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第5章 ~ペイン海賊団編~
―110― ダニエル vs レナート(4)
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たった一人で自分たちの囮となっているダニエルを救わんと、そして女である自らも戦うために上へと向かうレイナたち。
先陣を切り、梯子を登り切ったレイナをハッと凍りつかせたのは、扉の外――おそらく廊下からこの部屋の扉を突き破って聞こえてきている、口汚い罵声であり怒声であった。
「てめえ!! クソが!! 殺すぞ!! ゴルアア!!」
それはレイナが聞いたことのない男の声であった。
レイナの世界でいう、ヤンキーやチンピラというよりも、もっと血生臭くて深い闇社会で生きている者の姿を想像せざる得ないほどの怒声。
――怖い……!!
レイナの足はすくんだ。
しかし今、こうして侵入者の声がここまで響いてきているということは、ダニエルはまだ生きているということだ。
侵入者にしたって、すでに自分が殺害した相手に対して、あれほどがなり立てたり、”今さら”殺すぞといった言葉を吐くわけがない。
まさに今、ダニエルは侵入者の手によって、息の音を止められる寸前にいるのだとしか――!
――ダニエルさん!!!
レイナは扉へと向かって駆け出した。
武器も何も持たない丸腰のままだ。単数か複数化も分からない男相手に腕力で勝てるとは思えなかった。
けれども、自分が廊下に姿を見せることで、あの恐ろしい怒声の主である侵入者の気を一時的にそらすことはできるかもしれない。
「レイナ! 私も……!」
後ろからジェニーの声が聞こえた。
「――ダニエルさん!!!」
バッと廊下に飛び出たレイナとジェニーは、同時に叫んでいた。
重なり合った彼女たちのその叫びは悲鳴であったが、ダニエルの助けにギリギリ間に合ったとの安堵の叫びでもあった。
襲撃前の平和な安全地帯ではなくなってしまっている船の廊下で繰り広げられていたのは、彼女たちの予測通りダニエルと侵入者の死闘であった。
しかし、彼女たちの予測とは上下が逆だ。
侵入者が下で、ダニエルが上であった。
なんと、ダニエルが侵入者を押さえつけているのだ。
一体、どういった経緯でダニエルと侵入者があんな体勢になったのかは分からないが、ダニエルが侵入者の両脚を必死で抱え込むように押さえつけようとしてた。
レイナとジェニーの叫び――ダニエル自身、予期していなかった少女たちの声に、彼は侵入者の両脚を抱え込んだまま、ハッとして顔を上げた。
ダニエルに助太刀せんと、ダッと駆け出そうとしたレイナとジェニーを同じく廊下へと出てきた侍女長たちが制した。
「あんたら! 若い子は下がってな! うちらが行く!!」
「女を舐めんじゃないよ!!」
「今、行くよ! ホワイトさん!!」
それは頼もしい女たちの声であった。
まるでひとかたまりの肉弾丸のごとく、めいめいの全速力で廊下を駆けていく女たち。
ドドドド、という凄まじい廊下の揺れがレイナにもジェニーにも伝わってきた。
「ちょ……おい! 何しやがんだ、ババアども!! 離しやがれ!! ババアァ――!! こんのクソババアどもぉ――!!」
侵入者の男――その声からすると、まだ若者であるらしい男は、あっという間に手足を10名弱の女に押さえつけられてしまった。
どこの世界でも、いわゆる”おばちゃんズ”はとっても図太くて強い。
だが、侵入者の男は狂犬のごとく吠え続ける。
無様な状態へと追い込まれてしまった狂犬は、屈辱と怒りで吠え続ける。
「ババアァ――!! てめえら、絶対に裏娼館に売り飛ばしてやっぞ!! マ×コだって、今以上にユル×ンになっぞ! ”俺ら”を誰だと思っていやがる!! 俺らは、あのペイン海賊団だ!!」
”マ×コ”だの”ユル×ン”だの、やはりフランシス一味とは思えない口汚さと荒々しさ。そして、品の無さ。
何より、無様に取り押さえられた侵入者の男はこの船の者に尋問を受ける前に、自分の――いや、”自分たち”の所属をこのタイミングで自ら明かした。
”ペイン海賊団”と!!!
この船は、海賊に襲撃されたのだ。
”ペイン海賊団”の名を聞いたレイナの記憶の扉より、出港前にミザリーから聞いた奴らの凶悪さと今日までの所業のさわりなるものが一瞬で蘇ってきた。
殺して奪え、奪って殺せの残酷無慈悲なスローガンのもと、海で暴れ狂っている海賊団。
アドリアナ王国が今、真っ先に討伐しなければならないと睨んでいる最悪の海賊団。
ペイン海賊団から逃げることができた船は今まで一隻もないとも……よりによって、そのペイン海賊団にユーフェミア国を救うという任務を託されている船が目をつけられ、船の内部にまでこうして侵入されてしまった。
レイナを一瞬にして震えあがらせ、おそらく隣のジェニーも(ペイン海賊団の陰惨な悪行を知らなくても)”海賊団”と聞いただけで震えあがっているに違いない。
悪名高きペイン海賊団の一員を取り押さえている侍女長たちは違ったようだ。
「…………あんたら! よくも”私の弟”を殺したね!!」
侍女長の、涙交じりの絶叫が響いてきた。
「私の従兄もよ!!」
「私の伯父さんだって!!」
慟哭のごとき、叫びが数名の侍女たちから次々にあがる。
その叫びは、”大切な者の仇の一人である”侵入者の男に、上から鋭く突き刺さる剣のごときものであった。もし、女たちの叫びが剣へと姿を変えていたなら、あの侵入者の男はこの場で血を吹き出しながら事切れていたであろう。
悪名高きペイン海賊団の遺族が、この船に乗っていた。
この船の侍女長含む年上の女性たちは皆、レイナから見れば、普通の明るくて朗らかでお喋りで(噂好きで情報通の)おばさんやおねえさんでしかなかった。
世界のアジアの中の日本の、特にレイナが生まれ育った地域の”リアルなおばさんたち”と、この船において知り合ったおばさんたちは、その外見においては東洋系と西洋系の違いはあった。しかし、彼女たちの中身はそう変わらず”日本にもこういうおばさんたちいるよね”と、レイナが思ってしまうほど。
しかし、彼女たちは言葉には出さないものの、彼女たちの明るい笑顔とチャキチャキした立ち振る舞いの奥底には、癒えぬことのない悲しみが嵐のごとく激しく渦巻き続け、無念の思いを背負い続け生きてきたのだ。
最強最悪のペイン海賊団の襲撃。
しかし、この廊下にて繰り広げられている戦いの風向きは、明らかにダニエルと女性たちに追い風を吹かせ始めていた。
ダニエルの知恵と女たちの憤怒が、勝利の旗をあげさせつつあるであろう。
しかし――
侵入者の男――いや、あのペイン海賊団構成員は、まだ喚き、がなり、暴れ続けている。
ダニエルと何人もの女(それもかなりボリューミーな体型な女たちが揃っているとはいえ)だけで必死で奴を押さえ続けているとはいえ、”いつまで持つ”か定かではない。
スカートをバッとたくし上げたレイナの目に、マリアの真っ白な形のいい両脚が映った。
レイナがこれから何をしようとしているかを察したジェニーも、スカートをバッとたくし上げた。
長いスカートは邪魔になる。
自分たちは今から、奴の身を封じるためのものを探す&力の強い男性たちに助けを呼びに行くのだから。
「ジェニー! 私は上に男の人を呼びにいくわ! だから、ジェニーは何かロープの代わりになるようなものを……」
「分かったわ! でも、レイナ……一人で上に行くの?!」
レイナはコクンと頷いた。
”この船の内部へと”侵入してきたペイン海賊団構成員が奴一人であるとの確証はない。
しかし、あれだけ奴が「クソ”ガリヒョロ”がぁ――!」「クソババアどもぉ――!!!」と今もなお、口汚く絶叫しているのに、他の侵入者たちが(いると仮定したなら)”何事か?!”と助太刀にこないのはおかしい。
”この船室フロアにおいては”、他の侵入者がいる可能性は極めて低いと――
「レイナ! 気を付けてね!」
「ええ、ジェニーも!!」
レイナとジェニーは、それぞれ別方向へと駆け出した。
上へと続く階段を数段飛ばしで駆けあがっていくレイナ。
男の人を呼んでくる――といっても、ルークやディランなど剣を手にしている者たち、そしてアダムやピーターといった魔導士は、今、まさにペイン海賊団との戦闘の真っ最中であるはずだ。操舵室においては、スミス船長とアンドリュース副船長が舵を握り、自らの任務を”果たしている最中のはず”であるとも……
となると、別の持ち場についているかもしれない男性航海士のうちの誰かか、はたまた船医ハドリー・フィル・ガイガーか?
早く誰か男の人を――という、レイナの懇願も虚しく、レイナの脈打つ足は一番上の船室フロアまで辿り着くしかなく、恐怖と焦りで潤み始めた瞳は甲板へと続く扉を映し出すところまで来てしまった。
「!」
扉の前には、船医ハドリー・フィル・ガイガーの姿。
しかし、青ざめた顔のこめかみに汗を浮かび上がらせているガイガーの服の前部分と袖口は血で染まっていた。
ガイガーは医師として、救命の最中にあったのだ。
レイナにも気づかず、床へとかがみ込み救命中である彼の傍らには、アダム、ピーター、そしてミザリーが横たわっていた。
「!!!」
服にハサミを入れられ、上半身がほぼ裸となっているアダムとピーターは、ともに包帯が巻かれている右肩を血に染め、苦し気に呻き、顔を歪ませていた。彼らの傍らには、血に染まった弓矢が転がっていた。
おそらく彼ら2人は、海賊の弓矢の攻撃によって、負傷したのであろう。
「ミザリーさん……っ……?」
しかし、ミザリーだけは違うようであった。
ガイガーが患部を見るために剥き出しにしていたであろう彼女の華奢な左肩からは血などは一滴も溢れていなかった。
ただ、彼女の白い左肩には、一般的な成人の親指の爪ほどの大きさの穴が開いており、そこから黒い煙がシュウシュウと立ち上り続けているのだ。
まるで忌まわしい狼煙か何かの目印であるかのように。
一気に体中の血を抜かれてしまったかのようなミザリーの白い顔の色だけを見れば、彼女は二度と起き上ることのない死者のごとき有様であった。
けれども、ミザリーの唇は何かうわごとを言っているかのようにかすかに動き、乳房の頂きの形がクッキリと分かる彼女の胸元は上下していた。
ミザリーの生存に安堵したレイナの耳に、甲板からの聞き覚えのある声が飛び込んできた。
「救護優先だ! 動ける者は救護にあたれ! 生きている者がいても、すぐには動かすな!」
この声は、兵士隊長パトリック・イアン・ヒンドリーの声に違いない。
海賊たちの襲撃を受け、戦闘中であるはずの甲板から彼の声が――兵士たちへの指示が聞こえてきたのだ。
レイナに甲板の様子は分からない。
しかし”救護優先”ということは、今、甲板は海賊たちの襲撃は受けていないということだ。
レイナは甲板へと続く扉へ向かって駆け出した。
彼女の白くたおやかな手が扉を開け放つとともに、潮の匂いをも蹂躙する血の匂いがザアッと船の内部へと飛び込んできた。
胸を押さえ、ゼイゼイと息を整え、血生臭さに鼻をひくつかせたレイナの目にも飛び込んできたのは、想像以上の地獄の光景であった。
”ヒイッ!!”と怯え、後ずさったレイナ。
悪魔たちが赤いペンキをぶちまけたかのごとき甲板には、幾体もの遺体が転がっていた。悪魔から”バトンを受け取った”死神に魂を持っていかれてしまった者たちは、アドリアナ王国の兵士の服を身に付けている者もいれば、違う者もいた。
双方ともに多数の犠牲者。
しかし、今の状況で1つだけ明らかなのは、多数の犠牲者は出たものの、甲板にいる彼ら――アドリアナ王国の兵士たちはこの船を悪名高きペイン海賊団から守りきることができたということであった。
レイナは、戦闘終了直後の甲板へと飛び込んできた自分の姿を見たパトリック・イアン・ヒンドリーが猛烈に渋い顔をしたのが、目の端でも分かった。
しかし――
「ごめんなさい! 誰か……誰か、助けてください! 下に知らない男の人が侵入していて……っ……ダニエルさんがっ……」
レイナのその泣き声にも思える叫びは震えていた。
一番下の船室フロアでの戦闘は、まだ続いている。
船内へとおそらく単体で潜り込んできていたペイン海賊団構成員とダニエルたちの戦いが……
自分たち女の肉体的な力の弱さという歯がゆさと悔しさに、レイナは叫び、男たちへと助けを求めた。
レイナの叫びを聞いた男たちは、ハッとした。
そして、中でも――
「レイナさん! ダニエルに何が!?」
負傷した兵士の手当を近くにいる者に任せたヴィンセントが荒い息とともに、真っ青な顔でレイナの元へとダッと駆けてきたのだ。
レイナの瞳に映るヴィンセントの血を滲ませている全身は、なぜかずぶ濡れであり、その彫りの深い美しい顔の頬には剣で斬りつけられたものらしい傷もあった。
「ダ、ダニエルさんが海賊の一人を取り押さえたんですっ……そして、今、侍女長さんたちでも、その海賊を押さえていますっ! で、でもっ、すっごく凶暴な人で暴れまくっていて、いつまで持つか……」
血のつながりこそないものの、自身の弟のように可愛がっているダニエルが海賊の手に落ちてしまったのでは、と最悪の光景を想像をしてしまっていたに違いなかったヴィンセントは、レイナの答えに、”ひとまずは”ホッと胸を撫で下ろしたらしい。
ダニエルは生きている。
そして、船内にいたレイナや(おそらくジェニーや)侍女長たちの女性陣も、今は無事だと……
しかし、こうしてはいられない。
早くダニエルたちの元へと――
「……俺たちも行く!!」
ルークの声だ。
そして、彼に続くように、ディラン、トレヴァー、フレディの声も――
ヴィンセントだけでなく、ルーク、ディラン、トレヴァー、フレディもペイン海賊団の毒牙にその命を掻き潰されてはいなかった。アダムは相当な重傷を負ってはいるものの、”希望の光を運ぶ者たち”は現時点では誰一人として欠けることもなく、悪名高きペイン海賊団の襲撃を受けたというのに、彼ら全員が奇跡的にも生存しているのだ。
熱い涙が溢れてきたレイナであったが、駆けつけてきた者たちの顔を見て、ギョッとした。
――え? この人……まさか、ルークさん?!
痣で変色し、血が滲んでこびりつき、腫れ上がった顔の持ち主がルークの声を発していなければ、その者がルークであるとレイナには最初は分からなかった。
変わり果ててしまったルークの顔面。
それもそのはず、彼はほんの数刻前まで、海賊ルイージ・ビル・オルコットと盛大に殴りあっていたのだから。
顔面が変わり果てているという点では、ディランもルークに負けず劣らず酷いものであった。
彼の顔のあちこちも血が滲み、腫れ上がっていた。
とりわけ彼の場合は、海賊ジェームス・ハーヴェイ・アトキンスに卑怯な目潰し攻撃をくらった両目付近が腫れ上がっていた。視界も明瞭に戻っていないらしく、わずかな甲板の段差にも躓きそうにもなっていた。
トレヴァーはその顔面こそ全くの別人に変わり果ててはいないものの、逞しい褐色の肉体の至る所に切り裂かれ、その惨たらしい傷口の有様を見せていた。
外見上において一番、被害が少ないように”見える”のはフレディであった。しかし、彼はトレヴァーのように真新しい血こそ流してはしないが、衣服の至るところは剣で切り裂かれており、戦闘の爪痕をその全身に刻まれていた。
ルークやディランと同じく、トレヴァーもフレディも(途中で対戦相手のチェンジ等は生じていたものの)ペイン海賊団のツートップとそれぞれサシでやり合っていたのだ。
「待て! お前たち!」
真っ先にレイナへと駆けてきたルークたちの背中に、パトリックの声がかかった。
「リバーフォローズ! 確認できた侵入者は何名だ!?」
呼び慣れていないこの世界での苗字を、大の男の厳しい声で(まるでレイナも兵士の一人であるかのように)呼ばれたレイナは、ビクンと飛びあがった。
けれども、レイナは(なぜかヴィンセントと同じく全身ずぶ濡れであるらしい)パトリックへ向かって声を張り上げた。
「いっ……一名ですっ!!!」
「分かった! 私も下へ行く!! ロビンソンにハドソン、お前たちは先に手当てを受けろ!! ……そして、スミスにフィッシュバーン、お前たちは動けるか?!」
レイナの答えを受けたパトリックの素早い指示。
どうにか動くことはできるものの、とりわけ酷すぎる顔面へと変わり果ててしまったルークとディランには先に手当てを受けることを促した。
そして、助けを求めるレイナの声を聞き、自分たちも船内にいる者を守らんと駆け付けようと構えていた、まだ戦闘可能の状態である兵士の2人――バーニー・ソロモン・スミスとイライジャ・ダリル・フィッシュバーンは、パトリックに向かって頷いた。
先陣を切り、梯子を登り切ったレイナをハッと凍りつかせたのは、扉の外――おそらく廊下からこの部屋の扉を突き破って聞こえてきている、口汚い罵声であり怒声であった。
「てめえ!! クソが!! 殺すぞ!! ゴルアア!!」
それはレイナが聞いたことのない男の声であった。
レイナの世界でいう、ヤンキーやチンピラというよりも、もっと血生臭くて深い闇社会で生きている者の姿を想像せざる得ないほどの怒声。
――怖い……!!
レイナの足はすくんだ。
しかし今、こうして侵入者の声がここまで響いてきているということは、ダニエルはまだ生きているということだ。
侵入者にしたって、すでに自分が殺害した相手に対して、あれほどがなり立てたり、”今さら”殺すぞといった言葉を吐くわけがない。
まさに今、ダニエルは侵入者の手によって、息の音を止められる寸前にいるのだとしか――!
――ダニエルさん!!!
レイナは扉へと向かって駆け出した。
武器も何も持たない丸腰のままだ。単数か複数化も分からない男相手に腕力で勝てるとは思えなかった。
けれども、自分が廊下に姿を見せることで、あの恐ろしい怒声の主である侵入者の気を一時的にそらすことはできるかもしれない。
「レイナ! 私も……!」
後ろからジェニーの声が聞こえた。
「――ダニエルさん!!!」
バッと廊下に飛び出たレイナとジェニーは、同時に叫んでいた。
重なり合った彼女たちのその叫びは悲鳴であったが、ダニエルの助けにギリギリ間に合ったとの安堵の叫びでもあった。
襲撃前の平和な安全地帯ではなくなってしまっている船の廊下で繰り広げられていたのは、彼女たちの予測通りダニエルと侵入者の死闘であった。
しかし、彼女たちの予測とは上下が逆だ。
侵入者が下で、ダニエルが上であった。
なんと、ダニエルが侵入者を押さえつけているのだ。
一体、どういった経緯でダニエルと侵入者があんな体勢になったのかは分からないが、ダニエルが侵入者の両脚を必死で抱え込むように押さえつけようとしてた。
レイナとジェニーの叫び――ダニエル自身、予期していなかった少女たちの声に、彼は侵入者の両脚を抱え込んだまま、ハッとして顔を上げた。
ダニエルに助太刀せんと、ダッと駆け出そうとしたレイナとジェニーを同じく廊下へと出てきた侍女長たちが制した。
「あんたら! 若い子は下がってな! うちらが行く!!」
「女を舐めんじゃないよ!!」
「今、行くよ! ホワイトさん!!」
それは頼もしい女たちの声であった。
まるでひとかたまりの肉弾丸のごとく、めいめいの全速力で廊下を駆けていく女たち。
ドドドド、という凄まじい廊下の揺れがレイナにもジェニーにも伝わってきた。
「ちょ……おい! 何しやがんだ、ババアども!! 離しやがれ!! ババアァ――!! こんのクソババアどもぉ――!!」
侵入者の男――その声からすると、まだ若者であるらしい男は、あっという間に手足を10名弱の女に押さえつけられてしまった。
どこの世界でも、いわゆる”おばちゃんズ”はとっても図太くて強い。
だが、侵入者の男は狂犬のごとく吠え続ける。
無様な状態へと追い込まれてしまった狂犬は、屈辱と怒りで吠え続ける。
「ババアァ――!! てめえら、絶対に裏娼館に売り飛ばしてやっぞ!! マ×コだって、今以上にユル×ンになっぞ! ”俺ら”を誰だと思っていやがる!! 俺らは、あのペイン海賊団だ!!」
”マ×コ”だの”ユル×ン”だの、やはりフランシス一味とは思えない口汚さと荒々しさ。そして、品の無さ。
何より、無様に取り押さえられた侵入者の男はこの船の者に尋問を受ける前に、自分の――いや、”自分たち”の所属をこのタイミングで自ら明かした。
”ペイン海賊団”と!!!
この船は、海賊に襲撃されたのだ。
”ペイン海賊団”の名を聞いたレイナの記憶の扉より、出港前にミザリーから聞いた奴らの凶悪さと今日までの所業のさわりなるものが一瞬で蘇ってきた。
殺して奪え、奪って殺せの残酷無慈悲なスローガンのもと、海で暴れ狂っている海賊団。
アドリアナ王国が今、真っ先に討伐しなければならないと睨んでいる最悪の海賊団。
ペイン海賊団から逃げることができた船は今まで一隻もないとも……よりによって、そのペイン海賊団にユーフェミア国を救うという任務を託されている船が目をつけられ、船の内部にまでこうして侵入されてしまった。
レイナを一瞬にして震えあがらせ、おそらく隣のジェニーも(ペイン海賊団の陰惨な悪行を知らなくても)”海賊団”と聞いただけで震えあがっているに違いない。
悪名高きペイン海賊団の一員を取り押さえている侍女長たちは違ったようだ。
「…………あんたら! よくも”私の弟”を殺したね!!」
侍女長の、涙交じりの絶叫が響いてきた。
「私の従兄もよ!!」
「私の伯父さんだって!!」
慟哭のごとき、叫びが数名の侍女たちから次々にあがる。
その叫びは、”大切な者の仇の一人である”侵入者の男に、上から鋭く突き刺さる剣のごときものであった。もし、女たちの叫びが剣へと姿を変えていたなら、あの侵入者の男はこの場で血を吹き出しながら事切れていたであろう。
悪名高きペイン海賊団の遺族が、この船に乗っていた。
この船の侍女長含む年上の女性たちは皆、レイナから見れば、普通の明るくて朗らかでお喋りで(噂好きで情報通の)おばさんやおねえさんでしかなかった。
世界のアジアの中の日本の、特にレイナが生まれ育った地域の”リアルなおばさんたち”と、この船において知り合ったおばさんたちは、その外見においては東洋系と西洋系の違いはあった。しかし、彼女たちの中身はそう変わらず”日本にもこういうおばさんたちいるよね”と、レイナが思ってしまうほど。
しかし、彼女たちは言葉には出さないものの、彼女たちの明るい笑顔とチャキチャキした立ち振る舞いの奥底には、癒えぬことのない悲しみが嵐のごとく激しく渦巻き続け、無念の思いを背負い続け生きてきたのだ。
最強最悪のペイン海賊団の襲撃。
しかし、この廊下にて繰り広げられている戦いの風向きは、明らかにダニエルと女性たちに追い風を吹かせ始めていた。
ダニエルの知恵と女たちの憤怒が、勝利の旗をあげさせつつあるであろう。
しかし――
侵入者の男――いや、あのペイン海賊団構成員は、まだ喚き、がなり、暴れ続けている。
ダニエルと何人もの女(それもかなりボリューミーな体型な女たちが揃っているとはいえ)だけで必死で奴を押さえ続けているとはいえ、”いつまで持つ”か定かではない。
スカートをバッとたくし上げたレイナの目に、マリアの真っ白な形のいい両脚が映った。
レイナがこれから何をしようとしているかを察したジェニーも、スカートをバッとたくし上げた。
長いスカートは邪魔になる。
自分たちは今から、奴の身を封じるためのものを探す&力の強い男性たちに助けを呼びに行くのだから。
「ジェニー! 私は上に男の人を呼びにいくわ! だから、ジェニーは何かロープの代わりになるようなものを……」
「分かったわ! でも、レイナ……一人で上に行くの?!」
レイナはコクンと頷いた。
”この船の内部へと”侵入してきたペイン海賊団構成員が奴一人であるとの確証はない。
しかし、あれだけ奴が「クソ”ガリヒョロ”がぁ――!」「クソババアどもぉ――!!!」と今もなお、口汚く絶叫しているのに、他の侵入者たちが(いると仮定したなら)”何事か?!”と助太刀にこないのはおかしい。
”この船室フロアにおいては”、他の侵入者がいる可能性は極めて低いと――
「レイナ! 気を付けてね!」
「ええ、ジェニーも!!」
レイナとジェニーは、それぞれ別方向へと駆け出した。
上へと続く階段を数段飛ばしで駆けあがっていくレイナ。
男の人を呼んでくる――といっても、ルークやディランなど剣を手にしている者たち、そしてアダムやピーターといった魔導士は、今、まさにペイン海賊団との戦闘の真っ最中であるはずだ。操舵室においては、スミス船長とアンドリュース副船長が舵を握り、自らの任務を”果たしている最中のはず”であるとも……
となると、別の持ち場についているかもしれない男性航海士のうちの誰かか、はたまた船医ハドリー・フィル・ガイガーか?
早く誰か男の人を――という、レイナの懇願も虚しく、レイナの脈打つ足は一番上の船室フロアまで辿り着くしかなく、恐怖と焦りで潤み始めた瞳は甲板へと続く扉を映し出すところまで来てしまった。
「!」
扉の前には、船医ハドリー・フィル・ガイガーの姿。
しかし、青ざめた顔のこめかみに汗を浮かび上がらせているガイガーの服の前部分と袖口は血で染まっていた。
ガイガーは医師として、救命の最中にあったのだ。
レイナにも気づかず、床へとかがみ込み救命中である彼の傍らには、アダム、ピーター、そしてミザリーが横たわっていた。
「!!!」
服にハサミを入れられ、上半身がほぼ裸となっているアダムとピーターは、ともに包帯が巻かれている右肩を血に染め、苦し気に呻き、顔を歪ませていた。彼らの傍らには、血に染まった弓矢が転がっていた。
おそらく彼ら2人は、海賊の弓矢の攻撃によって、負傷したのであろう。
「ミザリーさん……っ……?」
しかし、ミザリーだけは違うようであった。
ガイガーが患部を見るために剥き出しにしていたであろう彼女の華奢な左肩からは血などは一滴も溢れていなかった。
ただ、彼女の白い左肩には、一般的な成人の親指の爪ほどの大きさの穴が開いており、そこから黒い煙がシュウシュウと立ち上り続けているのだ。
まるで忌まわしい狼煙か何かの目印であるかのように。
一気に体中の血を抜かれてしまったかのようなミザリーの白い顔の色だけを見れば、彼女は二度と起き上ることのない死者のごとき有様であった。
けれども、ミザリーの唇は何かうわごとを言っているかのようにかすかに動き、乳房の頂きの形がクッキリと分かる彼女の胸元は上下していた。
ミザリーの生存に安堵したレイナの耳に、甲板からの聞き覚えのある声が飛び込んできた。
「救護優先だ! 動ける者は救護にあたれ! 生きている者がいても、すぐには動かすな!」
この声は、兵士隊長パトリック・イアン・ヒンドリーの声に違いない。
海賊たちの襲撃を受け、戦闘中であるはずの甲板から彼の声が――兵士たちへの指示が聞こえてきたのだ。
レイナに甲板の様子は分からない。
しかし”救護優先”ということは、今、甲板は海賊たちの襲撃は受けていないということだ。
レイナは甲板へと続く扉へ向かって駆け出した。
彼女の白くたおやかな手が扉を開け放つとともに、潮の匂いをも蹂躙する血の匂いがザアッと船の内部へと飛び込んできた。
胸を押さえ、ゼイゼイと息を整え、血生臭さに鼻をひくつかせたレイナの目にも飛び込んできたのは、想像以上の地獄の光景であった。
”ヒイッ!!”と怯え、後ずさったレイナ。
悪魔たちが赤いペンキをぶちまけたかのごとき甲板には、幾体もの遺体が転がっていた。悪魔から”バトンを受け取った”死神に魂を持っていかれてしまった者たちは、アドリアナ王国の兵士の服を身に付けている者もいれば、違う者もいた。
双方ともに多数の犠牲者。
しかし、今の状況で1つだけ明らかなのは、多数の犠牲者は出たものの、甲板にいる彼ら――アドリアナ王国の兵士たちはこの船を悪名高きペイン海賊団から守りきることができたということであった。
レイナは、戦闘終了直後の甲板へと飛び込んできた自分の姿を見たパトリック・イアン・ヒンドリーが猛烈に渋い顔をしたのが、目の端でも分かった。
しかし――
「ごめんなさい! 誰か……誰か、助けてください! 下に知らない男の人が侵入していて……っ……ダニエルさんがっ……」
レイナのその泣き声にも思える叫びは震えていた。
一番下の船室フロアでの戦闘は、まだ続いている。
船内へとおそらく単体で潜り込んできていたペイン海賊団構成員とダニエルたちの戦いが……
自分たち女の肉体的な力の弱さという歯がゆさと悔しさに、レイナは叫び、男たちへと助けを求めた。
レイナの叫びを聞いた男たちは、ハッとした。
そして、中でも――
「レイナさん! ダニエルに何が!?」
負傷した兵士の手当を近くにいる者に任せたヴィンセントが荒い息とともに、真っ青な顔でレイナの元へとダッと駆けてきたのだ。
レイナの瞳に映るヴィンセントの血を滲ませている全身は、なぜかずぶ濡れであり、その彫りの深い美しい顔の頬には剣で斬りつけられたものらしい傷もあった。
「ダ、ダニエルさんが海賊の一人を取り押さえたんですっ……そして、今、侍女長さんたちでも、その海賊を押さえていますっ! で、でもっ、すっごく凶暴な人で暴れまくっていて、いつまで持つか……」
血のつながりこそないものの、自身の弟のように可愛がっているダニエルが海賊の手に落ちてしまったのでは、と最悪の光景を想像をしてしまっていたに違いなかったヴィンセントは、レイナの答えに、”ひとまずは”ホッと胸を撫で下ろしたらしい。
ダニエルは生きている。
そして、船内にいたレイナや(おそらくジェニーや)侍女長たちの女性陣も、今は無事だと……
しかし、こうしてはいられない。
早くダニエルたちの元へと――
「……俺たちも行く!!」
ルークの声だ。
そして、彼に続くように、ディラン、トレヴァー、フレディの声も――
ヴィンセントだけでなく、ルーク、ディラン、トレヴァー、フレディもペイン海賊団の毒牙にその命を掻き潰されてはいなかった。アダムは相当な重傷を負ってはいるものの、”希望の光を運ぶ者たち”は現時点では誰一人として欠けることもなく、悪名高きペイン海賊団の襲撃を受けたというのに、彼ら全員が奇跡的にも生存しているのだ。
熱い涙が溢れてきたレイナであったが、駆けつけてきた者たちの顔を見て、ギョッとした。
――え? この人……まさか、ルークさん?!
痣で変色し、血が滲んでこびりつき、腫れ上がった顔の持ち主がルークの声を発していなければ、その者がルークであるとレイナには最初は分からなかった。
変わり果ててしまったルークの顔面。
それもそのはず、彼はほんの数刻前まで、海賊ルイージ・ビル・オルコットと盛大に殴りあっていたのだから。
顔面が変わり果てているという点では、ディランもルークに負けず劣らず酷いものであった。
彼の顔のあちこちも血が滲み、腫れ上がっていた。
とりわけ彼の場合は、海賊ジェームス・ハーヴェイ・アトキンスに卑怯な目潰し攻撃をくらった両目付近が腫れ上がっていた。視界も明瞭に戻っていないらしく、わずかな甲板の段差にも躓きそうにもなっていた。
トレヴァーはその顔面こそ全くの別人に変わり果ててはいないものの、逞しい褐色の肉体の至る所に切り裂かれ、その惨たらしい傷口の有様を見せていた。
外見上において一番、被害が少ないように”見える”のはフレディであった。しかし、彼はトレヴァーのように真新しい血こそ流してはしないが、衣服の至るところは剣で切り裂かれており、戦闘の爪痕をその全身に刻まれていた。
ルークやディランと同じく、トレヴァーもフレディも(途中で対戦相手のチェンジ等は生じていたものの)ペイン海賊団のツートップとそれぞれサシでやり合っていたのだ。
「待て! お前たち!」
真っ先にレイナへと駆けてきたルークたちの背中に、パトリックの声がかかった。
「リバーフォローズ! 確認できた侵入者は何名だ!?」
呼び慣れていないこの世界での苗字を、大の男の厳しい声で(まるでレイナも兵士の一人であるかのように)呼ばれたレイナは、ビクンと飛びあがった。
けれども、レイナは(なぜかヴィンセントと同じく全身ずぶ濡れであるらしい)パトリックへ向かって声を張り上げた。
「いっ……一名ですっ!!!」
「分かった! 私も下へ行く!! ロビンソンにハドソン、お前たちは先に手当てを受けろ!! ……そして、スミスにフィッシュバーン、お前たちは動けるか?!」
レイナの答えを受けたパトリックの素早い指示。
どうにか動くことはできるものの、とりわけ酷すぎる顔面へと変わり果ててしまったルークとディランには先に手当てを受けることを促した。
そして、助けを求めるレイナの声を聞き、自分たちも船内にいる者を守らんと駆け付けようと構えていた、まだ戦闘可能の状態である兵士の2人――バーニー・ソロモン・スミスとイライジャ・ダリル・フィッシュバーンは、パトリックに向かって頷いた。
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