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第7章 ~エマヌエーレ国編~

―1― 風に運ばれし思い ~ジョセフ~

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 アドリアナ王国、首都シャノン。
 昼下がり、政務の合間に王子ジョセフ・エドワードはバルコニーより、浩々たる大地を見渡していた。

 夏を目前としどこまでも青く澄み切った空にある太陽が、美貌の王子の金色の髪にさらに眩しき光を与える。
 彼のその青き瞳には大地の果てまでは映し切ることはできぬものの、民への思いと王子としての責任はまさにその果てにまで届かんばかりのものであった。
 いや、彼の思いはこの浩々たる大地で生活を営んでいる民だけに風とともに運ばれゆくわけではない。

 ユーフェミア国を救わんと旅立った民たち。
 パトリック・イアン・ヒンドリーをはじめとする剣を手に戦う男たち、厳選な選考の末に選ばれた魔導士ならび船の乗組員、人智を超えた存在より啓示を受けた”希望の光を運ぶ者たち”、そして……レイナ。

 彼女には、この王国の民として暮らしていくための名前と戸籍を授けていた。
 異世界からその魂のみがこの世界へといざなわれた、善良であることは明らかであるも幼げで頼りなげなあの娘は、自身に何かができるわけではないとしっかりと理解してはいたも、彼女からすれば”異世界の異国の民への救いのための旅路”を影から支えんと”希望の光を運ぶ者たち”と今、ともにいるのだ。

 妹マリアの肉体そのものはそうしてまだ生き続けてはいるも、近いうちに「マリア王女死去」のお触れを出す予定である。
 公式には、死者となるマリア。
 マリアの魂は、おそらく魔導士フランシスの元にいるに違いない。
 しかし、マリアとフランシスの関係は、数か月前のそれとは今や変わってしまっているであろう。


 不意により強い風がバルコニーを吹き抜けていった。
 ジョセフは思わずにはいられない。
 いや、たとえ、この風が吹かずとも彼は”彼女”のことを……自身が守ることもできず、この腕の中でなすすべもなく死なせてしまった愛しい女のことを思わずにはいられなかった。

――お前はどこにいるのだ? アンバー……

 風に問いかけたも、答えはなかった。
 魔導士アンバー・ミーガン・オスティーンは、公式には死者となった者だ。
 もう二度と会うことが出来ぬ者。その声を聞くことも出来ぬ者。
 だが、風に運ばれ人智を超えた存在となった彼女の声が聞こえるのではないかと、ジョセフは儚くも哀しい望みを、今もなお抱かずにはいられなかった。


 その時、「殿下、失礼いたします」との声が扉の向こうから、かけられた。
 バルコニーから部屋の中へと戻ったジョセフに、三人の魔導士――アーロン・リー・オスティーン、カール・コリン・ウッズ、ダリオ・グレン・レイクが恭しく一礼する。

 年長者であるアーロン・リー・オスティーンがスッと歩み出た。
 このアーロンの顔色が芳しくないのはいつものことであるが、娘アンバーを亡くして以来、彼の眼の下の隈はまるで暗雲を思わせるがごとく深く濃く刻まれていた。 

「先刻、マッキンタイヤーとレックスからの知らせを受け取りました。エマヌエーレ国の港に船は到着することができたと……」


 魔導士ピーター・ザック・マッキンタイヤーならびに魔導士ミザリー・タラ・レックスからの”知らせ”が――”無事な到着を知らせるいち早い知らせ”がアーロン・リー・オスティーンの元へ海を越えて届けられた。
 ユーフェミア国を救う道のりを順調に進んでいることと同義である。

 だが、それにしてはアーロンの顔だけでなく、カールとダリオの顔にも翳りがある。
 旅立った者たちが、何らかの不測の事態に見舞われたのだということを、ジョセフは彼らのその表情から一瞬で読み取っていた。


「途中、船は”あの”ペイン海賊団の襲撃を受け、兵士ならび乗組員に多数の死傷者が出たとの報告でございます」

「!!!」

 ジョセフもペイン海賊団を知っていた。
 自国内のことだけでなく、日々移り変わる世界の時事や情勢を頭に叩き込み、分析し続けているジョセフが知らないはずなどない。
 
 今現在、真っ先に討伐しなければならない海賊団だと各国が睨んでいる、悪名高いうえに凶悪な海賊団だ。
 人数としては中堅どころではあるも、主な構成員は我がアドリアナ王国出身者だと。
 他国の兵士たちが乗った船――戦闘の訓練をしっかりと受けた、いわゆる戦いのプロですら奴らには無惨に敗れているとも。
 そして、奴らの手から逃れることができた船は今までに一隻たりとも”存在しなかった”とも……


 なんということだ!
 我が王国への忠誠を誓い、さらにはユーフェミア国の民をも救わんと旅立った者たちが、まさかその旅路の途中において最も凶悪な海賊団の襲撃を受けてしまっていたとは……!

 旅立った者には当然、彼らの無事な帰りをこの大地で今も待ち続けている者たちがいるのだ。
 骨となり無言の帰国を……いや、その骨すらも”愛する者を失った哀しみと苦しみを背負うこととなってしまった遺族”の元には戻らないかもしれない……


「オスティーン……犠牲は出たも、”船は無事に港に到着することができた”と言ったな。となると、我が王国の兵士たちはペイン海賊団壊滅へと持ち運べたということか?」

 ジョセフの問いにアーロンは「いいえ」と首を横に振る。

「奴らとの決着は着かなかったものだと思われます…………襲撃による被害ならび現在の詳しい状況につきましては、マッキンタイヤー、レックスの両名とのコンタクトを再度、試みます」

「…………その言い方からすると、マッキンタイヤーとレックスもひどく負傷し、お前とのコンタクトをとることが厳しい状態であるということか?」

 アーロンは、「さようでございます」と頷く。
 このわずかなやり取りで、海の向こうにいる者たちの状態まで見事に察した王子ジョセフの洞察力に、アーロンは今更ながらに驚かずにはいれられなかった。
 マッキンタイヤーもレックスも(上には上がいるとはいえ、さらに言うならマッキンタイヤーは一見”やる気なし”に見えるとはいえ)優れた力を持つ魔導士ではある。決して”並”と評される魔導士ではない。
 けれども、そんな彼らであっても、土台となる肉体が本調子ではない状態でエマヌエーレ国の港から、この首都シャノンの城内にいる自分の元にまで”魂の気(知らせ)”を飛ばすことは、相当な集中力と体力を有するのだから。


「引き続き頼んだぞ、オスティーン。詳しい被害状況が判明次第、すぐに私に知らせるのだ」

 今はアーロン・リー・オスティーンの次なる報告を待つしかない。
 動というよりも静という気の使い方をし、離れた場所にいる者の気を掴む力が、この城内の誰よりも優れているオスティーンと海の向こうにいる魔導士たちとのコンタクトが、現段階では”正確な情報を迅速に得るため”の唯一の手掛かりなのだ、と。


 公の場でないとはいえ冷静沈着な態度を崩すことがなかったジョセフの様子を、彼のことをよく知らぬ者が見たなら、冷たい反応だと思ったかもしれない。
 一国の王子の地位にある彼は、身分なき民などいくらでも換えのきく捨て駒――消費するための”物”としか思っていないのでは、と。

 けれども、長年、彼に仕える魔導士コンビは分かっていた。
 この目で見えることが全てでない。
 この耳で聞く言葉だけが――ジョセフ王子が実際に口にした言葉だけがその心の全てではないのだ。

 そして、カールとダリオも今の自分たちを歯がゆく思わずにはいられなかった。
 ピーターとミザリーの二人についての安否は確認された。
 しかし、他の者については、まだ未確認状態だ。
 この城から発った多数の兵士たちだけじゃなくて、魔導士アダム・ポール・タウンゼント含む”希望の光を運ぶ者たち”やレイナ、ジェニーについてもだ。

 もし自分たちの体が二つあれば、彼らと一緒に旅立つことができたのに。
 ペイン海賊団の襲撃は防ぐことは結果として不可能であったとしても、自惚れかもしれぬが犠牲となったであろう者たちのほんの数人でも救うことができていたかもしれない。
 骨となっての帰国、いや骨すら戻らぬ帰国ではなく、この大地で再び愛する家族や友人たちの肌の温かさを感じることができていたかもしれない。
 はたから見れば、まるで一人の人間を二つに分けたかのような外見の彼らは同じことを考えていた。
 

 こうして、アドリアナ王国の首都シャノンにいち早くもたらされた悲報。
 眩しき太陽が昇っては沈みゆくうちに、アーロン・リー・オスティーンから次なる報告――被害情報すなわち犠牲者についての詳細は、まるで木の枝が伸びていくかのようにしっかりと書き足されていった。

 だが、その書き足された木の枝に成った実が、必ずしも真実であるとは限らない。
 悲報の源となった首都シャノン城内では正確な情報を把握し、遺族含む民たちへと告知していたとしても、人の口や人の手を介するうちに真実がぼやけ、歪むことは多々あるのだ。

 そう、アドリアナ王国の北の町、ダニエル・コーディ・ホワイトの生家があるアリスの町にも、その”ぼやけた知らせ”が伝えられることになったのだから……
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