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シーズン1

第二十話

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 なぜか、蓮水副部長が座っていた。

 凡子は「すみません。間違えました」と、部屋を出た。

 控えていた仲居に「どうかなさいましたか?」と、声をかけられ、凡子は「中の人、水樹恋様じゃありません」と、訴えた。
 仲居がハッとした顔をして「確認してまいります」と言った。

 蓮水副部長が出て来て「間違いではありません」と、仲居に伝えている。凡子は訳がわからず、隣に立つ蓮水副部長を見上げた。スーツ姿なので、仕事に違いない。
「とにかく、中に入って」
 凡子は瞬きもせずに、蓮水副部長に促されて中に入った。

「奥、どうぞ」
 蓮水副部長に言われたが、凡子は手前の席の方へ進んだ。
「そっちは、俺の席なんだが」
「いえ、わたしが上座につくなど許されません」
「ああ、上座下座ね。気にするんだ。好きにしてくれたら良いよ」

 蓮水副部長は、凡子の向かいに座ったあと、凡子の方に手を伸ばして湯飲みを引き寄せた。

 凡子は、なぜ、蓮水副部長がこの場所にいるのか、まだ、理解できていなかった。

 メッセージをくれたのは、間違いなく水樹恋だった。となると、考えられるのは一つだけだ。

「今日は、代理で来られたのでしょうか?」
 蓮水副部長と水樹恋が知り合いなら、五十嵐室長の容姿と近いのも納得だ。

「浅香さん、俺の名前知ってるよね?」
「はい、蓮水人事部副部長で、あらせられます」
 蓮水副部長が「あらせられますって、今どき」と言って、笑った。それから、名刺入れを取り出した。凡子に名刺をくれた。

『蓮水 樹』と書いてある。
「蓮の字を、後ろに持って行って」
「みず、き、はすってことですか?」
「蓮の別の読み方は?」

――レンコンのれん! ということは、蓮水副部長が、作者様で五十嵐様!

 凡子は声も出せずに、大きく口を開いて固まった。

 それから、自分が失礼な態度をとったことに気づいた。
 凡子は、座布団から体をずらし手をついて、「申し訳ございませんでした」と、額が畳につくほど頭をさげた。

「とにかく、顔をあげて。少し落ち着いてくれないかな」

 凡子は一度顔をあげ、「大変失礼いたしました」と、もう一度頭を下げた。

 席に戻り、改めて、蓮水副部長を見る。頭の中は「五十嵐様が作者様……」と、まだ、混乱していた。

「お詫びしなければならないのは俺の方だと思うよ。騙して呼び出したようなものだしね」
 凡子は、口を硬く結んだまま、顔を左右に振った。

 つき出しが運ばれてきた。有田焼の小鉢が三種、漆塗りの盆に載せられている。

「先に、頂こう」
 蓮水副部長から声をかけられ「はい、頂きます」と返した。

「ああ、写真を撮らなくてもいいのか?」
 凡子は「結構です」と返した。

「遠慮しなくていい。君が撮らないなら、こっちで撮って、あとで画像を渡すよ」
「蓮水副部長のお手を煩わせるわけにはいきません。こちらで撮らせていただきます」
 凡子は、つき出しを撮影した。

「そこまで、かしこまらなくても。もう少し、気楽にしてもらえないか?」

「いえ、水樹恋様でいらっしゃる上に、蓮水人事部副部長なのですから」

 つき出しを食べ終わると、すぐに、前菜が運ばれてきた。
 監視カメラがついているのではと疑いたくなるくらい、絶妙なタイミングだ。

「浅香さん、料理の写真撮るの上手だよな」と、話しかけられた。

「恐縮です」

「SNSで小説の宣伝を定期的にしてくれてたから、結構前から時々覗いてたんだ。本社の近くに勤めてるのは予想していたけど、少し前に、泉堂が写ってたから、誰なのかわかった」

 蓮水副部長の方は、凡子の正体を知った上で、声をかけてきたようだ。

 料理は、椀物、お造りと続いていく。

 凡子は、どうにも緊張がとけず、美味しいはずの料理の味がほとんどわからないまま、最後の水菓子まで食べ終わった。

 蓮水副部長がお茶を飲みながら「少しは打ち解けてもらわないと、話ができない」と言った。 

 凡子はすっかり忘れていたが、相談があると言われていたのだった。
「申し訳ございません。お話しください」
 蓮水副部長は頷いた。

「この春で、俺が、部署異動になったのは知っているね。監査部の頃は出張先への移動中や宿泊先で小説を書いていたんだ」

 凡子は、作者の執筆秘話が聞けた喜びで、机に手をついて身を乗り出した。

「五十嵐室長の出張先の描写が丁寧に書き込まれていたのは、実際に行かれた場所だからなんですね!」
 蓮水副部長が固まっている。

「し、失礼しました」
「いや、いきなりギアがトップに入ったから、驚いただけだ」

 蓮水副部長が最近の忙しさをざっくりと説明してくれた。凡子は、大きく頷きながら話を熱心に聞いた。

「今日相談したかったのは、浅香さんに、仕事以外のところをサポートしてもらえないかということなんだ」

 凡子は、蓮水副部長の顔をみつめたまま「わたしで良ければサポートいたします」と言った。

「快く引き受けてもらえて嬉しいよ」
「なんなりとお申し付けください」

 蓮水副部長から「続きは、うちに来てもらってからでいいかな?」と言われた。
 凡子は早速、家の片付けを任されるのだと思った。

「はい、蓮水家の家政婦として、頑張らせていただきます」
 蓮水副部長は、首を傾げた。
「家政婦のつもりはないよ」
「では、ハウスキーパーとして」
 蓮水副部長は微笑んで「詳しくは、家で説明するよ」と言った。

 いつの間にか、支払いはすまされていた。凡子は「ごちそうさまでした」と深々と頭をさげた。

 店を出てすぐに凡子は「お鞄をお持ちします」と、蓮水副部長に声をかけた。
「いや、いいよ」
 蓮水副部長は口元をおさえながら俯いた。

「泉堂が浅香さんのことを面白いって言ってたけど、本当に面白いな」
 やはり、泉堂からは面白がられているらしい。


 蓮水副部長がタクシーを拾った。
 運転手に行き先を告げる。蓮水副部長の家は、港区にあるらしい。蓮水副部長というより、水樹恋と二人でタクシーに乗っていると思うと、凡子はまた緊張が高まってきた。

――作者様の、プライベートスペースへお邪魔することになるなんて……。

 凡子は突然、気になることができて、「作者様」と、隣に向かって話しかけた。
「作者様……」
 蓮水副部長が笑いを堪えている。

「失礼しました。蓮水副部長」

「なぜ、俺のことを役職つきで呼ぶんだ? 泉堂のことは、泉堂補佐とは呼んでいなかった気がするが」
 蓮水副部長のことを、五十嵐室長の化身だと思っていたことは、言ってはいけない気がした。

「問題があるなら、変えます」
「とりあえず、名字で呼んで」
 凡子は頷いた。

「ところで、何か質問でも?」
 凡子は質問しようとしていたことを思い出した。

「執筆は、パソコンですか? スマートフォンですか?」
 蓮水が「書くのはだいたい、タブレット」と言った。
 凡子は「なるほど」と言いながら頷いた。

 マンションに着くまで、蓮水が、新幹線やホテルで執筆をする姿を想像して過ごした。

 タワマンが何棟も建っているが、凡子の実家の辺りとは、また雰囲気が違う。
 凡子は緊張していたが、それよりも、蓮水の家を綺麗にするという使命に燃えていた。

 家の中に入り、凡子は拍子抜けした。

「どこを片づければいいのですか?」
「この二週間ほど、散らかすほど家に居ない」と、返ってきた。

 リビングに通され、ソファで待つように言われた。
「コーヒーで良い?」
「わたしが、お淹れします」と、立ち上がった。
 家政婦として、主人にコーヒーを淹れさせるわけにはいかない。

 蓮水が右手を顔の辺りまであげて「座っておいて」と言った。凡子は素直に座った。

 蓮水はすぐに戻ってきた。コーヒーの香りが良い。

 それから、テーブルの上に契約書と書かれた冊子を置いた。
「目を通して」
 凡子は、わざわざ雇用契約を結ぶのかと思いながら冊子を手に取った。

 一ページ目に書かれている内容に目を通しはじめてすぐに、凡子は首を傾げた。

――誤字? それとも読み間違い? 

 凡子は一度目を擦ったあと、冊子に顔を近づけた。
 どう考えても『婚姻』と書いてある。

「あっ、ご結婚なさるんですね。それで家政婦が必要に」 
 凡子は理解したとばかりに、顔をあげた。

「まあ、承諾してもらえたからね」

 凡子が「おめでとうございます!」と言うと、蓮水から「君も、おめでとう」と返された。

 凡子は「就職祝いかな?」と思いながら、「ありがとうございます」と返した。

「わかっていないようだから説明するけど、俺と結婚するのは、君だからね」

 凡子はゆっくりと首を傾げた。
「君とは、わたしのことですか?」 
 蓮水が頷いた。

「えーーーーーーー‼︎ わたしーーーーー‼︎」

 凡子は奇声を発して立ち上がった。膝がテーブルに当たり、コーヒーがこぼれた。

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