?
「いや……」
拒否の言葉が口からこぼれ出る。
「皇女様?」
「いや、いやよ。絶対にいや。そんな話し、受け入れられない!」
思わず叫んだ手白香をみて、磐井が目を見張った。
「分かっています。皇女様。落ち着いてください。」
磐井の落ち着いた声も腹が立つ。どうせ他人事だからそんな態度をとるのだ。
「いや、落ち着いてなんていられない。どうしてそんな老人が大王に名乗りを上げるの……!」
昨夜の合議の間の声がよみがえる。
『血が薄いのが問題と言えば問題だが……』
『それは以前と同じ方法で補えば良い。』
以前と同じ方法とは、大王候補者が、大王家の最も血の濃い皇女を妻問うことで、大王家の一員となる方法。
つまり、今回は手白香との妻問いだ。
「一体誰が、そんな者を……!?」
なおも叫んだ手白香に、突然磐井は近付くと、手で口を塞いで来た。
「な、なにを……」
「お静かに……誰か来たようです。」
耳元で押し殺した声がして、手白香は動転したまま固まった。
そこへ。
ひたひたと廊下を渡る足音が聞こえ。
「皇女様。大伴大連様がお会いしたいと申されております。」
扉の外で、采女の声がした。
倭国では、女の成人は個人差もあるが大体十三~十五歳。その後数年で、大抵の娘は相手を見つけ、若しくは親に娶わせられ、結婚していく。
手白香は、自身の若い時間を仲の良い弟の為に費やした。
小さい頃から体の弱かった弟は、その薄い肩に、倭国と、男の絶えかけた大王家の期待を一身に背負っており、姉として少しでも助けてあげたいと心から願っていた。
世話をすれば懐き、姉様と慕ってくる弟は可愛かったし、長じて大王になってなお、自分にだけは執着にも似た甘えをみせる姿に、優越感が無かったとは言えない。
だから、弟の為に遣った時間に後悔は無い。無いが、自分と年周りの変わらぬ采女や下働き達が次々と男に言い寄られ、妻となり子をなしていくのを見ると、女としての自身を思わぬわけでは無かった。
特に、異母妹が成人し、あれほど手白香の妻問い(古代の婚姻)を嫌がった弟の大后(大王の正夫人)になる話が進んだ昨年は、心ひそかにわだかまりを抱えてもいた。
だから、もう若いとは言えない手白香にとって、弟との別れは辛く悲しいものではあったが、漸く訪れた女としての人生の始まりでもあったのだ。
今までは大王の命で宮の外に出ることもままならなかった。
でも、喪が明けた時、もし、問題なく大王が決まっていれば……手白香は自由だ。
歌垣での出会いは流石に母后から許されないかもしれないけれど。
春の野に草摘みには行けるだろうか?秋の寂しくも華やかな紅葉を愛でに行けるだろうか?
夏の夜は?雪の朝は?
その時磐井はまだ自分の杖刀人だろうか?
権力から外れた皇女に、杖刀人がいつまでも付くとは思えないから、磐井と行くことは無いかも知れないけれど。
でも、出来うるならば。
四季の彩り豊かなこの大和で、手白香を大事にしてくれる夫と共に静かに暮らしたい。
それが初恋の相手なら、どんなに嬉しいことか。
殯宮で弟の棺を守りながらも、夢を見てしまう日もあったのだ。
それを。
やっと夢見始めた自分の人生を。
今度は見知らぬ田舎者で、皇女の身からすれば取るに足りない身分の、しかも五十八の翁に、捧げねばならないのか?
「いや……」
拒否の言葉が口からこぼれ出る。
「皇女様?」
「いや、いやよ。絶対にいや。そんな話し、受け入れられない!」
思わず叫んだ手白香をみて、磐井が目を見張った。
「分かっています。皇女様。落ち着いてください。」
磐井の落ち着いた声も腹が立つ。どうせ他人事だからそんな態度をとるのだ。
「いや、落ち着いてなんていられない。どうしてそんな老人が大王に名乗りを上げるの……!」
昨夜の合議の間の声がよみがえる。
『血が薄いのが問題と言えば問題だが……』
『それは以前と同じ方法で補えば良い。』
以前と同じ方法とは、大王候補者が、大王家の最も血の濃い皇女を妻問うことで、大王家の一員となる方法。
つまり、今回は手白香との妻問いだ。
「一体誰が、そんな者を……!?」
なおも叫んだ手白香に、突然磐井は近付くと、手で口を塞いで来た。
「な、なにを……」
「お静かに……誰か来たようです。」
耳元で押し殺した声がして、手白香は動転したまま固まった。
そこへ。
ひたひたと廊下を渡る足音が聞こえ。
「皇女様。大伴大連様がお会いしたいと申されております。」
扉の外で、采女の声がした。
0
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
ヴィクトリアンメイドは夕陽に素肌を晒す
矢木羽研
歴史・時代
カメラが普及し始めたヴィクトリア朝のイギリスにて。
はじめて写真のモデルになるメイドが、主人の言葉で次第に脱がされていき……
メイドと主の織りなす官能の世界です。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
北海帝国の秘密
尾瀬 有得
歴史・時代
十一世紀初頭。
幼い頃の記憶を失っているデンマークの農場の女ヴァナは、突如としてやってきた身体が動かないほどに年老いた戦士トルケルの側仕えとなった。
ある日の朝、ヴァナは暇つぶしにと彼が考えたという話を聞かされることになる。
それは現イングランド・デンマークの王クヌートは偽物で、本当は彼の息子であるという荒唐無稽な話だった。
本物のクヌートはどうしたのか?
なぜトルケルの子が身代わりとなったのか?
そして、引退したトルケルはなぜ農場へやってきたのか?
トルケルが与太話と嘯きつつ語る自分の半生と、クヌートの秘密。
それは決して他言のできない歴史の裏側。
出撃!特殊戦略潜水艦隊
ノデミチ
歴史・時代
海の狩人、潜水艦。
大国アメリカと短期決戦を挑む為に、連合艦隊司令山本五十六の肝入りで創設された秘匿潜水艦。
戦略潜水戦艦 伊号第500型潜水艦〜2隻。
潜水空母 伊号第400型潜水艦〜4隻。
広大な太平洋を舞台に大暴れする連合艦隊の秘密兵器。
一度書いてみたかったIF戦記物。
この機会に挑戦してみます。
大日本帝国領ハワイから始まる太平洋戦争〜真珠湾攻撃?そんなの知りません!〜
雨宮 徹
歴史・時代
1898年アメリカはスペインと戦争に敗れる。本来、アメリカが支配下に置くはずだったハワイを、大日本帝国は手中に収めることに成功する。
そして、時は1941年。太平洋戦争が始まると、大日本帝国はハワイを起点に太平洋全域への攻撃を開始する。
これは、史実とは異なる太平洋戦争の物語。
主要登場人物……山本五十六、南雲忠一、井上成美
※歴史考証は皆無です。中には現実性のない作戦もあります。ぶっ飛んだ物語をお楽しみください。
※根本から史実と異なるため、艦隊の動き、編成などは史実と大きく異なります。
※歴史初心者にも分かりやすいように、言葉などを現代風にしています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる