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〈3〉
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夕方家に帰ると、彼女は相変わらず窓の方を向いて座っていた。
微動だにせず、彼女は窓の向こうを眺めている。
「新菜」
呼びかけても、やはり応答はない。
「なぁ、新菜……君はあの後輩が好きなのか」
だからここからその方角を見つめているのか──。
新菜はやはり何も言わなかった。
そしてそのまま、時間切れだというように体が透けていった。
室内が一気に暗くなった気がした。
夜、寝つけない僕は布団の中でじっと天井を見ていた。
木の模様が不気味だと、彼女はよくぼやいていた。
そんなことを考えていたら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。時計の短針は三時を指し、まだ夜は更けていなかった。
まだ寝れる、と目を閉じた。
そんな時、ふっと頬になにかが当たる感触がした。
パチリと目を開けると、そこには何も無かった。
正直彼女の顔が目の前にでもあるものかと思ったが、そんなことはなかった。
ただ、感触がした頬の方を振り返ると、そこには見慣れない物が落ちていた。
電気をつけ、それを拾う。
淡い朱色をした手帳のようだ。
体を起こしパラパラめくると、あまり綺麗ではない字が羅列する日記だった。
それは、彼女のものだった。
遺品分けのときにも出てこなかった、彼女の日記帳だ。
なぜ今現れたのか、という疑問より先に、手がページをめくっていた。
日記は毎日つけているわけではないようだった。
「今日は智哉と水族館に行った」
という記載とともに、可愛らしいイルカのイラストが添えられていたり、
「智哉浮気疑惑」
など身に覚えのないものや、
「智哉の誕生日。サプライズでクラッカー鳴らしたら腰抜かしてた。来年からはやめておく」
というように、短い内容しか書かれていなかった。
「癌だって。信じられる?」
秋も終わる十一月。
そのページで、無意識に手が止まった。
「たしかに最近ダルいとか、痛いはあったけど癌ってなんだろ。ていうか癌って書きづらい。ガンってかく」
彼女らしい記述に、思わず微笑する。
「智哉がずっとお金出してる。私もうすぐ死ぬのに」
気にしなくていいってあれほど言ったのに。
「死んでいく人間にこれからのお金を使ってどうするんだか」
仕方ないだろ、考えていなかったんだから。君がいない未来なんて、想像できなかったんだから。
「早くいい人が現れればいい」
そんな人、君以外にはまだ出会えていないな。
「そしたらあいつは悲しい思いをしないですんだのに」
本当に君は僕のことばかりだな。
「今日吐血した。多分、智哉に見られた。見せないようにしてたのに油断した」
ピタリと、手が止まった。
見せないようにしていた?
心配かけまいと、僕の前では元気そうに振舞っていたとでもいうのか。
あんな、あんなに頬が痩けて血色もなくなって、どんどん肉がなくなっていく状態以上の症状は隠していたというのか。
次のページをめくる。
自分の意思に反して手が震えて、思うように動かない。
「智哉がケーキやらなんやら買ってくるようになった。だから、私食欲ないんだって。智哉が余計落ち込むことになるから、持ってこないでほしいって。そんなこと言ったら、相当具合悪いのバレちゃうか」
「智哉がずっと私のために散財する。全部無駄になるのに。なんかもうつらい。智哉もつらいし、私もつらい」
初めて、彼女の本音が聞けた気がした。
「後輩が会いに来た。告白された。びっくりした」
手がまた止まった。
見なきゃよかった、と後悔しつつ、おそるおそる下の行に視線を移していく。
「後輩はかわいいしイケメンだけど、結婚するなら智哉しかいないって、後輩に言っちゃった。なんか、私もたいがい馬鹿なんだなって思う。結婚するなら、とか、まだ普通に考えてたよ」
彼女が照れくさそうに笑う姿が脳裏に浮かぶ。
「結婚とか無理だろうなって分かってるけど、智哉がいつも何か言いたげに足を動かしてるから……もしかしてって思う。思うけど、できるなら最期まで言わないでほしい。私嬉しくて、きっと泣くな」
つう、と頬にぬるい涙が線をかいていく。
「智哉にぎゅってされた。久しぶりだったけど、やっぱり智哉のうでの中はすきだった」
きゅっと胸の辺りが痛くなり、息が詰まる。
そっとページをめくろうとすると、そのページはカサっとしていた。
「智哉が、結婚してくれっていってきた」
ああ、あの日だ。
智哉は涙を拭いながら、滲む文字を必死に目でたどっていく。
「プロポーズされて、嬉しかった自分に怒りが湧いた。もうあとどれくらい生きれるか分からない私が、この人に×の烙印を押しちゃいけない。だけど、断ろうって顔上げたけど、智哉の目はいつになく真剣で、声が出なくなった」
この日の日記は、他の日記よりも明らかに長かった。
他の文は一行や二行、多くて五行くらいだった。
だけどこの日は、一ページ丸々と次のページにまで文が続いていた。
「考えさせてって、言おうかとも思った。だけど声に出たのは『はい』だった。いや、『うん』だったかな。あんまり記憶に残ってない。なんか、するって出ちゃった返事だったから」
彼女はあの日「はい」と言って目に涙を溜めて、ぽろりと溢れさせてから「うん」と言った。
なんとなく、断られる気がしていたのだ。
しかし彼女の返事は肯定のものだったから、その時思わず僕も泣いた。
「そしたら、智哉も泣き出すからこっちは笑った。人生一番幸せな時って、多分その時のことだったと思う。私、プロポーズされたら断る気だったのに。智哉め。なかなかやりおる」
照れ隠しなのか、ギャグ風の口調に笑みがこぼれる。
「その後はお医者さんも看護師さんも『おめでとうございます』のオンパレード。もー恥ずかしいったら。でもやっぱり嬉しくて、死にたくないなって思った」
──死にたくないなって思った。
彼女の、何気なく書かれたこの言葉に、涙が溢れて止まらなくなってしまった。
「……新菜」
呼んでも、彼女は返事をしない。
「新菜」
嗚咽混じりの声が部屋に虚しく響き、冷たい吐息が漏れるだけの音しか後に残らない。
「だけど」
彼女の文には続きがあった。
ただ顔がくしゃくしゃで、字が読み取れそうになかった。
近くにあったティッシュを箱から何枚か取り出し、勢いよく鼻をかむ。
ぐすぐすとなる鼻を啜りながら、何気なく写真へ視線を移した。コルクボードに貼られた写真に歩み寄り、そっとそれらを裏返した。
特に、意味などなかった。
ただ手が自然と動いたのだ。
写真の裏には、見覚えのない文が書かれていた。
「水族館記念」
「遊園地記念」
「高級ディナー記念」
そう書かれた文字は、間違いなく日記の主のものだった。
「イルカと触れ合えた。智哉、最後まで手をプルプルさせながら頑張って触ってた。赤ちゃん初めて抱っこする時もこうなる気がする」
「ジェットコースター苦手なの、克服してよね。私、一人で乗りたくなんかないんだから。そのためだったら何回でも付き合ってあげますよ?」
「智哉、最後の方かなり無理して食べてたでしょ。今度から限界近くなる前に私にちょーだい」
気がつかなかった。
どれもこれも、全部僕宛てのメッセージだ。
彼女は僕の隙を見計らってサプライズを仕掛けていた。
「時間差サプライズ……に、なっちゃったな」
自然と、頬が緩んだ。
手元の日記帳をまためくる。
「だけど、私は絶対長く生きれない。どうにか頑張ったら生きれる類のものでもないだろうし。奇跡を願うしかないな。どうか一日でも永く、智哉の傍にいれますように!そして智哉が、いつか私のこと忘れて、前、向いてくれたらいいな」
いつか私のことを忘れて、という文がカサカサとしていた。その部分だけ文字の色が異なり、じんわり滲んでいる。
「どうしよ。プロポーズされてから時間が経ってくうちに、どんどん恐くなる。死ぬこともそうだけど、死んでから私、忘れられるっていうのが、どうしようもなく嫌だ。矛盾してるけど、本心だけを書くことにしてるから一応書いておく」
ツキン、と胸に針が何本も刺さったように鈍く痛む。
「今日、やばい。死ぬかもしれない。えっと、なに、なにかこう。ともちか、くるしい、ともちか、ともちか」
新菜の、彼女の容態が悪化した日だった。
彼女の日記には吐血したらしい跡があった。
「今日はだいぶ落ち着いた。でも多分、これが嵐の前の静けさってやつなのかな。きっともう、私の体は限界。この日記、読まれるのかな。私これに智哉の悪口も結構書いてるけど。まあ、智哉の方から『これはごめん』って言うかな。見たかったな。見れるかな。天国って場所に行って、智哉のこと見れるかな。あ、でも、智哉が新しい彼女つくったら雷落とすかも」
落としてくれていいよ。構わない。それで君がいるって分かるなら構わない。
手に力がこもり、紙の端っこがくしゃりと歪んでしまった。あわててシワを伸ばし、ページをめくる。
「雷は冗談だけど、智哉が、私が居なくなっても笑っていて欲しいとは思う。でも私が居なくて笑っているのも嫌だ。矛盾した気持ちは今日もなくならないようです」
笑えてないよ。
今君が、僕の元から居なくなってから、僕はまともに笑った記憶がないよ。君が生きていなきゃ、僕は生きている意味さえわからなくなってしまってるよ。
「あ、ホントに終わりがくるかも。なんか、直感だけど。どうしよ、とりあえずかけることだけ書いておく。智哉、私は死ぬまで、いや、生まれ変わるまで、ううん、きっと生まれ変わっても智哉が好き。大好き。愛してる。結婚式挙げられなくてごめん。婚姻届、出してよかったの?出してからまだ二週間経ってないけど。ね、智哉。智哉はまだ生きてるから、きっと良いことある。生きていれば人生山あり谷あり、って言うじゃん。今、谷でも二年後は山かもよ?だから、ちゃんと、ちゃんと幸せに」
文は、そこで途切れていた。
くしゃりと曲がった跡と「幸せに」の「に」が、長い跡を残していたから、書けなくなったのは明白だった。
その日は記されていた日記の一番最新のもので、日付は彼女の命日だった。
微動だにせず、彼女は窓の向こうを眺めている。
「新菜」
呼びかけても、やはり応答はない。
「なぁ、新菜……君はあの後輩が好きなのか」
だからここからその方角を見つめているのか──。
新菜はやはり何も言わなかった。
そしてそのまま、時間切れだというように体が透けていった。
室内が一気に暗くなった気がした。
夜、寝つけない僕は布団の中でじっと天井を見ていた。
木の模様が不気味だと、彼女はよくぼやいていた。
そんなことを考えていたら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。時計の短針は三時を指し、まだ夜は更けていなかった。
まだ寝れる、と目を閉じた。
そんな時、ふっと頬になにかが当たる感触がした。
パチリと目を開けると、そこには何も無かった。
正直彼女の顔が目の前にでもあるものかと思ったが、そんなことはなかった。
ただ、感触がした頬の方を振り返ると、そこには見慣れない物が落ちていた。
電気をつけ、それを拾う。
淡い朱色をした手帳のようだ。
体を起こしパラパラめくると、あまり綺麗ではない字が羅列する日記だった。
それは、彼女のものだった。
遺品分けのときにも出てこなかった、彼女の日記帳だ。
なぜ今現れたのか、という疑問より先に、手がページをめくっていた。
日記は毎日つけているわけではないようだった。
「今日は智哉と水族館に行った」
という記載とともに、可愛らしいイルカのイラストが添えられていたり、
「智哉浮気疑惑」
など身に覚えのないものや、
「智哉の誕生日。サプライズでクラッカー鳴らしたら腰抜かしてた。来年からはやめておく」
というように、短い内容しか書かれていなかった。
「癌だって。信じられる?」
秋も終わる十一月。
そのページで、無意識に手が止まった。
「たしかに最近ダルいとか、痛いはあったけど癌ってなんだろ。ていうか癌って書きづらい。ガンってかく」
彼女らしい記述に、思わず微笑する。
「智哉がずっとお金出してる。私もうすぐ死ぬのに」
気にしなくていいってあれほど言ったのに。
「死んでいく人間にこれからのお金を使ってどうするんだか」
仕方ないだろ、考えていなかったんだから。君がいない未来なんて、想像できなかったんだから。
「早くいい人が現れればいい」
そんな人、君以外にはまだ出会えていないな。
「そしたらあいつは悲しい思いをしないですんだのに」
本当に君は僕のことばかりだな。
「今日吐血した。多分、智哉に見られた。見せないようにしてたのに油断した」
ピタリと、手が止まった。
見せないようにしていた?
心配かけまいと、僕の前では元気そうに振舞っていたとでもいうのか。
あんな、あんなに頬が痩けて血色もなくなって、どんどん肉がなくなっていく状態以上の症状は隠していたというのか。
次のページをめくる。
自分の意思に反して手が震えて、思うように動かない。
「智哉がケーキやらなんやら買ってくるようになった。だから、私食欲ないんだって。智哉が余計落ち込むことになるから、持ってこないでほしいって。そんなこと言ったら、相当具合悪いのバレちゃうか」
「智哉がずっと私のために散財する。全部無駄になるのに。なんかもうつらい。智哉もつらいし、私もつらい」
初めて、彼女の本音が聞けた気がした。
「後輩が会いに来た。告白された。びっくりした」
手がまた止まった。
見なきゃよかった、と後悔しつつ、おそるおそる下の行に視線を移していく。
「後輩はかわいいしイケメンだけど、結婚するなら智哉しかいないって、後輩に言っちゃった。なんか、私もたいがい馬鹿なんだなって思う。結婚するなら、とか、まだ普通に考えてたよ」
彼女が照れくさそうに笑う姿が脳裏に浮かぶ。
「結婚とか無理だろうなって分かってるけど、智哉がいつも何か言いたげに足を動かしてるから……もしかしてって思う。思うけど、できるなら最期まで言わないでほしい。私嬉しくて、きっと泣くな」
つう、と頬にぬるい涙が線をかいていく。
「智哉にぎゅってされた。久しぶりだったけど、やっぱり智哉のうでの中はすきだった」
きゅっと胸の辺りが痛くなり、息が詰まる。
そっとページをめくろうとすると、そのページはカサっとしていた。
「智哉が、結婚してくれっていってきた」
ああ、あの日だ。
智哉は涙を拭いながら、滲む文字を必死に目でたどっていく。
「プロポーズされて、嬉しかった自分に怒りが湧いた。もうあとどれくらい生きれるか分からない私が、この人に×の烙印を押しちゃいけない。だけど、断ろうって顔上げたけど、智哉の目はいつになく真剣で、声が出なくなった」
この日の日記は、他の日記よりも明らかに長かった。
他の文は一行や二行、多くて五行くらいだった。
だけどこの日は、一ページ丸々と次のページにまで文が続いていた。
「考えさせてって、言おうかとも思った。だけど声に出たのは『はい』だった。いや、『うん』だったかな。あんまり記憶に残ってない。なんか、するって出ちゃった返事だったから」
彼女はあの日「はい」と言って目に涙を溜めて、ぽろりと溢れさせてから「うん」と言った。
なんとなく、断られる気がしていたのだ。
しかし彼女の返事は肯定のものだったから、その時思わず僕も泣いた。
「そしたら、智哉も泣き出すからこっちは笑った。人生一番幸せな時って、多分その時のことだったと思う。私、プロポーズされたら断る気だったのに。智哉め。なかなかやりおる」
照れ隠しなのか、ギャグ風の口調に笑みがこぼれる。
「その後はお医者さんも看護師さんも『おめでとうございます』のオンパレード。もー恥ずかしいったら。でもやっぱり嬉しくて、死にたくないなって思った」
──死にたくないなって思った。
彼女の、何気なく書かれたこの言葉に、涙が溢れて止まらなくなってしまった。
「……新菜」
呼んでも、彼女は返事をしない。
「新菜」
嗚咽混じりの声が部屋に虚しく響き、冷たい吐息が漏れるだけの音しか後に残らない。
「だけど」
彼女の文には続きがあった。
ただ顔がくしゃくしゃで、字が読み取れそうになかった。
近くにあったティッシュを箱から何枚か取り出し、勢いよく鼻をかむ。
ぐすぐすとなる鼻を啜りながら、何気なく写真へ視線を移した。コルクボードに貼られた写真に歩み寄り、そっとそれらを裏返した。
特に、意味などなかった。
ただ手が自然と動いたのだ。
写真の裏には、見覚えのない文が書かれていた。
「水族館記念」
「遊園地記念」
「高級ディナー記念」
そう書かれた文字は、間違いなく日記の主のものだった。
「イルカと触れ合えた。智哉、最後まで手をプルプルさせながら頑張って触ってた。赤ちゃん初めて抱っこする時もこうなる気がする」
「ジェットコースター苦手なの、克服してよね。私、一人で乗りたくなんかないんだから。そのためだったら何回でも付き合ってあげますよ?」
「智哉、最後の方かなり無理して食べてたでしょ。今度から限界近くなる前に私にちょーだい」
気がつかなかった。
どれもこれも、全部僕宛てのメッセージだ。
彼女は僕の隙を見計らってサプライズを仕掛けていた。
「時間差サプライズ……に、なっちゃったな」
自然と、頬が緩んだ。
手元の日記帳をまためくる。
「だけど、私は絶対長く生きれない。どうにか頑張ったら生きれる類のものでもないだろうし。奇跡を願うしかないな。どうか一日でも永く、智哉の傍にいれますように!そして智哉が、いつか私のこと忘れて、前、向いてくれたらいいな」
いつか私のことを忘れて、という文がカサカサとしていた。その部分だけ文字の色が異なり、じんわり滲んでいる。
「どうしよ。プロポーズされてから時間が経ってくうちに、どんどん恐くなる。死ぬこともそうだけど、死んでから私、忘れられるっていうのが、どうしようもなく嫌だ。矛盾してるけど、本心だけを書くことにしてるから一応書いておく」
ツキン、と胸に針が何本も刺さったように鈍く痛む。
「今日、やばい。死ぬかもしれない。えっと、なに、なにかこう。ともちか、くるしい、ともちか、ともちか」
新菜の、彼女の容態が悪化した日だった。
彼女の日記には吐血したらしい跡があった。
「今日はだいぶ落ち着いた。でも多分、これが嵐の前の静けさってやつなのかな。きっともう、私の体は限界。この日記、読まれるのかな。私これに智哉の悪口も結構書いてるけど。まあ、智哉の方から『これはごめん』って言うかな。見たかったな。見れるかな。天国って場所に行って、智哉のこと見れるかな。あ、でも、智哉が新しい彼女つくったら雷落とすかも」
落としてくれていいよ。構わない。それで君がいるって分かるなら構わない。
手に力がこもり、紙の端っこがくしゃりと歪んでしまった。あわててシワを伸ばし、ページをめくる。
「雷は冗談だけど、智哉が、私が居なくなっても笑っていて欲しいとは思う。でも私が居なくて笑っているのも嫌だ。矛盾した気持ちは今日もなくならないようです」
笑えてないよ。
今君が、僕の元から居なくなってから、僕はまともに笑った記憶がないよ。君が生きていなきゃ、僕は生きている意味さえわからなくなってしまってるよ。
「あ、ホントに終わりがくるかも。なんか、直感だけど。どうしよ、とりあえずかけることだけ書いておく。智哉、私は死ぬまで、いや、生まれ変わるまで、ううん、きっと生まれ変わっても智哉が好き。大好き。愛してる。結婚式挙げられなくてごめん。婚姻届、出してよかったの?出してからまだ二週間経ってないけど。ね、智哉。智哉はまだ生きてるから、きっと良いことある。生きていれば人生山あり谷あり、って言うじゃん。今、谷でも二年後は山かもよ?だから、ちゃんと、ちゃんと幸せに」
文は、そこで途切れていた。
くしゃりと曲がった跡と「幸せに」の「に」が、長い跡を残していたから、書けなくなったのは明白だった。
その日は記されていた日記の一番最新のもので、日付は彼女の命日だった。
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