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シーズン1

第九話

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 泉堂へのお礼は、来週の月曜日までに考えれば良いと思っていた。

 火曜日、いつも通り業務をこなしていると、十時過ぎに、蓮水監査部長と泉堂が受付の前を通り過ぎていった。凡子は一瞬、混乱し、思わず卓上のカレンダーを確認した。やはり今日は火曜日だった。凡子が受付を務めている二年間、月曜以外に二人を本社でみかけたことはない。

 つまり、初めて見る火曜日の蓮水監査部長なのだ。

 凡子は本社の監査部の規模も、業務内容もよく知らない。本社内で行う業務もあるのだろう。

 凡子は得した気分だった。もちろん、月曜日にしか見ることができないから、蓮水監査部長の存在がより貴重に感じられる。それでも、二日続けて見る蓮水監査部長は、さらに貴重なのだ。月曜日は会議の時間に合わせて出社するけれど、今日は朝一から来ていたようだ。

 二年間、火曜日には一度も見たことがなかった。もしかしたら、蓮水監査部長と火曜日に会えるのは、最後かもしれない。

 凡子は今日という一日を大切に生きようと思った。

 ただ、凡子が蓮水監査部長と会えるのは、受付の前を通るときだけだ。二人は、夕方まで帰ってこなかった。
 それでも、蓮水監査部長の帰りを待つ時間を存分に味わえたので、凡子は満足した。

 仕事が終わった。
 凡子は一番乗りで更衣室に入った。制服の上着のポケットからロッカーの鍵を出す。キーホルダーについた鈴が、ちりりんと鳴った。
 凡子は手早く着替えていく。

 この後は、合気道の練習がある。道場は会社の最寄り駅から一駅の場所にあるので、道着はトートバッグに入れて持ってきてある。

 いつも、夕食は練習の後でとる。小腹が空いたので、更衣室で、昼にコンビニで買っておいたパンを食べた。

 瑠璃から「話したいことがあったけど、今日は練習日かあ、残念」と、言われた。

 珍しく、二人が月曜日以外にも来ていたので、何か、新しい妄想をしたのだろう。気になったが、早く行かないと練習時間が短くなってしまう。
「今度、また聞かせて」と、言って、更衣室を出た。

 早足で駅に向かう。家路を急ぐ人混みの流れにのり、八重洲南口から改札を抜ける。新幹線乗り場を通り越し、3番ホームを目指す。

 凡子は、すっかり合気道の気分になっているので、脳内で、投げ技の動きを思い描きながら歩く。すれ違う人たちにいつ掴みかかられても、華麗に倒せる。
 一瞬、名前を呼ばれた気がしたが、凡子は空耳だと思い振り返らなかった。

 階段にたどり着く直前に、後ろから肩を掴まれた。

 凡子は、咄嗟に、体を回転させ相手の腕を体から外した。振り返って突きを出そうとしたところで、相手が驚いて、「え?!」と、声をあげた。

 顔を見ると、泉堂だった。

 凡子も驚いて「え!」と声を出した。

「何度も呼んだけど気づかないから」
 呼ばれていたのは気のせいではなかったらしい。

 凡子は攻撃しようとしたことを謝ると、泉堂から「僕の思慮が足りなかった」と逆に頭を下げられた。

「ちょうど、合気道のイメトレをしながら歩いていたので……」
「浅香さん、合気道やってるんだ」
 泉堂はただでさえ大きな目をみひらいた。瞳がキラキラと輝いている。

「夕食に誘おうと思って声をかけたんだけど、これから何か用事があるの?」

 凡子は、泉堂が夕食に誘ってくる理由がわからず、訝しんだ。これが中高生なら、罰ゲームという可能性があるが、泉堂は一流企業に勤める社会人だ。まだ、泉堂が何かのスパイで、情報を取るために近づいてきたと考える方が現実的だ。ただ、凡子は欲しがられるような情報を持っていない。
 と、なると……。
「蓮水監査部長に振られたんですか?」
 泉堂から「そんなわけないだろ」と、かなり強めに否定された。
 蓮水監査部長を誘って断られたから、たまたま見かけた凡子に声をかけてきたのかとふんだが、違った。

 泉堂から誘われた理由がなんであれ、凡子は夕食につきあえない。
「とにかく、わたしはこれから合気道の稽古があるので、他にあたってください」
 泉堂に、一度頭を下げた。

 凡子は、いつもの電車に乗り遅れそうなので、階段を駆け上った。二段飛ばしで、次々人を追い越していく。階段で頑張ったおかげで、駆け込み乗車にはならずにすんだ。
  
 凡子は、道場に着いたあとも、泉堂の誘いをむげに断ったことが気になっていた。雑念を振り払うために、指導員に頼んで普段より厳しく稽古をつけてもらった。
 合気道の稽古を終え、家に帰ったときにはすっかり疲れ切っていた。いつもなら、帰ってから簡単な物を作って食べるが、気力がなかったので、帰り道にあるスーパーでお惣菜を買ってきた。食事は手抜きをしたが、明日の準備は怠ってはならない。明日は『五十嵐室長はテクニシャン』の更新日なので早起きをするからだ。

 良い目覚めは良い眠りから。ぬるめのお風呂にゆっくりと浸かって、しっかりと体の疲れを取る。
 凡子は、ベッドに横になると、数秒で眠りに落ちた。

 目覚めは完璧だった。
 疲れた分、眠りが深くいつも以上に疲れが取れていた。
 すんなり『五十嵐室長はテクニシャン』更新前の儀式はすべて終え、凡子はいつもより早く、スマートフォンを手に取った。

 投稿サイトにアクセスする。『七海子』のマイページに、通知が来ていた。見ると、昨夜のうちに水樹恋のコメント欄が更新されていた。

「あー、眠る前にチェックしておけば良かった」

 更新まではまだ十五分ほどある。先に、作者コメントに目を通すことにした。水樹恋は、ほとんどコメントしないから、凡子は油断していた。

――――――――――――――――――――――――
 読者の皆様、いつも閲覧やコメント欄での応援ありがとうございます。
 突然のご報告となりますが、プライベートで環境の変化があり、しばらく多忙となります。
 この一年ほど、月、水、金の週三回、更新をしてきましたが、今後、どこかのタイミングで更新頻度が落ちる可能性があります。いつも更新を楽しみにしていただいている皆様に、予めお知らせしておくことにしました。
 できる限り、今の頻度を維持するつもりではいますが、クオリティを落としてしまうよりは、更新頻度を落とす方が良いのではと、考えております。
 しばらくはストックがあります。
 明日も通常通りの更新となりますので、ご安心ください。
 皆様に『五十嵐室長はテクニシャン』をお楽しみいただければ幸いです。
 水樹 恋
――――――――――――――――――――――――

 コメントを読みながら、凡子は、絶望と歓喜を味わった。とりあえず、しばらくは週三回が維持される。そして、今日も六時の更新が確約されていた。ハッとして、時計を見ると、更新五分前だった。

 最近、週三回更新されるのが当たり前に感じていたことを、凡子は反省した。

 投稿サイトに無料で公開されているのだから、作者は他の仕事で稼いで生活をしているはずだ。仕事をしながら小説を書くのは、大変なことなのだと改めて思った。凡子が趣味でしている二次創作でも、内容を考えるのに時間がかかる。作者はきっと、自分で使える時間の大半を、創作に費やしているに違いない。
 かつて「当たり前じゃねえからな」と言ったのは、誰だったか。
 凡子の目から涙が溢れた。

「今のままでは、作者様への感謝が足りないです」

 更新の十秒前になった。凡子は腕で涙を拭った。
 スマートフォンの画面越しに時計の秒針が見えるようにして、構える。
 六時ちょうどに、最新話の画面を開いた。
 
 
 



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