雪女と狐【短編集】

木風 麦

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《二》

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「……う、……?」
 ぼんやりとした視界が、だんだんとクリアになっていく。
 自身の体を起こすと、横にはコルンが横たわっていた。どうやら寝ているようだ。
 辺りを見回すと、見たことの無い部屋だ。
──まさか。
 ギュッと布団を握りしめると、カチャリと乾いた音と共に少女が姿を現した。
「目が覚めたのね」
 少女は相変わらず無表情だ。
「……お前、何した」
「治療してさしあげたのよ」
 肩をすくめる彼女に、「ふざけるな!」とクレイソンは怒鳴った。
「その治療は、お前の作った毒のせいで必要になったものだろう!」
「五月蝿いなぁ。何も知らないくせに、よくそんな態度でいられるよ」
 そう言ったのは、少女の後から入ってきたロット──ではなく、ドーラだった。
 カッと頭に血が上ったクレイソンは「何だと」とベッドから出ようとした。だが、その前に身体が動かずにその場に崩れ落ちるように倒れた。
「ドーラ、彼を少し看ててあげて」
「うん」
 少女はそう言うと部屋を出ていった。
 ロットは何も言わずに扉のすぐ隣に立った。
「おい、お前何魔女の言いなりになってんだよ」
「うっさいよ。少しはその生意気な口を閉じてろクズ」
 クレイソンの身体を助け起こしながら、ドーラは乱暴にベッドに押し倒した。
「クレイソン……お前は、お前があれだけ嫌味を言って貶す魔女とやらに助けられたんだ。お前は礼も言うことが出来ないのか」
 怒りがチカチカと灯る瞳に、クレイソンは唖然となった。
「お前らはずっと霧の中に居た。だがその霧は毒だ。幻覚作用、目眩、呼吸困難まで引き起こす。お前は何も知らないがためにそんな毒をずっと吸い続け、挙句その責任を他者に押し付けた。お前、本当に騎士なのか?」
 ギリッと襟を掴まれ、クレイソンは苦しげに顔を歪める。
「……っお前!魔女が憎いんじゃなかったのか……!!」
 ギッとドーラを睨むと、ドーラは冷ややかに唇を曲げた。
「そんなこと言ってないでしょう?私は火事の犯人が許せないと言ったのよ。魔女だなんて誰が言ったの?」
 クスクスと嘲笑うような声は、クレイソンの神経を逆撫でした。
「あの火事が魔女のせいじゃないとでも言う気か!?馬鹿言うな!証拠は揃っていたし、何処に潔白だという根拠が──」
「私の兄は」
 ふと、ドーラは静かな声を出した。
「私と兄はその日、お前の村にいたんだよ。私の家族は兄しかいなかった。兄に養ってもらっていた。その兄は騎士団に所属していてね、誇りだった。だけどね、その兄は死んだのよ。その火事でね。立ち尽くす私を強引に抱きかかえて生かしてくれたのが──かつての騎士団副団長、ロット様だった。そしてその指示をしたのが、誰でもない、ガトーだった」
「ガトー?」
「お前が魔女だ魔女だと言ってきた、ただの少女の名前だよ」
 ドーラがパッと手を離すと、重力に従ってクレイソンはポフンとベッドに転がる。
「ただの少女?馬鹿をいうな。俺たちを助けられたのも、特別な魔力があるから……」
「ないですよ」
 パタンとドアを閉め、少女──ガトーはたらいと布、盆をもって現れた。そのすぐ後ろに、ロットが控えていた。
「魔女と呼ばれし者たちは皆、魔力なんてもの持ってないです。私たちは、あらゆるものに精通しているだけ。薬然り、金銭、貿易の情報、とかです。それより、汗を拭いて貰っていいですか?その汗拭かないと、回復しませんよ」
 コト、と持ってきたものを台に置くと、
「それじゃ、後はよろしくね」
 と部屋を出ていった。
「……というわけです。服、脱いでもらっていいよね」
 クレイソンの返事を待たずに、ロットは彼の服をベリッと脱がした。
「な、無礼な……っ!」
「へぇ?元副団長の俺にそういうこと言えるんだ」
 すっと目を細めるロットに、クレイソンはぐっと黙った。
「俺が憎いか?グレン」
 かつての呼び方に、クレイソンは視線を逸らした。
 まだロットが騎士団副団長だった時、クレイソンは彼に目をかけられていた。クレイソンは実の兄のように慕っていた。そんな彼は、ある日突然姿を消したのだ。例の噂を残して。
「ガトーは子供に見えるかもしれないが、それは魔法でもなんでもない。彼女は生育環境から、身長が、成長が止まってしまったんだ。……俺が、騎士団に入っている間に」
 ふと視線を向けると、ロットは苦しげに顔を歪めていた。その瞳に、クレイソンは映っていないようだった。

「ガトーは、俺の実の姉だよ」

 予想もしなかった一言が発せられた。
 クレイソンはただただ言葉を失っていた。
「驚いたか?まぁでも、ガトーはそれを覚えちゃいないがな」
「は?」
 ロットは冷ややかな瞳で言い放った。
「魔女差別だのなんだの言って、ガトーは俺が騎士団にいた頃、俺の手の届かないところで心身共に追い詰められていたんだよ。毎日毎日毎日……ッだから姉さん……ガトーが森に帰ると言い出した時はほっとしたよ。森には誰も居ないから。父なんてもとより知らないし、母はとうに死んでしまったしね。ガトーは、その決心をした翌日……火事の犯人にされた」
 背筋がゾッとするほど、憎しみの籠った瞳だった。
「姉さんは、ガトーは、火事の中、自分が意識を失うまで町民を助け回ったというのにな……。それがきっかけで、人との繋がりなんて何も覚えてちゃいなかった。……けど、それで良かったんだ、きっと」
 すっと立ち上がり、「あ、そうそう」とクレイソンを見る。
「お前のことは、実の弟のように思っていたよ」
 そう言って、一瞬だけ優しい目になった。
 パタン、と扉が閉められ、クレイソンは一人部屋に残された。
──憎しみの籠った瞳をしていた時、その奥には後悔があった。
 彼はガトーが迫害を受けていた時、助けられなかったということが何よりも許せないのかもしれなかった。
 むくりと起き上がり、家を出た。
 霧は晴れ、森の閑散とした空気が満ち満ちていた。呼吸が、楽にできるような気になった。
「あら、まだ安静にしていてくださいな」
 どこに行っていたのか、手にしていた籠には花や草が詰まっていた。
「……少し、話がある」
「話でございますか。私に?」
 向けられた瞳に、憎悪も嫌悪も、好意もなかった。あるのは、無。感情の無い瞳に、何故かクレイソンの胸はギシッと音を鳴らして軋んだ。
 二人は近くあった横に倒された木に腰を下ろした。
「……一つ、確認しておきたい」
 クレイソンの呼吸が無意識に乱れる。
 目を閉じ、息をゆっくりと吐く。
「お前は、あの火事を引き起こした張本人ではないのか」
「分かりません」
 即答だった。
 ロットの話を聞かなければ、何も聞かずにガトーに殴りかかっていたかもしれない。
「では質問を変える。……お前は……自分がやったと、思うのか」
 人との繋がりを忘れた、と言ってはいたが、記憶が全て失われた訳ではないらしかった。
 返答がなかった。
 クレイソンがそっと横をむくと、ガトーは目を見開いてクレイソンを凝視していた。
「……何故、そんなことを尋ねるのです。あなたは、私を消そうとお考えなのでしょう?私が……魔女が、嫌なのでしょう?どうしようも無いほどに」
 その言葉に、クレイソンはぐぅと喉を鳴らした。
「いや……その……俺は、先入観からものを言って、おま……あなたのことを何も知らないくせに、酷い言葉を並べて……その」
 ぱっと視線を外し、クレイソンはモゴモゴと歯切れ悪く言う。
「やりませんよ。だって……ロットが、絶対に違うと言ってくれたもの。そんな人じゃないと言ってくれた。皆私が魔女だからという理由から決めつけているだけだけど、ロットは違った。をちゃんと見てくれた」
 風がどこからが吹き、ガトーのフードを脱がし、彼女の夕暮れ色の髪が露になった。
「……なんて、ね。私は火事なんて覚えていないし、もしかしたら皆の言うことの方が正しいのかもしれないけれどね」
 眉を下げる彼女は、とても大人びた横顔をしていた。短い髪は、サラリと優しく揺れては彼女の表情を簡単に隠す。
 自分のことを信じられずに、火事の日から彼女は孤独だったのだ。それがどれほど辛いことで、苦しいことで、悲しくて情けないことなのか。想像もしたくなかった。
「許さなくて結構だ。だが俺は過去の自分を恥じている」
 クレイソンは立ち上がり、ガトーを見下ろした。
 金色の透明感のある髪の毛が、さらっと静かに揺れ、蒼い瞳がキラッと光る。
「俺は、あなたが火事を起こしていないと、そう思った」
 徐々に見開かれるガトーの瞳に、うっすらと水の膜が張られ、ふわりと優しく零れた。
「あなたはおそらく、他のどの人間よりも心が綺麗なのだろうな」
 透明な雫が流れるのを見て、クレイソンは微笑み、背を向けた。
「もう、明日には帰ることにします……俺が寝てる間に、もう三日も経ってしまっていたようだからな」
 期限は明後日までだ。余裕で帰還が叶う。
「……ですが、そうするとあなたの立場が……」
 監視役の意味を正確に捉えていた彼女は、自分の身が狙われていると分かった上でなおクレイソンの身をあんじた。
「なぜ、逃げなかったんだ」
 クレイソンが小さな声で尋ねた。
 意図したわけではなく、漏れ出てしまったような声だった。
 ガトーは丸い瞳を細め、

「私はもう、疲れていたんですよ」

 そう、微笑わらった。
 その笑顔は儚く、白い花が散る景色を連想させた。
 クレイソンの胸は、呼吸が難しくなるほどに締め付けられた。
「……ガ」
 声をかけようとした時だった。
「総員、構え!!」
 野太い声が森に響き、カチャカチャカチャッと小さく甲高い音が続く。
 彼らは騎士団に包囲されていた。
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