ツァオベラーの結婚

三日月千絢

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「んぅ、ふ、ぁ」

ぐちゅぐちゅと水気を孕んだ音が私とその方しか居ない部屋に響きます。私を膝の上に座らせ、何度も角度を変えて口づけを落としてきます。

何度も私の耳をなぞる指先はかさついていて、時折耳の穴に入り込んでくるので、全身の肌が粟立ったままです。さわさわ触られるたびに、背筋がぞわぞわしてついには下腹部が熱を持ち始めました。

「は、ぁ」

頭が馬鹿になりそうです。口付けって、こんな頭の中弄られるようなものでしたっけ?頭の中がふわふわして、だめです。本当に頭がおかしくなりそう。響く水音、耳をなぞる指先、腰に回された腕の熱さに目がくらくらします。

「ひあっ、まっんんぅ」
「集中しろ」

意識が逸れていたことに何故気付いたのでしょうか。その方の大きくて分厚い舌は、私の口の中いっぱいに入り込んで自由に暴れ回っています。追い出そうと舌で押しても、絡み取られ、外に引きずり出されてしまいました。

「零すなよ」

囁きのような声が聞こえたかみたか、引っ張り出された舌の上に唾液を落とされ、塗りたくるように何度も絡め合わせるのです。

ああ、羞恥心で心臓が止まりそう。それだけでは飽き足らず、舌を甘噛みをしたり私の口にかぶりついて口の中を啜ったりと、本当に好き勝手にされます。

「くぅ、んっ、はぁ、」

私は息も絶え絶えになりながら、その荒っぽい口づけを甘受するしかありません。「エデルガルト」腰に響く甘い声が私の耳に直接吹き込まれました。身体が大きく跳ね、私はその恥ずかしさに濡れた唇を噛みしめます。

その方は、噛みしめた唇を解くように節くれだった指先を沿わせ、私はまた恥ずかしさに死にそうになりながら唇を噛むのをやめました。

「くっくっく」
「…っ、お人が悪い」
「つい」

私の口の中を好き勝手に弄りまわしていたその方——メルキゼデク様は私を抱え直したあと、ご自分の乱れた髪を後ろに撫でつけました。

精悍な顔立ちがはっきりして、私は胸元を握り締めぐぅと唸ってしまいます。顔が、良いのです。

熱を帯びてもなお色鮮やかな蒼い目が私を見下ろして、ゆるりと弧を描きました。何度も言いますが、この方は顔が良いのです。

乱れた呼吸を落ち着かせるように、腰に回っていた手が背に移りトントンと軽く一定のリズムで叩いてくれます。そうして、漸く私の呼吸が整った頃——

「お前は本当に俺の顔が好きだな」
「…っく」
「まだ慣れんか。婚約者殿よ」
「……慣れるなら疾うに慣れておりますが、閣下は顔が良すぎるのです」
「あぁ、お前の初恋はあの陛下だったか。この顔で生まれてよかったと初めて父と母に感謝しなければな」

そう、私は陛下が提案した流れドラゴン討伐の褒美でメルキゼデク様の婚約者になったのです。驚きでしょう。驚きですとも。呼び出され告げられたメルキゼデク様の驚きの顔は、恐らく一生涯忘れることはありません。

この出来事もしっかりとグリモワールにも記述されていましたが、私は名実ともに“メルキゼデク・フォークナーの婚約者”となったのです。

✿・・・✿・・・✿・・✿・・・✿・・・✿

ユシュル様に治癒魔術をかけた後、その日のうちに顔合わせというのは、さすがの私も別荘を出てきた着の身着のままということもあり辞退したのですが、それから三日後にメルキゼデク様と顔を合わせました。

一応形式を立てねばならないからと謁見の間で、陛下と殿下はもちろん私とお父様、それから記録文官と大臣が数名いました。

とりあえず、この謁見の間ではメルキゼデク様に褒美という名の結婚(もしくは婚約)を伝え、ドラゴン討伐の褒美を与えたという記録づくりとベールマー家の長女が嫁ぐという事実づくりを目的をしていました。

わざわざこの事実づくりのために記録文官と大臣を呼び寄せたのです。そして、その後の詳しい話は、陛下の執務室で執り行う予定でした。

しかし、私の心には申し訳なさでいっぱいです。こんな事故物件を、しかもドラゴン討伐の褒美で嫁にせねばならないフォークナー様に、なんと言って詫びようか。そればかりを考えていたのです。

「それでは、メルキゼデクよ」
「はっ」
「先のドラゴン討伐の褒美がまだ決まらぬということは少々外聞が悪いのは分かっているな?」
「はい」
「それで、だ。お前にはベールマー家の長女、エデルガルトとの結婚を褒美にしようと思う」
「…は?」

ですよねえ。

フォークナー様の冷たい一言に、私は心のなかで大きく溜息を吐きました。分かっていたことですから、傷つくことはありません。

やはり適当に成果を上げて地位を得るべきでしょうか。そう考えながら、私は伏せてていた目をフォークナー様に向けた時。

身体に雷が落ちたような、そんな衝撃を受けたのです。

『あまりにも寡黙過ぎる』と殿下は仰っていましたが、それはメルキゼデク様の本来の性格ではなく、ただ単に呪われているからだと推測します。喉元あたりに呪いの気配がありました。

メルキゼデク様の顔の良さにときめく前に、その呪いに苛立ちを覚え、私は素数を数えることで意識を逸らすしか為す術なく。

魂の近くで呪うだなんて、よくもまあ。誰でしょうか、こんな高等魔術を使うのは。あとで跳ね返してしまいましょう。うっかり解呪の反動で相手が死んでしまっても仕方ありませんよね。元王族、現公爵を呪うなんて、愚かなことではありませんか。

念の為に報告はしようと思いますが、炙り出すより先にあの世に渡っていることでしょう。

「エデルガルト?」
「いいえ、何も」

お父様の視線がつむじに刺さりますが、そ知らぬふりをして私は口元だけの笑みを浮かべます。そこの大臣は「病弱令嬢ごときが」と思っていそうな顔ですね。我が娘を嫁がせようと画策していたのでしょうか。知ったことじゃありませんが。

それから、大臣たちのざわめきを陛下は一刀両断で切り伏せて、これで終わりだと言わんばかりに執務室へ移動したのです。殿下が防音魔術をかけたのを合図に、陛下は私を見て口を開きました。

「メルキゼデク、これがお前の嫁な」
「は?」
「今代の魔導書の魔女殿だ」
「は?」

フォークナー様は「は?」しか言いませんが、恐らく言語数の問題でそれしか言えないのでしょう。言語数の縛りってどういう方向性なのでしょうか。呪った方のお顔を見てみたいものです。

にしても、さすが陛下の甥君です。実に顔が良い。陛下と並んで見ると福眼すぎます。目に記憶に焼き付けねば。私の好みをドスンと射抜いてくるのは、この国の王族ぐらいでしょうよ。それだけは本当に昔から変わりません。

「嫁…?」
「そうだ、お前の嫁だ」
「陛下、あの、少しよろしいでしょうか?」
「エデルガルト、どうした?」
「単刀直入に言いますけど、どうやら閣下は呪われてるようですの」
「…は?メルキゼデクがか?」

陛下だけではなく、フォークナー様も驚いた顔で私を見てきます。寡黙という印象が付きすぎているせいで、誰も気にならなかったのでしょうか。この国の魔術師の質はそこまで悪くなかったように思うのですが…。

「そ、れは」
「ちょっと魂に近い呪いのようで、誰も気づかなかったんでしょうね。まあ何はともあれ、とりあえず解いていいですか?」
「できるなら」
「私は魔導書の魔女ですよ、こんなもの朝食前ですわ」

フォークナー様の蒼い目が大きく見開かれ、呆然と私を見ています。何か言いたそうな目ですが、私は肩を竦めてそれをいなして――親指と中指をすり合わせ、パチンと音をひとつ立てます。

視界の端でお父様が眉を跳ね上げました。伯爵令嬢がするものではありませんね。しかし、これが魔術展開するとき一番速いので魔女は好んでいるのです。

「どうでしょう?」
「…っ喋、れる。喋れるぞ、叔父上よ!」
「……えぇ、お前、本当に呪われていたのか?」
「なんです、その呆れ顔。これでも、当初は秘密裏ですが王宮魔術師に掛かったりしてましたからね?一度に喋れるのが一文字か二文字ですよ。騎士団長を何度辞しようかと思ったことか」

フォークナー様は喉に手を当てて、陛下にこれでもかと言わんばかりに喜びを示していました。表情はあまり変わりませんが、その美しい精悍な顔立ちは喜びに満ちています。多分。推測です。

ひとしきり陛下に話しかけて満足したのか、フォークナー様は私に視線を移しました。

「エデルガルト嬢、なんと礼を言えばいいのか」
「いえ、それはかまいませんが」
「そういえば、討伐の褒美はエデルガルト嬢との結婚だったか。エデルガルト嬢からすれば俺が相手だと十は上だが構わないのか?」
「随分と可愛らしい年の差ですもの、私は問題ございませんわ。しかし、フォークナー様はよろしいのですか?私、結婚するには少々事故物件と言いますか」
「可愛らしい年の差?事故物件?」
「メルキゼデクはどうやら乗り気のようだぞ、エデルガルトよ。どうだ、これでお前の憂いもないだろうて」

陛下はしたり顔で笑っていて、どうして殿下は私を哀れむような目で見るのですか。つくづく親子揃って癪に障る表情をすること。

「エデルガルト、お前はグリモワールを召喚できるのか?」
「えっ」
「なに、結婚するんだからグリモワールを読みながら、当人たちでじっくり話し合い愛を深めてくれよ」

陛下は手をひらりと振りました。それ、三日前の私のセリフではありませんか?フォークナー様は現状を把握しあぐねているのか視線が私と陛下の間を行ったり来たりしています。

「ほら行った行った。メルキゼデクは今日明日と休みだ。エデルガルトと仲を深めてこい」
「…はぁ」
「煮え切らん返事をするな、さっさとエスコートして行け」

投げやりな陛下のお言葉にも慣れているのか、少し困り顔(多分)のフォークナー様に手を引かれ、私は陛下の執務室を後にしました。お父様、もしかすると出戻る可能性がありましてよ。伝わったか伝わらずか、お父様は私を一瞥して小さく手を振るだけでした。

「――エデルガルト嬢、どこか行きたい場所はあるか?」
「……でしたら、王宮図書室へ。私の自己紹介を兼ねて、先程の御説明を」
「あぁ、なら昔俺の母がいた離宮にしよう。今でも時折叔父上に頼んで使わせてもらうから、図書室よりは埃臭くないはずだ」

私が提案した王宮図書室は、かなり人気の薄い場所になります。ここ数十年登城しなかったけれど、どうやら相変わらず人気が薄いようです。

私を意を汲んでくださったフォークナー様は、口元に緩やかな笑みを浮かべて、私を前王妃様が使っていた離宮へと連れて行ってくださいました。確かに、ここなら誰も来ませんわね。

「お茶は何がいい?」
「あぁ、私がします」
「かまわん。俺にさせてくれ」

フォークナー様は、王城がよく見える離宮のテラスへ私を通して下さいました。綺麗に手入れされているから、埃ひとつ溜まっていません。

「たまに、フォークナーの屋敷に戻れない時は使わせてもらってるんだ。叔父上も断ればいいものを、甘いよな」
「まあ。良いではありませんか。この国の男は、いつも何処か甘ったれているのですから」
「そうか?随分と物知り顔で言うんだな」

差し出された深みのあるカップを受け取れば、果実の芳醇な香りがしました。お高そうな茶葉を使われたんですのね、この方は。

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