雪女と狐【短編集】

木風 麦

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《二》

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 お祭りは村の人達が全力なだけあって、屋台はいっぱい出るし人も多かった。
「硝夏、お祭り行くの」
 母には驚かれたが、嬉しそうにされた。
 その表情に、私の胸は締め付けられるようにぎゅっとなった。
 やっぱり、心配かけていたんだと思わされた。私が悪いのに、私は勝手に傷つく。心ってなんて面倒臭い。
「浴衣、着ていきなさいな」
 そう言って、少し背伸びをしたような色合いと柄のものを取りだした。
「ありがと」
 と笑って、それを受け取る。
 でも、この浴衣を見せるのは誰もいないのよ。
 その言葉を、私は喉の奥にしまった。
 巾着に小銭入れと、大好きなキャラメルを放り込んだ。後で、天狗にも渡してみよう。
 そのときの反応を想像すると、自然と頬が緩んだ。


 ふとそんなやり取りを思い出して、私はカランと鳴らす足を止めた。
 騒がしい音楽が鳴り響く屋台たちを一通り回って、焼きそば、たこ焼き、りんご飴などのオーソドックスなものを買い込んだ。
 それらを持って、私は神社に向かった。
 相変わらず閑散としている雰囲気に、私はほっと息をついた。
「ありがとう」
 振り向くと、鳥居の向こう側には天狗……の声の男の子が立っていた。ただ、お面は付けていなかった。
「買ってきたよ。お面、どうしたの」
 ガサッと袋を持ち上げると、天狗の手が軽く触れた。
 人間のものかと疑うほど冷たくて、私は天狗を見上げた。
 端正な顔立ちが思っていた以上の近距離にあったものだから、私はビックリして一歩後ずさった。
「つ……冷たいのよ。あんたの手」
 言い訳めいたことを口走ると、天狗は寂しげに笑った。
「仕方ない」
 天狗の笑みに、私は「冷え性なのね」と笑い返した。
 心臓がいつもより早く動いてる気がする。
 それを悟られたくなくて、私はまた一歩下がった。
「……浴衣着たんだ」
 じっと見られるのが恥ずかしくて、「別に、着てけって言われたから」と背を向ける。
 何だろ。おかしい。いつもの私じゃないみたい。
──……浴衣を見せる人は誰も……。
「……居たわ、ね」
 ポロっと言葉が漏れ出た。
 そっと後ろを見やると、彼は月を眺めていた。
 その姿は、まるで月に帰りたがってるかぐや姫を連想させるかのような儚さを孕んでいて、私の胸を騒がせた。
「ねぇ、下には行かないの」
 ちょっとだけ、期待した。もしかしたら、一緒に回れるんじゃないかって。
「……俺は、ここから出れない」
「え?」
 ここって、神社?そんなことあるの?
「何言ってるの。出れるわよ」
 彼の手を引いて鳥居の近くまで来ると、ぱっと手を離される。
「なっ」
 振り返ると、彼は寂しげな微笑みを浮かべていた。
「言ったろ」
 だんだんと、黒い影が彼を取り囲んでいく。
 信じられない光景に、私の足は竦んだ。
「ここに、神なんてもう居ない。在る・・のは、この村に殺された子供たち……供物として捧げられた子供たちの残留思念だって。……この子供たちは、この地に縛られているんだ」
 影は段々と形になっていく。
 私の表情は、引き攣ってしまっていると思う。
 だって、怖すぎる。何本もの手が、彼の後ろから伸びていた。
「……この屋台のものは、本来はこの子達にあげるものなんだ。少しでも、報われるようにって……でも、罪滅ぼしにもならないよ」
 笑っているのに、彼の瞳からは憎悪しか感じられない。
 見覚えのある、瞳だった。
 ああ、そうか。
「……ショウ君……だったの」
「……忘れてたんじゃないの?」
 意地悪な表情だった。
「うん……私、忘れさせられてた・・・・・・・・。あなたの記憶を消されたの。あまりに私が聞き分けのない子だったから」
 彼──ショウ君の瞳が大きく見開かれた。
「私あの日、あなたを逃がそうとしてた。でも見つかって……部屋に閉じ込められて、私は折檻された。私は私を守るために、記憶を奥底に隠したの。……今の今まで、忘れていた……ううん、思い出したくなかった。だって……ショウ君が死ぬなんて、そんなの耐えられなかったから」
 涙がつーっと頬を流れた。
 とめどなく溢れてきて、私の視界はぐしゃぐしゃに歪んでいる。
「……見捨てられたと、思ってた」
 ショウ君は強ばった顔を反らして、ギリッと唇を噛んだ。
「親は祟を本気で信じてた。だから俺のことは諦めてた……せめて、残された余生を不自由なく過ごせるようにと便宜を計ってくれたけど……そんな事するより、俺はこの村から連れ出して欲しかったよ。それをしようとしてくれたのは、君だけだった。だけどあの日、君もおれのもとには来なかったから……てっきり見捨てられたのかと」
 ごめん、と絞り出すような声に、私は無言で首を振った。
 ショウ君と私は、幼い頃に家の関係から一緒に育てられた。兄のような、そうであって欲しくないような存在だった。私にとって、両親と同等かそれ以上に大切な存在だった。
 だけどショウ君は、伯父である当主の息子だったために、村からの供物として捧げられる事になっていた。
 そんなの嫌だった。
 だから私は、居るはずの神様にお願いに行った。
「お願い!ショウ君を連れていかないで!お願い……っ」
 だけど、その願いは嘲笑われるかのように掻き消された。
 祖母たちにばれて、私は監禁された。ご飯も抜かれた。水だけが出されて、私は生死を彷徨うまでの状態になった。
 そう、だ。私、そこで会ったのよ。
「私、誰かに会ったんだ……」
 はっと顔を上げる。ショウ君は怪訝そうではあったが、瞳に私を映した。


「……君は、新しい風になってくれるかもね」
 顔は見えなかった。だけど、酷く悲しそうな声だった。
「覚えておいて。彼はこの先、この地で取れたものしか食べないことで身体をこの地に縛る。だけど、その呪い・・は簡単に破れる。……だから完成してしまうと強固なものになる。けれど、その間に不純物……この地以外の食べ物を食べさせなさい。そうすれば、呪いは簡単に解ける」
 人差し指を口元に寄せて、その人は言った。
「……もう、悲しい憎しみの連鎖は生んで欲しくない」
 そして私が目を覚ますと、そこは布団の上だった。


 記憶を遡り、私はハッと巾着を漁った。
 コン、と小さな箱に指が当たる。
「これ、食べて」
 キャラメルを取り出すと、ショウ君はますます怪訝そうにした。
「私を今度こそ信じてよ」
 パシッとショウ君の手を握る。
 相変わらずの死んだ人のように冷たい手に、私は力を込めた。
「ねぇ忘れちゃったの?供物が本当に・・・捧げられるのは、供物が齢十五になる時なんだよ!?」
 ショウ君は「あ」と声を漏らした。
 子供が供物とされ山に追いやられるのは六歳。だけど、森の入口に毎日欠かさずにお供えされる食べ物を食べるように教えこまれる。
 そして齢十五にまで育ったら、今度こそ連れていかれる。
 私は慌てて下の祭りの様子を見下ろした。
 まずいことに、もう皆帰り始めていた。
「お祭りが終わったら、ショウ君連れていかれちゃうよ!」
 私が握らせたキャラメルを、ショウ君は私に突き出した。
「……俺は、この子達を放っては置けない」
 私は絶句した。
「ごめんな、硝夏……ありがとな」
 すっと私の横をすり抜けて、彼は本堂へ足を向けた。
「……ざけんな」
 カツカツカツと下駄を鳴らし、ショウ君の腕を掴んだ。
「ふざけんな!もう犠牲は要らないって言ってんでしょ!?何自分から望んで犠牲になろうとしてんの!子供たちを放っておけない?えぇえぇ!放っておけだなんて誰が言ったよ!その子たちが死んでくださいとでも言ったの?」
「な……っそんな言い方!」
 怒ったショウ君はキッと私を睨んだ。
「なら考えてみなさいよ!まだ生き残れる選択肢を捨てて死ぬショウ君見て、その子たちは……その子たちはきっと、その命欲しいって思うよ。捨てるくらいの命なら欲しいって……ねぇ……その子たちって、そういう子達・・・・・・の集まりなんじゃない?生きたかった子達の集まりなんでしょ?なら、死を選ぶのは侮辱以外のなんでもないでしょう!」
 ショウ君は魂が抜けたようにへたりと座り込んだ。
「……お願い」
 私も屈んで、彼と視線を合わせた。
「私、あなたに生きてほしい。私と一緒に居てほしい。もう……ひとりに、しないでほしい」
 声が掠れるのがわかった。また涙が溢れてきてしまう。
 教室に私の居場所がない、だなんて嘘ばっか。そうしているのは私の意思だったのに。
 私はどうしたって心のどこかにショウ君を覚えてて、無意識に彼に対して罪悪感と虚無感を抱えていた。そしてそれ以上に、寂しくて仕方なかった。
 彼はそっと、私を抱き締めた。
 その手は、あの頃のような太陽みたいに優しく、温かい手だった。


***


 その後、ショウ君は村に戻った。
 祖母は卒倒し、当主……伯父と伯母は泣いて喜んでいた。
 そして古い風習について、村全体で話し合われた。
 祖母は倒れたので、伯父が取り仕切っていた。むしろそっちの方が良かった。うちの村は大体が祖母の圧によって成り立っているようなものなのだ。
 村の人達は、意外とあっさり「供物制度」の廃止に納得した。
 そしてショウ君は今も村に住んでいる。制度を見直した村には、科学的な面から見てやらなければならない問題が山積みらしい。
 ショウ君は学校に通って、それを学んで跡を継ぐことになりそうだ。
 私はといえば、学校に通えるようになった……というのはちょっと大袈裟で、今でもちょっと体調は崩すけど、少しずつ学校に通える時間が増えてきた。
 友達もできた。
 授業の一貫のグループ学習で仲良くなれた。てっきり邪魔者扱いされるかと思っていたから、驚いた。
「だって、硝夏ちゃんいつも真っ青になるまで頑張って授業受けてんだもん。ズル休みじゃないって皆知ってるよ」
 なんて、励まされた。
 正直泣きそうになった。
「……へぇ。友達できたんだ」
 週末はほぼ毎回、村に行くことにしていた。ショウ君が心配、というのも無くはないけど、もう一つの理由の方が大きい。
「それ、男子?」
「え?んー、まぁ男子もいる」
 お茶菓子を食べながら学校の話をするのが日課になっていた。
「……それは、ちょっと妬ける」
「え?」
 聞き間違いだろうか、と顔を上げると、
「別に何でも」
 すまし顔の彼に、ちょっと残念と思いながら笑いかける。
 あの祭りの日以降、私たちは何回か山の麓に行ったのだが、階段は無くなっていた。
 だから私たちは仕方なく、その麓にお菓子やらジュースやら、子供の好きそうなものをお供えして帰る。
 その帰り道は決まって、優しくも湿気を含んだ風が、私たちの髪の毛を柔らかく撫でるように通り過ぎるのだった。
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