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第一章 森林の妖精達
13話 ベルの教育②
しおりを挟む『……頑張ります! あたし頑張りますッ!』
(あー気が重いなぁ……でもベルのあの表情を引き出せたんだから、正解だったと思おう)
ルシアンは昨日のベルの様子を思い出しながら、訓練場へと向かっていた。今日はベルの教育二日目である。
ルシアンのご褒美を聞いたベルの顔は、まだ瞳には涙が溜まっていたが、強い決意にみなぎっていた。その後はベルに塗り薬を渡してから、安静にするように伝えて一日目の教育を中止した。
元より弱者をいたぶることを好まないルシアンは、気が進まなかったが、ベルのこれまでの境遇を考えれば、そういった歪み方をしても不思議ではなかった。
「ルシアン様、おはようございます」
「おはよう! ベル。もうお腹はなんともない?」
「はい! 塗り薬のおかげで元よりいいかもしれません」
「ふふっ……それはよかった!」
ルシアンが訓練場に着くより早くベンチに座って待っていたベルは、昨日のように取り乱す様子はなかった。冗談を交えて会話する彼女は、どこかスッキリした様子だった。
(もしかしたらベルも自身の癖に悩んでいて、誰かに打ち明けたかったのかもな)
そう感じたルシアンは、生徒の悩みを一つ解消したことで、教育者としての格が上がったような気になり笑顔をこぼした。
「よしっ! 今日はベルが槍を使ってみよう!」
「はいっ! よろしくお願いします!」
「僕は木剣を使うから、自由に使ってみて?」
「……頑張ります!」
ベルは聞くより、見るより、経験が全ての感覚派だとルシアンは認識していた。座学や理論を教えるより、実戦を交えながら改善していくことが効率的だと考えた。
「じゃあ、準備はいい?」
「……いつでもどうぞ」
深呼吸を一度したベルの構えは素晴らしかった。腰を落とし、程よく足を開き、長めの位置で柄を握り、穂先のない槍を構えていた。サラサラの長い赤髪と同じ色の瞳は戦士の瞳だ。
ルシアンはベルのその姿に微笑んでから、ジグザグに蛇行しながら間合いを詰めた。ルシアンの稲妻のような足運びにベルは、どの反撃をするか悩んでいるようだった。
(ベルは何を選ぶかな?)
想定される反撃は、安定の薙ぎ払いかルシアンの位置をとらえた刺突の二択である。そのどちらの対応も脳内で済ませているルシアンは、構わず間合いを詰めた。
ルシアンが間合いに足を踏み入れた瞬間、槍を片手に持ち替えたベルは、左手で何かを投げ放った。
「ッ!? なんだ!?」
間合いを詰め続けるルシアンに恐ろしい速度で二つの何かが飛んでくる。
ギリギリで反応したルシアンは体をひねって避けることに成功したが、大きな隙をベルに晒してしまう。
「ハアァアッ!」
その隙を逃さなかったベルの渾身の刺突がルシアンに迫る。
(ベル……君は本当に素晴らしいよ! でもね……僕は不死身の元騎士だッ!)
ヒュッと音を立てて迫り来る穂先のない槍に、ルシアンは木剣の刃を滑らせるように合わせる。
ルシアンを捉えたかのように見えた刺突は木剣に触れた瞬間、ヌルっと滑るように弾かれ、勢いそのままに横に流された。
「えっ!? えっ!?」
「はい! 僕の勝ちー!」
突きが滑るように弾かれて体勢を崩したベルは、首元にルシアンの木剣を突きつけられていることに混乱しているようだった。
「な、なんですか今の……ずるです」
「あれが……僕が騎士を十年も続けられた理由だよ」
戦闘の適性がないルシアンが騎士時代に優先していたことは、死なないことである。
力でも身体能力でも勝てないのであれば、こちらから攻めなければいいという考え方である。
その結果、得意の分析力を活かして相手の動きに合わせ、受け流すことに特化した『柔剣』とも言える技能を身につけた。
実戦のつもりでやれと言った手前、ルシアンは負けるわけにはいかなかったのだ。とはいえルシアンでなければ負けていたのは事実であり、ベルの戦い方も素晴らしいものだった。
ベルが投げたのはおそらく石である。槍使いが石を投げるという予測の難しい揺動から、身体能力を活かした鋭い突きは初見殺しではあるが、発想が素晴らしかった。
「ずるです……大人げない……ずるです」
「実戦にずるなんてありませんー。それを言うなら投石もずるですー。悔しいなら強くなってくださいー」
いじけたように文句を言うベルに容赦なく勝利の煽りを続けていく。
「……槍の使い方……教えてください!」
「えっ……もちろん! じゃあ構えて!」
いくらかやり取りが続くと思っていたルシアンは、アッサリと引いたベルに驚いたが、その直向きな姿に嬉しくなった。
(アーシェもベルも本当に最高の生徒だ。絶対に最高の人間に育て上げる。もう彼女たちに値段なんてつけさせない!)
教育者としての覚悟が暴走したルシアンは、槍を構えるベルを後ろから包み込むように、彼女の手ごと槍を握った。
「えっ、えっ? ル、ルシアン様? ちょ……あたし汗かいてるし……こ、こんなの……」
「集中して?」
「は……はい!」
教育者として教える上で、最も効率がいいのは、仕草や動きと共に説明をすることである。
「もっと腰を落として、肩の力は抜いて、槍の柄は軽く握るんだ」
「は、はい!」
ベルの熱を感じながらも、自身が知る最高の槍術士——【英雄ブライス】の動きを思い出す。
「ゆっくり僕の足の動きを真似して? 動かすよ」
「あぁ……ふぁ、ふぁい」
密着した二人はゆっくりと踊るように華麗な足捌きを何回も繰り返していく。
「ここで槍を前に突き出すんだ。身体と一緒に腕も。そう! 上手だよ」
「これぇ……すごぉ……あっ!」
そうして【英雄ブライス】の槍捌きを再現したルシアンは、ベルから身体を離した。
「はい! 今のが槍の使い方だよ! これから一人で練習するときは、この動きを思い出して?」
「は、はい! これすごいです! まるで大地から力をもらっているみたいな感じです」
ハァハァと荒い呼吸をしながら真っ赤になっていたベルは、ルシアンが決して感じることのできない領域の話をしていた。おそらくこの動きは、体術士専用の動きなのだ。
【英雄ブライス】は嘘つきとしても有名だった。
その嘘の内容は『オレの適性か?体術士だぞー』と言って適性を隠しているどころか、落ちこぼれ適性の体術士であると詐称しているということだ。
しかしルシアンはこれは嘘ではないと考えていた。このことがきっかけでルシアンは本格的に『適性の呪縛』と向き合うようになった。
適性とはあくまで適性でしかなく、どんな適性でも扱う人の賢さと合わせることで、最高の形を追求できるのだと理解したのだ。【英雄ブライス】は『適性の呪縛』に囚われなかった者の一人なのだ。
「一人で練習するときは、本物の槍を使ってもいいからね。でも怪我や周りには気をつけてね?」
「はい! ありがとうございます!」
ベルは未だかつてないほどの手応えを感じているのか、夢中で演舞を繰り返していた。その姿はまだ完成形とはいえないが、確かな強者の片鱗を見せていた。
こうしてベルの二日目の教育を無事に終えることができた。
「じゃあベル……部屋に案内してくれる?」
「へ?」
「柔剣を使わなかったら僕が負けてたし、頑張ってたからご褒美あげようと思ったんだけど、いらなかった?」
「イキマス! イカサセテクダサイ! あっでも先に汗を流してから……」
◇
「その……お待たせしました……」
「なんか、すごい緊張してない?」
初めて入ったベルの部屋は殺風景だった。
三人にはお小遣いを渡しているので、追加の家具や嗜好品を買うことはできる。しかしベルの殺風景な部屋は、無骨な騎士の部屋を彷彿させた。
(ベルらしいといえば、ベルらしいね)
思わず笑みがこぼれた。
「あの……それじゃあお願いします……あ、跡がつくくらい強くお願いします……角も握りつぶすくらいギュって……」
モジモジしながらも言っている内容は、この上なく倒錯的だった。ベルの望みを叶えるためにもルシアンは、感情を殺して自身に何度も言い聞かせた。
(これはベルのため、これはベルのため、これはベルのため!)
自己暗示を済ませたルシアンは無言でベルの角を左手で握り、乱暴に引き寄せた。
「ヒィッ……あぁ……つ、つのがぁ……」
「お腹突き出して」
「はぁい……」
左手で角を握り込んだまま、突き出させたベルの腹筋を一度撫でる。
ベルはぶるりと震えてから目を大きく開けて、惚けた表情で息を荒くしていた。
(喜んでる……これ以上歪まないでね……ベル)
心の中でベルにお願いをしたルシアンは角を握り込み、五割程度の力でベルの腹筋に拳を突き立てた。
「ん"も"ぉ"っ……」
まるで牛のような鳴き声を上げたベルは満足したのか、だらりと脱力してルシアンにもたれかかった。
「ベル、二日間お疲れ様」
そう言ってベルをベッドへ運んだルシアンはそのまま屋敷へと帰った。
その日の夜、ルシアンの寝つきは悪かった。
ご褒美を与えてベルの部屋を出る時、閉めていたはずの扉が、少しだけ開いていたことが気になって中々、眠りにつけなかったのだ。
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