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第5章 ~ペイン海賊団編~
―57― 砕け散った鏡(3)
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ジムとルイージによる虐めが発生している現場――川のほとりへと駆け付けたディランとルーク。
全力疾走したためか、真冬だというのに、ディランの肉体も、ルークの肉体も熱くほてっていた。
両肩で息を整えるディランたちが見たのは、やはりランディーが言った通りの光景であった。
ジムとルイージ。
そして、腹を押さえたまま地面に倒れ込み、鼻血を出して泣きじゃくっているバルドであった。
バルドの顔は涙や鼻血だけでなく、冷たい土でも汚れていた。
人としての心を持つ人間なら、こんな光景を見て、胸が痛まないはずがないだろう。
だが……
「だからよぉ、給料ちょっと貸せって。すぐ返すからさ(嘘だけど)」
ジムは胸を痛めるどころか、バルドに更なる追い打ちをかけ、起き上がることもできないバルドの太腿を軽く蹴飛ばした。
「何やってんだよ!! お前ら?!」
ルークの声に、いやルークの怒声に、ジムとルイージは「ああ゛ン?!」と振り返った。
暴力の一時中断。
ジムたちのの足元にいるバルトは、「た、助けて……」と涙と血と土に濡れた顔でディランたちに助けを求めていた。
きっと、”今日のこの虐め”は、バルドがジムたちに何か気に障ることをしたというよりも(気に障ることをしたからといって暴力を奮うことなど言語道断であるが)、単に恐喝によってなけなしの給料を巻き上げようとし、それを嫌がったバルドに一方的な暴力を奮ってるに違いなかった。
「早く、こっちへ……!」
バルドに駆け寄ったディランは、彼を助け起こし、自分の背中へと隠した。
その間、ルークは2人の虐めっ子たち――主にジムと睨み合っていた。
「……ふん、ほんと懲りねえ奴らだよな、てめえら。”いつもいつも”正義の味方の英雄気取りでよ。そもそも、年上を”お前ら”呼ばわりすんじゃねえよ。生意気なんだよ、このタコ野郎ども!」
ジムが凄む。
拳をペキペキと鳴らし始めたルイージが「”今度は”ルークの両目に青あざ作ってやろうぜ。相当に笑える顔になンじゃねえの」と、ルークを顎でしゃくった。
ルーク&ディラン VS ジム&ルイージ。
ディランも、ルークも13才の少年としては、体力もあり、身体能力だって高い方だ。だが、相手は16才のジムとルイージだ。
ルイージは細身ではあるも、少年たちの中では抜きん出て長身であったし、ジムはやや平均程度といった身長であったが、ルークやディランよりは身長は高かった。
この成長途中の時期における3才の年の差というのは、結構大きい。
現にディランも、今までにジムたちとやり合って(というか、彼らが引き起こした虐めや揉め事を止めようとして)、鼻血を出したこともあった。
自分たちが”劣勢にあり続けている”のは明らかだ。
よって、今日の”バルド虐め”は見なかった、気づかなかったと自分たちに言い聞かせることだってできた。
だが、寝食をともにしている同僚が殴られ、蹴られといった惨たらしい暴力を受けている。
これから、自分たちもジムとルイージにコテンパンにされ、生温かい血と冷たい土まみれで転がされている未来しか予測できないにしても、”何も見なかった”ことにするなどはできなかった。
へッと馬鹿にした笑いを漏らし、口元を歪めたジムは、ズボンのポケットに手を突っ込み、何やらジャラジャラとわざとらしく音を立て始めた。
――何を入れている?
ジムは、ポケットの中に何かを隠している。それを誇示しようとしている。
だが、ジムはディランとルークではなく、ディランたちの”背後を見て”、そのわざとらしい動きを止めた。
「おいおい……絵描き気取りとスペシャルヘタレまで、加勢しにきやがったのか。もっと、マシな喧嘩のできる奴、連れて来いっての」
ハッと背後を振り返ったルークが、”まずい!”と顔を歪めた。
そう、ディランたちの瞳に映ったのは、左脚を引きずりながらも懸命に自分たちのところへ駆け付けようとしているランディーと、そのランディーを気遣うエルドレッドの姿であった。
エルドレッドは愛用の画板を、ランディーはおつかいの途中である古ぼけた木箱を抱えたままであった。
きっと、彼らもバルトを見捨ててはおけないと思ったのだろう。いや、もしかしたら、彼らは自分たちを心配して……
エルドレッドとランディーの登場に、ルイージがブブッと吹き出した。
「ほんと、ジムの言う通りだぜ。もっとマシな奴ら連れて来いよ……って言いてえとこだけど、俺らに勝てる奴なんていねえわけだし、しょうがねえよな。”5人”まとめてボッコボッコにしちまうか」
ルイージのその言葉に、ディランの背後で震えていたバルドが逃げ出した。
ルークの「バルド!」という声に振り返りもせず……
「助けてもらっておいて逃げるとか。最悪じゃね。てめえらがこうして、助けに来る価値なんて、あいつにはなかったな」
ジムが笑い声をあげる。
「てめえらが大切に思うほど、あいつはてめえらを大切になんて、思ってなかったってこったよ。相手に期待なんかしない方が、傷つかずにすむぜ」
「……俺たちはただあいつを……バルドを助けたいと思った。ただ、それだけだ」
そう言って、唇をグッと一文字に結んだルークに、ディランも頷いた。
「なあ、ジム。単にこいつらをボコるよりも、もっと面白いことを思いついたぜ」
ますますニヤつき、薄気味悪い笑みのルイージがズボンのポケットからナイフを取り出した。
ここに吹き抜ける冷たい冬の風すら切り裂くかのように、磨き抜かれたナイフ。
ルイージは、ナイフまで持っている。
ルークとディランの頬には緊張が走り、エルドレッドとランディーの顔はサッと青くなった。
ルイージがナイフをちらつかせているということは、当然、ジムもナイフを隠し持っているに違いない。
「こいつら全員、上の毛も”下の毛も”ツルッパゲにしてやるか」
「……そいつは名案だって言いてえとこだが、下の毛に至ってはまだ満足に生え揃っていない奴が約1名いるぞ」
ジムがランディーに、チラリと目をやった。
ランディーの顔が即座にカッと赤く染まる。
集団生活をしている自分たちは当然のごとく、風呂も同じだ。
少年たちの肉体の成長具合は様々である。ランディーの肉体の成長具合は、ジムにチェックされていた。
冷たい冬の風が、吹き抜けていった。
その風は、一触即発の今のこの事態への嫌な追い風であった。
再び睨みあうルーク&ディラン vs ジム&ルイージという構図。
その構図の外側にいるも、巻き込まれることは確実であるエルドレッドとランディーに、ディランは低い声で囁いた。
「2人とも隙を見つけて逃げろ」と――
そして、その後にディランが続けたかった”誰か大人の男を呼んできてくれ”という言葉を、エルドレッドはアイコンタクトで読み取ったらしい。
この後、自分とルークはジムとルイージに、暴力によって窮地に追い込まれる。
この事態の収拾をつけるには、誰か大人の男の助けが必要だ。
親方にエルドレッドたちが訴えたとしても、あの親方は絶対に”好きにやらせとけ”としか言わないだろう。
だから、こういった少年同士の暴力を止めることができる大人の男(できれば肉体労働に従事しているような厳つい体格の男)を町で見つけて呼んできてくれれば……
「おい、ディラン……てめえ、何かっこつけてんだよ。自分たちが勇敢に囮になるから、その間に”絵描き姫”と”ヘタレ姫”を逃がそうってか」
ジムが鼻で笑う。
「ンなことより、てめえの心配をした方がいいんじゃねえのか」
ジムがディランへ、ザッと一歩を踏み出した。
身構えるディラン。
だが――
ジムのその動きは、フェイクであった。
目にも止まらぬ速さでバッと体勢を変えたジムは、ズボンのポケットに突っ込んでいた手から何かを、”ランディーに向かって”シュッと投げたのだから。
「!!!」
反射的に目をつぶったランディー。
そのランディーを咄嗟に腕にかばったエルドレッドが低い呻き声をあげる。
エルドレッドの手からは画板が落ち、ランディーの手からは木箱が落ち、中身が冷たい土の上にけたたましい音とともにぶちまけられた。
「エルドレッド!」
ディランの声が、ルーク、そしてランディーの声に重なりあった。
エルドレッドは右腕を押さえ、顔をしかめていた。
石だ。
ジムはポケットに、尖った石を忍ばせていたのだ。
エルドレッドが咄嗟にランディーをかばわなければ、その石は間違いなくランディーの額を直撃していたであろう。
「ジム……お前、ひっでえ奴だな。”絵描き姫”の大切な利き腕を攻撃するなんてよ」
ルイージが、腹を抱えダハハと笑った。
「いや、俺はランディーを狙ったんだよ。少人数で複数の敵に対峙する場合、一番弱っちい奴を真っ先に潰すのが鉄則だろ。まあ、二番目に潰す予定の奴に当たっちまったけどよ。でも、骨が折れたわけでもねえだろうし……」
「てめええ!!」
今度はルークが目にも止まらぬ速さで、ジムへとバッと飛びかかった。
ジムの胸倉をガッと掴んだルークの拳は、ジムの左頬を砕かんばかりの勢いで炸裂した。
思いのほか、小気味の良い音を立てたルークのパンチに、ルイージが目を丸くする。
ルークの右ストレートを受けたジムは、よろけはしたものの、地面に倒れ込みはせず――
ただでさえ鋭い眼光にさらなる残酷な光をカッと宿らせたジムは、ルークに向かって自身の拳で風を斬った。
下から突き上げたジムの右拳は、ルークの鳩尾に的確に入った。
膝から地面に崩れ落ちたルークは、真っ赤な顔でゲホゲホと咳込み――
「……今日という今日は、てめえを半殺しにしてやる。てめえを完膚無きまでに叩き潰したら、他の奴らも俺らに二度と逆らおうとは思わねえだろうしな!!」
声を荒げたジムは、ルークに次なる暴力――蹴りを入れようと……
「やめろ!!」
バッと躍り出たディランは、ジムを突き飛ばした。
これ以上、ルークを傷つけさせやしない――!
「上等だ! てめえもボコボコに……」
ジムが、ルークをかばうディランの胸倉を掴んだ。
咳き込みながらも起き上がろうとしたルークが、ジムの両脚に体当たりを食らわせた。
地面に倒れ込んだが、なおも暴れ狂うジム。ジムを押さえようとするルークとディランは、冷たい土の上でジムともつれあい、もみくちゃの状態となり……
「おーい、英雄ども。盛り上がっているところ悪いけど、お姫様たちをお守りしなくていいのか?」
愉快そうなルイージの声が、ルークとディランの土にまみれた背中にかかった。
ジムに加勢すると思っていたルイージは、この間にエルドレッドとランディーを小突き蹴飛ばしながら、追い詰めていたのだ。
「やめてよ、ルイージ」
「やめなあ~い♪」
唇の片方を歪ませ、薄気味悪い笑みを浮かべながら、暴力を止めないルイージ。
エルドレッドとランディーの数歩後ろには、轟轟と唸り声を上げる真冬の川が迫ってきた。いや、真冬の川に迫らされていた。
「……恥ずかしいとは思わないのか?! ”いつもいつも”自分より年下の者に……自分より弱い者に、こんな暴力で……!!」
太腿を蹴飛ばされながらもランディーをかばっていたエルドレッドが、怒りを見せた。超絶に生意気なことに、言葉で反撃してきた。
ニヤついていたルイージの顔は、みるみるうちに真顔へと戻っていき、そのそばかすが無数に散っている頬が引き攣ったかのようにピクリと動いた。
「……俺らより後に生まれたのは、お前らの勝手だろ。お前も大人しい面(つら)して意外と生意気なこと言うんだな。バックにあいつら(ルークとディラン)がついているから、あいつらの威を借りて、でけえ口を叩いただけってオチだろうけどよ!」
声を荒げ――つまりはジムと同じくキレたルイージが、エルドレッドの髪をガッと掴んだ。
抜きん出て長身のルイージに髪を掴まれた――いや、エルドレッド自身も13才の少年としては、やや背が高い方に分類されるも、髪を掴み上げられた体勢になった。
ランディーの「ヒイッ!」という悲鳴。
ルークとディランの「エルドレッド!」という声が、重なりあった。
冷たい土の上でジムともつれあっていたルークとディランは、言葉どおり窮地に追い詰められているエルドレッドを助けようと……
「おい、てめえら! よそ見すんじゃねえ!」
だが、ジムが後ろからディランの尻を蹴飛ばし、ディランは地面に顔面から倒れ込み、顎を強かに打ち――
髪の毛を引っ張られる痛みに顔をしかめたエルドレッドに、ルイージは青筋を立てた自身の顔をエルドレッドの頬に息がかかるまでに近づけた。
「……エルドレッド、俺らは単に暴力を奮ってるわけじゃねえよ。これはいわゆる躾ってやつだ。愛ある”可愛がり”つうワケ」
喉をクッと鳴らして笑うルイージ。
「もう、やめてよ! ルイージ! 謝るから! 何だってするから!」
半ば泣き声のランディーが、エルドレッドを助けようとした。
だが、ランディーの身長ではルイージの腕には到底、届かない。
「ランディー……お前の躾は後でやるから、邪魔すんな! 今はまず、こいつからだ!」
ルイージは、苦痛に顔をしかめながらも、自分に対して先ほどの見せた闘志(?)を緩めることのない、エルドレッドの青い瞳を覗き込んだ。
「気に入らねえ野郎だな。ここで泣きでもしたら、少し手加減してやるつもりだったけどよ……ってことで、お前、頭を少し冷やせ」
そう言ったルイージは、パッと手を離したかと思うと、ビュンとそのひょろ長い利き足で風を斬り――エルドレッドの腹にドカッと一撃を食らわせたのだ!
「エルドレッド!!」
悲鳴をあげたランディーの眼前で、そしてディランとルークの目の前で、エルドレッドの肉体は宙を飛び、轟轟と唸り声を上げる冬の川の”流れの中に”吸い込まれていった。
全力疾走したためか、真冬だというのに、ディランの肉体も、ルークの肉体も熱くほてっていた。
両肩で息を整えるディランたちが見たのは、やはりランディーが言った通りの光景であった。
ジムとルイージ。
そして、腹を押さえたまま地面に倒れ込み、鼻血を出して泣きじゃくっているバルドであった。
バルドの顔は涙や鼻血だけでなく、冷たい土でも汚れていた。
人としての心を持つ人間なら、こんな光景を見て、胸が痛まないはずがないだろう。
だが……
「だからよぉ、給料ちょっと貸せって。すぐ返すからさ(嘘だけど)」
ジムは胸を痛めるどころか、バルドに更なる追い打ちをかけ、起き上がることもできないバルドの太腿を軽く蹴飛ばした。
「何やってんだよ!! お前ら?!」
ルークの声に、いやルークの怒声に、ジムとルイージは「ああ゛ン?!」と振り返った。
暴力の一時中断。
ジムたちのの足元にいるバルトは、「た、助けて……」と涙と血と土に濡れた顔でディランたちに助けを求めていた。
きっと、”今日のこの虐め”は、バルドがジムたちに何か気に障ることをしたというよりも(気に障ることをしたからといって暴力を奮うことなど言語道断であるが)、単に恐喝によってなけなしの給料を巻き上げようとし、それを嫌がったバルドに一方的な暴力を奮ってるに違いなかった。
「早く、こっちへ……!」
バルドに駆け寄ったディランは、彼を助け起こし、自分の背中へと隠した。
その間、ルークは2人の虐めっ子たち――主にジムと睨み合っていた。
「……ふん、ほんと懲りねえ奴らだよな、てめえら。”いつもいつも”正義の味方の英雄気取りでよ。そもそも、年上を”お前ら”呼ばわりすんじゃねえよ。生意気なんだよ、このタコ野郎ども!」
ジムが凄む。
拳をペキペキと鳴らし始めたルイージが「”今度は”ルークの両目に青あざ作ってやろうぜ。相当に笑える顔になンじゃねえの」と、ルークを顎でしゃくった。
ルーク&ディラン VS ジム&ルイージ。
ディランも、ルークも13才の少年としては、体力もあり、身体能力だって高い方だ。だが、相手は16才のジムとルイージだ。
ルイージは細身ではあるも、少年たちの中では抜きん出て長身であったし、ジムはやや平均程度といった身長であったが、ルークやディランよりは身長は高かった。
この成長途中の時期における3才の年の差というのは、結構大きい。
現にディランも、今までにジムたちとやり合って(というか、彼らが引き起こした虐めや揉め事を止めようとして)、鼻血を出したこともあった。
自分たちが”劣勢にあり続けている”のは明らかだ。
よって、今日の”バルド虐め”は見なかった、気づかなかったと自分たちに言い聞かせることだってできた。
だが、寝食をともにしている同僚が殴られ、蹴られといった惨たらしい暴力を受けている。
これから、自分たちもジムとルイージにコテンパンにされ、生温かい血と冷たい土まみれで転がされている未来しか予測できないにしても、”何も見なかった”ことにするなどはできなかった。
へッと馬鹿にした笑いを漏らし、口元を歪めたジムは、ズボンのポケットに手を突っ込み、何やらジャラジャラとわざとらしく音を立て始めた。
――何を入れている?
ジムは、ポケットの中に何かを隠している。それを誇示しようとしている。
だが、ジムはディランとルークではなく、ディランたちの”背後を見て”、そのわざとらしい動きを止めた。
「おいおい……絵描き気取りとスペシャルヘタレまで、加勢しにきやがったのか。もっと、マシな喧嘩のできる奴、連れて来いっての」
ハッと背後を振り返ったルークが、”まずい!”と顔を歪めた。
そう、ディランたちの瞳に映ったのは、左脚を引きずりながらも懸命に自分たちのところへ駆け付けようとしているランディーと、そのランディーを気遣うエルドレッドの姿であった。
エルドレッドは愛用の画板を、ランディーはおつかいの途中である古ぼけた木箱を抱えたままであった。
きっと、彼らもバルトを見捨ててはおけないと思ったのだろう。いや、もしかしたら、彼らは自分たちを心配して……
エルドレッドとランディーの登場に、ルイージがブブッと吹き出した。
「ほんと、ジムの言う通りだぜ。もっとマシな奴ら連れて来いよ……って言いてえとこだけど、俺らに勝てる奴なんていねえわけだし、しょうがねえよな。”5人”まとめてボッコボッコにしちまうか」
ルイージのその言葉に、ディランの背後で震えていたバルドが逃げ出した。
ルークの「バルド!」という声に振り返りもせず……
「助けてもらっておいて逃げるとか。最悪じゃね。てめえらがこうして、助けに来る価値なんて、あいつにはなかったな」
ジムが笑い声をあげる。
「てめえらが大切に思うほど、あいつはてめえらを大切になんて、思ってなかったってこったよ。相手に期待なんかしない方が、傷つかずにすむぜ」
「……俺たちはただあいつを……バルドを助けたいと思った。ただ、それだけだ」
そう言って、唇をグッと一文字に結んだルークに、ディランも頷いた。
「なあ、ジム。単にこいつらをボコるよりも、もっと面白いことを思いついたぜ」
ますますニヤつき、薄気味悪い笑みのルイージがズボンのポケットからナイフを取り出した。
ここに吹き抜ける冷たい冬の風すら切り裂くかのように、磨き抜かれたナイフ。
ルイージは、ナイフまで持っている。
ルークとディランの頬には緊張が走り、エルドレッドとランディーの顔はサッと青くなった。
ルイージがナイフをちらつかせているということは、当然、ジムもナイフを隠し持っているに違いない。
「こいつら全員、上の毛も”下の毛も”ツルッパゲにしてやるか」
「……そいつは名案だって言いてえとこだが、下の毛に至ってはまだ満足に生え揃っていない奴が約1名いるぞ」
ジムがランディーに、チラリと目をやった。
ランディーの顔が即座にカッと赤く染まる。
集団生活をしている自分たちは当然のごとく、風呂も同じだ。
少年たちの肉体の成長具合は様々である。ランディーの肉体の成長具合は、ジムにチェックされていた。
冷たい冬の風が、吹き抜けていった。
その風は、一触即発の今のこの事態への嫌な追い風であった。
再び睨みあうルーク&ディラン vs ジム&ルイージという構図。
その構図の外側にいるも、巻き込まれることは確実であるエルドレッドとランディーに、ディランは低い声で囁いた。
「2人とも隙を見つけて逃げろ」と――
そして、その後にディランが続けたかった”誰か大人の男を呼んできてくれ”という言葉を、エルドレッドはアイコンタクトで読み取ったらしい。
この後、自分とルークはジムとルイージに、暴力によって窮地に追い込まれる。
この事態の収拾をつけるには、誰か大人の男の助けが必要だ。
親方にエルドレッドたちが訴えたとしても、あの親方は絶対に”好きにやらせとけ”としか言わないだろう。
だから、こういった少年同士の暴力を止めることができる大人の男(できれば肉体労働に従事しているような厳つい体格の男)を町で見つけて呼んできてくれれば……
「おい、ディラン……てめえ、何かっこつけてんだよ。自分たちが勇敢に囮になるから、その間に”絵描き姫”と”ヘタレ姫”を逃がそうってか」
ジムが鼻で笑う。
「ンなことより、てめえの心配をした方がいいんじゃねえのか」
ジムがディランへ、ザッと一歩を踏み出した。
身構えるディラン。
だが――
ジムのその動きは、フェイクであった。
目にも止まらぬ速さでバッと体勢を変えたジムは、ズボンのポケットに突っ込んでいた手から何かを、”ランディーに向かって”シュッと投げたのだから。
「!!!」
反射的に目をつぶったランディー。
そのランディーを咄嗟に腕にかばったエルドレッドが低い呻き声をあげる。
エルドレッドの手からは画板が落ち、ランディーの手からは木箱が落ち、中身が冷たい土の上にけたたましい音とともにぶちまけられた。
「エルドレッド!」
ディランの声が、ルーク、そしてランディーの声に重なりあった。
エルドレッドは右腕を押さえ、顔をしかめていた。
石だ。
ジムはポケットに、尖った石を忍ばせていたのだ。
エルドレッドが咄嗟にランディーをかばわなければ、その石は間違いなくランディーの額を直撃していたであろう。
「ジム……お前、ひっでえ奴だな。”絵描き姫”の大切な利き腕を攻撃するなんてよ」
ルイージが、腹を抱えダハハと笑った。
「いや、俺はランディーを狙ったんだよ。少人数で複数の敵に対峙する場合、一番弱っちい奴を真っ先に潰すのが鉄則だろ。まあ、二番目に潰す予定の奴に当たっちまったけどよ。でも、骨が折れたわけでもねえだろうし……」
「てめええ!!」
今度はルークが目にも止まらぬ速さで、ジムへとバッと飛びかかった。
ジムの胸倉をガッと掴んだルークの拳は、ジムの左頬を砕かんばかりの勢いで炸裂した。
思いのほか、小気味の良い音を立てたルークのパンチに、ルイージが目を丸くする。
ルークの右ストレートを受けたジムは、よろけはしたものの、地面に倒れ込みはせず――
ただでさえ鋭い眼光にさらなる残酷な光をカッと宿らせたジムは、ルークに向かって自身の拳で風を斬った。
下から突き上げたジムの右拳は、ルークの鳩尾に的確に入った。
膝から地面に崩れ落ちたルークは、真っ赤な顔でゲホゲホと咳込み――
「……今日という今日は、てめえを半殺しにしてやる。てめえを完膚無きまでに叩き潰したら、他の奴らも俺らに二度と逆らおうとは思わねえだろうしな!!」
声を荒げたジムは、ルークに次なる暴力――蹴りを入れようと……
「やめろ!!」
バッと躍り出たディランは、ジムを突き飛ばした。
これ以上、ルークを傷つけさせやしない――!
「上等だ! てめえもボコボコに……」
ジムが、ルークをかばうディランの胸倉を掴んだ。
咳き込みながらも起き上がろうとしたルークが、ジムの両脚に体当たりを食らわせた。
地面に倒れ込んだが、なおも暴れ狂うジム。ジムを押さえようとするルークとディランは、冷たい土の上でジムともつれあい、もみくちゃの状態となり……
「おーい、英雄ども。盛り上がっているところ悪いけど、お姫様たちをお守りしなくていいのか?」
愉快そうなルイージの声が、ルークとディランの土にまみれた背中にかかった。
ジムに加勢すると思っていたルイージは、この間にエルドレッドとランディーを小突き蹴飛ばしながら、追い詰めていたのだ。
「やめてよ、ルイージ」
「やめなあ~い♪」
唇の片方を歪ませ、薄気味悪い笑みを浮かべながら、暴力を止めないルイージ。
エルドレッドとランディーの数歩後ろには、轟轟と唸り声を上げる真冬の川が迫ってきた。いや、真冬の川に迫らされていた。
「……恥ずかしいとは思わないのか?! ”いつもいつも”自分より年下の者に……自分より弱い者に、こんな暴力で……!!」
太腿を蹴飛ばされながらもランディーをかばっていたエルドレッドが、怒りを見せた。超絶に生意気なことに、言葉で反撃してきた。
ニヤついていたルイージの顔は、みるみるうちに真顔へと戻っていき、そのそばかすが無数に散っている頬が引き攣ったかのようにピクリと動いた。
「……俺らより後に生まれたのは、お前らの勝手だろ。お前も大人しい面(つら)して意外と生意気なこと言うんだな。バックにあいつら(ルークとディラン)がついているから、あいつらの威を借りて、でけえ口を叩いただけってオチだろうけどよ!」
声を荒げ――つまりはジムと同じくキレたルイージが、エルドレッドの髪をガッと掴んだ。
抜きん出て長身のルイージに髪を掴まれた――いや、エルドレッド自身も13才の少年としては、やや背が高い方に分類されるも、髪を掴み上げられた体勢になった。
ランディーの「ヒイッ!」という悲鳴。
ルークとディランの「エルドレッド!」という声が、重なりあった。
冷たい土の上でジムともつれあっていたルークとディランは、言葉どおり窮地に追い詰められているエルドレッドを助けようと……
「おい、てめえら! よそ見すんじゃねえ!」
だが、ジムが後ろからディランの尻を蹴飛ばし、ディランは地面に顔面から倒れ込み、顎を強かに打ち――
髪の毛を引っ張られる痛みに顔をしかめたエルドレッドに、ルイージは青筋を立てた自身の顔をエルドレッドの頬に息がかかるまでに近づけた。
「……エルドレッド、俺らは単に暴力を奮ってるわけじゃねえよ。これはいわゆる躾ってやつだ。愛ある”可愛がり”つうワケ」
喉をクッと鳴らして笑うルイージ。
「もう、やめてよ! ルイージ! 謝るから! 何だってするから!」
半ば泣き声のランディーが、エルドレッドを助けようとした。
だが、ランディーの身長ではルイージの腕には到底、届かない。
「ランディー……お前の躾は後でやるから、邪魔すんな! 今はまず、こいつからだ!」
ルイージは、苦痛に顔をしかめながらも、自分に対して先ほどの見せた闘志(?)を緩めることのない、エルドレッドの青い瞳を覗き込んだ。
「気に入らねえ野郎だな。ここで泣きでもしたら、少し手加減してやるつもりだったけどよ……ってことで、お前、頭を少し冷やせ」
そう言ったルイージは、パッと手を離したかと思うと、ビュンとそのひょろ長い利き足で風を斬り――エルドレッドの腹にドカッと一撃を食らわせたのだ!
「エルドレッド!!」
悲鳴をあげたランディーの眼前で、そしてディランとルークの目の前で、エルドレッドの肉体は宙を飛び、轟轟と唸り声を上げる冬の川の”流れの中に”吸い込まれていった。
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2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
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