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第5章 ~ペイン海賊団編~
―28― ”まだ”穏やかな船内にて起こったある事件(10)~レイナ、そしてルーク~
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河瀬レイナ、そして魔導士ミザリー・タラ・レックスがいる船室も、母の囁きのごとき穏やかな波の音に包まれていた。
小さな窓から、レイナの船室に差し込む太陽の光は、命の恵みのごとき眩しき光であった。
アドリアナ王国の大地――自分がこの異世界にて、初めて踏みしめた(といっても、他人の肉体でではあるが)大地を離れて、もうすでに三日目の昼となっている。
けれども、ベッドに横たわっているミザリーは、まだまだ続く熱にうなされていた。レイナは足音を立てないように、そっと彼女の枕元へと……
熱を下げるための彼女の額の白い布は、つい数分前に交換したところだ。まだまだ、ミザリーの熱でぬるくなってはいないはずだ。
トウモロコシの花を思わせるミザリーの髪は、黄色い扇のようにバサリと枕元に広がり……レイナは彼女の具合を同室で”出来る限り”看ていたが、彼女は静かに瞳を閉じて、苦し気ながらも規則正しい寝息を立てているかと思えば、何時間かに1回、発作が起きたかのように苦しげに息を喘がせていた。
そんな時、レイナは慌てて(自分が就寝中であったとしても)飛び起き、清潔な水を彼女の口に含ませ、喉を潤すことを促した。
魔導士の力を持った者の肉体には、より深く突き刺さっている苦痛の楔。
この3日間、食事当番の時や船の廊下で何度かジェニーとすれ違い、言葉を交わすことがあったが、彼女の胡桃色の可愛い両の瞳の下にはクッキリと隈が刻まれ、彼女が本来持っていた明るさに影を落とすように、わずか数日のうちにゲッソリと痩せ細ったように思えた。
廊下ですれ違うことがあったダニエルともレイナは言葉を交わしたが、彼も「……ほ、ほ、ほんとうにあの薬は一体……? 魔導士の力を持って生まれた方が、普通の人間である私たちよりも長く苦しむなんて……ピーターさんなんて、ピクリとも動かず、グッタリしている状態が続いているんですっ」と、血色があまり良くない唇を震わせていた。
今、この船に乗っている3人の魔導士は、全員、あの妖しい薬の後遺症によって寝込んでいる。
魔導士ピーターの看病は、ダニエルだけでなく、ルーク、ディラン、トレヴァー、ヴィンセント、フレディの6人の交代制で行っているらしかった。
あの本来の”出港前夜”――
”希望の光を運ぶ者たち”は、サミュエル・メイナード・ヘルキャットに、もう少しで殺されるところであった。
いくら相手が計り知れない力を持ち、憤怒の炎を操る魔導士であったとしても、ヘルキャットを、みすみすあの魔導士フランシスの手元に引き戻されることを阻止するチャンスはあった。
気を失ったサミュエルに絶好のチャンスであったのに留めもせず、なお敵(サミュエル)に背を向けちゃいけないという基本の”き”も、分かっていなかった自分たち。
そして、神人の船の乗る者たち一味に、亡き妻と娘を思う心を弄ばれた平民ティモシー・ロバート・ワイズの自殺を阻止することもできなかった。
ティモシーが”マリア王女”へと燃え上がらせていた復讐という名の殺意は、自分たちの説得で鎮火させることは無理であったろう。だが、何か他の方法はなかったものか。自分たちとそう変わらない年で、自ら死を選んだ彼のことを悼まずにはいられなかった。
戦闘の経験をろくに積んでいない(フレディに至っても、戦地へと他6人の仲間と赴いている時に白髪頭のじいさん魔導士に襲撃された)とはいえ、あの夜のことは自分たちの甘さ(脇の甘さであったり、心の甘さ)が事態をより悲惨な方向へと転がしてしまったことには、間違いない。
これから先、絶対に気を逃してはならない。そして躊躇などしていては守るべき者を守れないと彼らは――といっても”希望の光を運ぶ者たち”のうちの肉体派である、ルーク、ディラン、トレヴァー、ヴィンセント、フレディの5人ではあるも、この船の中でも訓練に励んでいるようであった。
残る頭脳派であるダニエルは、この船の中に持ち込むことができた数冊の本を必死で読み込んでいる。また、この船の航海日誌等をつけることを船長に任されたようであった。
ダニエルも、レイナと同じく船に乗るのは初めてであるらしく、風の向きや波の高さなどから紡ぎ出されるより良い航路ならび海の危険について、実践的な経験は皆無ではある。だが、船員たちとコミュニケーションを取り、航海日誌ならび船の中の様々な記録(備品や船員たちの仕事内容)などを付けているいるらしかった。
やはり、きちんとした教育を受け、文字の読み書きができる存在というのは、貴重なのだろう。
レイナはダニエルの記している文書を横目でチラッと見る機会があったのだが、かなりの美文字であるように見受けられた。
レイナ自身もアンバーの形見のノートに、重要なことを――この船に乗ってから何回目の太陽が昇ったか、そして船内の自分たちの船室を基準とした簡単な見取り図などを日本語で記していたが、インクで書くペンの扱いに慣れてきっていないため、時にはミミズがのたくったような字がノートの上に走っていることもあった。
この船は、ユーフェミア国の民を救うために”まずは”エマヌエーレ国へと向かうが、レイナが二番目に踏みしめることとなる国である、エマヌエーレ国の大地にて、どのような危険が待ち構えているかは分からない。
皆、この船内にて動ける者は、今の自分たちに出来ることをしている――
レイナはこうしてミザリーと寝室をともにし、彼女の看病をすると同時に、船内の清掃や食事当番などを船に乗っている女性たちに教えてもらいながら、何とかこなしていた。
ジェニーも、アダムの看病で顔色が悪いままでありながらも、何一つ文句言わずにこなしていた。
この世界に来てからというもの、人付き合い――それも初対面の人と話すのが、それほど得意ではなかったんだ、と改めて実感したレイナであったが、避けては通れない道だ。
人は人の中で生きていく――
例え、自分の魂が異世界へと、そして誰の肉体の中にあったとしても……
レイナは両の瞳をつぶり、ギュッと胸を押さえた。
心臓の鼓動が”血塗られたこの手”に”熱く”伝わってくる。そして、真っ暗闇であるはずの脳裏に、ティモシー・ロバート・ワイズの最期の姿が――
単に生まれ持った力という基準で測れば、ティモシーよりもサミュエルの方がはるかに恐ろしい存在であるだろう。レイナ自身も、”他の者と一緒くたにして”といった状況ではあったが、彼に殺されかけた。
けれども、レイナの魂には、ティモシーの方がより深い爪痕を残していた。
が、レイナは慌てて、その考えを打ち消すように首をブンブンを横に振った。
確かに、”自分は”ティモシーに殺されそうになった被害者だ。けれども、ティモシーと彼の妻と娘こそ、この肉体の本来の持ち主がしでかしたことによる、もともとの被害者なのだ。
憎しみの連鎖。
いや、憎しみと表現するのは間違っている。自分が知っているマリア王女の姿と、トレヴァーの話を総合する限り、マリア王女は矯正不能な残酷な欲望を、たまたま目に留まった罪なき赤ン坊をその手で満たしただけなのだ。
マリア王女の心の灯された残酷な”戯れ”の火種は、やがて憎しみの炎へと――
胸を押さえたまま、レイナはその場に座り込んでしまった。
そして、”いつもの”眩暈とキーンという耳鳴り……
”いつもの”などと表現してしまったが、ここ数日間、レイナ自身も原因不明の体調不良に悩まされていた。
ミザリーたち魔導士のように、熱で立ち上がることもできないといった状態ではない。普通に動いたり、喋ったりすることはできる。
だが、どこかが……何かがおかしい。
サミュエルの薬はただの人間である”この肉体”にもまだ残留してくるのか、単なる体調不良(例えば軽い風邪)なのか、それともこの世界に誘われてからの数か月の間に起こったこと(元の世界においては、普通の女子高生が何度も命を狙われることなんてなかっただろう)に、自身の魂も肉体もすり減り、ストレスでついに体調に支障をきたしたのか?
だが、レイナはそれらの理由のいずれでもあるし、いずれでもないだろうということを、心のどこかで不思議と確信していた。
眩暈と耳鳴り――それと、ともに”知っている男性”の声が、今というこの時にも、自分の脳裏に――いや、自分の魂に直接響いてきたのだから……
そう、”今はまず、あなたも体を休ませなさい”という、濃厚で艶のあるテノールが――
小さな窓から、レイナの船室に差し込む太陽の光は、命の恵みのごとき眩しき光であった。
アドリアナ王国の大地――自分がこの異世界にて、初めて踏みしめた(といっても、他人の肉体でではあるが)大地を離れて、もうすでに三日目の昼となっている。
けれども、ベッドに横たわっているミザリーは、まだまだ続く熱にうなされていた。レイナは足音を立てないように、そっと彼女の枕元へと……
熱を下げるための彼女の額の白い布は、つい数分前に交換したところだ。まだまだ、ミザリーの熱でぬるくなってはいないはずだ。
トウモロコシの花を思わせるミザリーの髪は、黄色い扇のようにバサリと枕元に広がり……レイナは彼女の具合を同室で”出来る限り”看ていたが、彼女は静かに瞳を閉じて、苦し気ながらも規則正しい寝息を立てているかと思えば、何時間かに1回、発作が起きたかのように苦しげに息を喘がせていた。
そんな時、レイナは慌てて(自分が就寝中であったとしても)飛び起き、清潔な水を彼女の口に含ませ、喉を潤すことを促した。
魔導士の力を持った者の肉体には、より深く突き刺さっている苦痛の楔。
この3日間、食事当番の時や船の廊下で何度かジェニーとすれ違い、言葉を交わすことがあったが、彼女の胡桃色の可愛い両の瞳の下にはクッキリと隈が刻まれ、彼女が本来持っていた明るさに影を落とすように、わずか数日のうちにゲッソリと痩せ細ったように思えた。
廊下ですれ違うことがあったダニエルともレイナは言葉を交わしたが、彼も「……ほ、ほ、ほんとうにあの薬は一体……? 魔導士の力を持って生まれた方が、普通の人間である私たちよりも長く苦しむなんて……ピーターさんなんて、ピクリとも動かず、グッタリしている状態が続いているんですっ」と、血色があまり良くない唇を震わせていた。
今、この船に乗っている3人の魔導士は、全員、あの妖しい薬の後遺症によって寝込んでいる。
魔導士ピーターの看病は、ダニエルだけでなく、ルーク、ディラン、トレヴァー、ヴィンセント、フレディの6人の交代制で行っているらしかった。
あの本来の”出港前夜”――
”希望の光を運ぶ者たち”は、サミュエル・メイナード・ヘルキャットに、もう少しで殺されるところであった。
いくら相手が計り知れない力を持ち、憤怒の炎を操る魔導士であったとしても、ヘルキャットを、みすみすあの魔導士フランシスの手元に引き戻されることを阻止するチャンスはあった。
気を失ったサミュエルに絶好のチャンスであったのに留めもせず、なお敵(サミュエル)に背を向けちゃいけないという基本の”き”も、分かっていなかった自分たち。
そして、神人の船の乗る者たち一味に、亡き妻と娘を思う心を弄ばれた平民ティモシー・ロバート・ワイズの自殺を阻止することもできなかった。
ティモシーが”マリア王女”へと燃え上がらせていた復讐という名の殺意は、自分たちの説得で鎮火させることは無理であったろう。だが、何か他の方法はなかったものか。自分たちとそう変わらない年で、自ら死を選んだ彼のことを悼まずにはいられなかった。
戦闘の経験をろくに積んでいない(フレディに至っても、戦地へと他6人の仲間と赴いている時に白髪頭のじいさん魔導士に襲撃された)とはいえ、あの夜のことは自分たちの甘さ(脇の甘さであったり、心の甘さ)が事態をより悲惨な方向へと転がしてしまったことには、間違いない。
これから先、絶対に気を逃してはならない。そして躊躇などしていては守るべき者を守れないと彼らは――といっても”希望の光を運ぶ者たち”のうちの肉体派である、ルーク、ディラン、トレヴァー、ヴィンセント、フレディの5人ではあるも、この船の中でも訓練に励んでいるようであった。
残る頭脳派であるダニエルは、この船の中に持ち込むことができた数冊の本を必死で読み込んでいる。また、この船の航海日誌等をつけることを船長に任されたようであった。
ダニエルも、レイナと同じく船に乗るのは初めてであるらしく、風の向きや波の高さなどから紡ぎ出されるより良い航路ならび海の危険について、実践的な経験は皆無ではある。だが、船員たちとコミュニケーションを取り、航海日誌ならび船の中の様々な記録(備品や船員たちの仕事内容)などを付けているいるらしかった。
やはり、きちんとした教育を受け、文字の読み書きができる存在というのは、貴重なのだろう。
レイナはダニエルの記している文書を横目でチラッと見る機会があったのだが、かなりの美文字であるように見受けられた。
レイナ自身もアンバーの形見のノートに、重要なことを――この船に乗ってから何回目の太陽が昇ったか、そして船内の自分たちの船室を基準とした簡単な見取り図などを日本語で記していたが、インクで書くペンの扱いに慣れてきっていないため、時にはミミズがのたくったような字がノートの上に走っていることもあった。
この船は、ユーフェミア国の民を救うために”まずは”エマヌエーレ国へと向かうが、レイナが二番目に踏みしめることとなる国である、エマヌエーレ国の大地にて、どのような危険が待ち構えているかは分からない。
皆、この船内にて動ける者は、今の自分たちに出来ることをしている――
レイナはこうしてミザリーと寝室をともにし、彼女の看病をすると同時に、船内の清掃や食事当番などを船に乗っている女性たちに教えてもらいながら、何とかこなしていた。
ジェニーも、アダムの看病で顔色が悪いままでありながらも、何一つ文句言わずにこなしていた。
この世界に来てからというもの、人付き合い――それも初対面の人と話すのが、それほど得意ではなかったんだ、と改めて実感したレイナであったが、避けては通れない道だ。
人は人の中で生きていく――
例え、自分の魂が異世界へと、そして誰の肉体の中にあったとしても……
レイナは両の瞳をつぶり、ギュッと胸を押さえた。
心臓の鼓動が”血塗られたこの手”に”熱く”伝わってくる。そして、真っ暗闇であるはずの脳裏に、ティモシー・ロバート・ワイズの最期の姿が――
単に生まれ持った力という基準で測れば、ティモシーよりもサミュエルの方がはるかに恐ろしい存在であるだろう。レイナ自身も、”他の者と一緒くたにして”といった状況ではあったが、彼に殺されかけた。
けれども、レイナの魂には、ティモシーの方がより深い爪痕を残していた。
が、レイナは慌てて、その考えを打ち消すように首をブンブンを横に振った。
確かに、”自分は”ティモシーに殺されそうになった被害者だ。けれども、ティモシーと彼の妻と娘こそ、この肉体の本来の持ち主がしでかしたことによる、もともとの被害者なのだ。
憎しみの連鎖。
いや、憎しみと表現するのは間違っている。自分が知っているマリア王女の姿と、トレヴァーの話を総合する限り、マリア王女は矯正不能な残酷な欲望を、たまたま目に留まった罪なき赤ン坊をその手で満たしただけなのだ。
マリア王女の心の灯された残酷な”戯れ”の火種は、やがて憎しみの炎へと――
胸を押さえたまま、レイナはその場に座り込んでしまった。
そして、”いつもの”眩暈とキーンという耳鳴り……
”いつもの”などと表現してしまったが、ここ数日間、レイナ自身も原因不明の体調不良に悩まされていた。
ミザリーたち魔導士のように、熱で立ち上がることもできないといった状態ではない。普通に動いたり、喋ったりすることはできる。
だが、どこかが……何かがおかしい。
サミュエルの薬はただの人間である”この肉体”にもまだ残留してくるのか、単なる体調不良(例えば軽い風邪)なのか、それともこの世界に誘われてからの数か月の間に起こったこと(元の世界においては、普通の女子高生が何度も命を狙われることなんてなかっただろう)に、自身の魂も肉体もすり減り、ストレスでついに体調に支障をきたしたのか?
だが、レイナはそれらの理由のいずれでもあるし、いずれでもないだろうということを、心のどこかで不思議と確信していた。
眩暈と耳鳴り――それと、ともに”知っている男性”の声が、今というこの時にも、自分の脳裏に――いや、自分の魂に直接響いてきたのだから……
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