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第4章

ー5ー 未来から投げつけられた幾つもの欠片(2)

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 やわらかな風が吹いている屋外でルーク、ディラン、トレヴァー、ヴィンセント、フレディが決意を胸に、剣の稽古を再開し始めたその頃――
 レイナ、アダム、ダニエル、ジェニーの4人は、城の一室にて膨大な書物を前にしていた。
 つい先刻まで、ヴィンセントもこの場にいたのだが、「頭脳派」と「肉体派」の両方に属する、つまりは知と武の両方において活躍が見込まれるヴィンセントは武のレベルの方を高めるためにルークたちに合流していた。

 レイナたちは、今は休憩時間である。
 椅子に座ったままのレイナは、窓の向こうに見える、ルークたち5人が勇ましく剣を奮う姿をぼんやりと眺めていた。
 距離があるため、彼らの表情までは分からなかった。だが、抜きん出て体格の良いトレヴァーと、ヴィンセントのあざやかな赤い髪は遠くから見ても非常に目立っていた。

 椅子から立ち上がって、窓際より彼らの様子を眺めていたダニエルが、ほうっとため息をついた。
「……お兄さんも、皆さまもなんて素晴らしい。やはり、皆さまは選ばれるべくして、選ばれた方たちなのですね」
 そのダニエルの声には、やりきれない寂しさのようなものが滲み出ていた。
 優れた武力――いわゆる剣技、またはこれからその剣技をさらに高める土壌となる体力&反射神経を外の5人は持っている。
 そして、今は少し疲れたらしく、腹の上で両手組み、長椅子に横たわって瞳を閉じているアダム・ポール・タウンゼントは、高齢ではあるものの、並大抵の魔導士ではない。
 きっとダニエルは、自分だけがさしたる優れたところもないのに、おまけのようなかたちで”希望の光を運ぶ者たち”の中に入ったと考えずにはいられなかったのだろう。
 ダニエルはまたしても、ウェーブがかった美しい黒髪で顔の上半分を隠し、血の気のない白い頬を見せているだけであったのだから。

 ダニエルのその黒い前髪は、彼の心にかけられた黒く重たいカーテンであるように、レイナには思えた。
 ジョセフ王子や国王との”次なる”謁見の場では、さすがの彼も当初にこの城をくぐった時のように身なりを整えるだろうが、今こうしてこの広大な首都シャノンの城の一室にいる今は、いつものダニエルに戻っていた。
 可愛いジェニーに「ダニエルさん、お顔を出されたほうが素敵ですよ」とストレートに褒められても、ただ頬を朱くして俯いて「……なんだか、この方が落ち着くんです」と言うばかりであった。

 ダニエルになんと言葉をかけてよいのか分からず、レイナは思わず、自身の頬に手をやってしまった。生々しく覚えている本来の”自分自身”の肌よりも、数段なめらかな”マリア王女”の頬の肌ざわりが伝わってきた。
 レイナは自分の正面に座っているジェニーがどんな様子であるのかを、チラリと見た。
 けれども、ジェニーは今のダニエルの独り言を聞いていなかったらしく、机の前に広げられた膨大な書物を前に頭を抱えていた。

 こうして、頭を抱えているジェニーであるが、アダムの教育もあってか一通りの文字の読み書きはある程度まではできるらしい。だが、どうやら机に向かって何かを学ぶということが大変な苦痛であるらしかった。
 彼女自身、「私は実際に体を動かして、いろいろと学んでいく方が合っているのよ」とむくれたようにアダムに言っていたこともレイナは思い出した。
 確かに彼女は料理や家事などは非常に得意であるようだし、宿や食料品のお店で働きながら、何百人といった人を見ているため、大抵の人の職業は一目で当てられるという特技も持っているのだ。

 ふうーっ、と大きなため息を吐き出したジェニーは、長椅子に横たわっているアダムに目をやった。
「……おじいちゃん、体調は大丈夫かしら? あんまり、無理しなきゃいいけど……」
 そのジェニーの声が聞こえたのか、アダムの胡桃色の瞳は、途端にぱっちりと開かれた。
 レイナは、アダムが寝息はたてないまでも、熟睡していると思っていた。
 アダムは、死者でもなく生者でもない状態のまま自分たちの仲間に加わったフレディを助ける手立てや、59年前の様々な事件の詳細などを、ダニエルやヴィンセント、そしてカールやダリオともにこの城内の豊富な書庫で調べてもいたらしく、連日の疲れが相当たまっているはずだ。

 だが、アダムは孫娘の声により、即座に覚醒し、むくりと起き上ったのだ。
「年を取るとすぐに眠くなるんじゃよ……それはそうと……もうしばらくたったら、勉強を再開するとするか。苦手でもある程度までは、学んでおかなければならないこともあるからのう」
 アダムはジェニーを見て、ニヤリと笑った。
 他人から見れば祖父と孫娘のほほえましい一シーンに見えたが、いやジェニーにとっては新たな苦行の幕開けに違いなかった。

 レイナは机の上に広げられた膨大な書物に再び視線を移した。
 白というよりはクリーム色に近いざらつきを感じる紙の質、製本状態についてはレイナが元の世界で手に取っていた書籍に比べると、やや危なっかし気であった。おそらく製本されてからかなりの年月がたっているということも一因であるとは思うが、乱暴に取り扱ったら、そのままページがばらけてしまうのではと思わずにはいられなかった。
 そのうえ、そこに羅列されているのは、英語の筆記体をより複雑にしたような文字である。もちろん、レイナはそれを理解することはおろか、読むことすらできなかった。

 だから、レイナはこうして、アンバーから授かったノートに日本語でメモをとっているのだ。
 今のこの勉強の場において、レイナがメモをとったこと。
 主な国名や簡略化した歴史の流れ、そして実際に”旅立ちの許可”がこのアドリアナ王国からおりるとなれば船旅となる。その旅に必要となるであろう滋養をつける料理や看護の知識のさわりであった。

 少しふくれっつらをしたままのジェニーが、レイナの手元のノートにチラリと目をやった。
「ねえ……それってレイナの世界の言葉よね。レイナ、自分では平民の生まれなんて言ってたけど……本当は上流の生まれなんじゃ……そうやって読み書きがスラスラとできるわけだし……」
 そのジェニーの言葉に、レイナは顔を朱くし「そんなことない」と首をブンブンと横に振った。

「わ、私の世界では……義務教育っていって、6才から15才にかけての9年間、同じ年度に生まれた子供が机を並べて勉強しなければならないの。だから、文字の読み書きはほぼ全員ができるのよ」
 この世界においては、文字の読み書きができるのはごく一部の限られた者だ。元から身分高く生まれた者か、または教育の機会を与えられた者の二通りだろう。
 けれども、文字の読み書きができるのはレイナが生まれ育った世界では、ごく普通のことである。小学校1年から中学校3年の9年間にかけて、みっちりと詰まった義務教育があるのだから。 

 窓際にいたダニエルが、静かにレイナたちのところに戻ってきた。
「で、でもっ……レ、レイナさん、すごいですよ。そんなに複雑な三種類もの文字で、素早くメモをとったりして……」
 ダニエルが、どもりながらも感心したように言う。アダムも、ジェニーもダニエルに同意するように頷いた。
 レイナは、単に日本語の平仮名、片仮名、漢字でメモをとっているだけだったのだが、ダニエルたちにとっては、この日本語こそ複雑な文字に見えてしまうのだろう。
 確かに、レイナは高校受験は失敗してしまったが、机に長時間向かって、本を読んだり、何かを学んだりといったりすることが苦ではなく、むしろ習慣づいていた。運動が全くできないというわけではなかったが、どちらかと言えば文系に属する学生であったのだ。

 けれども、レイナは考える。
 自分は”選ばれて”この世界へとやってきた魂ではないということを。もし、選ばれし魂であったとしたなら、漫画や映画のように医学や考古学の卓越した知識を持ち、その知識を持って、異世界の人々の役に立つことができるだろう。だが、自分は義務教育を終えたばかりの平凡な元高校生でしかないと。
 当然のことながら、レイナはこの世界においての基礎知識すら、まだ充分に揃ってはいない。そんな自分にできることといえば、皆の足を引っ張らないように、ただの付け焼刃にしかならなくともできる限りの知識を詰め込むことである。
 アダムの講義やダニエルの話を聞きながら、必死でペンをインクに浸して、ペンをノートに走らせ、頭の中で反芻することを繰り返していた。

「ねえ、レイナ……私、ずっと不思議だったんだけど、レイナの世界の言葉とこの世界の言葉が同じだったってことはないよね。レイナがこの世界に来てからまだ数か月しかたっていないのに、すごく流暢に言葉を話しているし……」
 ジェニーが愛らしい瞳をクリクリとさせて、レイナに問う。

 このジェニーだけでなく、この世界の人々はレイナの生まれ育った世界でいう西洋系の外見をしている。
 レイナ自身は日本語以外の言葉を話しているつもりはないのに、ジェニーたちに言葉が通じている。ジェニーたちも生まれ育ったこのアドリアナ王国の言葉以外を話しているつもりはないのに、レイナに言葉が通じているのだ。

「……そうね。私もこの世界の言葉を学んだわけでもないのに、ずっと不思議だった。でも、こうしてジェニーたちと言葉が通じているってことは、すごく幸運なことだと思うの」
 レイナもジェニーに答えた。
 数か月前、底冷えするような冷気の中、この城の一室で初めて目を覚ました時から、レイナはジョセフとアンバーの話している言葉をしっかりと理解できた。
 もしこの世界の人々と言葉が通じなかったとしたら……?
 ボディランゲージにも限界がある。そうなると、レイナのこの世界での混乱、恐怖、孤独はさらに強く、そして深くもなっていただろう。
 こうして言葉が通じ、すんなりとコミュニケーションがとれるということは、この世界での最初の奇跡であったのかもしれない。
「でも、ジェニーの名前とかは、私の元の世界でいう外国の人たちの名前っぽいけど、この世界での文字は私が全く見たことがない文字だし……」
 レイナは机に上に広げられている書物に、チラリと目をやった。
 この書物に書かれている文字は、レイナが3年と少しの間、学んだことである英語ではないことは、断言できた。

「そ、そうなると、さらに魔訶不思議なことですよね……今のレイナさんの話を限り、レイナさんの世界で言う外国の方と私たちの世界の言葉が同じであるという確率も低いように思えるのですが……」
 ダニエルも不思議そうに言う。

 長椅子の上でむくりと起き上がったアダムは、レイナたちの話を聞きながら黙って腕を組んでいた。
 彼は、数度ためらったのち、ゆっくりとその口を開いた。
「レイナ……今から言うわしの話は、あくまで仮定として聞いてくれるか?」
 アダムは、レイナの少し怯えを含んだような頷きを確認し、続けた。
「……わしが今、こうして話している言葉も、わしらの名前もお前さんの記憶の中より、お前さんの心に伝えられているんではないかと……そう思うんじゃ」
「?」
 レイナとジェニーは、今のアダムが言ったことを一度で理解することはできなかった。けれども、近くで聞いていたダニエルが助け船を出すように言った。
「……あ、あの、えーと、つまりは……例えば、私のこの”ダニエル”という名なども、レイナさんの世界での外国の方に”ダニエル”という名前の方がいらっしゃり……私の名も本当なら全く違った発音の名前であるのかもしれませんが、レイナさんの耳には”ダニエル”という発音で聞こえているということですよね?」

 今のダニエルの説明でレイナはなんとなくだが、アダムの言わんとしていることが理解できたような気がした。向かいに座るジェニーは、まだ「?」といった表情を浮かべたままであったが。

――えっと、つまりは、私はダニエルさんの名前が”ダニエル”と聞こえているけど、本当はこの世界においてのダニエルさんの名前はまた違っていて、単に私の記憶――外国の人の名前に関する極めて浅い私の記憶の中から引っ張りだされてきた名前で、私の耳に聞こえてくるということなの?

 レイナは考える。考えてみると、この世界で出会った一部の人物の名前において、思いあたる節が諸々あった。
――そういえば……私が元の世界で一番最初に知った外国の女の人の名前は、”マリア”だわ。それに、ちっちゃい頃に遊んでいたお人形の名前は、確か”ジェニー”ちゃん人形。それにそれに、お兄ちゃんが好きだった映画シリーズの主人公の名前は確か”ルーク”・スカイなんとかって言ってた気がする……そうだ、確か”アンバー”って宝石の琥珀という意味だったはず……
 レイナの脳裏で、この世界に来てわずか数か月の間に出会った人々の顔と名前が、鮮明に再生される。その中においても、今は亡きアンバーはひっそりと静かな輝きを放ち、レイナの心を切なく、そして悲しくうずかせた。

 今のアダムの推理が事実であると突き詰めていくことは不可能であるだろう。
 だが、自分が異世界の者たちとこうして何の苦もなく会話ができるいう奇跡の証明については、今のアダムが推理がピッタリくるような気がしていた。

「……そうですね……おじいさんの言う通りかもしれません。私が元の世界で生きた15年間の記憶が今、この世界で私の魂が生きるための礎を作ったのかもしれないです……」
 レイナの言葉を受けたアダムは、目を細めて、優しく頷いた。
 いかにも頑固で気難しそうなアダムであるが、他所の子供や孫にまるきり無関心といったタイプではない。自分の孫娘と同じ15才という年齢で不幸にも元の肉体が滅び、異世界で生きるしかなくなった少女・レイナを、アダムはこうして思いやっているのだ。

 アダムの笑顔が心にじわりと浸み込んできたレイナは、自分の置かれている今の状況にも、もう1つ幸運な点があったことに気づいた。
 この世界に来てから、わずか数か月しかたっていない。
 恐怖と混乱、孤独の中で目覚め、何度も命を狙われ、悲しい別れもあった。だが、その中で出会った人々(もちろん、あの悪しき者たちは除くが)に非常に恵まれていたということだ。
 この世界は、レイナの元の世界と比べると、教育格差は身分や境遇によってかなりの開きがあり、また科学的な発達という点では数世紀以上遅れてはいるが、この世界に住む人々の倫理観はそれほどかけ離れていないように思えた。
 そして、目の前のこの人々はみな、どっからどう見てもレイナの世界でいう西洋系ではあるも、わりと日本人気質な人々ではないかとも感じていた。日本人気質とはどういうものかという問われたら、レイナはうまく説明はできそうになかったけれども。

 元の世界のことを思うと、気が狂うほど愛しく、この身を裂かれるほどになる。
 もし、仮に今、目の前に元の世界へと戻ることができる”光”なるものが現れたとしたなら、ただただ号泣しながらその中へと飛び込んでいくだろう。このマリア王女の姿では、家族にすら、自分だと分かってもらえないとしても――
 けれども、もう二度と元の世界の元の肉体には、戻ることができない。

――私は、この世界で自分の魂が自分であることを……自我をしっかりと保ち続け、今の自分の目の前にあることを考えよう。今の私には、それしかできない。最後まで私を守ろうとしてくれ、志半ばで殺され、アポストルとなったアンバーさんのためにも……

 レイナはアンバーから授かったノートに、再び目を落とした。
 アポストルからの3回目の啓示も書き記していた。もちろん、”原文ママ”といった状態で、書き記しているわけではない。
 ただ、レイナの心にひっかかったこと、これから”希望の光を運ぶ者たち”とともに進む道への手かがりとなることを書きとめていた。
 あの3回目の啓示によって、道は開かれた。
 だが、それと同時に沢山の疑問点も生じた。その疑問点は、先日、魔導士フランシスから伝えられた嫌過ぎる3つの予言とも重なり合い、まるで幾つもの鋭い欠片が未来から投げつけられたかのようである。
 無論、当事者である”希望の光を運ぶ者たち”7人は、自分以上にあのフランシスの口から紡がれた言葉が、心に突き刺さっているだろう。
 直接の面識はないが、あの持ち逃げ兄妹――影生者たちがフランシスとは別の悪しき者たちについたこと。フレディ以外にもあと101人も、残酷な魔術をかけられた凍った騎士たちがいるということ。
 そして、今より5年後、”希望の光を運ぶ者たち”7人のうちの3人の生きている姿が見えなかったと――
 実際に、フランシス自身が見たというわけではない、この最後の予言。
 3人が死に4人が生き残る。流れゆく運命によって、3人は死ぬ。
 これは陰険なフランシスのはったりなのか。
 それとも、真実となってしまうことなのか。
 フランシスの背筋を凍えさせる不気味な笑みと、ネイサンのニヤニヤとした嫌悪感を催す笑みが、蘇ってくる。
 ”自分自身が死ぬ、または大切な仲間を失うかもしれない”という恐怖の欠片を投げつけてきた、あの悪しき魔導士たちは笑っていたのだ。
 
 未来から投げつけられた幾つもの欠片と、ゲイブの泣き腫らした顔が重なりあう。
 ゲイブの国――暗黒に包まれたユーフェミア国の民たちを救うという使命。 

 ユーフェミア国が暗黒に包まれるまでは、アドリアナ王国の友好国の1つであったとのことだ。
「消滅、いや全滅してしまったと考えられていたユーフェミア国の民が今もなお、苦しんでいるのだとしたら、例え友好国ではなくとも、そのままにはしておけない」と、フランシスたちが退却した後、苦々しい顔をしたままのジョセフが言っていたのをレイナは確かに聞いた。

 政治の知識――それも、この世界の政治の知識など持ってはいないレイナであるが、いくら第一王子の一声でも、自分たちがユーフェミア国へと向かうための船と人たちをポンと用意できるわけではないことは分かった。
 いわば、この王国のお金――税金を使ってのことだ。
 審議にかけ、それに見合うだけのものであるのかを詮議されるのであろう。地位も名誉も今のところは何も持っていないただの平民たちが、国王含め、国の重鎮たちに見定められるのだ。
 だが、”全てがすでに紡がれている”というのなら、もうすぐ伝えられるであろう審議の結果は深く考えずとも分かる。
 自分たちはアドリアナ王国によって用意された船に乗って、海へと……


「あ、あの、私、アポストルからの手紙において、ひっかかったことが幾つもあるんです。皆さんのご意見を聞かせていただけませんでしょうか?」
 ちょっと声が裏返ってしまったレイナであったが、優しいアダム、ダニエル、ジェニーはそのことをからかったり、笑ったりすることなく、レイナの話に耳を傾ける姿勢を見せてくれた。

 レイナも自分なりの考察は持っていた。だが、アダム、ダニエル、ジェニーなど、他の者の意見を聞き、これからの旅に備えていくことも大切であるだろう。違った角度から見ることで、からみあった疑問が少しだけ紐解けることもあるかもしれないのだから……

※※※
(レイナのメモから抜粋)

これから出会う人?
・陸地……過去に縁を紡いだ者
     途中、エマヌエーレ国で下船するから、そこで出会う
     味方となるいい人? それとも悪い人?

・海……伝説の美しき女たち 
    伝説といえば、ニーナレーンさんって人
    でも、伝説級に美しい女の人(マリア王女レベル)という意味かも?

・?……隣り合う世界からの勇ましい男たち
    私の元の世界では、多分ないはず 
    ジョセフ王子とアンバーさんが言ってた”神人”さんたちか?

・紡がれているすべてに”目を通した”
 この”目を通した”という表現がすごくひっかかった
 本や資料に目を通したということ?
 
・ゲイブちゃんが別人のように見えた
 泣いてたから?
 それとも、本当に別のゲイブちゃん? 
 ↑
 それに明らかに時間軸がおかしい
 ゲイブちゃんは、過去(59年前)から来た者?

※※※

 というように、非常にザックリとしたメモではあったが、あの啓示において生じた疑問点を、レイナはまとめて箇条書きにしていた。

「……お前さんの疑問点を1つ1つ聞こうか」
 アダムが組んでいた腕をゆっくりほどき、長椅子からレイナの方へと身を乗り出した。
 再びノートに目を落としたレイナは、一番ひっかっていた未来の欠片から話す決意をした。
 それほど緊張するような場面でもないのに、アダム、ダニエル、ジェニーの3人の視線を一気に受け、レイナは唾をゴクリと呑み込みながら、顔を上げた。

「……啓示の途中に”目を通した”という言葉があったと思います。これが、とても、ひっかかって……その……」
 うまく説明できずに、言葉を詰まらせたレイナにダニエルがまたしても、助け船を出そうとしてくれた。
「た、た、確かに、すべてを知っているらしい方が”見た”ではなく、”目を通した”なんて表現を使うのは違和感がありますね。”目を通した”なんて、表現を使うのは限られたシチュエーションですし……」
 レイナの言いたいことを、ダニエルが代弁してくれた。

 この”目を通した”という表現。
 これはまるで、ゲイブに手紙を託したアポストルが、何かを読んだのではないかと思わせた。
 アポストルは未来を見たわけではなく、この7人の英雄たちが歩みゆく道について書かれた紙の媒体らしきものを読んだのだろう。
「確かにわしもひっかかっておった。あの子供をよこしたアポストルの手元にすべてが記された書物か何かがあるということかもしれぬな」と、アダムが深く頷いた。
「……じゃあ、これから、アポストルはその書物に書かれている通りのタイミングで現れて、おじいちゃんたちの進む道を明示しているってことなのね」
 ジェニーもふんふん、といった感じで華奢な首を縦に振った。

 だが直後、嫌な沈黙にこの部屋は包まれた。
 レイナだけでなく、誰もがフランシスのあの3つ目の予言を思い出したのだ。
 すでに紡がれている物語。
 その物語通りにアポストルがルークたちを動かそうとしているのかもしれない。ルークたちがどんな選択をしようと、その物語に書かれている通りに物語は進むのかもしれない。
 未来から投げつけられた欠片が散りばめられた物語。
 大切な者を失うこととなるかもしれない物語。
 彼らの人生は誰かが書いた物語のなかに、刻まれているということなのだ。


 ダニエルがゴクリと唾を呑み込む音が聞こえた。そして――
「……ず、ず、ずっと私は他人の言葉、主に母の言葉に左右されて生きてきました。で、でもっ、私は……先日のあのどこか淫靡な感じがする魔導士のっ……嘘か誠か分からない、あの話に怒りも湧き上がってきたんですっ」
 良く言えば温厚そうで、悪く言えば気弱そうなダニエルが、フランシスの恐怖だけでなく、珍しく怒りを見せていた。
「お兄さんや、こんな私を受け入れてくれた大切な方たちに対して、あんなことをっ……わ、私は皆様に比べると身体能力や度胸はかなり劣っており、間違いなく一番の役立たずです。で、でも、他人の言葉に自分の人生を左右されるのは御免だと……自身の人生の手綱は自身で握っていこうと……」
 ダニエルは血の気のない唇をグッと噛んでいた。
 顔の上半分を重い前髪で隠しているダニエルの表情の全ては分からなかったが、レイナの瞳に映る彼からは強い決意が読み取られた。彼自身、これほどまでに自分を奮い立たせたことは初めてであったのかもしれない。
「そうであるな」と、アダムも深く頷いた。
 
 ちょうど、この数刻前、外で剣を奮うルーク、ディラン、トレヴァー、ヴィンセント、フレディの5人も、彼らと同じく自分の人生の手綱は自分で握っていくという決意を、新たにしていた。

「しかし、ダニエル……お前さん、人の美点を見つけるのは得意のようじゃが……自分自身にも目を向けてみてはどうじゃ……お前さんの人生で一番長い付き合いをすることになるのは、お前さん自身じゃからのう」
 アダムが言った。
 優しく微笑んだアダムの眼尻の皺は、さらに深く刻まれていた。ダニエルは頬を即座に朱く染め、首をブンブンと横に振った。どうやら、いつものダニエルに戻りかけているらしかった。
「い、いえ、この城に来てからというもの、ますます自分が小さく取るに足らない存在であることを実感するばかりなのです。私がまだ貴族であった数年前、実家でジョセフ王子に謁見したことがございます。あの時より、王子殿下はずっと威厳に満ち、あれほど素晴らしい方におなりなのに……私は身分を捨ててからの数年というもの、一体何をしていたんでしょうかと……ただただ、流れゆく時に流されるまま、明確な目的も持たずに過去にとらわれたまま、生きてきました。でも、お兄さんだけでなく、皆さまとの出会いによって、私は自分でも少しだけ変わり始めていると……」


 その時であった。この部屋の扉が2回、ノックされた。
 一斉に扉へと振り向いた。ダニエルの言葉は最後まで終わっておらず、レイナが話したかった疑問点はまだ1つしか話していなかったが、この部屋が一瞬で次なる緊張に、満たされていった。
 数秒ののちの、アダムの「どうぞ」という声によって、扉の向こうより顔を見せたのは魔導士カールであった。

「……先ほど、審議が下りました。広間へとお集まりください。外にいる者たちは、今、ダリオが呼びにいっております」
 部屋の中を見回したカールは、4人のなかで一番の年長者であるアダムの瞳をまっすぐに見て、言った。
 カールの頬は紅潮し、少し硬くなっているように、レイナには見えた。おそらく、外へとルーク、ディラン、トレヴァー、ヴィンセント、フレディを呼びに行ったダリオも、カールと同じ表情をしているということは予測がついた。カールとダリオも、ついにこの時がやってきたと思わずにはいられなかったに違いない。

 ダニエルは前髪を急いでかきあげて後ろへとなでつけ、ジェニーは慌てて服の皺をチェックしていた。
 アダムは、カールに重々しく頷き返し、黙って椅子から立ち上がった。
 そして、レイナは指先が震えていることに気づき、その震えを静めるために、両手をグッと握りしめた。

 ユーフェミア国への旅立ちの時は、ついにやってきたのだ。
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