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シェヘラザードとスネークステップ
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バスケをするために入った大学のバスケ部を辞めた二十二日後で、蛇兄さんに出逢った日の少し前のその日、俺は代々木体育館のスタンド席からコートを見下ろし、あっち側から見上げる景色を夢想した。
バイト先の先輩の友達のお父さんが来るはずだったプロ対大学生の親善試合。会ったこともないその人が「仕事で行けなくなったから、誰かバスケが好きな子にあげて」と明け渡した席は、どういう訳か、バスケと縁もゆかりもない先輩を経由し、先輩の中で「バスケといえば」という位置付けの俺の元に辿り着いたのだ。先輩の好意はありがたく受け取ることができたけど、「折角」という言葉に踊らされ、ホイホイとやってきた自分は憎む。
ベンチの端に座っている遠藤は、俺と同い年、別の大学ではあったけど、同学年だった。中学までは全くの無名で、高校で頭角を表し、今はベンチから人間の粒の集合体を見上げる立場。それを見下ろしている俺はというと、中学までは知る人ぞ知る位には有名で、高校にはスカウトされる形で入学して埋もれ、今や何千かの粒の一つと化している。
空席のほとんどない客席はきっと「バスケが好き」と認定された老若男女の集まりだ。そう認識した途端、うなじの辺りに視線を感じ、首を動かすことができなくなった。もう二度と会うこともないだろうと思っていた、左隣のプロ彼女志望みたいな女の子たち、右隣りのカップル、斜め後ろの夫婦、プロチームのオフィシャルTシャツを着た同世代の野郎二人組。全員が俺のことを知っている気がする。ミニバスの頃に取材されて小さく載った雑誌、全国大会をかけた試合のパンフレット、その界隈では有名な高校のバスケ部に入学した記録。そのどれかを見たことがあるかもしれない。そして、ライトが照らすコートの端、ベンチに座る遠藤選手と俺が同学年だと気がつくと、今日光の当たる場所に居る其奴と、俺の過去の栄光を、声を潜めて対比する。
そんな卑屈な妄想ばかりが膨らんでしょうがない。でもそんなことはお構いなしに、この試合は事前の予想を大きく裏切り接戦となっていた。コートを見つめたまま動かせないでいる視線の中を、群衆の熱気が右往左往している。試合展開に合わせるように、一体となった歓声が足元から響く。かつてのコロッセオもきっと、こんな様子で狂喜が渦巻いていたに違いない。
攻防が繰り返される度に群衆は暗黙のルールでコールする。会場のボルテージは可視化され、血肉沸き立つようなリズムに身体の芯が疼く。だからこれは、人間たちを戦わせ、それを観戦するコロッセオ。または、観戦のようなものではなく、神を崇める祭りというか、盲信者たちの狂信祭といった類のものかもしれない。誰かの号令があるわけでもないのに、皆が同じ言葉を叫ぶ様は、狂信者のそれなのだ。
自分のプレーに対する歓声を浴びつつ、それがベールの向こう側の様に感じる。そんな、試合中の感覚が蘇った。そして俺は性懲りも無く、またあっち側からの視点を夢想するに至り、ほんの少しだけ、神の気分を味わう。
コートを凝視したまま息を潜ませている俺は、相変わらずそんな妄想に耽ったままで、この近年稀に見る好戦を、全く楽しむことが出来ずに終わった。
試合が終わっても俯いたまま、体育館から吐き出される有象無象にそそくさと混じる。誰とも目を合わさない様に落とした視線は、急な傾斜の階段を登る時に役に立ち、その後の緩やかなスロープを牛歩する人たちの足を踏まないためにも役に立った。
原宿駅の混雑予想を告げるアナウンスと、渋谷駅への誘導が、体育館の出入り口で交差する。係の人が掲げたプラカードを確認するために顔を上げると、紺色の空の下、渋谷のビル群が黄色く縁取られていた。
渋谷駅を目指したのは、あの有象無象の中で、少しでも違う存在でいたかったからだと思う。少し余白の出来たその道を先陣たちに続いて進むと、一際目に付くカフェの黄色い看板の奥に、辺りで一番黄色いCDショップの看板が見える。それらを横目にして進む行進の最中、前後左右から今日の好戦についての感想が聴こえてきた。正面には重機を従えた不思議な形の新しいビル、それから、少し傾いた黄色い月が並んでいる。まるで黄色いものを目指して進む行列みたいだ。そしてそれは、盲信者たちの行進にもよく似ていたはずだ。試合終了後、すぐに出来た人の流れ、そこから派生したこの列に並んでいるのは、皆一様に「こちら側」なのだと思い知る。
遠藤は一度も使われず、ベンチに座ったままで試合は終わった。歴史に残る好戦と云われるであろう試合。ユニフォームを着てベンチに座って居たにもかかわらず、今回の好戦が語られる時、きっとその名前が挙がることはない。
それでも、遠藤は今この時もまだ代々木体育館の中に居るし、それに「遠藤」は、きっと俺の名前を知らない。
俺が今日のコート上に居たかもしれない未来は、ずっと前に潰えていて、どうしたって俺はこちら側で、遠藤があっち側なのだ。
人生の何処かで陽の目をみる運命だったのならば、子供の頃なんかじゃなくて、今が良かった。
代々木体育館から吐き出された人たちに、ビルから吐き出されたバスケに無関係の人々が混じりだす。目的地をスクランブル交差点に変更した行列に嫌気がさした俺は、遠回りをするために、地下鉄のホームを目指して地下に潜った。
バイト先の先輩の友達のお父さんが来るはずだったプロ対大学生の親善試合。会ったこともないその人が「仕事で行けなくなったから、誰かバスケが好きな子にあげて」と明け渡した席は、どういう訳か、バスケと縁もゆかりもない先輩を経由し、先輩の中で「バスケといえば」という位置付けの俺の元に辿り着いたのだ。先輩の好意はありがたく受け取ることができたけど、「折角」という言葉に踊らされ、ホイホイとやってきた自分は憎む。
ベンチの端に座っている遠藤は、俺と同い年、別の大学ではあったけど、同学年だった。中学までは全くの無名で、高校で頭角を表し、今はベンチから人間の粒の集合体を見上げる立場。それを見下ろしている俺はというと、中学までは知る人ぞ知る位には有名で、高校にはスカウトされる形で入学して埋もれ、今や何千かの粒の一つと化している。
空席のほとんどない客席はきっと「バスケが好き」と認定された老若男女の集まりだ。そう認識した途端、うなじの辺りに視線を感じ、首を動かすことができなくなった。もう二度と会うこともないだろうと思っていた、左隣のプロ彼女志望みたいな女の子たち、右隣りのカップル、斜め後ろの夫婦、プロチームのオフィシャルTシャツを着た同世代の野郎二人組。全員が俺のことを知っている気がする。ミニバスの頃に取材されて小さく載った雑誌、全国大会をかけた試合のパンフレット、その界隈では有名な高校のバスケ部に入学した記録。そのどれかを見たことがあるかもしれない。そして、ライトが照らすコートの端、ベンチに座る遠藤選手と俺が同学年だと気がつくと、今日光の当たる場所に居る其奴と、俺の過去の栄光を、声を潜めて対比する。
そんな卑屈な妄想ばかりが膨らんでしょうがない。でもそんなことはお構いなしに、この試合は事前の予想を大きく裏切り接戦となっていた。コートを見つめたまま動かせないでいる視線の中を、群衆の熱気が右往左往している。試合展開に合わせるように、一体となった歓声が足元から響く。かつてのコロッセオもきっと、こんな様子で狂喜が渦巻いていたに違いない。
攻防が繰り返される度に群衆は暗黙のルールでコールする。会場のボルテージは可視化され、血肉沸き立つようなリズムに身体の芯が疼く。だからこれは、人間たちを戦わせ、それを観戦するコロッセオ。または、観戦のようなものではなく、神を崇める祭りというか、盲信者たちの狂信祭といった類のものかもしれない。誰かの号令があるわけでもないのに、皆が同じ言葉を叫ぶ様は、狂信者のそれなのだ。
自分のプレーに対する歓声を浴びつつ、それがベールの向こう側の様に感じる。そんな、試合中の感覚が蘇った。そして俺は性懲りも無く、またあっち側からの視点を夢想するに至り、ほんの少しだけ、神の気分を味わう。
コートを凝視したまま息を潜ませている俺は、相変わらずそんな妄想に耽ったままで、この近年稀に見る好戦を、全く楽しむことが出来ずに終わった。
試合が終わっても俯いたまま、体育館から吐き出される有象無象にそそくさと混じる。誰とも目を合わさない様に落とした視線は、急な傾斜の階段を登る時に役に立ち、その後の緩やかなスロープを牛歩する人たちの足を踏まないためにも役に立った。
原宿駅の混雑予想を告げるアナウンスと、渋谷駅への誘導が、体育館の出入り口で交差する。係の人が掲げたプラカードを確認するために顔を上げると、紺色の空の下、渋谷のビル群が黄色く縁取られていた。
渋谷駅を目指したのは、あの有象無象の中で、少しでも違う存在でいたかったからだと思う。少し余白の出来たその道を先陣たちに続いて進むと、一際目に付くカフェの黄色い看板の奥に、辺りで一番黄色いCDショップの看板が見える。それらを横目にして進む行進の最中、前後左右から今日の好戦についての感想が聴こえてきた。正面には重機を従えた不思議な形の新しいビル、それから、少し傾いた黄色い月が並んでいる。まるで黄色いものを目指して進む行列みたいだ。そしてそれは、盲信者たちの行進にもよく似ていたはずだ。試合終了後、すぐに出来た人の流れ、そこから派生したこの列に並んでいるのは、皆一様に「こちら側」なのだと思い知る。
遠藤は一度も使われず、ベンチに座ったままで試合は終わった。歴史に残る好戦と云われるであろう試合。ユニフォームを着てベンチに座って居たにもかかわらず、今回の好戦が語られる時、きっとその名前が挙がることはない。
それでも、遠藤は今この時もまだ代々木体育館の中に居るし、それに「遠藤」は、きっと俺の名前を知らない。
俺が今日のコート上に居たかもしれない未来は、ずっと前に潰えていて、どうしたって俺はこちら側で、遠藤があっち側なのだ。
人生の何処かで陽の目をみる運命だったのならば、子供の頃なんかじゃなくて、今が良かった。
代々木体育館から吐き出された人たちに、ビルから吐き出されたバスケに無関係の人々が混じりだす。目的地をスクランブル交差点に変更した行列に嫌気がさした俺は、遠回りをするために、地下鉄のホームを目指して地下に潜った。
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