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七章
触発
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「結芽、大丈夫かしら」
結芽たちの家に遊びに行くはずだったのだが、昨日の夕立で結芽は体調を崩して高熱が続いているらしかった。
冬にしては珍しく、ニュースにもなっていた。
そう。気づけば季節はもう冬だ。
そろそろプレゼントも用意しないといけない時期だ。
カレンダーを眺めながら思いを馳せる。
毎年子供たちが嬉々としてプレゼントを開ける姿が智美は大好きだった。
「明日も長引くようだったらお見舞い行ってくるね」
新聞を読む達海にそう話しかける。
「水くさいな。俺たちも行くよ」
「それじゃハルとヒロにうつっちゃうかもしれないでしょ」
「あいつらが大人しく留守番してるとは思えないんだが」
達海の指摘に智美はうっと言葉に詰まる。
おそらく是が非でも着いてくると駄々をこねるだろう。
「マスクと風邪薬まとめ買いかしら」
子供たちのその「お願い」を断れないのが目に見えていた。
トントントンと階段の音がする。
ガチャとドアを開けて、寝ぼけ顔の広翔がリビングに入ってくる。
「あ、起きてきた。ヒロは寝坊助ね」
智美はそう言いながら珈琲を啜る。
「結芽ちゃんのお家行く」
広翔は寝ぼけ眼で言う。
「それは明日にしましょ。今日は結芽、風邪引いてるから」
と智美が言うと、
「じゃあお見舞い行く」
と広翔が食い下がる。智美と達海は顔を見合わせて笑う。
「何があってもついてくるわ、これ」
「そのようだな」
春海は再びリビングに戻ってくるなりパンケーキを手に広翔に絡む。
「さーてと。じゃあぼちぼち出かける準備しますか」
と智美が言った時だった。
ピンポーン。
玄関のチャイムが音を立てた。
達海が立ち上がり「檜木さんだ」と玄関へ向かう。
扉を開けると、佳奈が表情の無い瞳で達海を見上げた。
「今日はこれから結芽さんの家に行こうとしていたのですが、何か御用で……──」
「児童相談所の職員て、本当ですか」
達海の言葉を遮り、佳奈は質問を投げかけた。
達海は面食らったものの、微笑を浮かべた。
「そうですよ。妻が話したんですか?」
不思議そうに尋ねる達海の表情が一瞬にして苦悶の表情に変わる。
腹部を深く刺されたのだ。「うぐっ」と言葉にならない声を上げる。
「騙していたのね。やっぱり、お義母さんは私を思って言ってくださったんだわ。あなたたちの思い通りになんかさせない」
囁くような口調だった。
達海が靴棚によろよろと手をかけるが、血で滑って転倒し、ドサっと音を立てる。
リビングの方から人が立つ気配がする。
智美が不審そうな声とともに玄関へ歩いてきた。
「え?佳奈さん?これどういう」
言い終わらないうちに佳奈は智美を刺した。
刺された智美は、コフッと口から血を吐き出した。
「あなたたちに瑠璃は渡さない」
冷たい目で智美を見下ろす。
ふと、少年と目が合った。
少年は怯えているようには見えない。ただただ呆然とその光景を眺めているかのように微動だにしない。
この子が息子か。
そう思っただけだった。
見つめてくる瞳に佳奈が映る。
なんて醜い顔。
泣きたくなった。なんで私だけがこんな目に。
「広翔君」
驚くほど流暢に彼の名前が口から滑り出る。
「私を、許さないで」
あなたの愛する人たちに手を出した私を。
──佳奈さん。
脳裏に智美の声が響いた。
やめてよ。惑わさないでよ。私は、瑠璃を失うわけにはいかないの。
ボフっと顔面に布地が当たる。
一瞬何が起きたかわからなかった。
「逃げて!」
春海の声だ。
ハッと意識が覚醒する。
──私は、何を……?
血塗れの鋭利な刃物が鈍い光を放っていた。
思わずカランと刃物を落とす。
「ちょっと佳奈ちゃん。何してんのよ」
怒りに声を震わせた春海がツカツカと歩み寄る。
「なんで二人を刺したの!?うち今電話線切れてて救急車呼べないのに!携帯持ってるなら今すぐ呼んで!!」
般若の形相で佳奈の襟を掴む。
「だって……瑠璃を、私から取る気なんでしょ?取られるくらいなら私が守るしかないじゃない」
ぎこちない笑みを浮かべる。
パシンと乾いた音が響いた。
頬が熱を持ってきて始めて、佳奈は自分が頬を張られたのだと気づいた。
「何馬鹿なこと言ってるの!?もう半年くらい一緒にいるのに、佳奈ちゃんには私たちがそんなふうに見えてたの!?」
ポロポロと春海の目から涙が零れ落ちる。
襟を引く拳が小刻みに震えていた。
「救急車……はやく呼んでよぉ……っ」
懇願にも似た甲高い声が佳奈の耳に響く。
「瑠璃ちゃん取ろうなんて思ってない!佳奈ちゃんが秀一さんのこと大事に話すから、家族として上手くいくように相談してはいたよ?だけど、瑠璃ちゃん取ったら『家族』じゃ無いじゃない!私たちは瑠璃ちゃんにも笑顔でいて欲しいのよ!」
悲鳴じみた声が玄関に響いては消えていく。
佳奈の目から涙が一筋零れ落ちた。
「か……かなさ……──」
呻くような声が後ろの方から聞こえた。
「お母さん!」
春海はパッと駆け出し智美の近くに座り込む。
「お母さん血が……っ!!」
「へいき。そ、それ、より……かなさんは?」
と言いながら視線を向ける。
佳奈を捉えると、ふわりと微笑んだ。
「た、すけ……あげれ……くて、め、なさ」
声が絶え絶えとしていて春海は上手く聞き取れなかった。
「お母さんもう喋らないで!今電話借りてくるから!」
そう言って玄関から出ようとすると、外側からドアが開かれた。
キイイと音を立てて開かれた扉の前には遠子が立っていた。
その人を見るなり、春海は無意識に後ずさっていた。
その人の瞳が嫌いだと思った。
「ああ、やっぱり私の言った通りじゃない。ねぇ、秀一さん」
遠子の言葉に「え」と佳奈は小さく呟いた。
凍りついたようにその場から動かない。
「佳奈、これは」
信じられないものを見る目を秀一は佳奈に向けた。
「秀一さん。あの子はあなたのことなど考えていないと言ったでしょう?その証拠にあなたの為じゃなくて子供のために動いた。隠し子のために」
遠子は秀一の肩に手を置き涙ぐんだ。
「みんな私の言った通りだったでしょう?あの女は嘘をついてるの。あなたは騙されてるの。あの女のせいであなたまで巻き込まれることは無いわ」
「隠し子ってなんのこと?私の夫は秀一さんだけなのに」
喘ぐように佳奈は言う。だが秀一の耳には届いていないようだった。
春海は全身に鳥肌を立てた。
「さぁ秀一。これで火をつけるの。周りにもう灯油は撒いてあるわ」
「やめてよっ!!」
春海の悲鳴が遠子の声を遮る。
「うるさい子。お黙りなさいな」
五月蝿そうに冷たい視線を投げかける。
「人の家を勝手に燃やすな!非常識野郎!」
「口の悪い子。どんな教育を受けたのかしら……さぁ、秀一」
と遠子は秀一の背を押す。
ダン、と地を蹴る音がやけに大きく響いた。
佳奈はスローモーションでその光景を見ているように思えた。
春海の上段回し蹴りが遠子の顎を捕らえた。
遠子はそのまま倒れ込んだ。
頭を打ちつけ、脳震盪を起こしていた。
「悪いけど、あんたよりはまともな人間のつもりよ」
春海は吐き捨てるように言った。
「母さん!」
秀一が戻って来た。
心做しか周りの気温が上がった気がする。
「よくも母さんを……!」
秀一は顔を真っ赤にして怒り、春海に鋭い蹴りを入れた。
「……っく」
春海が腹を抑えている隙に側頭部に蹴りを入れる。
春海は完全に気を失った。
そして抵抗しなくなった春海に、いつの間に起きたのか、遠子が刃物を手によろよろと立ち上がった。そして、躊躇なく春海の腹部を刺した。
周りが熱くなっているのは勘違いではなく、既に炎が家を包んでいた。
「さよならだ、佳奈」
冷たく言い放ち、秀一は母に肩を貸しながら家から出て行った。
佳奈は呆然としていた。
もう自分には何も残っていない。
全て自分の手で消してしまった。
「ああ……」
言いようのない後悔と自責の念が佳奈を駆り立てる。
近くに、三人を刺した刃物が落ちていた。
それをそっと手に取り、自身の喉に当てる。
せめて死んで詫びよう。
不思議と穏やかな気持ちだった。
その時だった。
ガシッと別の腕が佳奈の手を掴んだ。
「ゆる、さない……っ」
春海はフーッフーッと荒い息を吐き出しながらギロリと睨む。
「死ぬなんて、許さない!今なら、まだ……ま、にあう」
手を小刻みに震わせながら出口を指す。
「は、やく出て……!自首しろ!!」
「でも私は、死ぬべき人間だわ」
「わかってんなら!!生きて償え!!」
春海の怒鳴り声に佳奈は目を見開いた。
「死ぬことは!私たちから逃げるってことよ!させないから!」
春海はカハッと血を吐いた。
「──瑠璃ちゃんが、いるでしょ」
春海の瞳がふと緩む。
柔らかい笑みを浮かべていた。
「お母さん!春海ちゃん!」
火事の中、瑠璃がバンと扉を押し開けて中へ入ってきた。
「瑠璃ちゃん、お母さんを連れて、外へ」
春海は必死に笑顔を向ける。
「春海ちゃんっ!!嫌っ!春海ちゃんも」
瑠璃は必死に春海を連れて行こうとする。
重くて持ち上がらない。
「助からないよ」
煙が部屋を包んでいく。ゴホッゴホッと噎せ、
「またいつか、遊びましょ」
春海は泣き笑いを浮かべ、そのまま瞳を閉じた。
「いやっ!春海ちゃん!!いやぁぁぁっ!!」
瑠璃の悲鳴が響く。
救助隊が中に入ってきて、泣き叫ぶ瑠璃と人形のように反応しない佳奈とを連れて外へ出て行った。
火災は二時間ほどで鎮火し、しばらく騒動は続くも、ショックで倒れた広翔は二週間目を覚まさなかった。
結芽たちの家に遊びに行くはずだったのだが、昨日の夕立で結芽は体調を崩して高熱が続いているらしかった。
冬にしては珍しく、ニュースにもなっていた。
そう。気づけば季節はもう冬だ。
そろそろプレゼントも用意しないといけない時期だ。
カレンダーを眺めながら思いを馳せる。
毎年子供たちが嬉々としてプレゼントを開ける姿が智美は大好きだった。
「明日も長引くようだったらお見舞い行ってくるね」
新聞を読む達海にそう話しかける。
「水くさいな。俺たちも行くよ」
「それじゃハルとヒロにうつっちゃうかもしれないでしょ」
「あいつらが大人しく留守番してるとは思えないんだが」
達海の指摘に智美はうっと言葉に詰まる。
おそらく是が非でも着いてくると駄々をこねるだろう。
「マスクと風邪薬まとめ買いかしら」
子供たちのその「お願い」を断れないのが目に見えていた。
トントントンと階段の音がする。
ガチャとドアを開けて、寝ぼけ顔の広翔がリビングに入ってくる。
「あ、起きてきた。ヒロは寝坊助ね」
智美はそう言いながら珈琲を啜る。
「結芽ちゃんのお家行く」
広翔は寝ぼけ眼で言う。
「それは明日にしましょ。今日は結芽、風邪引いてるから」
と智美が言うと、
「じゃあお見舞い行く」
と広翔が食い下がる。智美と達海は顔を見合わせて笑う。
「何があってもついてくるわ、これ」
「そのようだな」
春海は再びリビングに戻ってくるなりパンケーキを手に広翔に絡む。
「さーてと。じゃあぼちぼち出かける準備しますか」
と智美が言った時だった。
ピンポーン。
玄関のチャイムが音を立てた。
達海が立ち上がり「檜木さんだ」と玄関へ向かう。
扉を開けると、佳奈が表情の無い瞳で達海を見上げた。
「今日はこれから結芽さんの家に行こうとしていたのですが、何か御用で……──」
「児童相談所の職員て、本当ですか」
達海の言葉を遮り、佳奈は質問を投げかけた。
達海は面食らったものの、微笑を浮かべた。
「そうですよ。妻が話したんですか?」
不思議そうに尋ねる達海の表情が一瞬にして苦悶の表情に変わる。
腹部を深く刺されたのだ。「うぐっ」と言葉にならない声を上げる。
「騙していたのね。やっぱり、お義母さんは私を思って言ってくださったんだわ。あなたたちの思い通りになんかさせない」
囁くような口調だった。
達海が靴棚によろよろと手をかけるが、血で滑って転倒し、ドサっと音を立てる。
リビングの方から人が立つ気配がする。
智美が不審そうな声とともに玄関へ歩いてきた。
「え?佳奈さん?これどういう」
言い終わらないうちに佳奈は智美を刺した。
刺された智美は、コフッと口から血を吐き出した。
「あなたたちに瑠璃は渡さない」
冷たい目で智美を見下ろす。
ふと、少年と目が合った。
少年は怯えているようには見えない。ただただ呆然とその光景を眺めているかのように微動だにしない。
この子が息子か。
そう思っただけだった。
見つめてくる瞳に佳奈が映る。
なんて醜い顔。
泣きたくなった。なんで私だけがこんな目に。
「広翔君」
驚くほど流暢に彼の名前が口から滑り出る。
「私を、許さないで」
あなたの愛する人たちに手を出した私を。
──佳奈さん。
脳裏に智美の声が響いた。
やめてよ。惑わさないでよ。私は、瑠璃を失うわけにはいかないの。
ボフっと顔面に布地が当たる。
一瞬何が起きたかわからなかった。
「逃げて!」
春海の声だ。
ハッと意識が覚醒する。
──私は、何を……?
血塗れの鋭利な刃物が鈍い光を放っていた。
思わずカランと刃物を落とす。
「ちょっと佳奈ちゃん。何してんのよ」
怒りに声を震わせた春海がツカツカと歩み寄る。
「なんで二人を刺したの!?うち今電話線切れてて救急車呼べないのに!携帯持ってるなら今すぐ呼んで!!」
般若の形相で佳奈の襟を掴む。
「だって……瑠璃を、私から取る気なんでしょ?取られるくらいなら私が守るしかないじゃない」
ぎこちない笑みを浮かべる。
パシンと乾いた音が響いた。
頬が熱を持ってきて始めて、佳奈は自分が頬を張られたのだと気づいた。
「何馬鹿なこと言ってるの!?もう半年くらい一緒にいるのに、佳奈ちゃんには私たちがそんなふうに見えてたの!?」
ポロポロと春海の目から涙が零れ落ちる。
襟を引く拳が小刻みに震えていた。
「救急車……はやく呼んでよぉ……っ」
懇願にも似た甲高い声が佳奈の耳に響く。
「瑠璃ちゃん取ろうなんて思ってない!佳奈ちゃんが秀一さんのこと大事に話すから、家族として上手くいくように相談してはいたよ?だけど、瑠璃ちゃん取ったら『家族』じゃ無いじゃない!私たちは瑠璃ちゃんにも笑顔でいて欲しいのよ!」
悲鳴じみた声が玄関に響いては消えていく。
佳奈の目から涙が一筋零れ落ちた。
「か……かなさ……──」
呻くような声が後ろの方から聞こえた。
「お母さん!」
春海はパッと駆け出し智美の近くに座り込む。
「お母さん血が……っ!!」
「へいき。そ、それ、より……かなさんは?」
と言いながら視線を向ける。
佳奈を捉えると、ふわりと微笑んだ。
「た、すけ……あげれ……くて、め、なさ」
声が絶え絶えとしていて春海は上手く聞き取れなかった。
「お母さんもう喋らないで!今電話借りてくるから!」
そう言って玄関から出ようとすると、外側からドアが開かれた。
キイイと音を立てて開かれた扉の前には遠子が立っていた。
その人を見るなり、春海は無意識に後ずさっていた。
その人の瞳が嫌いだと思った。
「ああ、やっぱり私の言った通りじゃない。ねぇ、秀一さん」
遠子の言葉に「え」と佳奈は小さく呟いた。
凍りついたようにその場から動かない。
「佳奈、これは」
信じられないものを見る目を秀一は佳奈に向けた。
「秀一さん。あの子はあなたのことなど考えていないと言ったでしょう?その証拠にあなたの為じゃなくて子供のために動いた。隠し子のために」
遠子は秀一の肩に手を置き涙ぐんだ。
「みんな私の言った通りだったでしょう?あの女は嘘をついてるの。あなたは騙されてるの。あの女のせいであなたまで巻き込まれることは無いわ」
「隠し子ってなんのこと?私の夫は秀一さんだけなのに」
喘ぐように佳奈は言う。だが秀一の耳には届いていないようだった。
春海は全身に鳥肌を立てた。
「さぁ秀一。これで火をつけるの。周りにもう灯油は撒いてあるわ」
「やめてよっ!!」
春海の悲鳴が遠子の声を遮る。
「うるさい子。お黙りなさいな」
五月蝿そうに冷たい視線を投げかける。
「人の家を勝手に燃やすな!非常識野郎!」
「口の悪い子。どんな教育を受けたのかしら……さぁ、秀一」
と遠子は秀一の背を押す。
ダン、と地を蹴る音がやけに大きく響いた。
佳奈はスローモーションでその光景を見ているように思えた。
春海の上段回し蹴りが遠子の顎を捕らえた。
遠子はそのまま倒れ込んだ。
頭を打ちつけ、脳震盪を起こしていた。
「悪いけど、あんたよりはまともな人間のつもりよ」
春海は吐き捨てるように言った。
「母さん!」
秀一が戻って来た。
心做しか周りの気温が上がった気がする。
「よくも母さんを……!」
秀一は顔を真っ赤にして怒り、春海に鋭い蹴りを入れた。
「……っく」
春海が腹を抑えている隙に側頭部に蹴りを入れる。
春海は完全に気を失った。
そして抵抗しなくなった春海に、いつの間に起きたのか、遠子が刃物を手によろよろと立ち上がった。そして、躊躇なく春海の腹部を刺した。
周りが熱くなっているのは勘違いではなく、既に炎が家を包んでいた。
「さよならだ、佳奈」
冷たく言い放ち、秀一は母に肩を貸しながら家から出て行った。
佳奈は呆然としていた。
もう自分には何も残っていない。
全て自分の手で消してしまった。
「ああ……」
言いようのない後悔と自責の念が佳奈を駆り立てる。
近くに、三人を刺した刃物が落ちていた。
それをそっと手に取り、自身の喉に当てる。
せめて死んで詫びよう。
不思議と穏やかな気持ちだった。
その時だった。
ガシッと別の腕が佳奈の手を掴んだ。
「ゆる、さない……っ」
春海はフーッフーッと荒い息を吐き出しながらギロリと睨む。
「死ぬなんて、許さない!今なら、まだ……ま、にあう」
手を小刻みに震わせながら出口を指す。
「は、やく出て……!自首しろ!!」
「でも私は、死ぬべき人間だわ」
「わかってんなら!!生きて償え!!」
春海の怒鳴り声に佳奈は目を見開いた。
「死ぬことは!私たちから逃げるってことよ!させないから!」
春海はカハッと血を吐いた。
「──瑠璃ちゃんが、いるでしょ」
春海の瞳がふと緩む。
柔らかい笑みを浮かべていた。
「お母さん!春海ちゃん!」
火事の中、瑠璃がバンと扉を押し開けて中へ入ってきた。
「瑠璃ちゃん、お母さんを連れて、外へ」
春海は必死に笑顔を向ける。
「春海ちゃんっ!!嫌っ!春海ちゃんも」
瑠璃は必死に春海を連れて行こうとする。
重くて持ち上がらない。
「助からないよ」
煙が部屋を包んでいく。ゴホッゴホッと噎せ、
「またいつか、遊びましょ」
春海は泣き笑いを浮かべ、そのまま瞳を閉じた。
「いやっ!春海ちゃん!!いやぁぁぁっ!!」
瑠璃の悲鳴が響く。
救助隊が中に入ってきて、泣き叫ぶ瑠璃と人形のように反応しない佳奈とを連れて外へ出て行った。
火災は二時間ほどで鎮火し、しばらく騒動は続くも、ショックで倒れた広翔は二週間目を覚まさなかった。
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