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第3章

―4― 再会がもたらした確かな道標

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 暗い宿の部屋で、レイナはただ1人椅子に座っていた。
 夜明け前に生じる静寂。その静寂が、今のレイナの身をなぜか震わせていた。
 目の前の木彫りの小さなテーブルの上には、レイナがアンバーより託されたあの分厚いノート、ペン、インク瓶が並んでいる。

 静寂に包まれた薄暗い部屋の中であるのに、”なぜか”それらはアンバーが気が残っている証明であるかのように、ひっそりと咲く白い百合の花のごとく、はっきりとした存在感を示していた。
 レイナがノートに触れると、カサリと音がした。元の世界でレイナが触れていた、教科書等と比べると、ややザラザラとした手触りであった。だが、印刷技術や製造技術が元の世界ほど発達していないと思われる、この世界においては上質紙の部類に入るのだろう。

 何も書かれていないノート。
 これからレイナが生き残った自分の魂の刻んだ道を記していくノート。
 深呼吸をしたレイナは、ペン先をインクにつけた。インク瓶のなかで、チャポンと音がする。
 もう一度、ゆっくりと深呼吸をしたレイナは、ノートにペンを走らせようとした。薄暗い部屋の中にいるはずなのに、レイナには自分の字が”なぜか”しっかりと見えていた。
 インクをつけ過ぎたのか、最初の一角は滲んだ。だが、レイナは書いた。
「河瀬レイナ」という自分の魂の名を。
 他人の肉体の中に自分の魂はある。でも、どこの世界のどんな肉体の中にあっても、自分が自分であることを絶対に保ち続けるために。

 鉛筆やシャープペンシルではなく、書き慣れないこの世界のペンでは、レイナはまだミミズがのたくったような日本語の文字しか書くことができなかった。
 インクが滲むことがあれば、インクが足りなかったのかかすれることもあった。
 今はインクをつけすぎたようであり、真白いページにポタリポタリとインクが落ち……
「!!!」
 レイナは気づく。
 ペン先から滴り落ちているのは、黒いインクなどではないことを。
 血だ。生々しい真っ赤な血が、ペン先より滴り落ちていたのだ。
 まるで、あの夜に真っ白な雪にしみこんでいった、アンバーの真っ赤な血のような――

 ゾワッと全身に駆け巡った恐怖に、レイナは即座にペンを放そうとした。けれども、レイナはペンを離すことができなかった。
 いや、”ペンが”レイナを離すまいと、ぐにゃりとうねり、彼女の手どころか腕にまでグルグルと絡みついてきたのだ!
「きゃああ!」
 レイナの悲鳴にさらに気を良くしたように、ペンは赤い大蛇へと姿を変えた。アンバーが死んだあの夜、自分の体を拘束していたフランシスが操るあの大蛇にと。
 赤い大蛇は、震えるレイナの右腕をさらに強く、そして冷たくググッと締めあげた。
 恐怖のため、それから目を離すことができないレイナは、その大蛇には人間の顔がついていることが分かった。毒々しい蛇の胴体に、世にも美しい顔。
 マリア王女。
 蛇の胴体のまま、レイナを絶対に放すまいと巻き付いてくるマリアは、レイナの顔を覗き込んだ。彼女は何の表情も浮かべず、レイナをただじっと見つめていた。透きとおるほどに冷たい、青い瞳で。
 そして、彼女は愛らしいその唇を動かした。声は発せられなかった。だが、レイナには、彼女が何と言ったのかが分かった。
 わ、た、し、の、か、ら、だ、と――


 情けない悲鳴をあげ、飛び起きたレイナの全身は、じっとりと嫌な汗にまみれていた。その汗は冬場の肌寒さを、さらに強く感じさせる役割を充分に果たすこととなった。
 レイナは慌てて、寝間着の右腕をまくった。
 真っ白でやわらかく、ほっそりとしたこの”マリア王女”の腕には、夢の中の大蛇に巻きつかれたような跡は何も残ってはいなかった。
 レイナはホッと胸を撫で下ろした。
――良かった……夢で本当に良かったわ。マリア王女があんな化け物みたいになって、現れるなんて……元の世界でよく聞いた心霊現象みたいに巻きつかれた跡が残っていたらどうしようかと……
 胸を撫で下ろした後、レイナはやはり罪悪感に襲われた。
――マリア王女はもうどこにもいないはずだけど……もし、彼女の魂が生きていたとしたら、絶対に私がこうして自分の魂の物語を紡いでいることを許すはずがないわ。本当の自分の体で、他の者が生き続けるなんて……反対の立場だったら、私だって絶対に自分の体を取り返したくなるもの……

 レイナは、思わず自分がいるこの肉体を抱きしめるような格好をとっていた。両腕の間で、豊かで瑞々しい乳房が揺れた。そして、心臓の鼓動もより強く伝わってきた。そう、自分の物ではない心臓が立てる鼓動を。
 夢と同じく、机の上に置いたままのノートにレイナは目をやった。
 インクを乾かすために、広げっぱなしのまま眠りについていたのだ。
 白紙のノートに、レイナが書き込んでいたこと。
 それは、この世界に来てからの出来事を綴った備忘録のようなものであった。全て日本語で記してはいるものの、出会った人々の名前と特徴、そして自分がどの町からどの町へとどれくらいの日数で移動したのか、お金の使い方の復習、そして、現在の2人の尋ね人の関する特徴も――

 数日間、このリネットの町を歩いた。
 幼き頃より自分自身で生計を立てていたルーク、ディラン、トレヴァーは、見知らぬ他人に話しかけることに非常に慣れていた。自分たちから話しかけていき、ドンドンと尋ね人に関する情報を集めていっていた。
 だが、レイナは顔を隠しながら、彼らの後をちょこまかと追いかけ、周りの人に不審な目で見られることが多かった。確かに今のこのマリア王女の外見はとてつもなく目立ってはいることも一因ではあったと思うが、あまりにも自分が人見知りであり、受け身であることを実感せずにいられなかった。
 ルークたちのコミュニケーション力に頼りっぱなしの自分ができること、それは、こうして詳細に旅の記録をとることしかないのでは思わずにはいられなかった。


 このリネットの町での朝の始まりを告げる、最初の鐘が鳴った。
 冷たくやや乾いた空気の中に、リーン、ゴーンという音が響き渡った。
 最初の鐘の音より、数刻おいて二度目の鐘が鳴るはずであった。その二度目の鐘が鳴るまでにレイナは、荷づくりを済ませ、同じ宿に泊まっているルークたちと階下で合流する予定であった。
 絶対に時間厳守だわ、と立ち上がったレイナは、アンバーから託されたノートを大切に荷物の中へとしまいこんだ。
 今日がこのリネットの町での最後の日となる。
 次なる南の町――アレクシスの町へと移動するのだが、リネットの町からアレクシスの町への移動は、トレヴァーの話によると馬車に揺られたとしてもほぼ半日はかかる見込みであるとのことであった。
 よって、レイナたちは最終的な聞き込みを続けながら、リネットの町の中でも南方に位置する、そこそこのクオリティの宿に泊まることにしていた。


 首都・シャノン。
 ジョセフ王子とともに、一足先に瞬間移動にて首都シャノンに戻っていた魔導士・カールは、人気の少ない城のバルコニーの一角にて、パンを片手に空を見上げていた。
 青と灰色を混ぜ込み、ぼかしたような冬空に、場違いのように輝きを見せている太陽が西へと傾き始めていた。
 もうすぐ、冬の季節は終わりを告げる。カールの足元にあった氷はとうに溶け、水たまりとなっていた。
 背後に人の気配を感じたカールは、ハッと振り返った。
 そこにいたのは、彼の同僚である魔導士・ダリオであった。
「遅い昼飯だな」
 そう言ったダリオの手にもパンが握られていた。ダリオも、城を離れていた間にたまっていた仕事をカールと同じく片づけていたため、この時間に遅い昼食をとることとなったのだろう。
「お前もな」
 カールの軽口にフッと笑ったダリオは、そのままカールの隣へと並び、彼と同じく空を見上げた。ダリオの首には、フランシスとの戦いで負傷した痛々しい傷跡が刻まれていた。
「カール、あの侍女……サマンサの容態も少し落ち着いてきたとのことだ」
「そうか……少し火傷の状態が良くなったと侍女の1人からも聞いていたんだが、本当によかった」
 悪魔のような王女・マリアに、フランシスが渡したと思われる怪しげな魔法薬で、顔を焼かれ、長期に渡ってジュクジュクと皮膚を焦がしつづけられていた侍女・サマンサの容態が快方へと向かっている。
 この城に仕える魔導士たちが、あらゆる知識、そして治癒の気を送り込んでも回復の兆しはみせなかったが、フランシスが一時退却を表明して以来、彼女は回復に向かっていると……
 だが、カールもダリオも、本当にフランシスがこのアドリアナ王国とジョセフ王子に一片の興味も湧かなくなったというわけではないことは理解していた。今はしばし、息を潜めているが、いつあいつはまたこの王国に害なすためにやってくるともしれない。
 
 大きすぎる不安の種を抱え、ともに空を見上げる彼らの間を、一筋の風が吹き抜けていった。
 その風は、彼らに今は亡き大切な存在を強く感じさせずにはいられなかった。
「アーロン・リー・オスティーンが、アンバーの死を知らされて以来、体調を崩し、臥せっていると聞いたんだが……」
 カールの言葉にダリオが「ああ」と頷いた。
 アンバーの父であり、王の長年の側近の1人でもある、アーロン・リー・オスティーンの姿を今は城内で見かけることはなかった。
「……たった1人の肉親である娘を亡くして、その遺体すらも……」
 言葉を詰まらせたダリオは、哀し気に目を伏せた。
 まだ、子を持つ親になったことなどないカールとダリオであるが、肉親を、それも自分より長く生きるはずであった子を亡くすというやりきれない悲しみを思った。

「ジョセフ王子もほんのわずかな間にゲッソリとお痩せになられたな……お強い方だから、今はなんとか政務はこなしているみたいだが」
 ダリオが言う。
 ジョセフも、アンバーを亡くした悲しみを抱えて、流れる時の中で懸命に生きようとしていた。そして、流れる時は1つの時代を作っていくはずだ。ジョセフが王として、即位する時代がやってくる。

 黙り込んだ彼らの間を、またしても風が吹き抜けた。その風の冷たさに、彼らは志半ばで無惨に殺されたアンバーの無念さを思った。

 ダリオが身じろぎをした時、彼の足元にあった水たまりが少しはねた。
 ダリオもカールも、氷が完全に溶け、自分たちの顔をぼんやりと映しているその水たまりに視線を落とした。
「……俺たち、本当にいろいろとよく似ているな」
「まあ、そうだな。同い年で、ともに商家の次男坊、身長もほぼ同じで、おまけに親類でもないのに、これほど顔が似てるとは……最初、あのレイナも俺たちのどっちがどっちだか、迷ってたみたいだし」
 ダリオの言葉に、カールがクスッと思い出し笑いをした。
「レイナもあいつらも、今ごろ、何をしているんだろうな?」
「2人の男を探し出す期限は1か月だ。1か月後に、俺たちがレイナたちの気を探し出し、迎えに行くことになっているが、なんとももどかしいな。俺たちも体が2つあるなら、一緒に2人の男を探し出したいぐらいだ」

「なあ、ダリオ……お前、あのアポストルからの手紙に触れた時、何か思うことあったんじゃないのか?」
 カールが言う。
 あの時、彼らはともにハッとして顔を見合わせた。ということは、カールも同じく何か思うことがあったのである。
「ああ、何だか、あの手紙に触れた時、言いようのない悲しみが流れ込んできたんだ。アンバーを失ったジョセフ王子の悲しみが手紙にまで伝わって、流れ込んできたのかとも思った。でも、あれはおそらくあの手紙を書いた者の思いだ」
「俺も同じだ。でも、あの手紙、おかしな感じしないか。なんだか、カッコつけて書こうとしてカッコつけきれていないというか……」
「……確かにそれは俺も思った。単に文才の問題かとも思ったけれど、もしかしたら、あの手紙を書いた者も”全ては紡がれている”なんて書いていたけど、本当は手探りで、あいつらに指示を出しているような気もしないでもない……」

 今の話は、彼ら2人だけの間で交わされた話であった。だが、なかなかにあの手紙を少年・ゲイブに託した者についての鋭い考察でもあった。
 このアドリアナ王国に、少年の頃より仕え、修行を積み、そしてこれからも並んで時を刻んでいく2人の男性魔導士。
 生まれ持った力はほぼ同等、ともに橙がかった黒髪をし、美しさよりも賢さが勝っている顔立ちをしている彼らは、ともに遥か空の彼方を見た。
 ここより北に位置する、レイナと3人の青年がいるはずのリネットの町の空へと思いをはせた。


 リネットの町。
 西へと傾き始めた太陽は依然として、眩しく輝いていたが、雲の色はどんよりと灰色に濁っていた。段々と空の顔色は悪くなっていく……
 顔を不格好に布で隠したまま、この空を見上げるレイナも、もうじき雪ではなく、雨が降ることを予測していた。
 ルーク、ディラン、トレヴァーも「ヤバいな」「明日の出発伸びるかもね」「いや、それほどの雨にはならない気が」と口ぐちに言っていた。
「早いとこ、今夜の宿に行こうぜ!」と、先陣きって歩くルーク。
 そして、その彼の後ろに続く、レイナ、ディラン、トレヴァーであったが、ディランがトレヴァーに小さな声で言った。
「……トレヴァー、朝からずっと俺たちの後を付けてきている奴がいるね」
 トレヴァーが眉を寄せて、ディランに頷いた。
「やっぱり、お前も気づいていたか。ルークはあんまり気にしちゃいないみたいだけど、何なんだろうな、あいつ? 単に同じ方向に用があるだけならいいんだが……」

 自分たちを付けてきている者がいる。
 この事実に全く気付かなかったレイナの背筋に冷たいものが走った。
――まさか、フランシスの仲間が……!
 レイナがビクリと震えたのを見たディランとトレヴァーが、慌てたように言う。
「いや、あの魔導士の仲間とかじゃないと思うよ。目が尋常じゃないぐらい泳いでいるし、単なる挙動不審な人物なだけの気がする」
「うん、そうだな。単にレイナに一目惚れして、なかなか声をかけられないだけかもしれないしさ。それに、吹けば飛んでいきそうな感じの奴だから……」
 この筋肉ムキムキのトレヴァー相手なら、世の大多数の人間は吹き飛んでいくと思うのだが、どうやら追跡者はそれほど危険な感じを醸し出している人物ではないらしかった。
「あいつだよ」と、ディランとトレヴァーは、背後からの追跡者に気づかれないように、自然な感じで顎をしゃくった。
 ここもレイナは空気を読み、ごく自然な感じで追跡者にさりげなく視線をやろうとした。

「……あの人……!」
 レイナは、追跡者に見覚えがあった。
 先の宿で、自分の隣の部屋に泊まっていた青年であった。
 顔の上半分をウェーブのかかった黒曜石のような黒髪で隠し、顔立ちや表情すらはっきりとしなかったあの青年。
 青年はレイナと視線が交わると、慌てて――口には出さないものの”ひゃあっ!”といった感じで近くの建物の影に身を隠した。こうして遠くから見ると、青年はわりと上背もあったが、もやしのようにひょろひょろとした体躯であった。
 人に害を与えるような者にはレイナにも見えなかったが、極めて挙動不審で怪しい人物であることには間違いなかった。
――確かに、フランシスの仲間とはとても思えない態度だわ。私たちに何か言いたいことがあるのかしら、それともトレヴァーさんが言う通り、単に”マリア王女”に一目惚れしたのかしら……? 美人に生まれることって、やっぱりこういった危険もあるのね。

 不審な青年に戸惑うしかないものの、実際に危害などは何一つ加えられていないため、どうすることもできない。
 視線を前に向け直したレイナは、その先から歩いてくる1人の少女に目を留めた。

 果物を入れた籠を手に持ち、胡桃色のやわらかそうな髪を二つ結びのおさげにし、ぱっちりとした胡桃色の大きな瞳が印象的な1人の少女。
 その少女をレイナは、いやレイナ”たち”はしっかりと覚えていた。
 それは、こちらへと歩いてくる少女も同じであったらしい。レイナたちを目に留めた少女は、ハッとして立ち止まった。

「あ、あら……? お嬢様? いえ、マリア王女? それにルークさんたちも……」
 アドリアナ王国、最北のデブラの町の宿で出会った、あの愛らしい少女・ジェニーであった。
 あの束の間の安らぎを与えてくれた、あのジェニーが自分の目の前にいる。レイナは、彼女ともう一度どこかで会えるような気がしていたが、本当にこうして出会えたことに驚きとそれ以上のうれしさ、そして疑問が湧き上がってきた。
――本当にあのジェニーさんだわ……とても、うれしい。でも、どうしてジェニーさんがこの町にいるのかしら? あのデブラの町の宿の女将さんとは母娘というわけではなさそうだったけど……まさか、あの宿がつぶれてしまって、ここに……

 自分の存在がもたらした、フランシスの突然の襲撃により、あの宿がつぶれてしまったのでは、とレイナは思った。
「ジェニー? お前、何でこのリネットの町にいるんだ?」
 レイナが不安と疑問を口に出すよりも先に、ルークが彼女にストレートに聞いていた。
「女将さんが暇を出してくれたんですよ。いろいろありましたし、いつもの冬より早く家に戻ってもいいって」
「え? お前、ずっとあの宿で働いていたんじゃねえの?」
「いいえ、冬の間だけですよ。春から秋までは、アレクシスの町でおじいちゃんと暮らして、いろんな食料品のお店を手伝ったりしてますから」
 ジェニーはにっこりと微笑んだ。
 冬の間だけデブラの町の宿の手伝いをしている少女。その少女の家への帰路の途中で偶然に出会ったという次第であったのだ。

「あの……ルークさんたちも、どうしてこの町に? 確か、あの後、お嬢様も一緒にアリスの町のお城へと行かれたんだと思っていたんですけど……」
 ジェニーが可愛らしく小首をかしげた。
「ま、話すと長くなるんだけど、いろいろあってさ……今は人探ししてんだよ」
 ルークがふーっと溜息をついた。彼の隣のディランがハッとした。
「そうだ! ジェニー、君、確かいろんな旅の人を見ているんだっけ。ヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョーとアダム・ポール・タウンゼントって男について、何か知っていることはない?」
 ディランの言葉に、レイナもハッとした。
 確か、このジェニーは宿で働きながら数多くの人の出入りを見てきたらしい。それに伴い、大抵の人の職業も当てることができるようになったと彼女自身が話していたことを思い出した。

 ジェニーはやや怪訝な顔をしながらも、答える。
「ヴィンセントなんとかさんって人には心当たりはありません。でも、アダム・ポール・タウンゼントは私のおじいちゃんの名前です。皆さんが探されているのが、同姓同名の別人じゃなければの話ですけど」
「!!!」
 
 レイナは、もう1つジェニーが話していたことを思い出した。確か、ジェニーの祖父は元・魔導士であったと。
 レイナだけでなく、ルーク、ディラン、トレヴァーの顔も輝いていく。
「それは本当か!?」
 ルークの興奮したその声に、ジェニーは頬をやや膨らませながら答える。
「本当です。私の名前はジェニー・ルー・タウンゼントです。それに、嘘を言う理由なんてありませんし」
「いや、すまん。そういう意味で言ったんじゃなくて……」
 言葉のチョイスを間違えたことで、ややしどろもどろとなったルークの両肩に、トレヴァーが後ろから手を置いて言った。
「ジェニー、今、おじいさんの居場所は分かる?」
「もちろんですよ。たった2人の家族ですから。でも……お嬢様や皆さんを信用していないというわけではないんですけど、私のおじいちゃんを探している理由って、一体何なのですか? そもそも、おじいちゃんは、もうとっくに十数年以上前に魔導士はやめているんですけど……」

 ジェニーのその最もな質問には、レイナたちは彼女にとってもこのリネットの町での最後となる夕食をおごり、今までの全ての経緯を説明しつつ答えることにした。
 霧に包まれている海を当てもなく進んでいくような、このもどかしい旅路に噂や伝聞などではない、確証のある1つの手掛かりをやっとつかむことができた。
 この思わぬ再会がもたらした確かな道標を。
 アダム・ポール・タウンゼントの孫娘であるジェニーも含め、誰1人として魔導士としての力を持って生まれたものはいないため、当初の予定どおり自分たちの足で地道にアレクシスの町まで行くしかないけれども。
 だが、少年・ゲイブが持ってきた手紙に書かれていた通り、南へと下ったことで1人の尋ね人には辿り着くことができる展開へと変わってきたのだ。
  

「戸締り良しっと」
 ジェニーの声に、レイナも自分たちが泊まっているこの宿の2階にある部屋の窓の鍵がしっかりとかけられていることを確認した。
 ゆったりとした寝間着に着替え、ポンポンとベットの上の毛布を整えているジェニーの横顔――化粧は全くしていないのに、ほんのりピンク色に色づいている頬や上に向かってクリンとしている濃い睫毛を見たレイナは思う。
――やっぱり、可愛い子だなあ。西洋人系と日本人って違いはあるけど、どことなく川野さんに似ている気がする。川野さんよりも、おしゃべりでオーバーリアクションな感じはするけど、一緒にいて何だか明るい気持ちになれるわ。

 当たり前であるが、ここ数日、ルークたちとは別の部屋にレイナは1人で泊まっていた。だが、今夜は同じ年頃の少女であるジェニーと同じ部屋で寝るのだ。1人ではない。それに、自分たちの後を付けてきていたかもしれない、あの不審な青年はこの宿の中には入って来なかったようであった。
 ジェニーとの再会に感謝すると同時に、レイナは元の世界のことをより強く、思い出さずにはいられなかった。
 大切な家族たち、そして入学早々、クラスメイトたちの輪を乱すがごとく塞ぎこんでいた自分にくったくない笑顔で話かけてくれた川野留美のことを。
――私がこの世界に来てからもう1か月以上は経っているわ……元の世界でも同じスピードで時が流れているんだとしたら……今頃、きっと皆、球技大会だろうな……
 レイナの鼻奥がツンとし始めた。
――私は皆にとって、何一つ親孝行もできずに死んだ娘や妹。そして入学して、間もないころに死んだただの元・クラスメイトにしか過ぎないのよ。お父さんやお母さん、お兄ちゃんは私のことを覚えていてくれると思うわ。でも、皆は私のことを忘れて、大人になって……
 例え、あの日のあの時間に自分が暴走車に轢かれて死ぬことが避けられない運命であったとしても、それまでの時間を大切にしていたら、もっと川野留美含むクラスメイトたちに心を開いていたら、と。

「お嬢様……?」
 ジェニーは、青く美しい瞳からポロリと涙を流したレイナを心配そうに見つめていた。
 レイナはなんでもないという風に、彼女に向かって首を振った。
――泣いてちゃいけないと思っても泣いてしまうな。でも、今の自分に出来ることをするんだ、それが私自身の魂を確立させ、そしてアンバーさんに対するほんの少しの餞になるのかもしれない……
 キュッと涙をぬぐったレイナは、ジェニーに向かって言う。
「あの、ジェニーさん。私のことはレイナでいいですよ。夕食の時にお話しした通り、この肉体はマリア王女ですけど、中にいる私の魂は平民ですし、ジェニーさんとはちょうど同い年ですから」
 レイナの言葉に、ジェニーが人懐っこい笑顔を見せた。
「……じゃあ、レイナ。私のこともジェニーって呼んで。それと、互いにもう敬語は使いっこなしってことでいい?」
 レイナもジェニーに笑顔を返し、頷いた。
 この世界でできた初めての女の子の友達とも言える存在。それは純粋にうれしいことであった。

 窓の外の闇が濃くなっていくとともに、レイナと隣り合うベッドで、規則正しい寝息を立てて眠っているジェニーの愛らしい寝顔も闇に包まれていき始めていた。
 レイナとジェニーの枕元のちょうど中間に位置する小さなテーブルの上に置かれている蝋燭だけが、この部屋にある唯一の光であった。だが、朝に目を覚ました時、この蝋燭の炎はとうに消え、その代わりに朝日がこの部屋の中に差し込んできているのだろう。
 寝返りを打ったレイナは考える。
――明日からアレクシスの町へ行くのね。この世界で、私が歩く5番目の町へと。ジェニーのおじいさんの居場所はつかめた。でも、もう1人の……神出鬼没で超美形のプレイボーイと噂のスクリムジョーさんは一体、どこにいるんだろう? こうして、ただ受け身のまま、巡り合うことを願っているだけでは、現状は何も変わらないことは分かっているわ。でも、こうして本物の彼に会うことを求め、願わずにはいられない……
 再び、寝返りを打ったレイナは、カチリという音に、ハッとした。
 
 おかしな音。
 それはこの部屋の中より、発せられた音であった。そうっとベッドより上体を起こしたレイナは、まだ赤々と燃えている蝋燭へと音を立てないように手を伸ばした。
――何? 今の音は絶対に空耳なんかじゃ……!
 震える手が持つ、蝋燭の炎もレイナの視界の中で揺れて始めた。音の発生源らしき方向に蝋燭をすっとかざしたレイナは、信じられない光景を見た。
「!!」
 カチリ、カチリ、と音を立て、窓の鍵が開き始めているのだ。
 この部屋にはレイナ、そしてレイナのすぐ隣のベッドで寝息を立てているジェニーしかいない。それにも関わらず、この部屋の中から窓の鍵が開き始めている。透明人間か、あるいは魔術を使える者がかたく閉ざされていた窓を解き放つがごとく――

 蝋燭を持ったまま、レイナはベッドの上で後ずさった。
 そのうえ――
「!!!」
 レイナの瞳が映し出したのは、さらに彼女を恐怖の底へと突き落すような光景であった。
 勝手に開き始めている窓の外に、大きな影がバッと映ったのだ。
 それはかたく引き締まった輪郭を持つ、明らかに男の影であった。男は窓にそっと手をかけた。
 レイナとジェニーの2人だけしかいないこの部屋へと、何者とも知れない男が今にも侵入しようとしているのだ――
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